226 東の丘の最終決戦12:丘の上のメイン暗殺
「……」
赤い女神の笑い声を聞いた後も、メインはじいっと巨石の上で横になったまま、耳を澄ましていた。
むくり、起き上がる。よろよろと座り直した。
赤い巨人と対話することは、時々あった。夜間“熱”を吸われる際、たまに少しだけやり取りする。基本巨人は眠っているのだけど、かの女の“夢”がメインの熱を取り、なにごとかを囁いてゆくのだった。旧い時代の色々を、断片的に投げつけられる。
せめて何かを知ってやれ、とメインは理解を試みる。けれど結局激痛にまけて、話された内容を憶えて次の朝に持ち越すのは難しかった。
さっき届いたあの声は、そういう“夢”の声ではない。十年前、丘へ入る前の巨人から発された言葉と同じだった。かの女は、起きたのだ。
誰かが近くで血を流したのか、あるいは争いがあったのかと思う。
確かに昨日から、微かな殺意を感じてはいた。でも具体的には何もわからない。市内からなのか、道の先からなのか……。
朝方、一人でやってきたケリーにそのことは話してある。パスクアとギルダフは北へ行っていると言うから、タリエクとウーア、ウーディクに市周辺警備に注意するよう、伝えてもらった。
――おかしいな……。
前回のマグ・イーレ奇襲で懲りていたから、メインは精霊たちに頼んで、オーラン国境あたりを飛んでもらった。けれど怪しげな気配というのは特にないし、オーラン側で駐在しているイリー混成軍が増えてる、なんてわけでもない。海の娘たちも、シエ湾近辺に不審な船団なんぞいない、と言う。
それでも、妙な殺意はちりちり感じる。テルポシエが……と言うより、自分のいるこの丘が、殺意の標的になったのだろうか? 伝えられる情勢を見る限り、周辺諸国は赤い巨人をメインの精霊なのだと思っている、ゆえに手を出せずにいる。
――気付かれたのかな。俺こそ巨人に捕まっちゃって、よれよれだってこと……。
ぱき、ぱきぱきぱき……。
「うげ」
人間のものでない、別の殺意が、足元深くから漂い出す。
「これは……ちょっと、困った事態かも……」
ジェブがすういと寄ってきて、メインはその背にすがった。
『丘の上なら、ぐるぐる移動できるぞ。ちゃんとしがみつかないと、また首根っこかんで、仔猫ちゃん仕様でつれてくぞう』
「うん……」
赤と金のまだら模様、ジェブの毛並みに両手をはわせた時。
『来たど――ッッッ』
『ヴァンカぁぁぁッッ』
両脇のパグシーとプーカが、大声で叫んだ。
瞬時、丘のてっぺんの大きな樫の木、緑樹の女・ヴァンカが枝を広げて、ジェブごとメインを包み隠す。
きぃぁあああああ!!
絡み合った葉枝の繭の中で、メインは母の叫びを聞く。
すと!
彼の足元すぐ近くに、矢が落ちた。
すと、すと、すとととッ!
きぃああ、きぃああああ!!
苦しそうなヴァンカの痛叫はとまらない。厚く茂る枝を梢を、鈍く白く光る矢が、次々に貫通してくる!
「母さんッ、……何でっ!?」
『何じゃああ、こんなもーんッッ』
プーカは羽ばたいて高く飛び上がると、矢の飛んでくる方向にむかって、両翼からの炎を広げた。
『うーむッ、霧女どんの包囲の外がら、てっぺん目掛げで長距離攻撃がぁッ』
いも虫流星号に乗るパグシーは、頂上付近上空を素早くぐるっとひと回りしてから、プーカの側に浮いた。
『だげんちも、俺の結界ん中さはもう、射られんべ!』
空中、ふわふわっと金の糸がそこかしこに漂う。パグシーはただちに不可侵の領域をつくったのだ!
ぶぶぶぶ、ぶーん!!
くまんばちの羽音のようなすさまじい音をたてて、数十の矢が飛んでくる!
『しゃらくせぇええッ、燃やし尽くしたるわぁあッッ』
性格まで豹変させて、巨大な炎の翼を広げるプーカ、……しかし!
