237 東の丘の最終決戦23:城壁上のロボ君
ぎ、びしびしびしッ!!
周囲三百六十度からの小弓攻撃、その十数投をヴィヒルとイオナは完全に防いだ。
ぶるうううんと回る樫の木の棒、閃光のように光りながら舞う鋼爪の三本刃が、ギルダフ配下の放つ鏃をびんびん正確に弾く。
そこに加えて、ぶち切れまくったプーカとパグシーが、それぞれの翼と釘棍棒をぶん回しながら飛び回る! 暗殺者対応で彼らはよーく学んだ、理術なやつらにはとりあえず、物理攻撃でしばきをかけろ!
『嫁っこォォォォ! よーやぐ帰ってきやがっだぁぁぁ』
『十年遅いんじゃぁぁ、ふつつか者ォォォ』
鏃を弾きながら、九年分の悪態もつきまくるが、もちろんイオナには聞こえないから意味がない!
「……広がりながら、後退! つぎ、撃てッッ」
配下の環の後ろから、ギルダフは冷静に指示を飛ばす。
さらにその後ろ、赤い巨人はちょっとわくわくしながら、ゆっくり丘へと近づいて来る。
しかしかの女の目の前を、すうっとかすめ飛ぶものがあった。視力は良い方である、飛蚊症じゃあない!
≪……ぬしはどうして、こうも我にたてつく?≫
猛々しく鼻息をふかす巨大な三頭の水棲馬を従えて、赤と金のまだらのけもの犬にまたがったメインが、ぼさぼさ頭を風になぶらせて巨人を見据えていた。
両眼の下から頬を伝う涙のように、首筋からずっと先まで、彼の身体はあの緑色の光を灯している。その全体を、優しい蜂蜜色の光が被っていた。
「やられっぱなしじゃ、終わりたくないさ」
≪また、丘に括りつけてやる≫
巨人がかっと眼を見開いた瞬間、メインはすっと右腕を振った!
さ――っ!! 光と流水、いくつもの筋が仮面のような巨人の顔の周りを取り巻いて、大きなすじを作った。
ぱんッッ! メロウたちの持ってきた大量の海水が、上空に忍び寄っていた霧女たちの出現と融けあう。真っ白な水蒸気の厚い壁が、巨人の頭を、その視界を覆い、包み隠した。驚いて、かの女はちょっぴりよろめく。
「ぐはははは、小っさいものを見くびるんじゃないわよー!」
♪ 別離のなみだは地に沁み つどい
♪ 水脈となりて アイレーをめぐる……
うまいこと歌の途切れ目に合わせて高笑いを入れつつ、丘の西側中腹に立つアランは、でっかい態度で立っていた。
「にしても、城からの理術がけは一体どうなってんのよッ。もうひと声、別要素の援護がないんじゃ、かよわいあたしに負担がかかるじゃないの! ディンジーおじさんも歌声枯れてんじゃないわよッッ!? みんな働けぇぇ」
♪ 萌ゆる春とともに かえり来たれ ますらおよ
♪ 我が疾きますらお いとおしき英雄……
巨人は視界を失ってむかついた。それで髪先の蛇に外界を見させる。
ちょうど目に入ったテルポシエ城前の軍勢、もうそっちでいいからはたいて潰してやれ、と長い衣の袖たもとを振りかける。
ぱああああん!!
その赤い衣の先は、ぎくりと浮き立った最前線部隊の大盾に触れる前の上空で、“光”に弾かれた。大音響がひびく!
「きゃーっっ」
「何や、ちょっと! でっかいやつ、動いたで!?」
城壁上、わらわらと休憩から立ち位置に戻りかける、おばちゃん理術士たちは見た。引き続いて、赤いたもとの払い攻撃をしかける巨人……詠唱なんて、間に合わない!
ぱああああん!!
もひとつ、白い光が弾き飛ばす!
「えええっ、誰やんこれッ」
「あーっ、ロボ君や!!」
天幕の横っちょ、かぼそい後ろ姿が、ぷるぷる震えながら光る杖の先を、大盾部隊に差し向けている……!
