243 東の丘の最終決戦29:丘の上の乱戦
赤い巨人は相当むかついてきていた。いつまでも晴れない視界、厚くまとわりついた水蒸気、これでは顔がむれまくって肌荒れしてしまうではないか、といらいらしている。
髪先の蛇を通した視界も、何だかちかちかと霞むようになってしまったし、全身にちくちく刺さる人間どもの攻撃はおさまらない。特に鎖骨の間に受けたちくり傷が、ひどく疼いてしんどいのである!
にしても小娘は来ないまま、もう少し偽の鍵代に生き続けてもらって、活動していようとかの女は思う。鍋の残りを底のあたりに探り、じゃりじゃり指先でつぶし、さらーっと周辺にふりまいた。はぁ、お鍋は空になった。また充填しないと。
「せっかく集めた食材を、捨てるなーッッ! たわけ者ォーッッ」
赤い巨人に、と言うかその鍋に反応して仕草を観察していたアンリは、ティー・ハルをかざして真っ赤な顔でわめき立てた。ああ危ない、はからずも後ろに忍び寄る影が!
ぶりんッ。
しかし長剣を振りかざしたギルダフ配下は、静かに回転して勢いよく打ち込まれた短槍の穂先に左脇腹を砕かれ、右にむかってよろけた。
「はッ!?」
振り返りざま、倒れかけたそいつの脳天にばこんと一発、安定の焼き目を入れてアンリは顔を上げる。
「不覚ッ、すみません! ナイアルさ…… あ――れ――っっっ!?」
見上げる焼きたてぱんのような顔が、喜びに輝く! 卵黄でてかりがついたようだ!
「あらららら、奇遇ですねー! こんな所で!」
「ミルドレさん! またしても助けていただけるとは、アンリ大感激ですッ」
その時、ふわーりと落ちて来た何かがある。黒っぽいそれは料理人と騎士の間の地面に触れ、むくりと膨らんで……黒い骸の兵士となった。
「ぎぃやああああああ!?」
「うらららららららら!!」
驚いた二人は、条件反射的に平鍋と短槍をぶん回す。ばりっと骨組みは砕けたが、ぬるんと赤く輝く目玉が回転して――すぐ元に戻る。
「気持ちわる――ッッ」
二人は肩を寄せて、震え上がった! 目玉をぎょろつかせ、きしゃあっと食いつきかける二体のむくろ兵士達……、
ぶしゃんっ。
そこに靴底が飛び出す。ぬらぬら輝くその目玉が、後ろからの衝撃で破裂し、飛び散った。続けてもう一体、ぎいんと一文字に走る山刀が、赤い眼玉を切りつぶす! ぱりぱり砕けて、今度は骨組みは復活しない。
「こいつら、食うとこねえぞ」
言い切ったビセンテに、料理人と騎士は尊敬のまなざしを向けた。
「ナイアルさーん、隊長ぉぉッ! きもいやつらは、目玉を狙って下さーい!」
「あーッ、何だとぉ!?」
最後の傭兵と対峙して、ただいま取り込み中の副長は、アンリの声がうまく聞き取れない!
「目玉に焼き目です、目玉焼きッ」
とっくに見抜いていたダンは、うちのめし係はなんか年々やばくなるな、と思いつつ冷静に長槍をぶん回している。
・ ・ ・ ・ ・
「目を狙うと、いいんですって」
歌い続けるアランの横に立つオルウェン王子、その前に立つ保母騎士は、短槍を構えたまま言った。
「ようし」
すぐ横のキヴァン娘がしゃがみ込み、ふっと跳んだ。
速い、あまりに速い。
やわらかい革を履いた足は、ほとんど草地の上をすべるように走って――すぱん! まず一撃、右手の手刀が亡者の兵士の赤い眼玉をすぱっとえぐる。
続いて後方の一体、なめらかに繰り出した下からの足刀蹴りが上向きに目玉を吹き飛ばす! その砕かれた破片が地に落ちるより先に、スカディの拳は後続二体の頭部を撃破していた。
「お見事」
ゆるっと動いた保母騎士も、音なく横に迫っていた骸たちに対峙した。
刃のように鋭くとがった手先の一撃、二撃をするりとかわし、たーん! 的確な穂先の一閃、
「上段ッ」
かえす石突で、右横一体の頭を砕く!
