239 東の丘の最終決戦25:巨人、牝獅子、老将、骸、混戦
「……どうしましょうねぇ、グラーニャ様?」
栗毛の馬上で頭を振りつつ、キルスは白き牝獅子に聞いた。
「そうだな、キルス。ここまで来ておいてそのまんま引き返すと言うのでは、いくら何でもありえないぞ」
じー、小っさいマグ・イーレ第二王妃は老将を見つめる。
キルスの後ろ、ウセルの娘が怪訝そうな顔をして二人を相互に見た。
「幸い、共通の敵がいるではないか?」
「さいですね。それが、こちら向きによろめいてきております」
「左の翼を、ぐーんと広げてだな」
「いえ、左右の翼を入れ替えて、城を背に」
「何となくきもち悪いのう。テルポシエが背というのは……」
「いえいえ、背中にするのはフィーラン様ですよ」
「そうだな。ようし」
親しい仲で戦略をくるっと取り決める第二王妃と騎士団長、その後ろで護衛ゲーツは素早く考えを巡らせている。
――考えたなあ、フィーラン様……。自分から人質になるだなんて。これじゃグランはテルポシエに手を出せない、ニアヴ様はものすごく怒るだろうな。激おこ必至だ、とばっちりを受けないように俺は報告時何とかして席を外そう。つうかまたあの赤い巨人だよ、今回も皆で生きて帰りたいもんだ。昨年こうしが丘の向こうに行っちまって、グランは落ち込みっぱなしだからな、いや俺もなんだけど、これ以上誰か死んだらさらに暗くなってしまうぞ、それはやだ。
彼が後ろに乗せているのは、噂の“ウセルの家人”の一人である。いっぱいいて、色々なところで細かく活動していると言う、ゲーツはもちろん面識がない。
乗せる時にさっと観察したけれど、三十代半ばくらいの、どこにでもいそうなイリー女性だった。老侯には似ていない、共通するものと言ったら首につるつるきれいな布を巻いていることだけだ。その女性の腕が、背中にしがみついて少し震えているのを感じとる。
「……大丈夫ですよ」
――言ってみよう、俺ってば大人だからな。
「すみません」
低い声が返ってきた。
――にしても様変わりしたもんだなあ。弟の方はふくらんで帰って来たが、兄の方はえらくほねほねになったと言うか……。将来はディンジーさん系かな、医者って言うより修行者って感じだ。隣にいた東部系の女の子は、これまたえらくしゅっとした娘だったね。そうして俺にはしっかりわかるぞ、フィーラン様はあの子にずぶ沼ぞっこんなのだ。いくら王子様でもお医者様でも、この俺の目はごまかせないぞ。雄の第六感が確信している。よし、この辺は先生だけにこっそり報告しよう。そうしよう。
とは言え、十年前に自分が鼻っ柱をへし折った少女であるとは全く思い当たらないのだから、彼の目など節穴以上のなにかである。
「方向転換、左むけ、左ーッッ」
騎馬列へと戻ったグラーニャは、ぎんぎん声を張り上げた。
「五騎列へ、編成変換ーッッ」
他の騎士に二人の女性を任せ、グラーニャとキルス老侯とゲーツは今、北方向へ向けた騎馬軍の最前列に立った。
「討伐目標、赤い巨人ッ。すすめッッ」
テルポシエの市街壁沿いに北進すると、エノ軍につつかれて西寄りに移動していた巨人の姿が前方に現れる。
・ ・ ・ ・ ・
「メロウ達、どんどん海水補給だ! 霧女、口の方はいいから目! 目の周りをあつーく覆うんだよッ」
巨人の頭上では、ジェブにまたがったメインが精霊たちを指揮している。
「オード・ゴーグ! 足元、どんどん鉄網出しちゃって! 低い方だよ、どんどん取り巻けぇっ。水棲馬、背中からどつき押せっっ」
そんなに効いてもいないけど、重なると頭にくる嫌がらせ攻撃を続けざまに喰らって、赤い巨人はかなりいらいらしている! 足のあたりにはオード・ゴーグの鉄糸の網がからまって、心底きもち悪いし!
・ ・ ・ ・ ・
「ああああ! ディンジーさん、うちの軍が巨人に向かってますよ!? 御方、標的テルポシエから変えたのでしょうか!?」
オーランの黒い塔の屋上、ランダルははらはらしながら声を上げる。
「そうね、何かあったのかな!? 他のイリー勢を後ろに、マグ・イーレ騎士団が赤い巨人に最前線をとっている……。これは、俺もグラーニャさんに加勢するしかないッ」
援護目標を決めた声音の魔術師は、胸を張って立った。
♪ おお、ろう! 帰りきたれ 流浪の子ら
♪ おお、ろう! 帰りきたれ 流浪の子ら
♪ おお、ろう! 帰りきたれ 流浪の子ら
♪ みどりの夏を引き連れて いま故郷へ
ランダル以下、『くろばね』同人有志達はびくりとした。
さっきまでの甘声は一体何だったんだ、ディンジーは別人みたいな渋苦じゃっきりの骨太おじさん声で、地響きじみた戦いの歌をうたっている! おじさん達がかっこいいと思うのだからほんとに格好いいのだ、何と言う力強いこぶし! なのに美しくもある! 腹が、全身がしびれるとはこのことだ!
