232 東の丘の最終決戦18:声音と理術の共闘
ほんの少し手前にまで迫って、細く長く広がって並び、対峙の姿勢をとった人間達の黒い群れを見て、巨人はよーしと思った。ゆっくりそちらに、一歩を踏み出しかける。淡く春草の芽吹き出した大地に、赤い衣の裾が広がった。
≪……んん?≫
妙な感覚をおぼえて、かの女は次の一歩を踏み出さず、立ち止まる。……自分の身体は、こんなに重かったか。
≪ねてる間に、ふとった?≫
いやそんなはずは、と曲げようとした首もまがらない……はて?
しかも、だ。なんだか耳のなか、……いや、かの女に耳はなかったのだった……、外界に向けて直接ひらいた聴覚の中に、何やらきもち良いものが入り込んでくる……。
巨人は何となく、ぼんやりとした。そのまま、突っ立っていた。
・ ・ ・ ・ ・
「……いざ来たれ いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ 高みより高みより いざ集え」
♪ 木のうろ御殿に砂浜別荘 くらい夜には星の燭
♪ みどりの苔のじゅうたん宮に膝ついて 花冠を差し出そう
「集い来たりて 悪しき物の怪の 身をつつめ 重きくびきでいましめよ、……」
♪ 赤白はまなし きんぽうげ やどりぎ たんぽぽ 白げんげ
♪ 嫁御は姫御 俺の女房は女王さま……
「キュリちゃん……、ディンジーさん! 止まりましたよ、効いてますよぉッッッ」
オーランの黒い塔の屋上。つば広帽子の下、爛々と目を光らせながら、ランダルは興奮して叫んだ。
先程、キュリが“拘束”の術に集中する前にかけてくれた、“超老眼”の小術の効果で、十数愛里以上さきにいる赤い巨人の様子が、よくわかる。
不思議な動物の頭をかたどった被りものをつけ、白く光る杖を構えているティルムンもぐり理術士、キュリ・ベルボ。彼女の周りからわき立つ香ばしい匂いが、時折風にのってふっとランダルの鼻孔をくすぐる。
その横では、背筋をぴーんとのばした声音の魔術師ディンジー・ダフィルが、普段の調子からは想像もつかない激甘色男声で、ゆるやかに歌っている。
馬たちによく歌ってやっている、ひと昔まえのはやり歌っぽいが、恐ろしくなだらかに崩してあるから、子守唄にしか聞こえない。
ディンジーの声は、時折灯りのようなあたたかい色に煌めきながら、まっすぐ赤い巨人へと向かっていく。ふと、森の賢者の頬の下に、赤い湿疹がいくつか浮き出ているのをランダルはみとめた。
――全ッ然好きでもねぇ女に、色声つかって眠気を誘うなんて、本当につらいよー! モティちゃーん、助けておくれー! めんこいちゃんも、早くきてー! 輝ける御方、つきあってー!!
「おお、赤い巨人! 何て邪悪な姿なのだろうッ!」
「しかしその赤い巨人に対しての、“声音の魔術師”と“理術士”の共闘です、世紀の対決ってやつですよ!」
「けれど、我々の眼前にはやはり、依然として破滅が忍び寄っているわけであって……ああ!」
「何にせよ貴重な体験ですな、いやー引退してて本当よかった。でなきゃ今頃は従軍中です!」
ランダルの横では、やはり“超老眼”の恩恵を受けたジアンマとロラン、ゲールが興奮の声を上げている。ルニエ老公はそのまま裸眼で見えているらしい。
「がんばって……二人とも!」
「お義父さん。あたしの方は、一人と違うらしいわ」
顔を前に向けたまま、キュリがランダルに言った。
「え?」
「テルポシエのお城から……けっこう手伝ってくれてはる。みえます?」
ぐぐぐっ、ランダルは城塞の方へ視線を移す。
「あー、本当だ! キュリさんみたいなものを被った人たちがいっぱい、城壁の上で光る杖を掲げていますね!」
同方向を見たジアンマが声をあげた。
「ええっ? それではテルポシエも、ティルムンの理術士隊を招聘したのでしょうか!?」
ルニエ老公が驚く。キュリは頭を振った。
「いいや、正規の兵士と違う。あたしとおんなし、もぐりやねんな。おばちゃんばっかしやん?」
「本当だっ、年輩女性ばっかり、十人以上いますよ!? 皆、ものすごい力の入れようだ!」
「ひょろい男の子が一人、隅っこで所在無げに術をかけているッッ」
「キュリさん……。本来、理術士というのはティルムン軍内の人だけを指すのであって。女性の理術士、というのはあり得ないはずなのですよね……?」
ルニエ老公が穏やかに、そうっとキュリに尋ねる。
「そうそう。せやから軍に入れん女は、理術士にはなられへん。勉強はできても、資格とれへんからもぐりになる」
「しかしあなたを筆頭に、皆さん相当の実力をお持ちではないですか? 十年前、正規の軍人理術士五人で全く歯の立たなかった巨人を、現に拘束できている……」
ティルムンの真実にちょろっと近づいてしまった老公に、キュリは小さく笑ってみせた。
「相性ですよ、ルニエはん」
ランダルは義娘を見た。
「巨人は女なんやし。女の喧嘩相手は、女の方が都合良いのんと違いますか」
「はあ、なるほど……」
ルニエ老公は素直に納得した。
「今日は、ディンジーさんもついてはって、相乗効果ぶんぶんやし。単体では通じんもん同士が組めば、何とかなるんとちがうかな」
「さっきの、俺の姪とメインの精霊みたいにさぁ。ぼえー……」
ひと息ついた声音の魔術師が眼をむいて、顔をしかめる。
脇に持ってきておいた小卓の上から、ゲールが杯に何かを注いで、さっと差し出した。
「ありがと、蜂蜜湯……。つぎの分、しょうがすったの入れといてくれる? わるいね……ううう」
ぶるっと身震いしてから、ディンジーは再び歌い始めた。




