229 東の丘の最終決戦15:ほぼ騎士とキヴァン戦士
「皆すまねえ、ばれちまったっ。しかもお姫は、旧本陣の方へ持ってかれたッ」
「!!」
ひかりんぼの幕の中、ナイアルは簡単変装を解いて、外套を羽織る。
「こっから追っても、第二監視拠点のやつらと鉢合わせだ。遠回りだが、北上してファダン領から入り込むぞッ」
がしっ、アンリが差し出す組み立て式でないほうの短槍を受け取りつつ、ナイアルは街道方面にあごをしゃくる。
「では、お婆ちゃんとイスタの所に急ぎましょうッ」
だが、しばらく行った所でビセンテが低く声を放った。
「ナイアル」
「……囲まれた」
ダンも呟いた。
「……ひかりんぼの中にいるんだから、大丈夫だよ?」
フィオナの声に、不安が滲む。
ちいッッ。ナイアルは口の中で舌打ちした。
――そうだった、旦那の奴は先行隊長!
気配を消して彼らを待ち受けている……七、八人もいるのだろうか? 妖精の目くらましも越えて、勘づいてくるかもしれない。そういう精鋭だ。イオナ級が何人もいるとは思えないが、……分が悪い。
「大将、頼んます」
ダンは無言で長槍を構える。
「ビセンテ、ばーか」
右手に短槍、左手に山刀を握った獣人は牙をむいた。
この際の“ばーか”はそのままの意味ではない、“いつも通りにきばってくれやあんちくしょう”くらいの……まぁ符牒である。
「アンリは俺と、子どもらを守るぞ」
「ういっ」
料理人は中弓を構える。
第十三遊撃隊は、おのおの四方をむいた。四人の背中の中心に、フィオナとローナン。
ナイアルは上空を見上げる、樹々の梢の合間、灰色の空に旋回するヌアラたちが見える。よし。短槍を構えた。
ぎりりッ!
アンリが敵の気配に向かって、中弓照準を合わせかけた――その時。
ずどんッ!
その標的が、真横にふっ飛んで木陰から飛び出した!
「おおぅ?」
アンリは口を丸くあける。
どん、ずどどんッ!!
続いて、ダンの前方の木陰に隠れていたやつが、やはり真横に飛び出て素っ転ぶ。男はぴくぴくっと動いて、……ぱたん。手にした短剣がころっとこぼれた。
「何じゃこりゃ」
ナイアルは、極太まゆ毛を寄せて困惑する。
どん、すとん! とん! ぱーん!
派手な衝撃音がするものの、敵たちを次々に打破している存在の姿がまるで見えない。エノ軍先行員たちは、自ら潜伏箇所から飛び出して自滅しているように見えた。
「これって、……まさか」
ダンの広大な背中わきからそうっとのぞいて、ローナンが小さく呟いた。
ずざっ!
ビセンテの少し前方にある木立の上から、どさりと倒れ落ちたものがある。墨染上衣の小柄な男の上に、銀色の色彩を放つものが乗っかっていた。
〔終ーわったぁ!〕
高らかなキヴァン語を耳にして、ナイアルとフィオナ、ローナンは、うあっと思う。
〔出ておいで! フィオナ、ローナン!〕
男の背中を踏みつけて、すくっと立ち上がった女は、“第十三”に向けて笑顔を輝かせた。
ふいっとひかりんぼの目くらましを消して、フィオナはアンリの横をすり抜ける。
「スカディー!!」
ぱっと飛びついた少女を、女は左腕に抱きしめる。続いて走り寄ったローナンを、右腕にひょいっと持ち上げた。
そのまま、すすっと歩み寄ってきた、ナイアルの目前へ……
「ないあるッッ」
笑顔のまんま、どこっ! さげる額で、ナイアルの頭をどついた!
「ぎぃあああッッ」
隊長以下、旧テルポシエ軍二級騎士・第十三遊撃隊の三名は固まった!
――でっかい。ナイアルがちっちゃく見える。
――キヴァンです! キヴァンのお嬢さんです、何食べるんでしょうッ!?
――……。
特にビセンテは、毛先の本能が鳴らす警鐘に戦慄をおぼえ、“羽ばばあ”の忠告を思い出していた!
