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海の挽歌  作者: 門戸
東の丘の最終決戦
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218 東の丘の最終決戦4:ひげそり会話

「ほんとなのかい。西から連れて来られた子どもが、北に売られてるって」



 おなじみ、横倒しになった巨石の上に座って、丘の上のメインは言った。



「誰に聞いたんだよ」



 ぞりぞりぞり。メインの首をかみそりで剃り上げながら、パスクアは聞き返す。



「エリンが言ってた。フィングラスの田舎からさらわれた子が、穀倉地帯へ送られてるって」


「それがせ・・だよ。もうちっと、むこう向け」



 ぞりぞりぞり……。



「ようし、できたぁ。刷毛はけ


『あいよ』



 パグシーが差し出したそれで、ぱたぱたメインの顔をはたく。



『やわらか軟膏よ』



 プーカがぱかっとふたを開けた、小さな壺の中身を両手のひらにのばして、青っぽい顎と喉の周りにべたくら塗ってやる。



『うめえなっし。やるでねぇが、パー』


『久し振りに、つるつるのメインになったわぁ』


「若返ったろうが」



 パスクアは、ふふんと反り返り気味に笑う。会心の出来だ。


 年よりじみて見える髭をきれいに落として、柔らかく笑うメイン、……とは言えやはり、それなりに年は食った。


 赤い巨人の束縛がなければ、たぶんもっともっと若く見えるに違いない。落ち窪んだ目にげっそりこけた頬、いつだって蒼ざめて血色の悪い肌。それでもここの所、ずいぶんと調子は良いらしい。



「さっきの話な。実際いろんな所でちらほら噂になってるけど、とんでもないほら・・だ。うちの軍が、その人身売買業者の味方について警護してる、とか言うんだぞ? それこそマグ・イーレあたりが、俺らに因縁ふっかけようと流してんじゃねえのか」



 かみそりをきれいに拭いて巨石脇の湯鍋に浸しつつ、パスクアは話す。



「かくれて関わってるやつなんか、いないんだろうね」


「いるわけねえだろ。北の街道は、ギルダフがあれだけまめに、監視拠点に出向いてがんがん圧をかけてるんだ。十年前みたいに、不穏分子が湧き出る隙なんてない。俺らが受け取るのは、しごーく真っ当な食糧運搬業者のぴんはねよ……くくく」


『パーのやつ、悪いこというのが板についてきたやん。はげひげ効果で、どこからどう見ても山賊おじさんよ、お父ちゃんそっくし』


『いんや、おどうのほうがだいぶん上品で、大人だったぞい。こいつは年々と品落どす一方、まんづ、みっだぐね』


「うるせえよ、その辺」



 プーカとパグシーをやわらかーく制しておく、精霊あいてだもの。



「こないだ、ファダンから親書来たろ? あの中でやんわり、北方街道の治安維持はどうなってんのよ、と聞いていたが。あれもがせ・・ねたに踊らされてたんだな。それこそ、親父ら以前の賊世代じゃあるまいし、エノ軍がいまどき奴隷売るかっつうの」



 パスクアやメイン、彼らの小さかった頃には、それはごくありふれたことだった。メイン自身が略奪の産物なのだし、島の砦にはいつだって“戦利品”の女性と子どもがうじゃうじゃしていたのだ。


 直接略奪されたのでなくても、脅かされてばかりの生活に耐えかねて故郷をあとにし、一路西を目指した人々も多かった。けれど東部系の難民をイリー諸国が受け入れることは少なくて、大部分は北部穀倉地帯へ向かい、そこで自覚のないまま奴隷労働力と化していったのである。