ぷしぷしぷし、ぷししっ。
『ぎぃああああああ!! いだ、いだいだだだぁ、なーにーこれっっ!?』
全ての矢はプーカの炎の翼に埋まり、食い込み、穴を開ける!
『ふあーっ!? んだどぉッ、なして人間の矢が精霊の体さ刺さんだぁ!?』
次の波状攻撃が来た!
パグシーは藪にらみの瞳を見開く、くるみ色の顔が、さーっと緑色に変わる!
『結界、効かんでねぇがぁーッッ』
自分の領域に次々に入り込んで来る矢を必死によけつつ、パグシーは絶叫した。
『えらいこっちゃ! ただの軍とかではないわッ』
直接攻撃に切り替えて、炎の翼をぶん回すことでどうにか矢を弾き始めたプーカだが、全身に焦りをみなぎらせている。
『理術士!! あいつらが、何ぞ術をかけてるんよッ』
・ ・ ・ ・ ・
「たぶん効いてる。どんどんどんどん、撃ってまえ」
四人の射手を三列に並べ、休みなく中弓の連射を重ねさせながら、その女性は平たく言っている。
「いま逃がしたら、あとはないぞな」
丘の麓、道沿いの樹々の茂みの中から、ありったけの矢を射ている。
「うちの殿様への、さいごのご奉公かの」
きゅっとひっつめた銀髪のした、きつい眼光を宿した目が鋭く丘を見据えている。
「ほれ、あなたもきばって」
脇にいる理術士に声をかける。彼はけものの形をかたどった玻璃じこみのかぶり物の下、顔を真っ赤にして詠唱を続けている。手にした杖の先、聖樹の枝のこぶから白い光がらんらんとあふれ出て、次々に射手のつがえる鏃に宿っていく。
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ 高みより高みより いざ集え 集い来たりて 我らが鏃にやどれ 我らが敵を 薄闇の眷族を貫く 光の矢となれ……」
女の首元で、ばら色の巻布がゆらりとそよぐ。
向こう側にあるテルポシエ墓所、そして東側の森からも、同様の射撃が丘のてっぺんを攻め続ける。そこでも理術士と射手たちとが、首布を揺らめかす“ウセルの家人”達に励まされていた。
理術士たちは隊全体に姿くらましの術≪かくれみの≫をかけていたから、通り過ぎるエノ傭兵がいたとしても、彼らの目に留まることはない。もちろん、テルポシエの城壁からも感知されるわけがないのだ。
・ ・ ・ ・ ・
きぃあ、ああああ……!!
ジェブと、その体の下のメインとをかばって、緑樹の女ヴァンカは理術の矢を受け続ける。硬く絡めた枝の鎧の中にも、ずんずんと鋭い鏃が突き刺さる。その数があまりに多すぎる。
「母さんッ」
――だめだ、こんなに傷つけられたんでは、いくら精霊だって弱って死んでしまう!
≪ふふふふー≫
大地の奥深くから、含み笑いが聞こえる。面白がっているのだろうか。
メインは歯を噛みしめた。こんな攻撃のできるのは理術士……つまり、マグ・イーレのやつらだ。とうとう弱点をつかれた、巨人の出る前に理術で精霊を封じ、自分を抹殺するつもりなのだ!
――タリエク、ウーア、ウーディク! 何とか気付いてくれないかな!?
おんなじことを、丘上空のパグシーも考えていた。
『ほうだ、ちょっくら城の方さ行っで、あんのでっかい兄貴の甥っ子頭でもはだいで来んべか、ない? 気付いて援軍まわしでくれっぺした!』
『いいやー! 見えるんは飛んでくる矢ばっかりで、撃ってるやつらが全然見えへんのよ!? うちらに見えん敵を、どーやって人間が見分けんのよッ』
『あ~~……』
ばしばしばしん! ぷりぷりぷりッ!