がすぅッ、切り込んで来たやつをふいと避けて、地に食い込んだその両手を踏みつけ――
「中段、幹ッ」
握る両手で強烈な柄の一撃を至近距離から押しだす、禍々しい赤い目玉はばふっと砕けた。
「さすがキヴァンの高地住みね。いい動きだわリフィちゃん」
歌をひとくぎり、にやっと笑ってアランは呟く。その隣、足元の石ころを拾って、オルウェンは見つめる。
「目ん玉狙えばいいんだね」
ふわっと投げ上げたそれを、すこーんと短槍で打つ!
べしゃッ、やや遠くにいた一体の顔に命中したらしい。
「その調子。将来は、好きな女の子のこころを狙い撃ちよ」
オルウェンに微笑んでから、アランは柔らかく右手を振った。
まっすぐに飛んで行った短刀が、さらに遠くにいた一体の頭を打ち砕いた。
・ ・ ・ ・ ・
「弱くなっちまったね。特に、イオナ?」
ヴィヒルとともに連打をかけながら、イオナはギルダフを南側よりの斜面に追いやっていた。もやりもやりと黒いももんが袖を揺らしながら、それでもギルダフは笑顔である。
ヴィヒルの速い打ち込みを、戦闘棒で柔らかく受ける、続けてそれを回転させては打ち込んでくる。ギルダフの勢いは削げない、逆に強く速くなりつつある。
「娘には、やたら嫌われているようだし。そりゃあ父親から無理やり引き剥がされたんだもの、連れ去ったイオナがにくまれて当然てものさ?」
下への足払い、大きな男は難なくかわして逆にイオナの頭に鋭い棒の一撃を放つ、じゃっとかすめて顎近くがこすれた。
「赤ん坊なら、わからないと思ったかい。さっぱり忘れると思ったかい。浅はかな考えだよ、俺たちはみんな忘れない」
明るくやさしい笑顔から発される毒の言葉。兄妹は無言で向き合い対峙しつつ、その違和感の中に徐々にとらえられている。
≪……≫
実はヴィヒルはこたえていた。イオナに向けられたあかるげなギルダフの責め言葉を、そのまま聞いてしまっていた。
不器用な妹をどうにか守らねばと前に出る彼は、兄として変わっていない。集中力が途切れる。
だあん!!
ヴィヒルの棒が高く弾かれた、大きく二歩三歩、後ろに跳びすさって兄はそれを掴み受けた。
その束の間の瞬間に、ギルダフの瞳が、……くろく光を飲み込む深闇の双眸が、真正面からイオナに向けられる。
「お前ら、女は苦しみの源だ」
左にぶうんと回る棒の旋風、まっすぐ懐に飛び込むイオナは、黒い嵐に抱かれて消えかける炎のように、兄の目にうつる。
右手たもとから差し出した短剣に、ギルダフは手ごたえを感じて笑顔を消す。
「いいかげんに、終われ」
しかしその黒い闇の双眸は、何かがふと視界上にかぶさるのを感じた。
ぎりぃいいいいいっっっ!!
全く予期していなかった存在から、忘れていた触感を繰り出され、ギルダフは一瞬きょとんとする。
パスクアの長鎖を拾って、咄嗟に“親玉”らしいやつの首ったまに巻き付けたナイアルは、そのまま全力でそいつを背負い投げる姿勢を取る!
≪アラ――ン!!≫
彼女にしか聞こえないヴィヒルの叫び、そこへ蜂蜜色の歌が走った!
ギルダフは、えびぞりの姿勢のまま、ナイアルの背で硬直した。
「なに、これ」
ギルダフは小さく呟く。
――体、うごかねんだけど……? 理術でこういうの、防げるはずなんでは?