びしっと細身の消炭色毛織上下、長くしなやかな体躯に男のような恰好をしてはいるが、間違いなく若い女だ。
ところどころ編んだ長ーい銀髪を、ぎゅっと高いところでひっ詰めているからさらに巨大にみえる、両頬のえくぼに重なるようなぼちぼちほくろが口元左右に、……いや、目元上下にもついている。
そして見たとこ得物を何にも持っていない! つまり、おのれの身体ひとつで敵の一隊をぶっ潰したと言うことだ。
――こいつはできる、油断しちゃならねえ!
「あー、やっぱり、いたいた! オルウェン様ーぁ!」
ひょい、すたたと森の中を走り寄って来た者がいる。
きんぽうげのようなおかっぱ白金髪が、深緑色の外套の上でぴかぴか光る!
「リフィッッ。お前は何でまた、こやつを連れてきたんじゃあッッ」
ナイアルは額をおさえてわめいた。
「いやー、わたし一人じゃ心元なかったので。もうッ、本当に本当に、心配しましたよ、オルウェン様! 怪我はないでしょうね、フィオナちゃん?」
子ども達は、今度はこちらに抱きついている。
「リフィ、さん……?」
アンリがそーっと呼びかけた。
「ああ、第十三遊撃隊の皆さん! お久しぶりです、騎士見習のアンナ・リヴィア・ニ・セクアナです!」
丸顔にまろやかな笑みをのせて、彼女は男達に挨拶した。
「もとい、保母騎士リフィです」
ダンとアンリは、何となーく憶えていた。
「ええと。そしてこちら、アルティオの里長の姪御さん。スカサァーハ・ディアルムーナさん」
「スカディ、呼んで!」
リフィの横、背の高ーい女は、笑ってイリー語で言った。
「わたし達のお友だちなんです。今回は、自ら護衛役をかって出てくださいました」
「イオナはどうしたのだ? 一緒じゃないのか」
「あ、ヴィヒルさんアランさんと、フィングラス方面からイリー街道経由でこちらに向かっています。わたしとスカディさんは、ブロールの道を来ました」
「おばちゃんおじちゃんも、巻き込んだんかい!」
「オルウェン様とフィオナちゃんが、どちらの道をたどったのかわからなかったので、二手に分かれました。わたし達、国境を越えた辺りで白鳥たちを見つけたので、目印にしてきたんです」
街道に向かって走り進みながら、ナイアルは事の顛末を手短にリフィに伝える。
「そうですか……、ではわたしとスカディさんは王子様たちを守って、東の丘でメインさんに匿ってもらいます。じきにイオナさんも来るでしょうから、何とか命の保証はできるでしょう」
「そういうことだ。俺らは北上して、お姫を追うからな」
ぱっと、ひらけた街道に出る!
イスタの隣、お婆ちゃんは御者台にふんぞり返っている、くつろぐその手元には、葉巻のような何かが!?
「お婆ちゃぁあああん! たばこは身体に悪いから、やめてくれと散々頼んだのにようー!」
ナイアルは悲痛に叫んだ!
「と見せかけて、これ甘草棒だよー。甘いのかじって、頭しゃっきりさせるんだってさ。やあ、リフィさん」
イスタは朗らかに言って、台から降りる。
「草色のろし、向こうの林で三つ焚いておいたから」
見上げた空には、確かにうす緑色の線が立ち昇っている。
どどど……
北方から轟く蹄音が聞こえる。
駅馬らしい、大きな栗毛の雌馬が二頭、軽やかに近づいて来た。
〔こんちは、イスタ! また会えたね!〕
うち一頭にまたがったキヴァン女が、軽やかに声をかける。スカディはそう言えば、いつの間にかいなくなっていた。北寄りにつないでおいた馬たちを連れて来たのだ。
〔やあ、スカディ! 元気だった?〕
たった二回、アルティオの里を訪れただけだというのに、このキヴァン語発音のよろしさ……。イスタの横でナイアルは苦笑する。
「お前ら、駅馬で来たのか」
「ええ。子ども達は、後ろに乗って」
ひらり、何気ないようにあいた方の馬に飛び乗ると、リフィはオルウェンを手招きする。
――きまってるなあ……。馬に乗れて方向わかって自由自在なら、ほぼ騎士って言うより完全騎士じゃないの?
――いい感じに引き締まって、ほんと美味しそうですね! でも駅馬で返さなきゃいけないから、鍋の可能性はなしかぁ、残念!
色々と甚だしい勘違い、思考方向もてんでばらばらの第十三遊撃隊である、安定している! ビセンテは何にも考えていない!
