221 東の丘の最終決戦7:親の事情と子の事情
両手に粥椀を持って、厩舎の中に入ってゆく。
「……ごはんですよ。ここで食べる?」
仕切りの中、敷き藁に座っていた子ども二人は、エリンに向かってうなづいた。
二つの椀をそれぞれに渡すと、後ろについてきたウレフがエリンの分の椀を差し出してから、フィオナに向かって言った。
「父ちゃんのいるテルポシエまでは、まだ馬でもう一息あんだよ。よく噛んで、ゆっくり食ってから、出発するからな」
「わかった」
ここは殊勝に頷いて、赫毛の娘は答える。ウレフは出てゆき、仕切りの中に三人となる。
「わたしも一緒に、食べていいかしら」
少年と少女は、同時にうなづく。
「……ちょっと、薄暗いけど……」
間を取り持つために出たエリンの言葉に、きょろきょろっとフィオナは周囲を見渡したらしい。厩舎の出口には傭兵ふたりが見張りに立っているが、すぐ近くというわけではない。
「いいかな」
娘が言って、ふわっと周囲が明るくなった。びっくりして、エリンはお椀を取り落としそうになる。
フィオナの頭の横に、もわもわっと優しく輝く光源があった。それに照らされて、娘の頬に深緑色の文様がうすく浮いているのが見える。
「……メインの文様と、同じね。あなたも精霊たちと、仲がいいの?」
フィオナは、エリンをじっと見て、そして笑った。さっき、じろりときつく睨んできたのと、だいぶ違う目だ。
「そうだよ」
椀に口をつける、それで三人ともうすい杣麦の粥をすすった。
食べながら、エリンは二人を見る。空腹だったらしい、夢中で噛みたべている。
オルウェンは、これまでナイアルの話を聞きながら想像してきた姿とは違っていた。パスクアの面影はない。小さい頃の兄のようでもなくて、ひたすら自分に似ている少年。とても不思議だった。
「おいしかったぁ」
「お腹いっぱい」
二人はほぼ同時に、満足気な声を上げた。なぜかそれに、安堵感をおぼえてエリンは言った。
「……蜂蜜飴があるの。たべる?」
きらん! 姉弟はやはり同時に、顔を輝かす。
――お姫さま。お子さま方の心をつかみたい時はやはり、甘いものの魔力を使うのが、一番手っ取り早いのです……ふふふ……。
エリンの脳裏の片隅で、料理人の焼きたてぱん顔が不敵に笑う。
気付け用にいつも持っている飴の小包をひらいて差し出しながら、エリンは問うた。
「さっきも言ったけど、わたしはエリンね。フィオナちゃんと、……どう呼んだらいいのかな。ローナン君? オルウェン君?」
「俺、どっちの名前も好きなんだぁ」
ぱくんと飴を頬に含んで、少年は言った。
「わたしとお母さんはローナンって言ってるけど、リフィはオルウェンって呼ぶしね。エリンさんがつけたんでしょう、オルウェンって言うの?」
こちらもぱこぱこ口中で飴を転がしつつ、フィオナも言う。だいぶ年相応の表情になってきた。
「ええ」
「じゃあ、オルウェンじゃない? 俺はあなたのこと、おかあさんって呼ぼう」
「だね。“お母ちゃん”と区別した方がいいよね」
イオナのことだな、と思いつつエリンはちょっとくすぐったい。ずいぶんすんなり呼んでくれた。
「この飴、おいしいな。ナイアルがくれるやつと、同じ味がするよ」
「そうよ、これもナイアル君のお店で買ったんだもの」
エリンは微笑んだ。
「俺、ナイアルのこと、だーい好きなんだ」
「わたしも」
競うように、二人は言う。
「いつだって、すてきなものを袋にいっぱい詰めて、“ようー”って来てくれるんだ」
「楽しい話をたくさんしてくれる。うちのお母さんと違って、難しいこともわかるまで説明してくれる。答えのない話でも、一緒に考えて答えを探してくれる!」
「字もうまいしね!」
「キヴァン語は、下手っぴだけどさ」
ふふふふふ、二人は笑った。エリンも笑う。
「おかあさんの話はリフィもしてくれるけど、ナイアルがたくさん話してくれた。だから聞いて考えてたのと、おんなじだったよ」
「そうなの……?」
数刻来、あんまり怒涛のようにものごとが起きているけれど、この瞬間エリンは手放しに嬉しかった。
「うん。そいでね、俺、ひょっとしてナイアルが実のお父さんなんだったら、すんげぇ良いなーって、いつも思ってたんだけど」
がくッッ!!
