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海の挽歌  作者: 門戸
空虚九年目 黒羽の女神と第十三遊撃隊
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214 空虚九年目20:ディンジーの提案

「……私たちのことを待っていた、再会できたと仰いましたが。私はあなたを存じません」



 廃屋の中、再びかき起こした火の前に座って、ミルドレはディンジーを見据える。



「そうね、顔つき合わせんのは初めてだよね。去年の夏にさ、ザイレーンの町に来てたんじゃない? その時歌ったの、届かなかったかな」



 ひょいひょい、古びて汚い炉の手前、慣れた仕草で火の大きさを調節しながらディンジーは言った。少ない焚き付けで見事に火をあやつっている。



『……あれ、あなただったの』



 ミルドレの横、こころもちくっつき過ぎる程間近に座って、女神は言った。何かあったら、即座に翼でミルドレを守れる距離。


 ふい、ディンジーはかの女を振り返る。



「何だよ。聞こえたんなら、こたえてくれりゃあ良いのに、いけずだな」


『……意味のわからない歌だったんだもの。こたえようがないわ』



 ディンジーは首をかしげる。



「そっか、そうだよね。 ×××××××?」


『……?』


「……?」



 アンリの謎言語以上にさっぱりわからない未知の言葉が、ふたりの聴覚に触れる。


 ディンジーは焚き付けを手放して、とすっと胡坐をかいた。



「俺は東部ブリージ系の生まれで、声音こわねの魔術師です。“声音の一族”の末裔なんだけど、知ってる?」



 一人と一柱は、首を横に振る。



「……ええとね。精霊使いと並んで、あっち方面の神様たちと住民の間を取り持つ役……祭祀なの。だからあんたのことも、知らないけど神さまのひとりなんかなーって思って、それで挨拶の歌をうたったんだ。俺たちのふるい言葉で」


『ああ、そうだったの』


「でもまぁ、俺も直接見たらわかったんだろうけどね。めんこいちゃん、あんた“黒羽の女神”さまでしょ? イリーの守護神の」


『そうよ』


「ブリージの言葉で歌いかけたって、そりゃわかんねぇわな。おくにって、沙漠のほうなの?」


『そうそう』


「何で、ちっさくなっちまったの?」


『……』


「ちょい前に出てきたテルポシエの“赤い巨人”、あれもあんたの一部だよね?」



 ぶんッ!! ――きぃぃんッッ!


 座った姿勢から短槍をまわして振り下ろしかけた、しかしそこについっっと強烈な痺れを感じて、ミルドレは目を見開く、黒く光る穂先はディンジーの顔の前で止まっていた。



――なにを、した? この男……!


声音こわねの魔術師あいてに不意打ちは、やーめてね」



 別段驚いた風もなく、ディンジーは言った。


 翼を広げたまま、女神もおろついた。


 からん、ミルドレの右手から短槍が落ちる。



「何をご存じなのですか、あなたは」



 低く冷たく、ミルドレが問う。



「いろいろ知ってます。知らなくって知りたいのは、どうやったらあの大怪物を鎮めて、イリー世界がぶっ壊れるのを止められるのか、ってこと」


『……あなたは、あの巨人を見たの?』


「見てないけど、聞いた。俺史上最悪の、超絶おっかねぇ声。でもそのおっかないのに紛れて、ちょっとだけフカフカやさしい感じも聞き取れた。巨人の中にある、大きい方のあんたの羽音だ。だから小さい方がザイレーンに来た時、すぐに気づいた。あんたらふたりにも、巨人の声は聞こえたんでないの?」



 ミルドレは女神を見た。



――この人はだいぶ本質的なところまで、知っているらしい……。ちょっと深めに、話して探ってみたらどうです? 黒羽ちゃん。


『ね、待ってディンジーさん。巨人の目覚めたのは、わたしもミルドレも聞いて知っているわ、耳がいいから。でもすぐに静かになったんじゃないの。あれは、再び眠りについたのよ?』



 マグ・イーレとテルポシエのエノ軍の間に小競り合いがあって、その頃合に巨人は出てきた。けれどどこの市民も村人も、巨人の話なんてしていないし、危ない野蛮人の軍も対イリー戦線を押し進めてきていない。一見きな臭さの落ち着いた世の中なのだ。



