223 東の丘の最終決戦9:子ども達と第十三遊撃隊
少し南に離れた森の外れ、四羽の白鳥たちはずさりと急降下して、フィオナとローナンを地面に降ろした。自分達も、べしゃっと地べたに転がる。
『ぎょへーッッ、疲れたぁぁぁ』
『ぜえはあ……』
『フィオナ、どうすんのッ。ローナンのほんとのお母ちゃん、悪いやつらに連れてかれちゃったよ!?』
草と苔の中に座り込んで、フィオナも荒く息をしながら震えている。
横を見れば、弟もぎりっときつい瞳、どこかを睨んでいる。
「おかあさんは、まっすぐ丘へ行けと言ったけど……」
歯を食いしばった。
「俺は、助けたいッ」
「わたしだって、助けたい。このまんま置いてけない。でも、さっきみたいに一緒に逃げるってことは無理っぽい」
『……フィオナ。ここからテルポシエまでは、まだ十愛里以上あるんだよ。馬の速足でだって一刻はかかる。あたしらが、あんた抱えてほんの半愛里しか飛べないことは、わかってるよね?』
「……わかってるよ、ヌアラ」
「おかあさんを助け出せたとしても、どうやって連れてけばいいのか、わからない」
「ナイアルを、探そう」
少女はすっと立った。
「リフィとお母さん達が追っかけてくるなら、どっちみち後ろから来る。わたし達は前に進んで、ナイアルに会おう」
「居場所知らないよ」
フィオナは街道の方、日の当たる森の際へ歩いて行った。ローナンもそれに続く。白鳥たちもぱたたっと羽ばたいて、ついてゆく。
「見なよ、あれ」
やってきた方向、北の空に薄く立ち昇る妙な色の煙。
「変な煙。たぶんあれ、エリンさんが焚火にこっそり入れたやつだ。ナイアルを呼んだんだと思う」
『何でわかるの?』
「ナイアルの外套もと生地と同じ、きったない枯草色してるじゃん?」
『そうかなーあ』
『びみょう~』
「……だから。このまま進めば、こっちに来るナイアルと会えるよ。さ、行こう」
街道には出ない、二人はそのまま道沿いの樹々の間を南に進み始めた。白鳥たちは、森の上空をゆるく飛んでいく。
馬、人、荷車、街道を通るものの気配を感じれば、すっと茂みに身を隠す。
「あれっ」
歩き始めてしばらくたった頃。大きな軍馬が二騎、南に向かって走って行った。
「いま過ぎていったの、エノ傭兵だ」
ローナンには、御していた男達の墨染上衣がしっかり見えた。
「さっきのやつらの仲間?」
街道ぞいに進んでいては、いくら森の中でもいずれ捕まってしまうかもしれない。遠回りになっても、少し外れた方がいいのだろうか、とフィオナは迷う。
『……ちょっとぉ、フィオナ』
しばらくして、ヌアラがばさりと降りてくる。
『この先に、黒っぽいやつらがうじゃうじゃ居るよ』
「街道上でしょ?」
『うんにゃ、森の中にもがさごそ入ってきてるよ。たぶんさっきの馬のやつらが、別の仲間を呼び出して、あんたらを捕まえようとしてるのよ』
「……!」
『後ろの方からも、人数は少ないけど、やっぱり黒っぽいやつらが追ってきているよ』
二人は足を止めた。
「挟まれたのかな」
ローナンが言う。
「困ったね、他に道を知らないんだし、あんまり街道を離れられないよ?」
「……皆に出てきてもらって、戦うしかないか」
フィオナは背にかけたものに触れる。巻き外套の内側、とねりこの樹の杖。
「行こう。ヌアラ、なるべく黒いやつらのいない方へ誘導して」
やや低めに飛ぶ白鳥たちを目印にしながら、二人は歩を進める。しかし、やがて空中の四羽はうろうろと旋回を始めた。
「囲まれた」
ローナンが呟いた。
がさ、がさがさッ。前方に二人、大人の気配が迫っている。がさッ、後ろにも一人。
「逃げんな、よぉー」
低く恐ろし気な声が、忍び寄ってくる。大きな楡の木の陰から、もそりと黒っぽい影が現れた!
ぽうッ、フィオナの頬が緑に光る。
その肩の上あたりに、白く光るたまご大の球が出現した。ひとつ、ふたつ、みっつ…
すうッ、少女はとねりこの杖を手にする、……杖じゃない。先が平べったい形に曲げられた、不可思議な棒。
ぱこぉん!
素早い動きで、フィオナは宙に浮かんだ球を打った。とねりこの棒に弾かれた光球は、ぎゅうん! と飛んで黒っぽい出で立ちの男のあごを直撃する。男はふわりとのけぞり、どさっと倒れた。
とーん!
