242 東の丘の最終決戦28:エリンの真実
アランの蜂蜜色の歌をまとったプーカの炎の翼が、瞬時巨大に広がって、円陣を組んだ男達の視界をさえぎったその隙に、兄妹は天幕の後ろ側へ回った。
「あんたら、もう良いわよ! 上司んとこ行って、手伝ってやってッ」
歌にのって響く女声の“意思”を聞いて、プーカとパグシーは顔を見合わせた。
『だれよ、あんた?』
「あんたの上司の義姉の美魔女よ、むふふ」
『メインは上司と違うぞい』
「何でもいいからお行きってば、もう」
首をひねひねしつつ、炎の精霊と妖精騎手は、それで上空を目指した。
一方の天幕裏では、イオナが隙なく鋼爪を構えたままで、ギルダフ配下たちの様子をうかがっている。
≪数が多いのはべつに良いんだけどね。アランの歌がきかない分、ちょっと二人じゃきついかなあ≫
隣の兄の意思を読んで、イオナは肩をすくめる。
≪ここ、遮蔽物ないしなあ……。誰か、にぎやかしてくれないかな≫
ひゅーっ! ひゅ、ひゅーっ!
≪おっ、願い通じちゃった! じゃあ行ってみよっ≫
鋭い矢羽根の通過音を捉えて、ヴィヒルはくるっと天幕前へ回り込む。反対側から、低い姿勢でイオナも走り出た。
飛び出しざま、正面で待ち構えていたやつの右手長剣を、鋼爪の三本刃で素早く薙ぎ上げる。間髪いれずに顎に掌底! がつん!
ヴィヒルは、左腕に矢の立ったやつに向かって勢いよく足払いをかける、ふわっとすくったところにばこん! 戦闘棒の痛烈な一撃!
ぎゅうんと回転して後ろのやつ――、 ……振りかぶりかけておっと、と踏みとどまる。すごい勢いで飛び出して来た長髪の男が、標的の後頭部に破壊的踵落としを決めて前倒しにするところだ。なじみない野性的風貌のやつだが、なじみある迷彩しみしみ外套を着ている!
「ビセンテ! そのみけん傷の兄ちゃんは、味方だからなー!? 攻撃すんじゃねえぞッ」
後方からの副長の言葉が耳に入る、獣人はぎーんと目の前の男を見る! 顔をしかめた、強烈に甘ったるい蜜煮屋のにおいがするのはなぜだ!? むしすかん! それでひょーいと、次の標的に向かう!
ばちーん! 棍棒の連打を難なく避けて、太りじしの男の側頭に三本刃の一撃を決めてから、イオナは振り返った。
「よーう! イオナ、ヴィヒル! よく来たなお前らッ」
ずん、すぱぁん! 全く隙のない短槍石突の中段打ち、さらにそつなく鋼板仕込みの膝蹴り金的狙いで、それはもう確実に相手を戦闘不能にしてから、ナイアルは笑顔をさっと向けた。
「うちのお姫を、見なかったかぁっ」
イオナはふっと首を振った。
「ヴィヒルは、……見てねえか」
棒をぶんぶん振り回しながら、ヴィヒルは口を≪ごめーん≫の形にする。
ずっぱーん! その後ろで、ビセンテの美しすぎる上段後ろ回し蹴りが、ギルダフ配下の一人を東方向へふっ飛ばした。
「フィオナは、父ちゃんに会いに行っちまったからなッ」
ナイアルは人差し指を上に向ける。
「坊は下で、アランとリフィとスカディが一緒だ。ここ片付けたら、お姫探すの手伝ってくれッ」
くっと短くうなづくと、イオナは赫髪を揺らして走り出した。
しなびた冬の枯草を押しのけて萌え出る今年の春の草、その若いみどりの上に赤い塗料がぼたぼたこぼれる。長槍石突に取り付けた長刀用の刃をひらひらっと舞わせて、慣れない遠い間合いにまごつく黒い傭兵たちを、ダンは難なく二つ以上に斬っていく。近くに子どもの目がなくって良かったー、と本人は安堵している。
がきん、その楕円状の軌跡を止めたものがいる。
「死神みてえな野郎だなあ」
湾曲した長剣で、確実に長刀の刃を受けたその老人は、ダンに向かって言った。
「けど俺んとこにゃあ、まだまだお呼びでねえらしいのよ」
すーっっ! そのまま長剣の刃を長槍に沿わせて、迫って来る!
ぐんっと回転して間合いを取りつつ、ダンはくすりと笑った。
ぎんっ! びんっ! 長刀の刃と、反り返った長剣の刃がぶつかり合う! がしりと下向きに長剣を押さえ込めたと思った瞬間、ふいッと懐に入り込まれて、ダンは目を見開く――
「てめえが死んどけや」
老人は短剣をダンの左脇腹に押し込みつつ、囁いた。やわらかい、確かな手応えが、束の間マリューを酔わせたのである。
ぶし、ぶししッッ!
その背に二本の矢が立った。矢羽根にちょっとだけ緑の塗料がついている、ずーっと後ろからの援護射撃、イスタの連打だ!
