240 東の丘の最終決戦26:オーラン沿岸警備隊
――いやぁぁぁぁぁぁぁん! きッも――ッッッ!!
おじさんなのに内心で黄色い金切り声を出してしまった。戦いの歌をうたいつつもディンジーは、赤い巨人の繰り出した亡者の軍勢に怖気をふるう。
しかし彼の聴覚は、マグ・イーレ騎士が自分の歌とキュリの理術をまとって、そいつらをがんがん長剣で二つに三つにぶった切ってゆくのも見ている。
グラーニャ脇のキルスとゲーツが凄まじかった、老騎士は赤く光る亡者の目玉をねらい選んでずばずば長剣をふるう、そこが弱点と即刻見抜くとはさすが亀の甲である。
ゲーツは右手の軽ーい長剣さばきも安定の名人芸だが、左手こぶしで跳び上がって来るやつの頭を裏拳粉砕している。そのふっ飛ばされたやつをすかさず後ろの白き牝獅子グラーニャが、軍旗の柄部分で振りかぶって・すこーん! これは伸びるーーー、おお場外!
――どきどきどきどき! あー、久し振りに、自分の動悸うるせー!!
ちょっと熱くなってる声音の魔術師と冷静沈着なキュリの後ろ、『くろばね』同人勢がこぶしを握りしめて、状況を見守っている。
ふ、と古書店主ロランがそれに気づいた。彼らの眼前に広がるシエ湾、左のテルポシエとは反対側の右手方向、海の彼方に……。
「あの……パントーフル先生、あの船は何でしょう?」
彼はすぐ横にいた、ルニエ老公にたずねた。問われてひょいと視線を回す老公、即座に優雅に首を傾げる。
「……? 妙ですね、イリーの商船の形じゃない」
そこまで識別できるのか、ものすごい天然超老眼である!
「四艘……いや、五艘。まさかッ」
「どうしました?」
ランダルが近寄った。老公はすうっと右手を指し伸ばし、海上かなたを示す。
「シエ湾に入りかけの、あの辺にいる黒っぽい船の一団がわかりますか? こんな時に、海賊とはッ」
「かッ、かいぞくッッ」
ルニエ老公は素早く執事に合図をする、何事かを囁かれて、老執事はさっと階下へ向かう。
「パンダルさん、ロランさん。わたくしも行ってまいりますので、あとをどうぞよろしく」
「え、ええッ!? 先生はもうご隠居の身なのでは? 何をされるのです?」
「せがれは従軍中で手が足らんでしょう。この塔はもともとオーラン沿岸警備隊の監視拠点ですし、老父が少々口を出してまいります」
「え、沿岸警備隊って……」
「そうそう、万一わたくしが帰らない場合はですね、執事に机の引き出しを開けさせてください。『くろばね』次回号と次々回号ぶんの、原稿が包んでありますので……」
ランダルとロランは、ともに口を四角く開けて震撼した!! 老公のあまりの準備の良さに、声も出せずにいる!
「では、ごきげんよう」
老公は階段を軽やかに降り、黒い塔の外に飛び出す。
崖の端っこ『関係者以外立ち入り厳禁』と書かれた木札のかかる柵に手をかける、……崖にそって階段がしつらえられているのだ! そこを降り切って、入り組んだ岩窟の中へ大きく声をかける。
「皆さん、出動いたしますよッッ」
「うぉぉおおう!!」
「らぁあああん!!」
野太い声が幾つも返ってくる。
岩窟奥からぐうっと現れたものは、海賊が使う浜のり型の長船だ。しかしその船体には鮮やかな紫色の塗料が……上品にぬられている!
せり出した階段の最下段から、甲板にすたっと飛び乗ると、ルニエ老公は船上の男が差し出すものをてきぱき装着した。乗り込んでいる十数名の騎士達も、同じものを着けている。筒状にした牛皮で作った胴着に、黄色い塗料をまぶした救命衣だ! 船体の紫色に実に映える、何と言う趣味の良さだろう。
「シエ湾内の治安監視は、我らがオーランの責任下にありますッ」
老公はきりっと言った。長細い船の両側、計八人の漕ぎ手たちが力強く櫂を引き始める。
「おうッ」
「らんッ」
それで紫色の美しい船は、ぐういと風を切って進み始めた。
「今頃は、執事ののろしがファダンへ届いているでしょう。ファダン水軍が到着するまで、全力にて海賊どもめを引き止めるのが、我らの使命ですッ」
「おうッ」
「らんッ」
「赤い巨人対策でイリー軍全体が忙しいという、この頃合で物盗りに臨むとは何たる蛮行。まさに火事場泥棒、許すまじッ」
あまりに上品すぎてわかりにくいが、ルニエ老公はものすごく怒っているのであった!!