「はー、どうもごちそうさまでしたぁ」
巨体を揺らして、キュリが階下から上がって来た。
「ああッ、キュリちゃん! 待ってましたよ、じきにうちの軍と巨人が衝突です!」
「ようし、ほなそっち援護します。ほんもの理術士さんらは、守備主体やろな……」
さっ、小卓に置いておいた被りものをつける。ランダルから杖を受け取った、構える!
「あたしは、攻撃のお手伝いしよかな!
……いざ来たれ いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ 高みより高みより いざ集え ……集い来たりて 悪しき物の怪を撃つ 我らがもののふの 刃を鏃を礫をささえよ」
♪ 彼方からは白き牝獅子グラーニャ
♪ かの女を護る戦士らと来たれ
♪ グラーニャの千のイリー戦士とともに
♪ 悪しき運命と侵略者らを討て
「投擲!! かまえぇえええええッッッ」
グラーニャは叫んだ。
その横、最大限に引き上げた鎖鎧の中で、老将の眼が静かに光る。
キルスは長い腕を伸ばし、その“必殺”の矢を中弓につがえた。
「撃てェェェェェッッッッ」
びいいいいいいん!!
あまたの矢が、巨大な存在に向かって飛んでゆく。
そこにキュリの白い理術の光、ディンジーの灯色の歌が追い付いて一体となり、さらに力強く飛んでゆく。キルスの黒い矢は、一直線に赤い女神の首環の下、鎖骨のあいだを目指して――ずどんと刺さった。
かの女は衝撃を感じた。自分の中心に、小さな、しかし確実な“空虚”が生じたのを知った。続いて自分の身に雨のように降りかかる幾つもの矢を感じとめながらも、そのひとつの空虚から生じてくる痛みに恐れおののいた。
「……」
見上げる騎士達にも、みえる。巨人の反応は、明らかにおかしかった。
しかしなぜなのかは……一矢を放ったキルス老将自身も、気づいていない。
アイレー世界において、“毒”は広い意味では呪いの一種である。天敵宿敵滅すべし、の一念で練り上げられる毒の中には、その力をかりた草石土虫の魂が宿る。すなわち、常人が使用できる唯一の精霊召喚術とも言えよう。
フラン・ナ・キルス老侯の矢には、ギティン夫人がもたらした伝家のキヴァン由来毒が塗りこめられている。キュリの理術とディンジーの歌に加えて、この精霊術の一種たる毒と言う三つめの要素が込められたキルスの矢は、赤い女神に恐慌を与えたのだ。
≪これはどうしたこと≫
髪先の蛇をくねらせる。かの女は別の集団、黒っぽいのに率いられた色とりどりの騎馬集団が、自分のちょい先、足元付近に細長く並んでいるのを見る。すこし焦り始めた、これではたんまり人間を殺して力を奪い、その勢いをつかって黒羽のちっさい女神が入る前にぽーんと独立! というすてきな計画が台無しではないか。そして首元が……たまらなく痛い!
そこでかの女は、自分でも日頃から何だかなーと思っていた、いやらしくて卑怯でしみったれ意気地なし、の反則技を使うことにした。左脇のお鍋に右手を突込み、つかんだものを取り出す。それをぼろぼろぼろっと手中で砕きながら、足元にまいた。
「……何をまいたのだ?」
グラーニャは鎖鎧の穴から、細目でそれをうかがう。
「……種まき巨人」
「何だか、黒っぽいものまいてるよ……土くれかぁ?」
テルポシエ北門前、ウーアとウーディクも目を細めて、それが何なのかを見定めようと試みる。でも、誰にもわからない。
九年前に巨人に捕らえられ、つぶし殺された人間のなれの果てはこまかく砕かれ、テルポシエの土の上に落ちた。そのかけらが湿地の水気に触れたとたん――
むわり、むくり!
黒く膨れ上がる。骨のからだに、女神と同じ赤いまるい眼玉だけがぬろんとはめ込まれた亡者の軍勢が、驟雨のように生まれ出た。赤い巨人は、それらに命じる。
≪手当たりしだい、ほふれ≫
ざらざらざら、亡者たちは動き始めた。テルポシエ北側の大盾部隊に向けて、そしてグラーニャのマグ・イーレ騎士団にむけて。
ざらざら、ざらざら……!! 足の引きずりが次第に速くなる、骨の両手先がぎゅうんと鋭くのびて、刃状になった!
「来るぞ、お前らーッッッ。やっちまええッ」
ウーアの美声が、一列に並んだ大盾の壁の内側に響き渡る!
「迎撃、準備ーッ!!」
白き牝獅子の甲高い気合声に、濃灰色の騎士らはずばっと長剣を抜き放った!
・ ・ ・ ・ ・
「こつぶの敵勢が現れましたが、恐れることはありませーん! 奥さま方、おのおの理術を続行してくださいねッッ」
「ぬおおおおお」
「ほあたあああ」
ミルドレの上品な叱咤激励に、おばちゃん理術士たちは全力をふるう!
その時ふいっと、本物の指揮官代役らしい傭兵が、階段を上がって現れた。
ミルドレはそうっと後退して、別の階段から城中に入る。見晴らしのよいところで、黒羽の女神の指示待ちをしよう、と思う。