座った姿勢から、エリンは前向き思い切りつんのめった。
「それは、ないわー!」
「だよね、やっぱ違う」
鼻息を抜きながら、フィオナが言った。
「それじゃあやっぱり、さっきの山賊ひげのおじさんかぁー。腰に長い鎖さげてたし」
オルウェンは外套を持ち上げて、自分の腰につるした鎖をエリンに見せた。
「これ、後で返さないといけないよね」
「……どうして?」
「これね、もともと“パスクアさん”のなんだって。お母ちゃんがフィオナ抱っこしてテルポシエのお城出てきた時、高いところから降りるのに使えるッ! って思って“はいしゃく”したんだって。実のお父さんの武器だから、いつか会ったらお返ししなさいって、リフィが」
「そ、そうだったの……」
「リフィはさあ、“パスクアさん”って言うのはエノの人だけど、見かけイリーの王子さまにしか見えない金ぴかのかっちょいいお兄さんって言ってたのに。さっきのおじさん、全然違うよね? 誰か別の人と、勘違いしてたのかなあ」
小首を傾げるフィオナに、エリンは何も言えなかった。無理やり気を取り直して、問うてみる。
「ええと……。あのね、さっき二人だけで出てきたと言ったわね。イオナさんやリフィは、もちろんこのこと知らないのね?」
「知らないと思うけど、ばれちゃってるだろうね。追っかけてきてるかも」
「フィオナのおじちゃんと、おばちゃんもたぶん来るなー」
「ええ?」
「お母さんは、二人はずうっと前に死んだと思ってたんだけど、実は生きてて最近会いに来てくれたんだ。それもナイアルが探し出して、アルティオの里に連れて来てくれたの。
おばちゃんがお母さんのこと説得して、次に一緒に皆でテルポシエに来ようってことになった。なのにさ、おばちゃん達がいったん帰ったら、お母さんてばまたうじうじ悩み出して……!」
イオナが何故テルポシエを脱したのかは、ずうっと後になってからナイアルが聞き出して、知った。
「それでもう、本ッッ当にいやになっちゃって。お母さんと一緒にいたら、お父さんに会えないまんま、何もかも終わりになっちゃうかもって、怖くなった。だから、……」
少女は再び、怒りを思い出したらしい。けわしい顔になる。
「だからひとりで、お父さんを助けに来た。助けるって言っても、どうすればいいのかはわかんない。でもとにかく、会いに来た」
フィオナの瞳は燃えていた。
「お父さんのこと、大好きなのね」
力強く、少女はうなづく。
「でもフィオナちゃん、ちょっと不思議なんだけど? お母さんに連れ出された時、あなたは赤ちゃんだったでしょう。お父さんのこと、憶えてるの?」
子どもの記憶って、一番早くても二つか三つか、そのくらいに“もの心がついて”残るものじゃなかったっけか、とエリンは思う。
「うん、皆そういう風に聞くんだけど、わたしは憶えてる。お母さんのお腹の中、卵へ入った辺りから、全部」
「すごいのね!」
エリンは素直に感嘆した。こまっしゃくれた挑発の態度はいまや完全に抜けていて、フィオナは真面目そのもので自分に話している。嘘や見栄はりなんかではない、と直感できた。
「俺はぜーんぜん、おぼえてないよう!」
オルウェンが合いの手を入れる。
「だから、お父さんのことはばっちり憶えてるの。精霊たちと一緒におむつ替えてくれたり、一緒に昼寝したり、抱っこされたこととか。歌とか。……」
娘は下を向いて、肩を震わせた。
「何でお母さんがお父さんを残してお城を出たのか、一応わかる。ナイアルが話してくれたし、エリンさんがローナンをお母さんとリフィに預けた理由も、わかる。お母さんもあなたも、わたし達が安全なところで大きくなって欲しかった。ちがう?」
ちろり、白い眼で問われてエリンはうなづいた。
「そうよ」
「だから、……お母さんの事情ってやつ、わかってはいるんだ。でも、……でも。そしたら、わたしの事情は、どうなっちゃうの?」
フィオナの瞳はどんどん輝きを増して、――そうしてつるん、ぽろん、大きな涙がこぼれた。
「……っ。ナイアルの話が、だんだんよくわかるように、なってきて……。このままじゃお父さん、赤い巨人に殺されちゃうんじゃない! そんなのは、嫌だよ。わたしの。……わたしの、お父さんなのに!」