「……東部が空っぽになってしまったから。今度は西から人手をとろう、ということなのだろうね」


「となると、テルポシエからも当然いらっしゃいという方向になるんかな」


「……だめじゃないの、それ。将来的には、テルポシエ領辺境の村とかが狙われるかもしれないよ。そうなる前に先手打っときたいね」


「それこそ、でっかい赤なめくじの野郎に、国境でにらみをきかしてもらいたいもんだ」


野郎・・じゃないよ」


「呼び方どうでもいいよ、あんなおっかねえやつ」


「とりあえずさ、ギルダフと一緒にパスクア、北方街道の警戒なんとかして。エリンの話に出てきたのは山あいのブロール街道との接点だから、あの辺とくに」



 パスクアは口をひん曲げて、首を傾げる。



「あの辺りって、テルポシエ領じゃねえし。ファダンからまんま、穀倉地帯入ってるから」


「でも山々森々してて集落もないから、ファダンもうちも北も割とのさばれるんじゃん。パスクアのお父ちゃんは、あの辺をしま・・にしてたんじゃないの? そのあたりのゆかりで、まあ何とか見回ってみてよ。……ふうー」



 病人らしく、長く喋っていると最後には息切れになる。にしても言ってる中身は注文が大きい。



「……実際、子ども連れた仲介業者めっけたらどうすんだ?」


「こま切れにしちゃっていいよ。子どもはちゃんと保護して、テルポシエに連れ帰る。イリー街道から親もとへ送り返そう」


「めちゃめちゃ手間と金がかかるよ」


「そのくらいやらなきゃ、昔の世代の汚名ってそそげないのかもね」



 ぐへぇー、肩を落とすパスクアに、メインは笑いかけた。



「俺たち、賊とかじゃないもの。ちゃんと家つくって、うちのものを大事にする“テルポシエ人”なんだって。そういう所を外に見せる、良い機会になるかもしれないよ」


「……今、“テルポシエ人”っつったか」


「言ったよ。いつまでもエノ軍エノ軍って言い続けてるから、他のイリー諸国も白い目で見るんでない? ここらで自分たちの属性変えたって、別に良かないかな」


「……俺らは、イリー人ではないぞ」


「イリー人にしか見えなくって、エリン大好きなパスクアが言うのも、なんか変だよ」


『いーや、髪の金ぴか面積が減っちゃったから、パーは東部山賊おじさんにしか見えへんよ』


『しー、プーカどん。聞こえるど』


「そうかー、そうなのかもな」



 陥落占拠から早や十数年、テルポシエ旧貴族を排して市を居抜きでのっとったエノ軍は、イリー諸国の非難とは裏腹に、案外うまくこの国を切り盛りしている。


 兵士達の中にはイリー人の配偶者を得て離職し、市内外へ去っていく者も多かった。パスクアの頭の中、“みつ蜂”でクレアとお揃いの前掛けをしめて、忙しそうに立ち働く元予備役の姿が浮かぶ。



「エノ軍あらため、ひっくるめてー、のテルポシエ人ね。テルポシエに住んでるからテルポシエ人ね。うん、ものすんごい当たり前な感じだし、良いんでないの。ぜひともそうしよう」


「うむ、賛同してくれて王は嬉しいぞよ。なのでパスクア、ちゃっちゃと北へ通っておくれ」


「……へーい」


『まあ、パーや。ひとつ香湯こうゆでも、おのみ』



 すすす……、プーカが翼を燃え立たせて、湯のみを運んできた。薄荷はっかのいい匂いがする。



「何でそんな気をきかすんだよ、気持ち悪いな」



 言いつつ受け取った。メインはいも虫・流星号にのっかったパグシーから、湯のみをもらっている。



「子狩りのこと。……なんだか、ひとごとでないって、ちょっと焦っちゃってね」


「?」


「フィオナが捕まって、さらわれて、どこか遠くへ売られちゃったら、って想像すると狂いそうになるよ」



 パスクアはぴくりと眉を上げた。メインが娘のことを話すのは本当に久しぶりだった。



『実際は、じつのお母ちゃんにさらわれて、遠くさ行っぢまってるんだげんちもなあ。はぁ』


『ぐぅ。その辺じつにしぶい現実問題よ、あんまし深く突っ込まん方が良ぇよ、パグどん』


『はぁ』


『ぐぅ……』



 古参妖精ふたりのぼやきは放っておいて、パスクアは慎重に話を継いだ。



「……何か、わかったのか?」


「うん。伝えてくれる精霊がいてね、イリー世界越えてキヴァン領にいるんだって」



 パスクアは口を四角く開けた。



「遠ッッ! たっしゃにしてんの!?」


「うん。ふたりとも」



 ああそうか、パスクアは理解した。これを知ったから、メインは最近少し元気を出したのだ!



