224 東の丘の最終決戦10:泣き叫ぶ子宮
「姫母ちゃんに、会ったのかッ」
白鳥四きょうだいにいらくさを食べさせながら、フィオナとローナンにいきさつを聞いたナイアルは、またしても目をひんむいた。
「会ったよ。いいと思ったよ」
「わたしも」
「そうかそうかッ」
全然計画にも予定にもない成り行きではあるが……。ナイアルの一番の危惧のひとつが氷解して、心の底で彼はちょっとだけ安堵する。
フィオナとイオナのかみ合いの悪さは、時々訪ねるだけのナイアルだってようく知っている。そこに加えて、オルウェンがエリンを悪く思い始めたら正直たまんねえぞ、と恐れていたのだ。
『ほんと、ごめんなさい。力が足りなくって、ローナンの本当のお母ちゃん、取りこぼしちゃった……』
白いはちまきをつけた首をがくんとうつむけて、ナイアルの膝に乗っかった弟白鳥が言う。
『イオナお母ちゃんの言う通りだったよ。俺たちもっと、筋肉つけなきゃいけなかったんだ』
アンリの膝上の弟白鳥も言った。橙色のはちまきのついたその頭を、料理人が優しく撫でてやり、慈しみのこもった声をかける。
「仕方がなかったんだよ。こんなに華奢で、味もまずい君たちなんだもの」
先ほどアンリに、この種の白鳥はこないだ焼いたごま白鳥と違って食べられないやつですよと囁かれていたため、喧嘩を売られない限りはこちらから威嚇するのもやめといてやろう、とビセンテは思っている。
馬車は満杯だから、白鳥たちは人間達の膝上に座るしかなかった。ビセンテは自分の膝上に視線を落とす、他の三羽よりひと回り小さいこやつはめすらしい。乾燥いらくさをもしゃもしゃやっているその頭と目が合った。
ぱちぱちん! 小首を傾げつつ、長いまつ毛をしばたたいて、ヌアラは喧嘩を売らずにこびを売った。厳密には彼女は精霊ではない。美形ずき、めんくい女の子なのである。
「過ぎてしまったことは仕方がない。お前ら二人が捕まらんかっただけ、良しとしよう」
「でもナイアル、どうやってお姫さまを奪回するんだい?」
御者台からイスタが声をかけた。
『あの……あのね、ナイアル。ローナンのほんとのお母ちゃん、怪我をしたかもしれないよ』
ヌアラが言いにくそうに、そうっと告げた。
「はあッッ!?」
『ぶうんと飛んできた長い棒みたいなのがお腹に当たって、そいで落ちちゃったんだ。誰かが受け止めたようだけれど……あとはあたし達、急いで雲に入ったから、わからない』
「何ということをぉぉッッ、許すまじエノ軍ッッ」
焼きたてぱん顔を真っ赤にして、料理人は怒りをほとばしらせる。
ビセンテも、三白眼をぎろーりと光らした。
ダンは、緑色のはちまきを頭につけた膝上の白鳥に気を取られている。そろそろ、お婆ちゃんの枕の中身を取り換えようと思っていた今日この頃。四羽から、どのくらい羽毛ってとれるのだろう? 枕ひとつ以上、二つ分は余裕でとれるんじゃないか。なら、もう一つはお姫さまに進呈するかな。そうしよう。
「……旧軍の第二監視拠点にいるのなら、市内からの補強の来る前に奪回した方がいいだろう」
自分なりの着地点をまとめたところで、本題に帰ってくる。久し振りに隊長らしいことを口にしたかもしれない。
「そっすね、大将。……なあ、どういうやつらがいたか、憶えてないか? 墨染上衣に革鎧の奴はひらの兵士だ。ちょっと変わった戦装束を着てたり、すんげえでっかい態度だったやつはいなかったか?」
ダンにうなづいてから、ナイアルは子ども達に問う。
「顔に痣のある、大っきい男の人がいた。黒い長めの上衣がさ、ちょっと俺みたいな袖なの」
ローナンは手をのばして見せる。青いふくろ外套の袖は、ちょうどももんがの飛膜のようだ。
大隊長格のあいつかな、と見当をつけてナイアルは神妙にうなづいた。さすが副長、城内のエリンに配達する際、ついでに嗅ぎまわっていたのだ。だいたいのエノ幹部は把握している! その横で純粋なる服飾的興味の観点から、隊長も神妙に目を細めている。いつか使えそうな袖構造だ、はやるかも!