『イリー世界が壊れるだなんて、何でそんなこわいこと言うの』


「きれいな本、読んだよ」



 唐突な言い方に、女神は一瞬けむに巻かれた気になったが、ミルドレははっとした。



「……写本のことですか?」


『!! 「テアルの巻」を読んだの!?』


「そう。あれ作った人……画師のひとって、ちゃんとめんこいちゃん見えてたんだね」



 少し脇にそれて、ディンジーは内心でゲーツ君すっっげぇ、と感心していた。



「あの本の話が、教えるところによれば。正しい呼び方なら巨人は黒くて善いものになる、間違った呼び方だと赤いおっかない巨人になるんじゃない? 今回は間違ったやつが間違って呼んじまったものだから、赤いのよね」


『……』


「で、間違い直しをするためには、呼んだ本人が巨人に殺されないといかんのだよね」



 女神はうなづいた。



「殺されてしまったのでしょう? 今回呼び出した方は」



 ミルドレが低く問う。



「だったら良かったんだけどね」



 ひょい、とディンジーが肩をすくめる。



「どっちも生きてんのよ。まだ」


『……“どっちも”?』


「“まだ”……?」


「うん。結局のところね、俺もどいつが呼び出したか、までは確かでないのよ。けど一番有力なのが、テルポシエのお姫さま。次いで、エノ軍首領のメイン。ちなみにこの人は、俺とおんなしブリージ系で、精霊使いです」


『……!』


「あるいはこの二人が一緒になって、せーの、で仲良く呼び出したか」


『……なっ、ないわよ!? それは? じゃなくってエリン……エリン、あの子! まだテルポシエにいるの!?』


「いるよ。城ん中で一人でがんばって、女王様のつもりらしいよ」



 女神は両手で口を覆った。



「エノ軍幹部の代わりに書類をばりばり書いてやってて、そうしていまだテルポシエにはイリー王位が続いている、ゆえにイリー諸国からの武力干渉は許しませんと、無言で圧力かけてるんだとさ」


「何でそんなことを知ってるんです、あなたは?」



 ミルドレは尋ねた。市井に伝わらないはずの、機密級の話ではないか。



「耳が良すぎて、聞こえちゃうんだよね……。あと最近めっきり話を聞かないけれど、メインが生きているのも確か。よって、巨人の間違い直しは済んでいない。たぶんあの辺の大地深くにこもって、まどろんでいるだけでしょう。何らかのきっかけがあれば、即座にどかんと再登場する」


『……』



 もやもやと胸の中にわだかまっていた不安が現実になってしまって、女神は何を言ったらよいのかわからない。



「こういうこと、昔はなかったんだよね?」



 ディンジーの蒼い瞳に覗き込まれて、女神はうつむきかけた顔を上げた。



「沙漠のほうで、いくつも人間の文明を滅ぼしちまった時には、こういう休止状態はなかったんでしょう?」



 どきぃぃぃぃっっ! 女神はふるえ上がった。ずっとずっと封印していたふるい記憶、思い出さないように思い出さないように、心をそむけてきた事実!


 膝の上で握りしめた女神のこぶしが、白くなってゆく。



『……わかるの? どうして?』



 隣で、ミルドレが息を飲む。



「俺、“声音の魔術師”だからね。ほうぼうで話を聞いて集めて、……物語は生きものだから、それが俺の中で、俺に語ってくる。ティルムンで途切れ途切れに聞かせてもらった話がより合わさって、そういうのがわかった」


『……』


「巨人の声をきいた時、こりゃ俺らの世界ももうだめだな、っていうのがわかったよ。俺その時、この先の……キヴァン領ぎりぎりの村のあたりにいたんだけど。テルポシエのある東の端っこ部分だけ滅ぼして、それで終わりってわけじゃねえな、ってびびりまくったの」



 ディンジーは、女神に少しだけ顔を寄せる。



「めんこいちゃん。あの赤いでっかいやつは、エリン姫かメインを殺したとしても、……テルポシエを滅ぼしただけで、それで気が済むんかね?」



 女神も、じっとディンジーを見返した。



「イリー世界ぜんたい、喰っちまうんでねえのかい」



――その通り、なのよ。



 言ってしまったら、あるいはあごを少しだけ動かして肯定してしまえば、自分は楽になるだろうか。


 目の前の男は絶望するだろう。そして彼の後ろに存在する、全てのイリーの人々も。


 そうなのだ。いちど赤い巨人を呼び出してしまったら、ある程度その力を解放させなければ、封印に持ち込めない。


 思う存分殺戮と破壊を重ねさせて、その威力が衰えたところに“間違って呼び出した者”……本体は不当な鍵代かぎしろと呼んでいる、その人物の死が合わさってはじめて、黒羽の女神は大きな体の支配を自分の意思下に取り戻すことができるようになるのだ。