ローナンも、背から下ろした短槍で、滑らかに次の光球を打つ。くるうっとそれは弧を描いて、樹々の間を飛んでゆき、後ろの方にいた別の傭兵の側頭部にぶっつかる。どさり。
ぱこんっっ。最後の光球をフィオナが叩き出して、ずうっと前の方にいた男のお腹にはまる。どしーん。
三つの光球はするーり、とフィオナの近くへ帰って来た。
「ありがとう、皆。行こう」
ちらり、と上を見る、ヌアラたちはまだぐるぐる旋回している。
地上に目を戻して、フィオナはぎくりとする。前方にまたふたり、三人、その後ろ……黒っぽい傭兵たちが、ちらほら木陰の後ろに!
「これはちょっと……多くない?」
ローナンが不安をにじませて言った。
「十人以上の気配があるよ」
「……」
まずいなあ、フィオナが口の中で舌打ちをした時。
とすとすッ、 軽く走る矢の音がして、一番前に迫っていた二人がばたばたッ、と倒れた。
「!!」
その後続の一人が、がばっと反応して山刀を構えた。
ばしんッッ! その刀が明後日の方向へ吹っ飛ぶ、いきなり視界に入って来たしみしみ柄のつむじ風みたいなものから、ぎゅぎゅんと長い脚が出て、がつんッ! 傭兵の首元へ刺さった。
ぎゅるるん! つむじ風は止まらない。すたりといったん着地したかと思うと、力強く跳躍して、八歩ほども後ろにいたやつの懐へ跳びこむ!
至近距離から鳩尾への猫足蹴り、ちんまり地味な見かけであっても、喰らうほうはたまったもんじゃない! 強烈すぎる濃厚な一撃!
「ぐはぁッッ」
傭兵は後ろへのけぞり、蔦のぐるぐるはびこった老木に後頭部をぶっつけて、くずおれた。
ぎりッ、つむじ風はフィオナとローナンの方を一瞬にらみつけてから、さらに前方へと走り込んで行った!
「かっけぇええええ! 何あれ、あの人! 良いじゃん、味方かなッ」
「あの、しみしみ迷彩柄の外套は……」
「そうーよ。俺っちよ」
にゅう! ふっとい腕が、後ろから二人を抱きしめた!
「あーッッ、ナイアルぅぅぅ!」
「来てくれた!!」
フィオナはナイアルの首っ玉に抱きついた、ローナンはお腹にしがみついた!
「来たぞう。さあ、街道へ走れッ」
樹々の根っこと苔に覆われた岩と飛び越しながら、二人は明るい方へ一目散に走った。そのすぐ後ろを追いながら、ナイアルは叫ぶ!
「餓鬼ども確保ーッッ! 撤退開始ーッッ、大将もういいっすよー!」
その声を聞いて、ビセンテのもう少し先で、三人の傭兵相手にやわらか八相受けを繰り返していたダンは、ほっこりと笑った。
すちゃっ、しゅしゅしゅ。大きく跳びすさると、取り出した長刀用の刃を素早く、長槍の石突に取り付けた。
くすり! 笑顔がとまらない!
ずんッ、ぶんッ、どッ。
楕円の軌跡が三つ、樹々を避ける形でうつくしく浮き出た。
「……」
改めてダンを囲みかけていた傭兵三人は、あれ? と違和感を感じる。何だろう、この清かなすかすか感……。
するりっ。と、とと、とッ。
三人の男達は首を落としてなくしてしまったことに気付かず、はてなはてなと思いながら、丘の向こうへ旅立って行った。
「大将が戦うとこ見ると、餓鬼はねしょんべんするようになるからねー!」
言いつつナイアルは、街道脇に待ち構えていた岬のお婆ちゃんの馬車に、子ども達をひょいひょい入れる。
「誰かさんは、経験があるだろうがッ」
「やめてよ、黒歴史ッッ」
御者台から森の中に向かい中弓を構えるイスタが、憤慨して言った。
「ようこそ坊ちゃん、お嬢ちゃんッッ」
びいいいんッ、一矢放った後に荷車へりに足をかけたアンリも、子ども二人を見て笑う。
「ごはんはお任せ! アンリですよー」
ひらり! 森から出てきたビセンテが、素早く右手の短槍をひと振り。足元の苔でささっと穂先をぬぐってから、馬車に飛び乗る。
子どもに血ぃ見せんじゃねえぞと前もってナイアルに言われていたから、これでも結構獣人は努力したのである。彼らの前では蹴り技ばかり、短槍を使いたいところでもぐっと我慢した。褒めてやって欲しい。
「あっ、さっきのかっけぇ人!」
ローナンは興奮して声を上げた。獣人は子ども二人をじろっと見ただけで、座り込んだ。
「この人は、ビセンテさんです! かみつきませんけど、あんまり近寄らないようにね!」
森の方向を向いて再び矢を中弓につがえながら、料理人は言った。
「大将ー! こっちー!」
ナイアルの声に引っこ抜かれるように、ダンが樹々の間から飛び出して来た。
その背後、追いかけて来たエノ傭兵の太腿に、ぱすッッ! アンリの矢が突き刺さる。そいつは勢いよく転んだ!
