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海の挽歌  作者: 門戸
東の丘の最終決戦
225/256

225 東の丘の最終決戦11:世界の終末をあなたとともに

「えー。本日はみなさま、ご多忙のところをお集まりいただきまして。恐悦至極に存じます」



 てらっと禿げ上がった頭を振りつつ、マグ・イーレ唯一の古書店あるじのロランは、目の前の円卓に座る四名に笑顔を向けた。


 ぱちぱちぱちぱち……! 人数が少ないから拍手もささやかだが、室内には温かい雰囲気が満ちる。



「我らが『くろばね』、創刊四十周年を記念いたしまして。ここに、同人作家有志によりますお湯会、“世界の終末をあなたとともに”開催の運びとなりました!」



 ロランはくるっと、上席の老人を手で示す。



「開催場所をご提供くだすったサンダル・パントーフル先生に、心からの感謝を申し上げます」



 目立たない茄子紺色の、しかし上品な上衣をまとった老紳士は、はにかみながら皆の拍手に笑顔を返した。



「それではみなさま。今日は大いに、語り合いましょう」



 ロランが着席し、数人の女性給仕が芳しい香湯の杯を各自の前に置いて、円卓に和やかな湯気が漂った。



「それにしてもパントーフル先生、実に、実におみごとでしたよ、あの新作! 手に汗にぎるってやつですよ、『老人と湖』には脱帽いたしました」



 口火を切ったのは、パンダル・ササタベーナこと隠居中のマグ・イーレ王、ランダルである。



「わたくしも、パンダル先生と同意見です! 漁師のおじいさんが湖上で水棲馬と死闘を繰り広げるだなんて、どうやったらそんなお話を思いつけるのでしょう!」



 むきむきの巨体を糊のきいた麻衣にぴちっと包んで、目をきらきら輝かせているのは、フィングラスの楽器修繕職人ジアンマだ。



「いえ、実はあの話、ずうっと前に書いたものなんです。わたくしエノ軍に軟禁されてまして、自由に市内へもゆけず、散歩で庭に出るときすら防疫布をつけろと、しち面倒くさく監視される日々でしたから。鬱屈した思いを晴らしたくって、お話の中で大暴れしてみたのです。いわば、八つ当たり物語なのですよ」



 美しい発音の正イリー語で答える、茄子紺衣の筆名サンダル・パントーフルは、前オーラン元首のルニエ老公である。



「ようやく引退して、時間ができましたもので。手直しをして、提出さしていただきました」


「これからも、先生の心躍る冒険劇を拝読したいです!」



 ひょろりとした男が、ゆのみを手に破顔した。



「ゲール君、きみに再会できてほんと嬉しいですよ。今日は、よくお店休めたね?」


「僕こそ、皆さんにお会いできるこの機会、逃したら一生後悔するって思ったんです。駅馬とばしてすぐ来れる距離ですしね……! 店主にはむこう一年、店のお手洗い掃除とごみ出しを担当すると交渉してきましたから、大丈夫です!」



 奥さんと喧嘩した後の罰みたいだ、じゃなくて相変わらず店員に黒い態度の店だな! と内心でロランは震え上がった。執筆陣の中でも一番若い、疲れた顔のゲール君は、ガーティンローの大手書店“キノピーノ”の手代なのである。



「そ、そう……。ゲール君の新作も良かったねえ、破滅の容赦なさに、どんどん磨きがかかってきているよ。今回、終わりがちょっとぼかしてあったけど、さすがに主人公は生き残ったのよね? あれ……」



 尊敬するパンダルに話を向けられて、手代はますます嬉しそうに笑った。



「まさか、パンダル先生~! まっさらに全消滅、破滅ですよー!」



 すてきな笑顔だ……。頼むから、作品の外では破滅しないでね! とランダルは願う。


 オーラン宮から続く遊歩道のどんづまり、ずんぐり黒い石積み塔の上階。ひろい窓からはシエ湾が一望できる。曇り空の下、風もない穏やかな日であった。



「あの……すみません」



 そっと入って来た女性給仕が、ランダルに囁いた。



「屋上のお連れ様たちが、お話があると仰ってます」



 和やかな顔をさっと引っ込め、ランダルは席を立つ。



「失礼……」



 つば広の毛織地帽子をかぶりながら、足早に螺旋階段を上った。


 出た所で、はば広の義娘が待ち構えていた。



「お義父とうさん」



 ティルムン訛りのはな声で、キュリは言った。



「やっぱ、間違いないらしいですよ。確実に起き出してる、言うてディンジーさん」


「……」



 塔のてっぺんからシエ湾を、テルポシエを向いて立っている“声音こわねの魔術師”の背中にむかって、ランダルは声をかけた。



「……まだ、姿は見えないのですか?」



 ディンジーは振り返った。藍色の布が、口元を覆っている。



「そうね。寝起き悪いとみえて、ゆっくり二度寝かましつつ、でも起きちゃってる」


「駐在軍の本部に、連絡入れましょう」


「今さっき、オー君が行きました」



 キュリの言うオー君とはすなわち彼女の夫、オーレイ医師のことである。次男はそのまま医療部について従軍だろうな、とランダルは思った。



「……エノ首領に、計画がばれていたのでしょうか?」



 ディンジーの横に立ち、帽子の下からランダルは目線でも問う。



「メインは何か感じていたのかもね。けれどそれとはまた別に……誰かが近くで、また血を流したんじゃないのかな」


「……」



 灰色の雲が低く流れる、白い空の下。ランダルはきれいに刈り揃えたあごひげをゆがめて、唇を引き結んだ。


 メインの暗殺計画準備は、着々と進められていた。オーランに本部を置いたイリー混成軍、そこに少しずつマグ・イーレから精鋭騎士を送りいれて、エノ首領殺害後の市内攻略、あるいは“赤い巨人”再出現の事態に備えての、迎撃態勢をとっていたのである。


 グラーニャはゲーツとキルスを従えて詰めている。ランダルはもう居ても立ってもいられなくなった。丁度同人誌『くろばね』の記念会があるのを良いことに、オーランにて成り行きを見守れぬものかと思案した。特別顧問ではあるが戦力には入っていないディンジー、医師の夫オーレイについては行きたいが義母にあんまりよく思われていないキュリを誘って、この地に滞在していた。


 ニアヴはもちろん良い顔をしなかった、しかし騎士団の後ろ側にいる形なんだからまあいいか……と折れてくれて、“危なくなったらすぐ帰還”の約束のもと、こっそり出発したのである。



――危なくなって……と言うか、赤い巨人が出ちゃったら、もうイリー都市国家のどこにいたって安全じゃあないのですけど、ね。



 しかし。世界が終わるなら終わるで、全てを見届けたいと彼は強く願っていた。


 あるいは自分が直接巨人を、その戦いを目にすることで、何か知り得ることがひょっとしたらあるかもしれない、とも考えていた。そうした知識、経験の発見がロイとゾイ……マグ・イーレの未来の糧になるのであれば、何としてでも掴み取らなければならない。



――今回は従軍作家、パンダル・ササタベーナなのですッ!



「あなたの言う“希望”を、私も信じます」



 ランダルは、静かにディンジーを見て言った。見返すディンジーの蒼い双眸にも、かげりはない。


 恐らく自分にも、黒羽の女神を見ることはできない。けれど、声音の魔術師がとうとう邂逅できたというその小さくて優しい存在を、ランダルは心から信じようと思っていた。



――あなたを信じて、待ちます。黒羽の女神さま。



 芽吹き始めた春の草が、灰色の風景の中に淡くみどりの色彩を放っている。


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