 遥か昔に戦って吸収した強大な原始の女神は、力源としては申し分なく大きい。けれど同時に、とんでもなく取り扱いにくいのである。


 今回は数十人を殺しただけですんなり眠った、おかしいなと思っていたら……やっぱり本当の封印はできていない! 次にうたた寝から目覚めた時は、間違いなくイリー人を根絶やしにしてしまうだろう!



『……あなたの言う通り。いま起こっていることは、全然わたしの経験にないの』



 ディンジーは静かにうなづいた。



『だから本当に、何がどうなっているのか……さっぱりわからないのよ。巨人が赤いまま眠っているということも、初めて知ったし』



 かの女は口ごもった。間があいた。



『それに今のわたしには、ほとんど力なんてない。巨人のことで、何ができるのかも、もうわからない』



 正しく呼び起こすことだって、できなかったのだ。



「めんこいちゃん。助けてくんねえかい」



 さらっと言われて、ちょっと拍子抜けする。



「次にやつが、赤いまんまで起きた時に、助けてくれ。何をどうしたらいいのかは、俺にも他のお偉い方にも、まだわかっちゃいないんだが……」


「かの女は、テルポシエを護ろうとしました」



 ここまであまり話してこなかったミルドレが、口を開いた。



「女神の姿を見ず、その声を聞かず、よって本心からは信じなくなった人々のために、全力を尽くしたんです。かの女を忘れ、必要としなくなった人間のために、どうしてまたかの女が羽をぼろぼろにしなければいけないのでしょうか」



 静かな声だったけれど、その底に怒りが淀んでいる事は女神にも、ディンジーにもわかった。


 声音の魔術師は、胡坐の膝に肘をのせ、両手のひらを組む。



「……それで、今はこの人を守ってんだね」



 蒼い双眸はやさしく笑んでいた。



『わたしがミルドレに、守られているのよ』



 女神は限られた力を使って騎士だけを守り、ミルドレは永遠の孤独から女神を守るために生をのばしている。


 守り守られる小さな範囲が全世界、そのごくごく周囲だけに目を向けている。



『あなたの神様たちは違うのでしょうけど。わたしはもう、女神って名乗るべきじゃないのかもしれないわ。そのくらい小さいの』



 もう認めよう、胸が震えた。



『わたし。もう、イリー世界を守ったり救ったり、できない』



 言ってしまった……。視線の向こう、ディンジーはやさしげな表情を変えなかった。



「……めんこいちゃん、本当に良いひとだね。俺んち方面の光々しい神さま方と全然違うわ」


『……』


「そういうのって有だと思うのね。俺も娘にすがって生きてるだけだし」


『……娘さん、いるの?』


「うん。色々ご大層なこと言ったけど、俺があなたたち探して巨人から助けてって頼むのとか、そういうの全部、狭ーい目的のためだから。あの子……うちの娘の生活を、守りたいっつうだけなの。実はその他、もう本――当に、ど――でも、どう――でもいい。世界の中心にある真髄は、俺のモティちゃん。あとは正直、ぜんぶおまけ」



 きりっと言い切った声音の魔術師、本気である。


 目をぱちぱち、瞬かせながら女神とミルドレは彼を見た。



「と、言うわけでね! めんこいちゃんが旦那大好きなことはよく分かったから。その旦那のいるイリーを、まあついでに何とか守ってやっか! くらいのかるーい気持ちで、さ。何かうまいこと思いついたりしたら、ここに連絡ちょうだい」



 くわ――ッッ、一挙に頬っぺたをあかくした女神を尻目に、ディンジーは脇に置いた麻袋からごそごそ何かを取り出す。布切れをミルドレに差し出した。



「フィングラス領コンシュ村三の七、モティ方:ディンジー・ダフィル……。 害虫害獣の安全な除去はおまかせ」



 読みながら、ミルドレは首をかしげる。



「下の文は何です?」


「あ、俺、本業が害虫駆除業者なの。色んな所飛び回って出張ばっかりしてるけど、娘が転送してくれるから、お便りは確実に届くよ!」


「はあ……」


「こう見えても、娘とその婿と、孫と、片思いだけど好きなひともちゃんといる堅い男だから。信頼してちょうだい」



 全然説得力がない。



「あとねー……若みえだけど今年、五十八になります」



――若ッッ! 実はこの三人の中で、一番年少だわディンジーさんッ!