……と思ったら、実はスカディとは別の、いやぁな感じを毛先に受け止めていた。
彼は馬車に乗りかけ、ぐるっと周囲を見回して、南方角でびたっと視線を止めた。
『ちょ――ッッッ、ナイアルぅぅぅ!! あっ、リフィとスカディもーッ!』
急降下して、副長の腕の中にどすっと着地したヌアラが、両の翼でナイアルの頬っぺたを掴んだ。
『あれ、あれ見てあれーッッ』
ぐいっと顔を、南に向けさせた!
「ぎぃあああああッ、あれはぁぁッ!?」
一同がそちらを見た!
白い街道の先、緩やかに連なる緑と青の丘陵の重なりの向こう――灰色っぽいテルポシエ城塞の手前に見える、赤い何か。
ゆらゆら揺れるそれは、十愛里以上離れたところにいると言うのに、はっきり人の形を取っているのがわかった。
ナイアルもダンもアンリもビセンテも、実際目にするのは初めてだ。しかし全員、すぐに悟った。
――“赤い巨人”が、東の丘に現れた!!
がたがたッ、音を立てて馬車から降りると、料理人はがちっと背中の平鍋を外し、それをまっすぐテルポシエの方角にかざした。
「ぴゅったああああああん!! めあぁぁぁどふぅえっしいいいい、くそっったれ巨人がぁぁッ」
怒りのあまり、アンリは絶対絶対まねしちゃいけない、おそろしい禁断の罵倒言葉を叫んだ! 以前黒羽の女神すら解せなかった特殊な業界用語なのだが、意味がわからなくっても絶対まねしてはいけないやつである! ああ、ここのところ伏せ字にするべきなのだろうか!?
「ここで会ったが十年め、廃棄食材の恨みにかけて! 俺とティー・ハルが、きさまに正義の焼き目を入れてやるぅぅぅッッ」
焼きたてぱん顔に憎悪の炎をあかあかと照らし燃やして、料理人は差し向けた鍋の彼方へ、宣戦布告の呪詛を怒鳴った!
「おいこらアンリ、子どもの耳があるんだぞうッ」
ヌアラの手羽先とともに、咄嗟に子ども二人の耳を手のひらでふさいで、ナイアルはめし係をたしなめた。
「はッ! これは大変失礼いたしました。食材にかわってお仕置き宣告のつもりが、つい!」
振り返り荷台に乗り込むアンリ、即座に照れ笑いの顔になる、すなわち照り焼きぱん……!
「しかし何ちゅう事態だ! お姫はエノ軍のやばいやつらの手に落ち、この頃合で巨人再出現とな……」
「ここまでかぶる事態は、想定できなかったね。どうする、ナイアル?」
御者台から聞いて来るイスタ、しかしその口調は冷静である。
「本当だ。……しかし巨人については、お姫の仕込んだ策がある。本城にいる、割と話のわかるエノ軍幹部がちゃんと意を汲んで対応すれば、何とかなるはずなのだ」
――あんちくしょう、旦那もそっちに入ってると思ってたのに、大外れだ。
「さすが俺たちのお姫さま! そうです、一番大切なのは仕込みなのです、ようーくわかっていらっしゃる……」
「だからだな、我々は二手に分かれず、ともにこっちのエノ軍のしりを追っかけて、どうにかお姫を奪回しよう。いいな、リフィ?」
「はい」
「……」
どっちみち、東の丘には行けなくなった。馬上、スカディの後ろにしがみついたフィオナは、ぐっと唇をかみしめる。
『ナイアルーぅ』
ヌアラが空へ飛び立ち、緑はちまきの弟白鳥が入れ替わりに降りて来た。
『そうっと、今さっきの拠点から後ろを見て来たよ! なんか、皆あわただしく馬を引き出して、西の方へ裏道を進んで行っちゃった』
「へ?」
『その先の四ツ辻に、黒っぽく人がいーっぱいいーっぱい、列を作っているのが見えたよ。そこのところで誰もかれもが、テルポシエへ下る方向に歩いてる』
ナイアルの頭の中、先ほど拠点で話した男との会話がよみがえる。
「旧本陣から……四ツ辻で合流、で“いよいよ”……」
「やつら、“赤い巨人”と対峙するつもりなのかな?」
イスタが首を捻った。
「わからんが、とにかく越境して遠回りする手間が省けた。このまんま進んで、奴らの後を追おう」