「ようし、お婆ちゃん。出してッ」
ばさっとダンの巨きな身体が車にかぶさり、馬車は走り出した。
がらがらがらッ。
後部座席、後ろ向きに小さく中弓を構えたままのアンリは、森から走り出て来たやつに照準を合わせかけて、はっとする。
――むむッ?
どどどどど、街道後ろの方から来る騎馬三騎に、その傭兵は手を振って合図をしているではないか!
「まずいッ、馬のやつらが来やがったか!」
子ども二人を両脇に押さえつけながら、前座席のナイアルも目をひん剥いた。
「くくく、この場合、馬を狙うのが定石というものです!」
ぎりっと弦を引き絞りながら言うアンリを、隣のビセンテは見上げた。料理人は舌なめずりをしている……その目! 獲物を狙う猛禽の目、いやそのまんま食材を狙う狩人の目である!
「ちょっと待った、アンリッッ」
いつの間にか御者を代わったイスタが、肩越しに叫んでいる。
へっ? ナイアルが振り返ると、お婆ちゃんがこちら向きに片足をかけてのり出し、右手に筒のようなものを振りかぶっているではないか。何をする気なんだ、お婆ちゃん!
すうーいっっ! ゆるくなめらかな動作、お婆ちゃんは右手を大きく振った! 筒の中から何か丸いものが、ふわぁんと飛んでゆく……。
ぼーん!!
馬車と追手騎馬の間で、枯草色の大爆発が起こった!
「すげええええ!!」
お子さま二人の大興奮の声が重なる。
「つか、何それえええ!?」
知らなかった副長の声も引きつる。
ふんッ! 鼻息を一つ、ダンと顔を見合わせて力強くうなづくと、お婆ちゃんはくるっと御者の位置に戻る。さすが怒涛のミサキ、自衛策だって抜かりない!
「……クマホコリダケに色を付けて詰めた煙幕玉だから」
口角を上げて、ダンがぼそりと言う。
「向こうはしばらく、視界が取れない……」
ビセンテは後方へ、ぐっと目をこらしてみた。しかし後に残して来た道は、ほんとに枯草色の砂埃みたいなものが厚くもやもやして、追手の姿も見えない。
「くくく、馬たちも爆発音で大混乱です。さくらちゃんたちは、命拾いをしました……」
するっと前向き、座席内におさまりながらアンリも言った。
ダンは大満足である。もともとお婆ちゃんは煙幕玉を使っていたが、灰の代わりにクマホコリダケを入れて改良したのは彼である。幼少時にさんざん遊んだ爆発きのこ……。こんな利用法を考えつくのって俺だけだよねと、ちょっと自画自賛している。イリー世界の西にもう一人、このきのこを多用しているこがらな人物がいることを、彼は知る由もない。
馬車はすさまじい勢いで、細い横道へ入っていく。
「この先の、ややこしい湖沼地帯でまけるッ」
迷いのないイスタの声、ああ何という安心感! 一度通れば、全部の道と風景を憶えてしまうのだ。
しばらく進んでから、イスタは馬たちの足を緩める。森間の小径。ビセンテの耳と毛先は、もう追手の気配を感じない。ナイアルに向かって、うなづいた。うなづき返して、副長は両脇の子どもたちを交互に見る。
「……何で、二人っきりでここに居るんだ。お前ら」
「ナイアルはどうして、わたし達がここにいるってわかったの?」
「あんだけ目立つ目印がありゃあ……」
くい、と上を見る。
四羽の白鳥が、まうえ上空を羽ばたいてゆっくり飛んでいる。ああそうか、とフィオナは合点した。
「おい、アンリ。非常持ち出し弁当箱の中に、乾燥いらくさ入ってんだろうな?」
「あー、ありますよ。ほんと誰得なんだか、わけわかんないままに入れてます」
料理人は、背後の包みをぽんと叩く。
「よし、出してくれ。おーいヌアラー、降りてきなー」
ナイアルは上に向かって、呼びかけた。




