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海の挽歌  作者: 門戸
テルポシエ陥落戦
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23 テルポシエ陥落戦3:アランとヴィヒルの出立

 一日中、冬の太陽が冷たく晴れわたっていた、その日の暮れ。


 本陣の中心にしつらえられた広場には、幾つもの篝火かがりびともされて、黒くうごめく男達数百人の息を白く照らしていた。


 彼らの頭上遥か高くには、わずかに残った夕陽の残照や宵の星々がほのかにきらめいているのだが、それに目を留める者はいない。


 男たちの身体の深部でくすぶり続けている熱い欲望は、今まさにたぎり始めた所で、それが薄闇の中で白眼にちらちらと火花を散らす。



「寒いな」



 本当に短い一声だったのだが、それだけで男達のざわめきはぴたりと静まり返った。


 この場にいるすべての男たちが知る声、そして待ち望んでいた声だ。



「じつに寒い。しかし明日になれば城壁の中、町女の手酌で酒が飲み放題だ」



 芝居を見たことのある者はあまりいなかったが、軍総統の低く通りわたる美声は、どんな役者のきめ台詞よりも、傭兵たちの心深くにみ込んでくる。



「私もそろそろ、君らに報酬を払いたい」



 さざ波のように、男たちの同意の声が湧き上がる。おおおおお。



「いっちょう、男を上げて頑張ってくれ!」



 おおおおおおおおおおお!!



 さざ波は巨大な波へと急激に盛り上がって、そしてエノの叫びに共鳴した。



「テルポシエを、取るぞ!」



・ ・ ・ ・ ・



 広場とは反対側の本陣北出口にも、その大歓声はとどろきわたっていた。



「うひょ~うるさー。みんな闘志みなぎってるわあー。それも裏返しゃぁ、むき出しの欲ってやつだがね」



 いつも通りに皮肉っぽく呟いたアランの小さな肩を、ヴィヒルの大きな手が軽くつまんだ。


 くるりと振り返ると、上司のパスクアが人差し指をぐるぐる回している。



「アランもいいか、確認するぞ」



「あ、はい、すいません、どうぞ」



 すぐ脇に義妹のイオナ、ちょっと離れてニーシュが立って、神妙な面持ちでパスクアの言葉を待っていた。



「今回、先行隊は二班に分けた。第二班はアキル師に直属、各団間での伝令としていつでも使ってもらえるようにしてある。それで俺たち第一班は、二手に分かれて一足先に侵攻の両拠点で待機する」



 まじめくさって説明するパスクアは、今回さすがに実戦装備の出で立ちである。


 毛織短衣の内側に軽量型のしなやかな革鎧を着て、腰に戦闘鎖を下げ、右頬に黒い塗料で何かのしるしを描いていた。



――すてきな鎖ね? おもしろ武器だけど、はて、こんなのでどうやって戦うのかしら。



 内心、ひそかにアランはいぶかしむ。



――そしてお顔のもようも、実に謎なのだわ。一体何を描いてるのか、そのうち機嫌が良い時に聞いてみよ! はっ、その前に戦を首尾よく終わらせなくっちゃね。やれやれ。



「アランとヴィヒルは、シエ半島の海賊の所で待機。潮流が変化して、海賊たちが陽動作戦に入るのを見届けたら、湿地帯の外側を伝って本陣の俺らに合流してくれ。俺とイオナとニーシュは、本軍の後方で負傷者の誘導を兼ねつつ、それ者の捕獲を行う」



