227 東の丘の最終決戦13:銀髪の暗殺者
プーカの翼ががんがん燃えている間、パグシーは流星号を駆って城へと飛んだ。
中庭にいた“でっかい兄貴”と、その“ほっそい甥っ子”の頭を、ぴしぴしっとはたく。
「おっ、何? 何なの?」
「……」
ウーアは首をひねっただけだが、ウーディクは即座に反応した。ずだだっと城壁を駆け上ると、東の丘を見る。
「やべッ、メインが襲撃されてんじゃねえかッ。ウーア、緊急事態だぞうッ」
階下で巨漢の大盾隊長も合点する。
「北門近くで敵襲だあ、てめえらぁあああ」
美声が響き渡り、そこに近くの半鐘ががんがん重なる。
「西の鐘楼の奴らは、何でわかんなかったんだぁ?」
小首をかしげつつ、ウーディクはすちゃと背の大弓を下ろし、一矢をつがえた。
ぎりっと引き絞り……たあああん。ぐわあああああん!
遥か高みにある西の鐘楼にかけてあった半鐘。そこにウーディクの矢が命中して、城じゅう高らかに危急を知らせる。
『……うめえもんだなす』
とぼけた顔で踵を返すウーディクの後ろに浮いて、パグシーは感心した。メインのいる東の丘へと引き返しながら、やっぱあいつをはたいといて正解だった、と思う。
・ ・ ・ ・ ・
「……。最終段階。最後の一矢を放ったら、直ちに撤退。まっすぐグラーニャ様のもとを目指せ」
丘の頂上、再び激しく炎の屋根が燃え盛り始めたのを見て、ばら色の首布を巻いた銀髪の女は低く、しかしはっきりと言った。
「はいっ」
射撃兵たちが答え、理術士がすっと女を見て頷いた。
「てまえども、ゆくぞ」
女は静かに駆け出した。その後ろに二人が続く、どちらも女である。先頭の女と同じ、ぴしりとした濃灰色のつなぎを着ている、首の巻布はそれぞれ空色、芥子色だ。
丘の麓の霧の手前まで走り込んできた、若い女ふたりはさっと互いに両手を繋ぎ合わせる。銀髪の女はそこへどっと踏み込む、……とうんっ!
高く高く跳躍して霧を越えた女は、その向こう側へと着地した。猫のような身のこなし、すぐに起き上がって頂上を目指す。
「……」
こういうことをする年齢ではない、わかっているがどうでもよかった。
自分にしかできないこととして、この最後の仕事を任せてくれた主君にして夫が、誇らしく思えて仕方がない。彼は自分を信じてくれたのだ!
音もたてずに頂上へとたどり着く。倒れた巨石と天幕の向こう、変な形にこんもり丸くなった樹のようなものがある。その下側にぎらぎら輝く、金と赤のまだら模様のけもの! 一緒に黒髪の男がいる!
女は全力で走った。
樹のようなものが、ぶうんと枝をぶつけようとしてくる、難なくかわす。
大きな犬のようなけものも、牙をむいて飛び掛かってきた、軽々とよける。
ぷさッッ……!
中腰で立ちかけて、驚く暇もなかったような、その男の喉もとに短剣を突き立てた。
何をどうしても助からない傷を、こしらえてやった。
男の見開かれた瞳に向けて、彼女は素早く呟く。
「任務完了」
ばしーんっっっ。
強烈な枝のしなりの一撃が、女を思いっ切り弾いた。
ウセルの“家人”は、それで霧女の包囲の外へ、遠く遠く飛ばされ、落ちた所で満足気に絶命した。
それを見て立ち尽くすメインは、喉元に刺さったままの短剣の柄をぐっと握る。
すぽん、抜いた。血は出ない。
しゅしゅしゅしゅ……。その姿が揺らいで、節くれだった丸太のような、しみしみかさかさの老婆に変わる。老婆は小花模様の青い割烹着を着ている、その前掛け部分で、短剣をきれいに拭いた。
『……ジェラ婆ちゃん、そんなん要らんねっがら。捨てちまいな』
ひゅーっとやってきたパグシーが言う。
「ひええええ」
ヴァンカの樹の根本部分、ぱこっとうろが開いて、本物のメインが顔を出した。
「暗殺者がお婆ちゃん! どうなってんの、マグ・イーレ!?」
『“取り換え子”頼んどいで、ほんに良がっだなす。メイン!』
「ありがとう、ジェラ婆ちゃーん」
布帽子の内側で、介護妖精はにこっとしわしわ笑顔を作った。再びふわりとメインの姿を取ると、天幕の中に入って行った。自分の出番が来るまでは、通常勤務をする気でいる。つまりお掃除及びおまる処理、何と言う仕事人気質!