「あと、ローナンのお父ちゃんらしい人」
がこッ!! フィオナの言葉に、ナイアルはあごが外れるかと思った。
「他の人にね、“パスクアさん”って呼ばれてたから、リフィの言ってたお父さんかと思ったんだけど。……違うのかなー」
「はげて、ひげが濃かったよね。後ろにひっついてた三つ編みだけ、白金だったけどね」
――そいつだぁぁッッ。
心中で叫びつつ、ナイアルは目尻をぴくぴく引きつらせた。
――旦那の奴がいながら、さらわれてぶっ叩かれただとう!?
「でも、荷馬車に三人のせられて出発した時は、その人いなかったよ」
「わたし達がもぐりこんでた商人たち連れて、穀倉地帯の方へ行ったとか聞いた」
「……そうか」
――じゃあもう、関係ねぇな?
「……どいつか近くにいる連中が、お姫の枯草のろしを見て取ったかもしれんがな。俺らもここで、草色のろしを上げるとするか」
「!」
「!!」
「!!!」
ダン、アンリ、イスタは、はっとしてナイアルを見る。ビセンテは、何も考えていない!
「大将。ちっと計画より早いが、売られた喧嘩をぶち返す時っすよ」
ダンはナイアルに、うなづいた。
・ ・ ・ ・ ・
さぎ塩商人から関税及び護衛料金を分捕った後、先行要員とノワとを連れて、パスクアはテルポシエ領内に入って来た。
「いつまで渋い顔してんだ。はげが進んじまうぞ? ぐふふ」
並んだ馬上から、ノワが言ってよこす。力なく睨みつけてから、パスクアは肩をすくめた。
「……髪がいっぱいあったうちに、別の女に乗り換えときゃよかったよ」
「それはお姫も同じであろうな。顔とけつのしぼむ前に、他の男と逃げる手もあった」
ぬはははは、おじさん先行要員は低く笑う。
「なぜ、そうせんかったのだろうな」
「……」
――ずうっと城に住んで、女王様を気取りたかったんでないの。
内心の声にすら、皮肉っぽさを入れずにいられない。
――追放されても行くとこないし、今さら市民の間に入っていくわけにも行かんかったのだろうな。……あー、乾物屋の“そっくり父ちゃん”とも、実は心を寄せ合ってたりして。それ以上だったりして。何だよ、結局はイリー人どうしで結託して、俺とエノ軍を陰で笑ってやがったのか……。ほんと、助けなきゃよかった。出会わなきゃ良かった……。
思い始めると、嫌な方向にしか考えが浮かばなくなる。もう知らん、知らねぇと自分に言い聞かせる。
第二監視拠点が見えた。林の中、こちらは厩舎に加えて人間用の掘立小屋が並んでいる。
「ちょっとー、パスクア君ー」
その戸口のあたりに佇んでいたギルダフが、声をかけてきた。
「子ども達に、逃げられちゃったよ! あの女の子も精霊使いだった、聞いてねえー」
「……」
「お姫さんも、逃げかけたから捕まえた。厩舎にいるよ」
「……ああ、そう」
言って、パスクアは小屋に入る。ノワがぴくりとして、厩舎の方に足を向けた。
・ ・ ・ ・ ・
空っぽの厩舎仕切りの中に、エリンは転がされていた。高いところの窓から入った光が、妙に明るい。
ついさっき、ぼんやりと気が付いた。同時に、腹痛をぎりぎりと感じ始める。
「うう……」
エリンは小さく呻いた。下腹が、ぎりぎり、きりきり……。締め上げられながら無理に内側から引き剥がされて行くような、重い痛み。
内股の間にじっとり、べったり不快感を感じる。
気を失っている間に粗相でもしてしまったのかと思う、震えながら肘をついて起き上がる。外套を持ち上げると、むっと血のにおいが流れた。
真っ黒い生地の袋股引を履いているから、見た目にはわからない。けれどその下にはいた木綿股引を湿らせているのは血だ、そうわかってぎょっとする。
ぎりぎり、きりきり……。
ああ、何なのだ、この痛み!?