「何や、あんたかっこ良ぇとこあるやんか!」
「うちらも、ウー君を守るんやぁっ」
「いや、巨人の拘束するべきでないのかッ」
「指揮官、どっちしたらええのー! っってどこにも居らん、あの兄やんッ」
「どしたらええの!? 誰や代役おらんのか、指揮官ーッッ」
実力あっても烏合の衆! おばちゃん達は動揺し、恐慌の波にのまれかける! ……そこへ。
「はーい、単発の代役はおまかせでーす!」
よく通る、のほほん声が響き渡った……!
「ごきげんようー! 拘束攻撃のとくいな奥様は?」
さささっ! 約半数が手を挙げる。
「では前方へお並びください。後ろの淑女の皆さまは前線部隊へ向けて、おとくいの防御の術を、ただちに発動でーす!」
「何や、上品なのが出てきよった!」
「ウー君とは逆方向やけど、実にええ声やな!」
「それでは奥様がた! 行っっきましょーう!」
新手のやさ型指揮官らしいのにすらっと誘導され、おばちゃん達は的確に詠唱を行い、二種の理術が発動する。
ふるふるっとよろめいて、再び振りかぶって来た巨人の赤い裾は、またしても光に弾かれて、大盾部隊に触りもしない。
巨人は急激にかったるさを感じる。体が重い、おもい、ちょぴっと動くだけではぁしんど、息をするのも面倒くさい……いやさすがにそこまでは。けどやはり、だるい。
おばちゃん達の横、ぐらぐらふらふらしながら“ウーディクさん”を何とか守らなきゃ、と仮面の下で半泣きになりながら詠唱を続けていたロボ君は、もう本泣きになりそうである。
戦争なんて彼は本当に嫌なのだ、人が死ぬのも傷つくのも、彼は正視できない。だから戦場には行けない、兵士になんてとてもなれない、……“出来損ないの理術士”と呼ばれてさげすまれ、小術をかけながら人と目を合わせないようにしてきた彼の前に、ある日現れた人。
::誰も殺したり、傷つけたりしなくっていいの! 俺らのことを、ひたすら守ってくれる人を探してんのよ、きみ最適だと思うねんけど、なー!? (※なんちゃってティルムン訛り)
――守るんだッ。僕を見出してくれたあの人を、死なせちゃっては、だめだ……!
ロボ君は気持ちだけで立って、術を発動させている。けれど、もう……。
震える肩に、大きな手がやさしく乗っかった。
「大丈夫ですよ。さっきはあなたが、一人で守り切った。今はもう、一人じゃない。あなたなら、続けられます」
がしゅん?
水平→左上方向に顔を向けると、金髪でなし赫毛でなし、見たことのない不思議な色のちりちり髪の男性、……草色外套を着た騎士のような人が、深い蒼の瞳に優しさを湛えて、彼を見ている。
「あなたは強い。だいじょうぶ」
何でもないような低い声が、ロボ君の胸にすうっと入って行った。その奥にある心を抱きしめて、確かな力強さ――熱を生み出させた!
「……ロボ君、あたしも守備よ」
小さなギボさんが、ロボ君の隣にそっと歩み寄り、声をかける。
「一緒にウーディク君を、守りましょう」
じー、かしょん!