 当たり前の事実ではあるけれど、改めて考えるとどうにもおかしい事象である! ふるふるっと震えつつ、絶対口には出せないわと思う女神であった!



「あと十五年くらいは、しゃくしゃくしてるつもりだから。ミルドレさん、修行したくなったら、いつでも言って」


「修行?」


「あなたねー、俺の同族だよ。どこかで東部系のご先祖いたでしょ? 素質保証の虹髪だし、自力で“歌”をちょっとあやつれるようになってるくらいなんだから。磨けば光るよ」


『何それッ』


「何ですかそれッ」


「いい二重唱ねえ。ほんとは長ーく地道な反復作業ばっかしやるんだけど。今は後継者不足だから、俺もその辺は柔軟に考えて、最短距離での習得を目指しましょう」


『ディンジーさんっ、あなたもミルドレも、わたしが見えて聞こえるっていうのは、やっぱりその辺が理由なの!? 東部の人たちには、わたしがみえるの!?』


「いーや。どこのくににも、見えないものは信じませんつう人は多いよ。俺はたまたま物語や歌や詩……そういう、“声”を信じて頼ってる男だから」



 にこっ、おじさんは笑った。



「だからめんこいちゃんを、信じて頼る」



 よ、とディンジーは立ち上がる。



「話してくれて、本当にありがとう。これで、おいとまするよ」



 壁の崩れ目から、ディンジーは声を上げた。




「かの子やー。かのちゃーん、お待たせー」



 とっとっと……月光に輝く草むらの中を、鹿毛の雌馬が駆け寄ってくる。


 その横っ面を大きな手のひらでぽんぽん叩いて、ディンジーは鞍をつけない背にとびのった。



「またね。黒羽の女神さま、ミルドレさん」



 こうしておじさんは、非常にかっこよく立ち去って行った。



♪ 鹿の子はなづら めんこいちゃん 俺は慣れてなくってね


♪ 手櫛たてがみ きもちええかい



 馬を励ましているらしいその歌声が、どんどん遠ざかって行った。



♪ いつか財産ぜんぶを失ったってぇ 俺は変わらず変わりもん、多分


♪ 酒もいいけど 俺の歌に酔ってねんねしな



 逆に、虫たちの密やかな合唱が、次第に夜のしじまに満ちてくる。



『……』



 廃屋の壁の崩れ目に立ち尽くして、黒羽の女神とミルドレは呆然と、ディンジーの去った方角を見ていた。



「色々知らされすぎて……ミルドレは頭がちりちりします」



 あなたは常時ちりちり髪でしょー、鉄板の返しもとっさに出ないほど、女神の頭もくらくらしている。ほんとに、今夜はたくさん知りすぎた。


 鼻歌が上の方から降りてくる、背中の翼の間から、ミルドレの両腕が女神の頭を抱きしめた。彼は、動揺を抑えきれない。



――あの人なら。私の“声”を、もっと高めることが出来ると言うのだろうか? より黒羽ちゃんに近い領域に、進むことができるのなら……! ぜひ、再会したいものですッ!



 草色外套の袖の中、女神も動揺を抑えたくって、ミルドレの手の甲をきゅっと両手で触る。



――本当に、すごいことばかり話されてしまったわ……。まゆ毛が左右いっぽんにまとまった人間なんて、わたしはじめて見たのに。天然なのか、がんばってそうしたのか、とうとう聞きそびれちゃった……。これはどうにかして、もう一度会わなくっては! ディンジーさん!






 イリー暦199年。テルポシエ空虚の九年間、さいごの年の夏であった。






こちらで「空虚九年目」の章は終了となります。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。明日から最終章に突入いたしますが、都合により一日三回、日本時間0時・8時・16時更新を予定しております。ぜひ最終回までお付き合いいただけますよう、心からお願い申し上げます!(門戸)

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