「……」
老人と見合わせていた目をつっと上げ、ダンはくいと小首をかしげる。
「うなれぇぇぇ、ティ――・ハールーッッ」
ばこぉおおおおおん!!
豪鉄の平鍋に側頭部をぶっ叩かれて、老人は真横へ飛んで行った。
うなってるのはアンリ、お前じゃんと思いつつ、ダンは脇腹に刺さりっぱなしの短剣をつかんだ。ぐい、抜いても鮮血なんて出ないのである。料理人は頬をてからした。
「さすがです、隊長……!」
自分は背が高い。よって上背のない相手に入り込まれると、脇がちょっぴり甘い。なので革鎧の内側、ねんど入りの層をこしらえて装着しているのである。全身筋肉だが痩せ型のダン、これを着ると少々胸板の厚く見える効果もあるので、かなりお気に入りの装備なのであった。
『ちょっと……ちょっとちょっと、何だか混戦中よ? 危ないんじゃない?』
「では北側斜面から、そうっと迫ってみましょうか」
黒羽の女神に抱えられ、丘の上空へとやって来たミルドレである。
中腹、薄く茂った灌木があった。そこへふたりはふわりと降りる、騎士は頭巾を被って、外套とともに春の草色の中に溶け込んでみる。
「私はここで状況を見つつ、頃合をはからってエリン姫を探しますから。黒羽ちゃんは巨人の上に、高く浮いててくださいね」
『ええ。……にしても女の人の歌声、よく聞こえるわ! 姿みえないのに。近くにいるのかしらね?』
「味方だといいのですが。ディンジーさんのように」
騎士は今現在、“声音の魔術師”が味方だと認識している。
『それじゃミルドレ、わたし行くわ。なるべく戦わないで、危険を避けてね』
「……」
『ミルドレ?』
騎士は目を細めて、丘の頂上付近で繰り広げられている戦闘に見入っている。
「……彼、お鍋もっています」
『は?』
「アンリさん、アンリさんとお鍋ですよ、あれ!」
『えーっ、なんでここにいるのよッ』
「こりゃいけない、助太刀に行かなくっちゃ」
『わたしも……』
「黒羽ちゃんは、対巨人専門です! 本当に危なくなったら呼びますから、行って行って!」
・ ・ ・ ・ ・
「いで。で、で……」
“緑樹の女”樫の木のヴァンカがつくった枝の壁の中にくるみ込まれて、パスクアは倒れたまま、外の剣戟を遠く聞いていた。
ほのかに明るい緑色の繭の内側、人間部分の顔だけ出して、ヴァンカが心配そうに彼を見ている。そこだけ枝を伸ばして、何とか出血を妨げようと、パスクアの背中に重ねた葉を押しつけていた。
父の首環がマリューの剣の勢いを削ぎ、大幅に狙いを外してくれていた。
「俺は大丈夫そうだ、ヴァンカおばちゃん。……けど」
横に倒れているエリンににじり寄る。
「エリンは……」
ヴァンカは枝を伸ばして、エリンの頬と首元、左腿と手首にも葉を押し当てている。真っ青な顔は血にまみれていた。目を閉じて、……けれど時々眉根と唇が震える。
「死なないでくれ。たのむから」
パスクアは手をのばし、エリンの右手に触れた。そこに何かが握られている。
「……?」
いつも胸にさげている、二枚貝のお守りらしい。その紐を見て、パスクアははっとする。
――よし、これで手首を縛っとこう。止血になる。
ぶつ、と紐をちぎり取った。合わされた貝は外れて、中身がはみ出た。
うつ伏せのまま、震える手でエリンの手首をむすんで……そして何気なく転がった二枚貝を見て、彼は唇を噛んだ。
ぎちぎちに詰め込まれていたらしい、だいぶかたのついた金髪が、ゆっくり息をするようにふくらんではみ出していた。パスクアの息が震える。
他でもない、自分の髪だった。
待っていた子を“うしなった”あの日、マグ・イーレの奇襲を受けて、万一の場合にと渡しておいた髪。それが遺髪になったとしても、くるんくるんの毛先を見て、いつまでも思い出し笑いをしてくれたらいいと思っていた。
パスクアは目を閉じた。そのまぶたをこじ開けて、熱い涙が滲み出てくる。
――お姫はなぜ、逃げんかったのだろうな?
ノワの問いが脳裏をかすめる。……答えがはっきりわかった今、でこぼこ配下のおじさん達はいない。
パスクアのことを裏切ってなんかいなかった、エリンを守ってのこすために、いなくなってしまったのだ。
……前回丘を下った日、自分は思ったのではなかったか。
お産の時にエリンを失わずに済んで良かった。でもできればエリンと子と、ふたりとも生きてて欲しかった、と。
その願ったまんまが現実になったというのに、どうして自分はあんなに怒り、エリンを責めた?自分の前から消えてくれなんて、どうしてそんな酷いことが言えたのか。
「……ごめん。エリン、俺のエリン」
地面に顔を突っ伏して、パスクアは咽んだ。
「死ぬな。丘の向こうにも、どこにも行くな。俺と一緒にいてくれ。いつまでも」