「ぎひゃあーっっっ」
ずるっと、ナイアルが前方によろけ出す。反射的に、ヴィヒルが駆け寄った。
≪どうしたのさっ≫
「俺の――ッッ!! “精霊じんましん”が、全開だぁぁッッ」
ぎょろ目の見開かれたその下、頬っぺた両方に、確かにぶつぶつが大量発生している! ああッ、両手のひらにも! 見えやすく感じやすいナイアルはそう呼んでいるが、まあ霊障というやつだ。
「イオナ大丈夫か……って、ひぃー!!」
振り返ってナイアルは、思わずヴィヒルの腕に取りすがる。
でっかいでっかい、……蜂蜜色に光る人間大のいも虫が三体、ギルダフの体にぐるぐる取りついて動きを封じている!
「おらーッ、さっさとその鎖でしばったれぇぇぇ」
つかつかつか、小っさい魔女がでっかい態度で丘を登って来た! 指示のあいまに歌ってもいる、ほんと器用だ!
♪ 萌ゆる春とともに かえり来たれ ますらおよ
「でなきゃ、あたしはメイン君の援護を続けらんないわよッ」
♪ 我が疾きますらお いとおしき英雄
ヴィヒルが長鎖を取って、ぐりぐりぐるりっとギルダフの手首足首を縛り上げた。こっちも相当に器用である!
「ようし、ありがとう芋虫お嬢ちゃんたち! メイン君とこに戻って!」
オード・ゴーグ、芋虫乙女たちはふあっと宙を飛んでゆく。
ものすごく残念そうな顔で、ギルダフはアランを見上げた。蒼い瞳が、冷たく威嚇し返す。
「ほんと反則な女だな。卑怯すぎない?」
「今は黙ってらっしゃい。エノ軍の“蛇”情報、あとでゆっくりげろっと吐かしてやるからね?」
兄は脇に立つ妹を見た。
イオナは巻き外套をさっとはね上げる。どこにも傷なんかついちゃいない、さっき自分の脇腹筋と腕の間に、にくにくしくやわらかく掴み取ってやった、ギルダフの短剣刃先をつまんで持ち、にこりともせずそこに立っている。
笑わなくなった妹はしかし、兄に向ってうなづいた。ふっと振り返り、その短剣を向かってきかけた骸兵士の顔面、とすっと投げ差して倒す。
「お姫っっ。おひいーー、どこだーっっ」
「お姫さまぁー、アンリが鍋もってきましたよー! 返事してー!」
人間の敵勢は倒した、無数にわらつく骸の兵士どもをど突き飛ばしながら、“第十三”の面々はエリンを探し始める。天幕の中、巨石の陰……!
けれど彼らのエリン姫は、どこにも……どこにも、いない!
・ ・ ・ ・ ・
先程アランの歌が弱まった時、巨人には霧の合間から、丘の様子が垣間見えた。
それを見たかの女は、人間どもがひょっとして“鍵代女”の始末をするべく探しているのやもしれん! と、深読みしすぎの勘違いをした。
≪なるべく長く生きてもらわんと≫
そこでかの女は、“鍵代女”の血の匂いから正確にその居場所を突きとめ、自分の保護下に置こうと決めた。
顔に霧をくっつけたまま、巨人はゆっくり丘の方に歩き始める。
その影を感じて、麓にいたもぐり理術士ゴンボ君もさすがに読書を中断し、上空を見上げる。隣の馬車を見る、お婆ちゃんは腕組みをして巨人を見ていた。
「こっち来ますかね。逃げましょうか?」
ふるふるッ、怒涛のミサキは頭を振った。だいじな孫もどきの“第十三”を残して逃げられるかてやんでぇ、と思っている。
人の意見を尊重する派のゴンボ君は、それで目線を新刊に戻した。
どうせ巨人につぶされて死ぬなら、読み終えてからがいいと思っている。




