238 東の丘の最終決戦24:医師の停戦交渉
「市外壁北門、大盾部隊が善戦中! しかしながら、巨人はゆっくり西側に向かっているもよう!」
伝令の声を聞いて、大隊長タリエクは口を引きつらせた。先ほど配下の別の伝令役に、理術士たちの適当指揮を代わってもらって、自身は直属の第二大隊とともに西門裏の対イリー混成軍配備についた。
前回同様またしても中核はマグ・イーレ軍、向こうも理術士連れだから正面衝突の物理攻撃しか手立てはない。
「うまいこと、赤い巨人がイリー軍への攻撃を始めてくれればいいんだが……。西からのイリー軍、北からの巨人と二方向に戦うのは、どうにも自殺行為だぞ」
敵軍は、ほぼ湿地帯を横断して市外壁に迫っている。
「ぎりぎりまで、状況を見るしかありませんね」
最重装備をした副長が、タリエクに言った。
「大隊長ー! フィン先生でーす」
三列に並んだ兵士たちの列の後ろから声が上がる、一部の男達が道をあけて、黒い外套の医師らが現れた。
「医師は、本城の医務所に待機と言ったはずだが!」
「すみません、大隊長。イリーの医師として、ちょっと交渉に出たいんです」
濃い金髪を揺らして、ティーラ医師が大きく言った。
「はぁあ!?」
「必ず停戦させますから、門を開いてもらえますか」
ぐっと静かな低い声で、今度はフィン医師が言う。
「……あんたら、デリアドの没落貴族と言ったな? 逃げて、イリー軍に匿ってもらおうと思ってるんだろう!」
副長が厳しく問い詰める。
「私は必ず帰ってきます。患者さんがいっぱいいるし、どっちみちこの春のどろどろ湿地帯を、もやしな私が越えられるわけありません」
「……」
「戦時負傷者のために、呼ばれて来たんです。出番の時には必ず持ち場にいますから、行かせてください」
「あの」
医師たちの後ろから、すらっとした姿の傭兵が出てきた。黒い覆面布を下ろす。
「……ケリー?」
「万が一、敵前逃亡するような真似をしたら、あたしがどついて引きずってきますから」
「なあんだ、君が一緒かい。そんじゃ良いよ、行っておいで」
テルポシエにしがみつくエリン姫の護衛にして、先行隊長パスクアの娘もどきのケリーである。小さい頃から傭兵団の中で見慣れられていた娘の信頼は、厚かった!
フィン医師の目の前で西門が開く。ひと一人だけようやく出られる程にうすく開けられたその隙間から、医師らとケリー、二人の市民女性が外に出た。
「あのー、すいません。もうちょっとだけ、開けられます?」
最後尾、エアンの厚い胸板がつかえた。
元騎士と背高い医師らの外套の裏、こそこそ隠れてついてきたウセル家人たちは、そう言いつつも彼らが逃亡すると思っている。たぶんその先にエリンを隠しているのだ、医師と懇意にしているらしいケリーがしくんだ計略なのだろう。丁度いい、隠れてエノ軍から遠ざかったところで、エリン姫を静かに始末しようと決めている。
湿地帯の上に、騎馬の姿が細長く立ち並んでいるのが見えた。
「ああっ、しまった」
あまり危機感のない声で、フィン医師が小さく叫んだ。
「皆、手巾もってるか。出して」
一同、へっ? と思ったが隠しを探る。
「白いの持ってる人、いないかい」
「あたしの、さくらの小花もよう」
ケリーが言った。
「俺のは紺色」
ティーラ医師が言った。
「私はおじさんらしく、渋いえんじです」
エアンがでかい手の中に、小さく見えるのをはさんで言った。
「困った……。俺はうっかり、金地に赤の格子縞のを持ってきてしまった」
「フィン先生、地味なところで派手ッッ」
ふっと見回して、フィン医師はウセル家人の一人に目を留める。
「申し訳ない。必ず返しますから、その白い首巻布をちょっとだけ、貸してください」
「??」
怪訝な顔で女が差し出したその白い絹の首巻を、フィン医師はケリーの長槍の先に結んだ。
「ようし。ケリー、左手でしゃきっと立てておくれ」
「はい」
「右手は、俺の左手に繋いでください」
「はい、……うわ」
「エアン、俺の右手つないで」
「ぎょえ! 若さま、手汗ぬるぬるですよ」
「フィンはこう見えてーの小心者だから、仕方ないよー。俺はエアンと手を繋ごう」
ティーラ医師が言って、四人は一列になった。後ろ脇、女二人はやや困惑している。
「さあ、少し前に出よう……あああ、嫌だ嫌だ、吐きそう」
平静にしか見えない横顔で、フィン医師が言う。
「お医者がそれ言うかなあ」
「ケリー。俺は人前、大勢の前に出るのが、心底苦手なのです」
「うん、それよく言ってるね」
「その性格が災いして、お笑いの本場であるティルムンに長期留学したにもかかわらず、全く芸をものにすることができなかった」
「医者になりに行ったんじゃ、なかったんかいッ」
「けれどここテルポシエに来て。きみと言うすてきに優しいつっこみ役を得ることができました。できればこれからも末永く、俺の相方でいてほしいと希望しています」
「なったおぼえ、ないわー!?」
「ちなみにこれは、俺なり精一杯ににぎやかした、おつき合い申込でした」
「ふつうに言ってよー!!」
ぶはーッッッ!! エアンとティーラが噴き出した。
「若さま、言ったー」
「よく言ったよー!」
ふふ、低く声を出してフィンは笑った。
「あー良かった。緊張とけたかも」
一同はゆっくり、立ち止まる。
掲げられた白旗を見て、マグ・イーレ軍の軍旗を持つ一騎が進み出てくる。後ろに黒っぽい二騎が続く。
ケリーは目を見張った、黒い軍旗を手に白馬にまたがっているのは……女だ! 白い外套に鎖鎧、全身を白く輝かして、銀兜の羽飾りを揺らしている、あれって……。
「グラーニャ!!」
フィンが叫んだ、その声がびっくりするくらいきれいに、原を通って行った。
「俺だ、グラーニャ!」
――えっ?