 れ者、というのは敵方の敗走者を指す言葉である。


 軽傷程度でまだ動き回れる者が、背後にまわるのを危惧したパスクアとアキルが、これを専門目標とする隊の配置を提唱して、受け入れられた。



「今回の俺たちの任務は、始めと終わりのきれいな処理だ。間違っても、混戦には手を出すな。巻き込まれるのも、なしだ。危なくなったら全力で回避しろ」



 ヴィヒル、アラン、イオナ、そしてニーシュと、パスクアは四人の顔を順繰りにまっすぐ見て言った。



「大戦の後は、いつだって人手不足になる。必ず、絶対に生きて帰ってくれ。以上だ」




 ・ ・ ・ ・ ・




 厩舎から、一頭の軍馬が引き出される。


 予備役の兵が連れて来た、その褐色の馬の鼻づらを丁寧になでてから、ヴィヒルは勢いよく飛び乗った。差し伸べられた手を握って、アランがその後ろにひょいと乗っかる。



「ね、イオナちゃん」



 ほとんど囁くような小さな声、馬の腹のすぐ脇にいるイオナに向かって、アランは屈みこむ。



「……あなたがね、どんな方向を選んだとしても。あたしとヴィーは、イオナちゃんの味方だからさ」



 早口で、しかし優しく義姉は言う。



「だから、自分のこころには、正直でいるんだよ」



 兄もアランも、自分を優しく見下ろしていた。


 三人の吐く息が、冬の夜の冷気に白く広がり、まじり合って闇に散ってゆく。


 イオナはふたりに向かって頷いてみせた。



「ほんじゃあー、ちょっくら行ってきますぅ」



 一転して、甲高くはっきりと、アランは明るい声を上げた。



「おう、気を付けてな。また後で」



 パスクアがやはり明るく答えて、そしてヴィヒルはさらりと雌馬を駆けさせる。


 開かれたままの北出口から、ひっそりと二人は出立していった。その後ろ姿も、蹄の音も、瞬時に夜に紛れて消えていく。


 声はかけず、しかし後ろに回した左手で傭兵特有の幸運のしるしを結びながら、小さく右手を振ったニーシュを見やって、パスクアは言った。



「さ、じきにエノ王も出発だ。俺たちもぼちぼち行くぞ」


「はい」



 ニーシュが振り返る。


 小さく返答した顔をパスクアは素早く観察したが、男の表情は静まり返っていた。


 任務外で、ニーシュが喪帯を手放さない事は知っている。


 夏以来、……娘のシュウシュウを亡くして以来、彼にまとわりついていた焦燥と苦悩の深い悲しみは、ここのところ一見薄らいだようにも見えた。実際先行の任務は前以上にそつなくこなしてくれるし、何の問題行動も聞かない。信頼のおける真面目な部下であることに変わりはないのだが、やはりどこかでパスクアは不安を拭い切れなかった。




 少しうつむき加減で二人の男に続くイオナもまた、心の中にわだかまる重い不安に苛まれていた。


 先ほどのアランの言葉、唐突とも言えたあの言葉だって、その辺のやるせなさについてイオナを擁護してくれている。


 言おう言おうとしていて言いかねていたのを、土壇場でようやく伝えていった……そんな所だろうか? 器用な義姉にしては、珍しい事だった。



 ――シュウシュウのことで、疲れ切ってるニーシュを支えたい……。



 あの盛夏の日、妙な妖精の“忠告”に翻弄されて、ニーシュを疑い始めてしまったその瞬間に、彼は娘を水の中に失ってしまった。


 あれからぱたりと、話すことも触れることもなくなっていた。


 それまで一緒に過ごした日々、それが全くなかったもののように、イオナとニーシュは他人になってしまっていた。



 こんな風に心を離すのは、いやだ。


 そう思うからには、自分はいまだにニーシュの事が好きなのだろうとイオナは考える。けれど彼は今、イオナと話すどころか目を合わせてもくれない。


 先行の任務はほとんどヴィヒル・アランと組んで、彼は単独あるいは他の要員と一緒だった。ニーシュがパスクアに直に頼んでそうなっているのかどうかは、知らない。上司にただすのは何となく嫌で、必然イオナは自分の中のもやもやをだましつつ、日々をやり過ごすしかなかったのである。


 そして正直、この状態にんでいた。



――あの、変な妖精の言葉に感化されたわけじゃない。でも、今のわたしにはもう、彼を信じるだけの余裕がない。どうしたら、……一体どうしたらいいんだろう?



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