エリンはこらえ切れなくなった。ぶるぶる震える小さな体を、抱きしめた。姉の横に寄って手を背にかけようとしていた息子も、一緒に抱きしめた。
「……もう、あと一歩よ。フィオナちゃん、一緒に丘の上のお父さんのところへ、行きましょう」
娘は顔を上げた。身を離して、エリンは手巾で涙と鼻水を拭ってやる。
「実はわたし、お父さんのところへごはんを届けに行っているのよ。確かにお父さんは巨人に囚われて大変だけど、あなたを見ればぐうっと元気になるわ」
フィオナの顔があかくなってゆく。
「うん、だからそうやって、あなたはお父さんを助けられる」
「おかあさん、フィオナのお父ちゃんの居場所わかる?」
オルウェンはひそひそ声だ。
「ええ。テルポシエ市に入るすぐ手前の、東の丘のてっぺんにおうちがあるの。丘は精霊の霧に守られているから、わたしのようになじみのある人がいないと、入れてくれないけれど……」
「お願い、一緒に来てくれる?」
期待に満ちた瞳で、フィオナが言った。
「ええ、もちろん。一緒に行きましょう。あっ、二人とも、道中ではナイアル君のことを話しちゃだめよ」
「うん」
「わかった」
エリンは素早く、考えを巡らせる。
フィオナをメインに会わせるのは、誰にとっても問題にならないだろう。後を追ってイオナが来たとしても、三人一緒に丘の上で過ごせばいい。精霊たちがこの家族を守るだろうし、メインは大いに喜ぶはずだ。
けれど、問題はオルウェンである。パスクアと、ここに居合わせた先行要員たち、ギルダフ配下に知られてしまった以上、もうその存在を秘密にしておくことはできない。どうにかして別の拠点に移さなければいけないが、以降追われる身になるのは必然だろう。
今こそ、ナイアルと“第十三”の皆の助けが要る。城に入れるとややこしくなるから、……そうだ、ナイアルにつなぐまで“紅てがら”で匿ってもらえるように頼もう。あるいはクレアの“みつ蜂”で。いや、メインの丘に自分ともども避難することもできよう。
「おーい。そろそろ、行くぞう」
ウレフの声がして、フィオナの精霊の光がふいと消えた。
「はあい」
エリンは立ちあがる。フィオナは三つの椀を重ねて持つと、空いた手でエリンの手を握る。エリンは反対の手でオルウェンの手を握りしめて、ひょいと顔を出したのっぽのおじさんに、うなづいてみせた。
「行きましょう」
そのまま、外に出る。
焚火の側を通りかけて、エリンは立ち止まった。
「ああ、ちょっと、ごめんなさい。ごみくずを捨てたいの」
肩掛け小鞄の中から丸まった布を取り出して、火にくべる。燃えさしの木ぎれを使って、それをぐうっと奥深く押し込む。
「何だ?」
脇で火にあたっていたギルダフの配下らしいのが、不思議そうにエリンを見た。
「……鼻をかんだごみなんだもの。人に見られちゃ、恥ずかしいわ」
きまり悪げに言い訳するエリンに、その男はぶぷっ、と噴き出して首を振った。
「さ、乗んな」
ウレフに示されて、三人は軍馬につないだ小さな荷車に乗り込む。エリンを挟む形で、子ども達が両脇に座った。
「荷馬車、あったのね」
御者台に座る男に、エリンは声をかける。
「まー、分捕り品……物資運搬用に、準備してあるからな」
「行こうかい」
巨大な雄馬の上からギルダフが言って、一隊は出発した。
エリンは周囲を見回す。先頭にギルダフ、後ろにその副長の老人……久し振りに見た気がする、お名前なんと言うのだったかしら……ああ、マリューだ。その後ろ、荷馬車の前に黒馬にまたがったウレフ。肩越しに見ると、ギルダフ配下が三人。
「……先行隊長とノワさんは、市に帰還しないのかしら?」
「ああ、さぎ塩の連中をさきに解放したからな、そいつらについてった。次の里に入るまでの警護」
答える御者役の傭兵も、ギルダフ配下である。
――ほんとの本当に、怒っちゃったのね、パスクア。
無理もないな、とさみしく思った。これだけ長く自分の都合で振り回してきたのだ。潮時、もう解放してあげなければいけない。
――好きになっちゃって。ごめんね、パスクア。




