236 東の丘の最終決戦22:丘の麓のゴンボ君
ウセル配下の“首布組”と射手らに守られ、また目くらましの小術で逆に彼らを守る形で、必死に撤退してきたメイン暗殺隊の理術士三名は、どうにかこうにか西側のイリー混成軍の元へ合流することが出来た。
そうしてすぐにその中枢、全マグ・イーレ軍のグラーニャとキルス老侯のもとへ走る。誰もが状況を知っていた。巨人が現れたのだから、暗殺は失敗したのである! しかし“白き牝獅子”は、兜の白鳥羽根をわさわさ揺らして、彼らにうなづきかける。
「生きて帰ってくれて、本当にありがとうッッ」
小っさい第二王妃は、がしっと理術士たちの腕を掴む。
「次の本軍援護、よろしく頼むぞうッ」
鎖鎧の穴から、笑顔が輝きかけてくる!
それで、理術士三人は元気を出した。
この十年で、彼らはしっかりマグ・イーレ人になっていた。故国とは全然ちがう、まずしいのに豊かな気持ちで生きられる、素敵な国と優しい人々。話相手や相談先に困っていた昔とは、雲泥の差だ。
だから彼らは疲れた体を奮い立たせて、杖を構える。グラーニャの白馬、ゲーツの黒馬、キルスの栗毛馬の後ろに控えて、戦線に立ち向かう。
緑の原、湿地帯の向こうに灰白色の城塞がでんと座っている。市外壁の前に動きは見えない、門が固く閉ざされているだけで、人員配置はなかった。裏では相当数が構えておるのだろうな、とグラーニャは予想する。
「では、行くとするか。キルス」
グラーニャは真横のキルスに言う。
「ええ」
老将は頷いた。
「派手に、しかしゆっくり進軍するのだ。北門の赤い巨人、西門の我々でエノ軍は手一杯になろう。姫ひとりの静かな死なぞに、かまう者はいない」
「ウセルのところの皆さんに、期待いたしましょう」
彼らの後ろで、理術士三人は詠唱を始める。春先のぬかるんだ湿地帯を軽く駆け抜けるための、“早駆け”の術を。
・ ・ ・ ・ ・
しかし。テルポシエ城内に潜入していた“ウセルの家人”たちは、実は心底慌てている。
暗殺決行日のぎりぎり直前になって、彼女達はようやくエリン・エル・シエを把握した。それまで、下働きの女中とばかり思っていた貧相な女が、自分達の標的と知って拍子抜けした。
それもそのはず、彼女たちはエリンについて、グラーニャ妃殿下にそっくりの若い女、としか聞いていなかった。あんなに痩せこけていては、似ている者も似なくなる!
苦しい言い訳はともかく、把握した。……それなのに、巨人が出現し土壇場となった今、エリンの姿は見当たらない。
厨房係として潜入していた彼女達に、料理長らは帰宅していいよと言った。そこで逃げ惑うふりをして、城中を駆け巡る。しかし姫が使っている地下室にも、財産管理庫にもいない。
「あっ。護衛の娘と一緒に、医師のところへ行ったんじゃないの!」
「そうね!」
本城の西側にある医務所に向かった。案の定、背の高い護衛の娘が、医師らと出てくる所である。
「ケリーちゃぁん! 一緒に、市内へ逃げましょうッ」
「お姫さまもよ、どこにいるの?」
厨房もよく手伝う娘と、名を呼ぶほどには親しくなっていたウセル家人らは声をかけた。
「あっ、料理のお姉さんたち!」
くるっと振り返ったケリーを見て、家人らは面食らう。びしっとした革鎧、ところどころの鋼の当て具、ぐうんと長い抜き身の槍を手に……重装備している?
「今日、姫様は、……」
言いかけたケリーの左腕を、フィン医師がぐっと握った。
「エリンさんをお探しなら、私と一緒に来てもらえますか。お二方」
事務的な言い方である。女二人は内心安堵して、踵を返した医師の後を追う。彼はそのまま城門を出て、西大路をぐんぐん早歩きで進んで行く。ティーラ医師と、エアンも一緒だ。
「ね、先生」
少し堪りかねて、ケリーが囁いた。
「悪いけど、だまって合わせておくれ。俺に思うところが、たくさんある」
医師も囁き返す。
「……じゃなくてね、腕がね」
「そっちもすまないけど、いま君のこと離したら震える。こう見えて、俺はほんとは小心者」
「いや、先生は見かけがそもそも豪胆とかではないし」
西の市内壁へと進みながら、医師は満足気にうなづいた。
・ ・ ・ ・ ・
東の丘の北側、街道脇である。
荷車の中に仰向けに倒れた形だった、とさかおじさんの死体だけを何とか灌木の茂み裏に隠すと、もぐりの理術士ゴンボ君は馬たちをその辺の樹につなぎ、自分は御者台に座った。
肩掛け鞄を探って、巻いた布を広げる。麓から、丘を見上げることすらしなかった。言われてやるべきことをやったのだから、これ以上自分の意思で何かすべきではない。
からからがらがら、街道を通る馬と荷馬車の音も、ゴンボ君の読書を妨げなかった。すぐそばで耳障りなぎゃん声を上げられて、ようやくのめり込んだ世界から我に返る。
「おいこらお前ッ、お姫は無事なのかッッ」
ゴンボ君は顔を上げて、ぎょろぎょろした目で自分に食いかかろうとしている男を見た。
「……と、思いますよ」
「丘の上で、何をしようとしてやがるッッ」
ナイアルはひょろひょろ青年の襟ぐりを掴んだ。
「……わかりません。僕、留守番なんです。戦えないから」
表情および全身に無抵抗を示して、ゴンボ君は両手のひらをナイアルに向ける。
「くそぉッッ。おいこら皆、こっから歩きでのぼるっきゃねぇぞ。馬とお婆ちゃんを、どこに待たすかだッッ」
ナイアルは斜め後ろに向かって叫んだ。彼には珍しく、焦って苛ついている。
「あのー。もし、良かったら」
ゴンボ君は平らかに言った。
「僕、みときますよ。その辺に長めにつないで、草食べさせとけばいいんでしょ?」
ばちばち、目を瞬かせて、変な顔でナイアルはひょろい青年を見る。
「あの巨人がこっち側に来るようなことがあったら、馬を放して、お婆さんと一緒に逃げます」
「何だお前、敵側のくせに良いやつなのか」
「いえ、ただの短期派遣なんです」
「うむ、ほんじゃ頼んだぞ」
ゴンボ君の薄い肩をぽんぽん叩くと、ナイアルは皆の元へ駆け戻る。あー良かった、お婆ちゃんは超優秀だが少々目が悪い。逃げ遅れだけが心配だったのだ。
一行が丘に登り始めるのを横目に、ゴンボ君は再び手元の布本を開いた。ティルムンから取り寄せた大人気連本の最新作が、昨日ようやく届いたのである。連綿と続いて来た長い物語の、大局面だ。彼は架空世界の命運を握る架空の登場人物の気持ちになりきって、その破滅を目前にした架空の宇宙に入り込んで行った。
隣につけた馬車の御者台では、小さなお婆ちゃんが再び、大人の仕草でふんぞり返って、甘草葉巻をかみ始める。