『ちょっとぉ、矢の攻撃がとまったわぁああ!?』
真上でプーカがどなっている。めらめら炎の翼には、もう焦げ付く矢もないらしい。
『あーっ。お城から、ぞろぞろ傭兵達も出てきたぁッ』
よしッ、メインは頷いた。このまま、襲撃者たちが尻尾を巻いて逃げ帰ってくれればいい。
「母さん、さっきの暗殺お婆ちゃんも、場外ぶち抜きにしてくれたんだよね?」
こくっ、幹からはみ出たヴァンカの人間部分はうなづいて、親指を立てた。海の方を指している。
――よーし。近くで殺していないのだから、あいつの刺激にはならなかったはずだ。
≪おもしろーい。のう≫
ささやかな希望をぶち壊すように、声が響いた。
ずずずずず…… わずかに地面が揺れ、周辺の景色が揺らめく。
にゅううううっ。
天幕の辺りから、赤い頭が盛り出してきて、止まる。
「……」
慌てて天幕から飛び出して来たジェラ婆ちゃん、本物のメイン、ヴァンカ、……あまたの精霊たちにじいっと見つめられて、赤い巨人はしばらく動かなかった。
相変わらず、仮面じみた顔。そこだけで水棲馬三頭分くらいのでかさである。
ぱたり……。
ジェラ婆ちゃんが気を失って倒れた。妖精の中にも、気の弱いひとというのは時々いたりする。
口を開けず、唇を動かさず、巨人は言った。
≪……なぜ、しずまる?≫
は? 全員が怪訝そうな顔をした。
≪我がせっかく身じたく終えて、顔出したとたんに、戦いが終わるというのはけしからん≫
一同、顔すじを立てる。
――こちとら必死なんだ!
――見せもんでねえどッ。
――寝起きわるいの他人のせいにするやつッ。千年寝とけちゅうねんあほうッ。
≪……まあ、いいか。今日はこれから、長いしの……≫
ぬうー……。
赤い巨人はさらに上へと上昇してゆく。首環をはめた喉元、骨ばってうすい鎖骨、赤い衣に包まれた肩…禍々しい姿が、どんどんあらわになってゆく。
「えーと、ちょっと待って?」
平静を装って、メインは呼びかける。
「ちょっとうるさいやつらが来ていたけど、ご覧の通り帰っちゃったし。そばで死んだ者もいないようだよ、起きて損する運勢の一日となるでしょう。もう一度土に還って、寝直した方がいいんじゃない?」
巨人はぴたっと上昇をやめて、メインを見下ろした。
「えーと……。まだうすら寒いし、湿気高いし、晴れたら花粉もぶんぶん飛んでくるかも? 人間達も平和ぼけして、戦う気なんて実際なしだよ。寝直した方が、本ッ当お得だと、思うんだけどなぁー」
脇汗を感じつつ、メインは語り続ける。
ぱち……。巨大な双眸が、瞬きをした。
≪いや? 闘気むんむん感じるぞ?≫
す、巨人は顎をしゃくったらしい。一同はその方向、西を見た。
が――――ん!
『何じゃこりゃあああッッッ』
西側湿地帯の向こう、点々と細長ーい軍旗がたなびいている……!
≪馬と人がいっぱい居るぞ。旗もいろいろじゃ。黄色に黒に、青と紫……我の赤もある≫
『ぎゃひーッッ! イリー諸国勢ぞろいでないのッ』
「混成軍だ……! 一体いつの間に、こんなに膨れ上がったんだ?」
目を丸くして驚愕するメインと精霊たちには悪いが、実はけっこう前から混成軍は増強集結していた。
それまで広く浅く継続してかけられていた、マグ・イーレの理術士たちの≪かくれみの≫の術が、彼らの暗殺作戦随行によって薄まり、解けたというだけなのである。
≪テルポシエの、ぬしの軍も出とるし≫
くる、巨人は今度は城の方向を見る。
「いやー、ただの牽制! あれは、はったりなの! 戦う気なんて全然、全ー然ないのッ」
蒼ざめつつ弁解するメインの横で、パグシーはまた緑色になった。はたいて呼び出すんじゃ、なかったぁあ!
≪さらに……右手遠方にみえますのは……≫
すちゃ、赤い袖を揺らして巨人は北を示した。
≪ぬしを裏切った、別の軍であろうがの≫
メインと精霊たちは目を凝らしたが、何にも見えない。
「ええと、その辺全然わからないし、見えないので。良かったら詳しく説明して?」
こうなったら時間稼ぎだぁ、と思いつつメインは聞いてみる。
≪ん~~と……。ぬしの治める男どもの黒い一団ではあるが、ぬしを信じず、頭とも思うておらぬ奴らのかたまりじゃ。けさ、そやつらが争うて、我を呼び出した者の血を流した≫
「……それで起きたって言うのかい?」
――不穏分子が、エリンを傷つけた!?