・ ・ ・ ・ ・
――見晴らしの良いところと言えば、ここで決まりでしょう!
東の鐘楼へ、ぱっとのぼり上がったミルドレである、やっぱり誰もいない。
城内の監視拠点は西の鐘楼へ移って久しく、黒羽の女神の透かし堂があった場所はうらぶれて、十数年間まったく手が入っていないようだった。
感慨深くあたりを見回して――ミルドレはぎょっとした。
シエ湾の真ん中、あれらの船は!? 海賊船とおぼしき五艘、そこに突っ込んで行きかけるひと回り小さい船。
「♪ えー……、黒羽ちゃん黒羽ちゃん。こちら地上のミルドレです、聞こえまーすかー♪」
彼は上空に向かって歌った。
一拍、二拍、三拍おいて声が降って来る。
『はい、こちら上空の黒羽の女神。感度良好、どうぞー』
「♪ シエ湾上に、不審な船団をはっけーん。オーランの沿岸警備隊が向かってますが、多勢に無勢なのがまる見えでーす。お手すきだったら、見てきてあげてくださーい♪」
『了解、現場に急行しまーす』
びゅうんっ。騎士のはるか上を、黒い風が越えて行った。
・ ・ ・ ・ ・
『きゃっ、ルニエ老公じゃないの、お久しぶり!』
船の舳先まぢかに立つ老人をみて、黒羽の女神はうれしくなった。
壮年時代からおだやか一点張りの小国のあるじ。ミルドレが“傍らの騎士”現役だった頃から、よく会見していて親しみがある。陥落の後も、若くなったミルドレを手厚く保護してくれたひとだ!
女神はすぐにオーラン沿岸警備隊に追いついて、船上に着地していた。
「なにものなのでしょう。黒地に白抜きの蛇とは、未知の軍旗を掲げております」
すっくと立つルニエ老公の後ろ、沿岸警備隊の副隊長が、若い顔を緊張させて言った。
この人もオーラン騎士だが、洋上での職柄、傭兵のような出で立ちをしている。紫紺の上下に、黄色の救命衣がむちゃくちゃかっこ良いわ、と女神は思った。
「……ええ、間違いなく蛇ですね。実はテルポシエ北方国境付近に出現した軍も、同じ旗を掲げているのです」
「何と!!」
二人の横っちょで、女神もうなづいた。
「たまたま行き合わせた火事場泥棒ではない。北方の“蛇軍”の決起を見て、援護に来たのです。これはますます、通すわけには行きません」
『うみへびだわ!』
「そうですね、海蛇ですね! 何とか遠距離攻撃で足止めし、ファダン水軍へと引き継ぎましょう」
副隊長はきっと老公を見据えた。本隊長は騎士団と一緒にテルポシエ戦線に行ってしまっている、びびりまくりだがここは自分が気張らねば。
「海蛇、よく言ったもんです。皆さん、頑張りましょう」
「おう!」
「らんッ」
漕ぎ手たちは野太く答えた!
黒羽の女神は両のこぶしを腰にあて、舳先に片足をかけて五艘の黒い船を見る。
ほとんど風のそよがない日だ、帆を立てていない。翼の暴風で湾外へ押し戻す、という荒業は使えなさそうだ。
「射程内! 位置につけーッッッ」
すすすっ。ルニエ老公と副隊長は、船尾へ向けて後退した。
『向こうも構えたわ! こちら側にいる二艘から、矢を射られるわよッ』
大型の弓を構えているのは、全身黒っぽい服装の男達である。
ぶわッ、女神は両翼を高く掲げた! 広げた翼を、テルポシエから一生懸命やってきたミルドレの虹色の歌が、柔らかく覆う。
『かかってらっしゃい、矢はきかないわよッ』
暴風と羽びんたで、はじき返す気満々だ!
「くらげ、第一投――ッッッ」
「ゆけえッッッ」
ぼ――ん!
『えっ??』
真後ろからの野太い声にびっくりして、振り返った女神の頭上を、何やらむらさき色の大きなものがとんで行った、……
ひゅううううう。 べ、しゃッ!!
それはこちら側にいる船の、左舷に命中してはじけた。
弓を構えていた三人が巻き添えをくらって、後ろにひっくり返る。
「くらげ、第二投――ッッッ」
「うてえッッッ」
副隊長の、迷わない気合!!
ぼ――ん!! ひゅううう、 べしゃーッ。
今度は、後続船の左舷に命中である!