「良かったじゃねえかよ。うーん、でもキヴァン領じゃたよりも出せんよなぁ。詳しい在所がわかるんなら、俺が行ってイオナを説得してくるぞ?」


「無理だよ、パスクアじゃ。キヴァン語話せないし」


「いーや、傭兵仲介業者を雇ってだな、案内させて……。おっ、ついでに新しくキヴァン傭兵を仕入れるっつうのも有だよな!」


「俺の噂が知れてないといいけど……」



 メインの背後から緑の猫たちが顔を出して、にゃあんとパスクアにねこかぶりをした。いや実際にねこだ。



「でもさ、パスクアはとりあえず今は北を見張ってて。無事が知れたから、フィオナもイオナも……そのうち、ここに帰ってくるような、そんな気がするんだ」



――お前があんまし無事じゃないってことを向こうが知れば、すぐに帰る気になりそうなもんだがな……。


 友の妻、もと部下イオナがどうしてテルポシエを去ったのか、詳しい事情まで知っているパスクアとしては、本当にキヴァン領へ乗り込みたかった。


 げんに軍内の“浄化”は進んでいる。家族の仇と共同生活するなんてことはないのだから、イオナは安心して帰っていいのだ。というか間に合ううちにメインとよりを戻してやってくれ……。そう頼めば説得できる、とも思っていた。メインが赤い巨人に生命を吸いつくされ、丘の向こうに行ってしまう前に。



「そうだな。フィオナって今、いくつになるんだっけ」


「今年の秋に、十」


「でっかくなってるんだろうな。赤ん坊の頃からイオナにまる写しの子だったし、見たら即わかりそうだ……」



 メインはほのぼの笑っている。パスクアも笑って、そうして巨石からすたりと降りた。



「ほんじゃ、な。帰ってさっそく、ギルダフと話進めるし」


「うん、よろしく」


「お前ら、香湯ごちそうさん」


『うふふ、良いのよ……おゆのみちょうだい、洗っとくわ』



 プーカはあたたかい笑顔で、パスクアの手から空の杯を受け取る。かみそり洗ったお湯を、無駄にせずに済んでほんと良かった、と思っている。



 手を振って、パスクアは丘を下る。


 緑の道を行きつつ、自分とエリンのことをふうと考えていた。うしなった子のことも想った。


 あれからもう十年が経とうとしている、エリンが再びはらむことはなかった。一時よりもかなりましになったものの、骨の浮いたあの身体では無理もないのか、と感じる。ここ数年は子のこと、結婚のことを話すこともなくなって、ただ一緒にいるだけだ。


 陥落直後、けもの心のある多くの傭兵達は、うで卵のようなお姫様を隙あらばものにしようと思っていたはずだ。それが今は、貧弱な女に誰も見向きもしない。あんなのに、何で? 変わらずにエリンに固執しているパスクアを、かげで不思議に思っているやつも多いらしい。彼らの気持ちも、パスクアはわかる。わかった上で、彼女から離れようとは思わない。



――いいじゃん。生きててくれてんだから。



 お産の時、子の代わりにエリンが死んでいたら――……起こりえたこの仮定が、常に彼を揺さぶる。エリンが死んでいたら、……その先を想像できない。あまりに哀しすぎて、心を背ける。


 だからいいのだ。いま、エリンは生きて、まだ彼とともにいる。それで、いい。



――でも。二人とも生きててくれたら、もちろんそっちが良かったんだけど、ね。



 うしなった子の年齢を、ふと数えてみた。意味ないよなと思いつつ。



――今年の春で、九つになってたんだなあ。


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