メインは内心で動揺する。
――そんな、北にはパスクアもギルダフもいるはずじゃないか! どうして!?
≪めざましは鮮血のかおり≫
「そんな北のことなんて。きみの領域の外でしょう? 何かの間違いじゃないかな、勘違いは誰にだってあるよー」
≪まちがいない。十年前に名指しで我を叩き起こした、人間のめすじゃ。争うて、傷ついて、血を流し続けとる。その血が流れきって、そやつが死ぬまで、我はもりもり暴れられるのじゃ、むふー≫
――エリン。エリン、……どうしちゃったんだい!
「えーと……。でもその人が死んだら、きみどうなるの?」
≪それはあれじゃ、……はて? どうなるんだったかの、……≫
『ええぞ、メイン! そのまんま、はてな方向さ話を向げで、気ぃ逸らすんだッ』
≪んーと……。そこんところで、あの小娘がひょいっと入れば、我はふたたびおねんね直行じゃ。嫌じゃのう……。今回せっかく小娘抜きでいられるのだから、何とかこのまんまでいたいものじゃの≫
「小娘って、誰のこと?」
≪ちっさいくせにもじゃもじゃ毛深い、黒くて小生意気なあやつじゃ≫
「いや、知らないし。誰?」
≪知らんのか? ……ああ、そうか。ぬしはイリー人ではなかったな、ブリガンティアの娘の息子≫
「違うよ。テルポシエの女の人ってこと?」
イリーの女性はあんまり毛深くないぞ、とメインは思う。
≪人間ではない。ちなみに精霊でもないぞよ。生まれは全然ちがうが、まあ我と同類じゃ。ほんっと小憎らしい、なんであんなのの下に置かれなければいかんのか……。思い出したら、昔しでかしたことの後悔でむかついてきたぞ≫
「……深呼吸して、六つ数えません?」
≪はーっ、そうであった。せっかく起きて、やっぱりあやつは留守なのじゃ。これを機に、我はきゃつの管理下を抜け出そうではないか!≫
白い仮面のような顔をぴかっと光らして、巨人は巨大な口の両端を上げた。
≪ようしッ≫
巨人は再び上昇を始めた。ぬううッ、銀色に光る両手鍋が地表をつき出て現れる。腰にさげた、渦巻き文様の飾り帯がぐうんと出現する。
ぐぐぐ……巨人は今、丘の上に直立した。見上げるメインの首が痛い。にゅるるん、まとめた頭髪の先っちょ、蛇の頭がふるふるっと震えて、舌なめずりをする。
≪めざせ、独立!≫
晴れやかな調子で、巨大な女は言った。
≪まずは昔の過ちの修正。イリーの人間どもをすっきり一掃してから、こしゃくな実体を切り捨てて、本来の我に戻ろう! ありのー、ままのー!! 殺戮の女神として、破滅の先に新世界を創生しようではないか≫
「おっそろしいことを、はりきって言うなッッ」
失神しそうになるのを振り払うつもりで、メインは叫んだ。
ふっ! 巨人はメインを見下ろす。
≪ぬしはうたたねの間、ずいぶんうまく食わせてくれたしな、見逃してやろう。ぬしの子孫が、大いに殖えるとよいな!≫
すっ……! メインは突然、全身が軽くなったのを感じて愕然とする。
≪ぬしを丘に繋いでおいた鎖を外した。どこへとも行ってしまえ、その先で子をたんまりもうけよ≫
「……」
≪いつか我が滅ぼしにゆくまで、栄えるがよい。太母ブリガンティアは、守ってくれるかな? ひ、ひひひひ≫
ぐるり……巨人は頭をめぐらす。
≪さー。どこからこわすか……。手あたりしだい、と言うからには、いちばん近く手の届くところから、かのう≫
・ ・ ・ ・ ・
がりっ。
全てを聞いている声音の魔術師ディンジー・ダフィルは、藍色布の下に手をやって、しなびた根っこを噛んだ。辛ッッ。
「あの……ディンジーさん。私の目にすら、丘の上の赤いなにかが見えちゃってますが……ん? 何たべたんです」
その隣、つば広帽子の下から、怪訝そうな顔でランダルが問うた。
「しょうが。吐き気酔い止めに、絶大な効果があります」
今回は、大事なとこで吐きたくない森の賢者である。