隣の医師の横顔を、そしてその視線の先の敵将の顔を見て、思わずケリーはぎりっと眼をむく。
――姫様似の……、そして後ろの男は!!
ぎりぎりっ! ケリーの憎悪を、湧き上がる怒りの炎を、フィン医師の掌が抑えた。
「……フィーラン」
女の声が届いた。
「こんなところで会えるとは、どうなっているのかな」
“白き牝獅子”はほんものの笑顔で、懐かしそうに継子を見た。
「ニアヴが喜ぶぞ。お父さまもオーレイも、お前が追っ付け帰るのをずうっと待っている。さあ、フィーラン。俺と一緒に来い」
ケリーは背中に、冷たいものが走るのを感じた。
――フィン先生、ほんとの名前じゃなかったの? ……マグ・イーレの人だったの?
「行かない。医師として、テルポシエに職と相方を見つけたので、当分帰りません」
「……何故、マグ・イーレを裏切る」
「俺は誰も裏切らない。今イリー軍とテルポシエがぶつかれば、双方無事では済まない。予防重視の医師としてはテルポシエ側に怪我人を出したくないし、マグ・イーレ第一王子としてはイリー側にも負傷して欲しくない」
医師は後ろを向いて、女達に目配せをした。
「……ウセル配下のこの人達にも、俺から王子特命で作戦を中止させました。計画が実行できなかったのは、彼女らのせいでなく俺にそう命令されたからです。咎めなく、保護するように」
ウセルの娘たちは愕然とした。
「……首布、返してあげて」
医師に小さく言われて、ケリーは慌てて長槍を下ろし、白い布をからげ取る。それを受け取る女に、フィーラン王子は低く言った。
「……ウセル家にとって、その目印が大事なものだってことは知ってたから。どうか老侯に、よろしく伝えて」
「殿下……!」
王子が故国をあとにしてから、父の元で活動を始めた娘二人は、第一王子の顔をぼんやりとしか憶えていなかった。
しょんぼりとして、女ふたりはグラーニャの側に歩み寄る。
後ろにいた老騎士、そしてシャノンの仇のおっさんが、彼女らをそれぞれの後ろ、馬上に引っ張り上げた。
「オーレイもそうだが、お前もほんとに変わったな。……いつか、帰ってくれるのか?」
寂しげにグラーニャは言った。
「わからない。けれど今後マグ・イーレがテルポシエを攻撃したりするのであれば、俺はますます帰らない決意を固める」
「……ニアヴは。母さまは、大きな理想のために、戦っているのだぞ」
「どういう理由付けであれ、起こる戦争を引き止めて怪我人死人を出さずに済ますのが、医者になった俺の理想です」
ふー……、溜息をつきながらグラーニャは頭を振った。
「隣にいらっしゃるのは、ティルムン留学に同行されたティーラ・ナ・マヘル若侯と、目付役のエアン・ナ・モーラーン若侯ですね。ご家族の皆さまに、どう申し上げたらよいのですか」
濃灰色の外套をまとった、ひょろりと大きな老騎士が、後ろから声をかける。
「キルス様、お久しぶりです」
誠意のこもった声で、エアンが答えた。
「うちの者には、ばっちり達者にしているとお伝えください!」
ティーラも快活に付け加えた。
「二人を道連れにしたのは俺です……」
「いえいえいえ、若さまにくっついて来てるのは、私の個人的意思ですから」
「俺も親友として、自分の意思でこうしてます」
「……どうか、マヘルとモーラーンの二家にも。心ある配慮を、お願いします」
フィン医師、……フィーラン・エル・マグ・イーレは、グラーニャ達に向かってそっと頭を下げた。
上げた目に、白馬上からの視線が交差した。
「フィーラン。……必ずまた、会っておくれな」
「俺もそう思う。ありがとう、グラーニャ」
くるッ、白き牝獅子はそれで馬の頭を返した。後ろの二騎も、それに従う。
「ようし、俺らも帰ろう」
やっぱり平静な声で、フィン医師が言う。
「はー、忙しくなるよ、これから」
「忙しくないのが、理想なんですけどねぇ」
西門に向かって、ひょいひょい歩いてゆくティーラとエアン。ケリーは医師の手を離さずに言った。
「……あたしの鼻とシャノンさんの仇の、マグ・イーレの王子様だったんだね」
「……。相方、やめたくなったかい」
小さくうつむいて、娘はかぶりを振った。
……向こうは、ケリーのことを憶えていないらしい。全く反応が見えなかった。自分だけが憎悪を燃やして、過去のために胸を黒く灼かれているのだろうか、とケリーは自問する。
「先生の相方つっこみ役は、引き受けるよ」
「良かった」
いつも通りの落ち着いた声で、医師が答えた。
嬉しいのと、かなしいのと、……いろいろ。ケリーは、複雑である。
姫様に話を聞いてもらいたいと、心底思った。