『な……何ですか、それ……』
女神は目を丸くする。
沿岸警備隊員たちは、実にそつなく動いた。
一人がお皿のような平たい何かを海水の入った桶にいれる、それを甲板中央部の投石機のようなものに充填し、二人がかりで両脇の棒をぐいんと回してぶん投げる! 真後ろで、すさまじい眼圧の隊員が計器を通して敵船を睨みつけている、たぶんこの人が照準を合わせているのだ!
「第四投――ッッッ」
「くらえぇぇッッ」
『すごいっ、本当の本当にくらげ投げてるんだ!?』
乾燥した状態で携帯され、海水で急速にふやかされた大型くらげの“岩えぼし”はむらさき色の弾丸となって、敵の船にべちょべちょ大損害を与えている!
『ものすごい粘着力だし乾くのも速いから、向こうは櫂をべたーッと取られて、てんてこまいと言うわけね!? どこの天才が考えたの、こんな使い方!!』
「てぇーッッ!! いえ、まだまだ改良の余地がたくさんあります! 岩えぼし弾は作成するのに大変な手間がかかるため、一投一投が非常に高額です! 費用対効果面を何とか抑えなければ、民間市場には出せませんッ」
『むう、さすが! お金持ちオーランならではの、秘密兵器だったのねッ』
よしッ、黒羽の女神は羽ばたいて敵船団上空へ飛んだ。
くらげ攻撃で、海賊どもの船団はいいあんばいにばらけた陣形である。
後方の大きな三艘をかの女は見つめた。さらに上空へと昇る、……そこから!
『ひかえめ!! やわらか、ごうふうけーんッッ』
三つの船を結んだ三角形の中心めがけ、垂直きりもみ急降下からの旋風を叩きおくる! 洋上に、渦巻きが出現した!
『どうだぁッッ』
「うおッッ」
「な、何だああッ!?」
蛇の旗を掲げた黒い海賊船三艘はよろめきつつ、そのやわらか渦巻きに引き込まれてゆき……
ごつ――ん!! みごと、三つ巴に衝突した!
『ははーっ、ばーみゅうだぁッッ』
船首、あるいは船尾を立てて渦巻きに呑み込まれていく海賊船。“海蛇”たちは慌てて飛び出した。渦巻き回転はゆるるっと落ち着く。
『見えない所に、氷山ってけっこう隠れているのよ! さっさと逃げ散りなさーいッッ』
くらげ弾のべたべたに取りつかれ、ぎこちなくしか操れなくなった櫂を使い、残った先頭の二艘が慌てふためいて、水面に浮かぶ仲間たちの救援に近寄って来る。
全部沈めて溺死させようとは思わない女神だった。
沿岸警備隊の船の舳先に戻る、しゅとっと先端に立って翼をひろげ、世界的に有名な姿勢をとった……見える人がいたら既視感を覚えたかもしれないが、皆無だった。残念である。
背後では、ルニエ老公と副隊長が、上品に口を開けて立ち尽くしていた。
「こんなことが……」
「どうなって……」
「ああッ! 陛下、副隊長ッ」
さらにその後ろから叫び声が上がる。
「ファダン水軍の先鋒が、岬を回ってきますッ」
「おおおお!?」
濃い青色の海面のずっと先――そう、灰色の空の下、まばゆいくらいに明るい水色の縦帆の中型船が、かなりの速さでこちらに向かってくるのが見える! 後ろにも点々と、同様の船が続いている……。
いまや、黒い海賊船は全力で逃げに入った。
「ようしッ、追っ払いに入りましょうッ」
「廉価な岩弾、装填ーッッ」
ぶーん! ぼちゃッ!!
逃走する二艘の後ろに水飛沫を上げて、おどかし攻撃を続けるオーラン沿岸警備隊、武器の使い分けにもめりはりがきいていた!
『ファダン水軍も来たし、もう大丈夫ね! ほんとに皆、よくやったわ。引き続き、海の平和を守ってね』
ばさばさッ、とび上がりざま黒羽の女神は、沿岸警備隊員たちの背に縫い取られたオーラン国章を横目に見る。意匠化された自分の姿。
『誇りに思うって、こういうことね。オーランの子らに、幸あれかし』
かの女は上空へと昇ってゆく。
「ありがとう、女神さまッッ」
ついさっきまで、かの女と会話していたことに全く気付いていない聞こえる副隊長は、感激で若い頬をあかくしながら叫んだ。
「女神さまの、風だったんだッ」
その横、ルニエ老公は声を出せずにいた。見えないものを、見えないからと切り捨てない彼だったが、自分が遭遇したもののあまりの確かさに、胸を揺さぶられていた。
彼は黄色い救命衣の下、茄子紺色の上衣、その左胸に入った刺繍に右手でそうっと触れる。
ばらの花に飾られた、黒羽の女神の国章に。




