231 東の丘の最終決戦17:蛇軍
“赤い巨人”は東の丘の上から、そろりと街道側に下り、道をまたいでもうちょい先の湿地帯へ移動した。ここからなら、全てが明らかに見渡せる。
すぐ後ろのテルポシエ市と、その市外壁前にずらっと並んだ黒い軍。前方には別の黒い軍。髪さきの蛇は西側の騎士達の軍勢を見ていた。精霊使いのいる丘を見れば、小さな男はうねうねと妖精どもに囲まれたままである。
最初に動いたやつから、つかまえて殺してやろうっと! かの女は思った。見た所、一番動きのあるのは北から迫ってくる黒い軍勢だ。たぶんこいつらかな、と思ってじいっと見つめ続ける。自分から歩み寄る積極性はもたない。寝起きだもの。
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旧テルポシエ貴族の残党に襲撃された(と、彼は決めつけた)パスクアは、配下の先行隊員を全てその追伐に差し向けて、自分は残りの監視要員たちと“四ツ辻”へ向かう。
そこで南への道をなだれ進む一個軍団に合流した。歩兵達を追い抜きながら、ところどころではためく旗を見て首を捻る。……蛇? それでも、さっき気付いた“巨大赤なめくじ”の存在の方が気になる。先頭近くを進むギルダフに追いついた。
「やっ、来たね!」
巨大な黒い雄馬の上、ひらひらももんが袖を翻して、ギルダフが振り向いた。
「こっちから巨人に対峙、なんて作戦は聞いてねぇよ?」
「あれっ、そう?」
「あと、あんたの話はほんとだった。テルポシエの残党らしいのに絡まれて、襲われた」
「げえっ、やっぱね! お姫さんを取り返しに来たんだろ。いっぱいいたかい?」
「いや、俺が会ったのは一人だけど、後ろにどんだけいたのかはまだ……」
「案外、多いかもね。お姫さんは、あそこ……荷馬車ん中だよ。君のおじさん二人と一緒」
家族扱いせんでくれ、と言いたいのを我慢してパスクアは口をつぐむ。
「この状態で取り返しに出てくるようなら、ちょうどいい。この一個軍団で、返り討ちにできる。だから、もうちょい引き回して一緒に連れて行こうと思って」
「……けどこのまま行くとあいつ、赤い巨人の正面でないか?」
この場合、テルポシエ残党なんかより巨人の方が優先事項ではないのだろうか。
「うん。じきに止めて、ほそなが布陣にする。城から見れば、向こうとの挟み撃ちに見えるじゃん?」
「……見える、って……」 だから、挟み撃ちするんではなかったのか。
「もう、こっち側においでって。パスクア君」
親しみのこもった調子で言われて、パスクアは面食らう。意味がとれなかった。
「旗、見たろ? なかなか素敵だと思わないかい」
「……なんで、蛇」
「そりゃあ、俺たちが蛇だからに決まってるじゃないか。するする静かに利口にしていて、機会を見定めて、欲しいものをつかむ蛇さ」
ギルダフは爽やかに微笑む。
「……昔の方が何もかも良かったとか、そういうじじくさいことは言うのやなんだよ。けど、お父ちゃんが死んでメイン君が王になってからのエノ軍は、どうにも俺の信じたエノ軍では、なくなっちまったのね」
――まさか。まさかこのおっさん、エノ軍に……メインに反旗を翻すっていうのか!? こんな土壇場、巨人の前で!
「……ギルダフ。やめてくれよ、冗談よな?」
そういう戯言を言う大隊長ではないとわかっていながらも、パスクアは問わずにいられなかった。
「何言ってんの。他の皆が言ってる冗談とか、それどころじゃないだろう? お姫さんは君を裏切って、テルポシエの旧貴族残党と繋がってた。メイン君だって、そもそもが実のお父ちゃんとアキル師を殺して、王になったわけだし」
「! めったなこと言わんでくれ、メインは……!」
エノ王とアキル師の事故死の真偽は、メインに聞いていない。質してもいない。
ひょっとしてもしかして、あそこまでの実力を隠していたメインなのだから、あり得たのかもしれない、と心の隅で思ったことはある。
仲のわるくない親子だと思っていたが、新王が前王のことを口にする時に含む冷ややかさから、実際はそうでもなかったのかと後から気付いた。
けれど全ては、終わってしまったことだ。後始末をしてテルポシエに軍を根付かせるためには、つまり自分たちの未来のためには、本当のところを知らなくてもいい、と思っていた。……と、わざとあいまいにしておいた部分を、ギルダフは事実としてはっきり話した。
「うん。君の友達だしね、よく思いたいのはすっごい分かる。……けど、さあ? それならメイン君の嫁のイオナが、お姫さんの息子を匿って育ててたって。その辺どう説明するんだい」
「……」
エリンはなりゆき、と言っていたっけ。言い訳として実に便利な言葉だ、なりゆき。
「……何か、さぁ。メイン君とお姫さん、結託してたっぽい感じがするの、俺だけ?」
パスクアは呆然と、ギルダフを見つめた。
「誰もかれも、裏切ってばっかりと言うか……。信じらんなくなるよねえ。そうやって裏切られまくった俺とか君が、ここいらでエノ軍内にすじ通すべきだと思うんだよ」
「ギルダフ、そろそろでねえのか」
道の反対側、後ろから声がかかる。
「お……マリューじいさん?」
「ようパスクア、久し振り」
「引退したんでなかったの」
「したよ。北で冬眠しとったのよ」
ふふ、老人は含み笑いをしてからギルダフを見た。
「そうだね。ほんでは“蛇軍”布陣は、ここから! 皆、よろしくなー」
顔に痣のある大隊長ギルダフは、朗らかに声を上げた。何人かの中隊長が手を上げてそれに応え、そのまま進んでいった。
ギルダフとマリューは横へそれ、少し前にいた荷馬車、その周辺の十数騎とともに、北方街道へつながる細い道へと入る。
「パスクア君は、どっち行ってもいいと思うよ。一緒に来る?」
「……どこ行くんだ、あんたらは」
ギルダフは笑って答えた。
「巨人退治!」