炎の翼と流星号のお尻のつので、精霊ふたりは必死に矢をはたいている。
緑の魔猫と芋虫乙女オード・ゴーグたちも出動している、でも体で弾いているだけだから、取りこぼす矢もたくさんだ。
ちょっと振り返って、プーカは丘のてっぺんを見る。
『ああっ、ヴァンカの体に、あんなに矢が立っちゃったようう!』
『このままでは、ヴァンカも危ね! メインが危ねぇえッ』
『ぬううううう、メインんんん!』
『死なせんがらなぁぁぁ!』
ふたりが悲壮に力んだ、そこへ。
♪ ……我が疾きますらお いとおしき英雄……
甘くて軽い風が吹いた。そろうりと吹いて、プーカとパグシー、いも虫流星号の体をなぜる。
『おっ?』
『はれッ』
何かなめらかなものに包まれた気がして、精霊たちは戸惑った。
♪ 我が疾きますらお いとおしき勇者
『なに、これ……』
全然わからない、けれど体じゅうに力が湧いてくる。
『ふああッッ』
プーカは思い切り、炎の翼を振り払ってみた。
そこに突っ込んで来た矢が、……ばちッ! めらめらめら……!
『あッ!? 何やしらんけど、効いとるやんッ』
ばさばさ、めらめらッ。
『うおら――ッッッ』
プーカは自分にできる最大限の広さに、翼を広げる。
パグシーといも虫流星号、緑の魔猫たちとオード・ゴーグらはその下、三方から放たれる無数の矢が、じゅわっと燃え尽きて落ちてゆくのを見上げている。
『おおおおー!!』
プーカのあかい体に、蜂蜜色の優しい光が積もっている。パグシーにも、流星号にも、緑の魔猫とオード・ゴーグにも。
ヴァンカはふうっと顔を上げて、自分の体、樫の木の枝々に刺さった矢を、その降り積もる光が溶かしていくのを驚いて見ている。その中に守られていたジェブも、自分の毛並みにからむものに戸惑っていた。
『なに、これ……? ジェブは、しらないぞ』
さらにその下にいるメインは、ヴァンカの枝を通してさしこむ光を見つめている。
「歌、だよ」
♪ 深き睡りより今めざめよ はるかなる故郷へ
♪ かえり来たりて我が身にやどれ 再びともに戦わん
・ ・ ・ ・ ・
「……だいじな義弟を、殺されてたまるもんかい」
速足でイリー街道を駆ける、大きな雄馬。
ヴィヒルの後ろにしがみついて歌い続けていた“声音の魔女”は、右手の中の小さな素焼瓶をあおり、すばやく喉を潤した。
――確かにね、“歌”も“精霊”も、単体じゃ理術に敵わないわよ? けどね、そういうふたつが組めば、ね。
「心配いらないわよ、がんがんあたしが守るからッ」
アランは、隣を疾走する白馬の騎り手に向かってそう言うと、ぐうっと瓶を干す。
「行くぞう、二番ッッ」
街道脇の林に向かってぽーんと瓶を投げる、息を吸う!
≪ちょっと、ぽい捨てなんてやめてよねッ? 子どもたちに見せらんないじゃないッ≫
安定の常識派! でっかい夫がすかさずたしなめる!
「ぐうっ、ごめんなさい、もうしませんッ。ちなみに素焼だから即土に還るわよ! さらにちなみに、中身はお酒でなくって蜂蜜湯だからぁあッッ」
気を取り直して、アランは再び歌い始める。
♪ 我が疾きますらお いとおしき英雄
それで白馬を駆るイオナも、さっと前方を見る。右手にくらい青さを湛える海、白い道のずっと先にある、巨岩のようなテルポシエの城塞。赫い髪をなびかせて、メインの元へ彼女は駆ける。
・ ・ ・ ・ ・
その“歌”は、オーランの黒い塔に立つ“声音の魔術師”の元にも届いている。
はじめ彼は驚いた。
蒼い瞳をいっぱいに見開いて、イリー街道をぐうっと東に駆けてゆく、その歌い手の姿を“聞いて、見た”。
次いで、その歌が向けられた先で何をしているのかも、しっかり“聞いて、見た”。
地下から巨人の目覚めに脅かされているその儚げな存在は、彼の遠い姪の送った蜂蜜色の歌と、精霊たちとに守られて、マグ・イーレの暗殺攻撃をしのいでいる!
しばらく考えて、やがてディンジーは藍色の布の下でにっと笑った。
「……そうか。そう来るのかい、アラン」