ロボ君は水平→右下方向、ギボさんを見て、うなづいた。前を向く、彼の聖樹の杖はふたたび、力強く輝き出す。
「こほん、それでは私も。入門者ながら、力を添えさせていただきまーす」
ささっとおばちゃん達の後ろにさがると、息を吸って、ミルドレは歌い始める。
♪ 俺はイリーの土地うまれ きれいなあの子を恋に誘おう……
・ ・ ・ ・ ・
「ぬおおおお、めちゃくちゃやるじゃねえか、ティルムンのおばちゃん達ッッ! さすが俺の引っこ抜いた人材だぁっ」
北門前、壁のように一列に大盾を並べ、その後ろから巨人を見据えるウーアとウーディクの最前線部隊は、禍々しい赤い手が自分たちの上空までしか近寄れないのを見て、気勢を上げている。
「すごいねえ、まるで上に壁があるみたいだよ」
大盾に収まりきらない大隊長のウーアが、感心して美声で喋っている。
「ねえ、ひょっとして、こっちの攻撃も効くのかな?」
思いついて、すぐ隣でにやけている甥に聞いてみた。
「へ……? いや、それはどうかな……」
防御最優先で準備してきたから、考えていなかった。
「ちょっくら、試してみようか」
叔父に自分の盾を支えてもらうと、ウーディクは背の大弓を構える。一歩、二歩下がって、びーん! 一矢放った。
それは颯爽と飛んで行った。
途中、追いついた歌が絡まって、虹色の輝きを帯びた。
ぷすッッ。
ウーディクの矢は、鍋を小脇に抱えていた赤い巨人の左手人差し指、にくとつめの間に絶妙の頃合で深く刺さった。赤い巨人は動きを止める。
≪ぎ、あ――――ッッッ≫
経験したことのない“痛み”に、もくもくとした霧の中で顔を引きつらせ、巨人は叫びをあげた。髪先の蛇は空中でのたうち回る。
慌てて鍋を右手に持ち替え、左人差し指にふーふー息を吹きかける、いたぁあああい!
「効いてんじゃんッッ」
「後列部隊、投擲準備ぃっっ」
大弓、中弓、投石器、後ろの列から様々な飛び道具攻撃が始まった。最近考案したばかりの火炎瓶を試し投げするやつもいる! 使っているのが割高の林檎蒸留酒だから、費用対効果のところで実用化はまだまだ遠い!
ぴん、ぴん、ぴぴん! それはところどころ虹色に輝きながら、巨人の赤い体に立ち向かってゆく。無数に飛んでくる何か、そこまで痛くはないけどできれば避けたい損害、巨人は後ずさりを始めた。
「よしよし……」
歌いながら、ミルドレはうなづく。
前もって黒羽の女神に確かめておいたところ、今の巨人はかの女の本体が赤い女神にのっとられた状態だから、攻撃が通じても痛いのは赤い女神だけなのだそうだ。
「♪ 黒羽ちゃん、引きつづきの指示、お待ちしてまーす」
遥か上空では、大興奮した黒羽の女神が握りこぶしをぶんぶん回して、まっかな顔で言い立てている。
『そうよーッッ、人間みんな、頑張るのようッッ。今回は誰もあいつに捕まって、殺されないでちょうだーいっっっ』
黒羽の女神は気付いていた。
赤い巨人は少し様子が異なっている。今までの数多の滅亡例の時のように、殺戮の力がさほどみなぎっていない。
つまり……つまり、赤い巨人は約十年間の“うたた寝”の間に、消耗したのだ!
たぶん自覚はしていないのだろう。けれど、このままゆるやかに力の発散を続けさせれば、“間違って呼び出した者”の死亡あるいは吸収と同時に、すぐに自分の介入が可能になるかもしれない。
――理由は、ほんと分からないわ。けれど何かが、誰かがあいつをうたた寝させたことで……イリー人は滅亡を避けられるのかもしれない!
・ ・ ・ ・ ・
虹色の歌声を耳にして、ゲール君に肩をモミモミしてもらっていたディンジー・ダフィルは、がばっと立ち上がった。
「来たーッッ、来た来た来たッ」
慌てて山羊毛皮上っぱりを羽織り、黒い塔の外壁へりを掴む。
「どなたがいらしたのですッ、ディンジーさん!?」
ずいぶん長いこと、キュリの杖を支えたままのランダルが叫んだ。
「旦那が歌っている、ということはめんこいちゃんも一緒だぁッッ」
「!!」
ディンジー語るところの、特異体質の騎士と共に、彷徨を続けているイリー守護神……黒羽の女神!
ランダルは、全身がかぁっと熱くなるのを感じた!
「旦那って、女神さまのお気に入りの騎士の方ですね! テルポシエに来てるのですかッ!?」
もちろんそいつの名前は、秘密にしているディンジーである、抜かりなし!
「俺も加勢しないとね……! どこにしようかなッ」