耐えられず、再びエリンはくずおれて横になる。いたい、いたい、いたい!
思ううちに、惨めに涙がにじむ。
月のものが来る時期ではない。それに下腹痛にはよく悩まされているものの、ここまで強烈な痛みに揺さぶられたことはなかった。それもフィン医師に診てもらってから、少しずつ良くなってきていたのに。ふと、医師の乾いた笑顔を思い出す。
≪……量が多かったり、ずっと長引いて止まらないような場合は、直ちに言ってください≫
「……」
そうだ、さっき自分は宙で撃たれたのだった。下腹が内側で傷付いたに違いない。オルウェンは、フィオナは、無事に逃げられたろうか? エリンは震えながら丸くなる。子宮を……泣き叫ぶ子宮を抱くように。いたい、いたい、いたい……。
今日は外套を二枚重ねていた。兄のお下がり、毛織の生地が握りしめる指に触れる。内側に着た自分の外套、年末にダンがつけてくれた襟ぐりの毛皮が、いたわるようにエリンの頬を撫でる。それらの触感だけにすがって、エリンは震えながら呼吸を続ける。いたい……。
その厩舎仕切りの前、合流した相棒二人組は、低い囁き声で、しかし激しく話し続ける。
「坊主は、我関せずを決め込むつもりだ」
「あんなことがあっちゃあ、そうなるのも無理ないがな? しかしこのまんまでは、実にやばいぞ。ああやって痛がりながら、うめき続けとる。例の若い医者んとこへ運ばねば」
「出血しとるんか? 外傷みえんが」
「はらわたの内側なのだ、恐らく。ギルダフの戦闘棒の直撃だぞ? 打ち身で済むわけなかろう」
「それでは止血ってわけにもゆかんな……。いかん。お姫がいま死んだら、巨人はどうなる。謎の解けんまんまだと言うのに、再び暴れ出したら止めようがなくなるぞ」
エリンの巨人調査に一役買っていたウレフとノワだから、他のエノ軍幹部の知らない謎の一部についても知っている。ついでに、自分達なりの仮説まで立ててしまっていた。
「巨人を封印するには、やはりメインが死ぬしかないのだ。お姫はもうそのことに気付いとるが、わからないわからないと言い続けとる。メインを死なせたくないからだ」
「自分が丘の上で血を流して巨人を呼べば、自分のしもべとして使えることもわかっとる。だがそれをしないのは、俺らエノ軍を蹴散らして、再び主権を握ろうなんざ思ってはいないからだ」
「お姫は、日陰の人生を生きつつも、俺らと共存したいと思うとるのだ」
「色々とだんまりなのは、自分につきまとうテルポシエ王統のしがらみを、避けようとしてるからなのであって」
「つまり俺らにとっては、全く害のないやつなのだ」
「息子を外に出したのも、心配性の過保護すぎってだけかもしんねえぞ」
「子どもなんて簡単におっ死んじまうしなあ。毒殺されたりしたらたまんねえ」
「何にせよ、どうにか治してほんとのとこを話してもらわねえとなあ」
「俺らだけは、信じてやろうでねえか」
「んだな、何せしゅうと役なのだからな?」
ぐふ、小さく笑ってノワはぎょろッと目を回す。
「坊主のやつも、じきに頭を冷やすだろ。自然な関係修復に向けて、さりげなく手を貸してやろうではないか」
ぬふ、ウレフもとさかを揺らした。
「んだな。……そうだ、若い医者をここへこっそり連れてくりゃ良いのだ。ギルダフに進言してみよう」
「んだんだ、それが良かろ」
厩舎入り口、外側で耳を澄まして二人の話を聞いていた男は、それでにこっと笑って、音もなく歩み去る。




