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海の挽歌  作者: 門戸
空虚九年目 黒羽の女神と第十三遊撃隊
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212 空虚九年目18:うに角獣の毛皮

「……あの。ミルドレさん」



 密猟業者の貯蔵庫を漁り、水に糧食、子ども達の座席に毛布を敷いて、と忙しく準備を済ましたところでアンリは言った。



「詳しいことは言えないのですが。……俺、いつか必ず、お店を開こうって決めてるんです。テルポシエに」


「……」


「あなたのおじい様に食べに来てもらいたいって、ずうっとずうっと思ってました。でも、おじい様は丘の向こうへ行ってしまわれて」


「ええ……」


「なので、ミルドレさん。あなたにお願いしたいんです。俺のお店、“金色のひまわり亭”ができたら、ぜひ食べに来てもらえませんか」


「!!」



 ミルドレは、蒼い双眸を輝かした。



「あなたにごちそうできる日をめざして、俺、がんばりますから」


「それじゃ遠慮なく、お腹を空かして行きましょう。……やはり南区ですか? ご実家のように?」


「ええ、そう考えてるんです」


「それじゃ……」



 ミルドレは隠しを探って、年季の入った赤い革の長財布を取り出した。小さくたたまれて、ぎちぎちに引っ付いた羊皮紙を引き出し、アンリに渡す。



「?」


「あなたに、差し上げます。価値があるかどうかは、今はちょっとわからないのですけど……。ナイアル君と一緒に読んでみて、もし役立つようだったら活用してください」



 にこり、と笑った。



「追放身分だから、行く時は偽名で、変装して行かなくちゃ。知らんやつだって叩き出しちゃ、いやですよ」


「あっ、それは大丈夫です。我々はですね、旧貴族身分ですとかエノとかの、」


「ず――――――」



 いきなり横から雑音が入った。ダンである。



「あ? この辺は伏せ情報? そうか、そうですね。ほんとすみませんミルドレさん、でも食べにいらして下さる時は、いろいろ大丈夫になってると思うので。安心して、楽しみにしてて下さい」


「??」



 騎士はのほほんと、小首を傾げた。



・ ・ ・ ・ ・



 からからから……。


 ブロール街道を西に向けて、荷馬車はゆるやかに走り出した。



「おたっしゃでー」



 ミルドレは御者台から肩越しに手を振る。荷台から子ども達も手を振った。


 かぶ柄の大型ふきんをぶんぶん振るアンリの巻き毛に、ぶちゅっ。



『わたしも楽しみにしてるわよ、ひまわりちゃん』



 無言で手を振るダンの剃髪頭に、ぶちゅっ。



『ミルドレの外套、また直してね! 大将』


「気を付けてねー!」



 朗らかに声を張り上げたイスタの、つやつやした黒髪にも、ぶちゅっ。



『みんなのこと、導いてあげてね』



 それぞれに祝福をあげてから、女神はふよんとビセンテの前に浮いた。



『アンリ君がぼやいてるの、聞いたわ。女性の敵と戦えないんなら、次回は頼むから全力で逃げてちょうだい。死んじゃだめよ、がっちり生きて。また、会おうね』



 ぎゅっと両腕を回して、ビセンテの胸辺りをかの女は抱きしめた。



――どこで会ったか、やっぱり思い出せなかった。でも何でかな、こんなに懐かしい気がするのは……。



 ぐぐぐ、ビセンテは顔を前に傾けた。結い上げた黒髪のてまえ、女神の頭に咲いている甘えんどうの匂いをちょっと嗅いだ。そうしてからつむじのあたりに、ぶちゅうっっと口づけた。


 びっくりして、女神は彼を見上げた。


 険の入っていないぶっちょう面、蒼い双眸がかの女を見ている。


 ビセンテはそのまんまの表情で、あごをしゃくった。荷馬車が遠ざかってゆくのを示してるのだ。


 とまどいながらかの女はふわりと浮いて、振り返りふりかえりながら、騎士の後を追って飛んでいった。



「羽ばばあ」



 親しみをこめた呟きは、横にいる三人にはもちろん聞こえない。



・ ・ ・ ・ ・



 すとん、御者台の隣に着地する。



「祝福してあげたんですね」


『ええ……』



――ビセンテ。わたしのことが見えた? 聞こえた? ……でもって、触れた?? あなたって。あなたって……。



 どきどきする。ミルドレにはいつ言おう? いや、下手に言ったら動悸炸裂でどこか悪くしてしまうかも。えーと……そうだ、“熱”の取り置きがいくつかできたら言ってみよう。あなた以外の男性に触られました、……怒るかな……いや、わたし悪くないわよ……もんもん……。



「騎士のおじちゃーん」


「しーッ、失礼だろ。騎士さまって言いなよ」



後ろの席から、子ども達の声がする。御者台のミルドレは軽く振り返った。



「あ、いいんですよ! おじいちゃんなんで。何でしょう?」


「ちょっとね、寒いの。脇の毛布、引っ掛けてもいい?」



 たしかに今朝は、ちょっと涼しすぎて肌寒い。風をいっぱい切って走る荷馬車に乗っていれば、なおさらだ。



「ええ、どうぞ。上衣の頭巾も、かぶったら?」


「そうする……あれっ」



 女神は振り向いて、ひょいと荷台に飛び移る。



「どうしました?」


「ずきんに、もこもこがついてるッ」


「あー、俺のにもー!」



 二人の脇に座った女神が見ると、本当だ! 毛織上衣の頭巾の襟ぐりに、白いもこもこ毛皮がついている!



『うに角獣こうんの毛皮……大将のしわざね? いったい、いつの間に』


「あはは、ほっぺた気持ちいーい」



 二人の子どもの顔まわりを、ぐるっと白いもこもこが取り巻いた。膝に毛布を掛けて、後ろから女神が大きくのばした片翼でくるむ。



「すごく、あったかくなったよ」


「よーし。それじゃあもう一つ、皆でお歌うたいましょうか」


「歌? なんで?」


「歌うとねえ、体の中からあったかくなるんですよ。……これは知ってるかなー?」



♪やみよのぷうか ありがたがられる


 夜なべぬいもの じいさまあかるい


 ひとくり ふたくり くりみっつ


 らんらんらららん たまごのこ



 ミルドレは歌い始めた。優しくって明るい、すてきな調子だった。



「知ってるよー!」



 つられて、少年たちもさえずり始める。誰もいない山の街道、何にも気にせず夢中で歌う。



♪ゆきよのぷうか だいじにされる


 ゆたんぽ あかんぼ ばあさまぬくい


 ひとくり ふたくり くりみっつ


 らんらんらららん たまごのこ



 ふふふ、あはは、……ところどころに笑い声が挟まる。



♪つきよのぷうか やくたたず


 さんぽしたらば 帰ってねよう


 ひとくり ふたくり……



「……」


「……」



 静かになった。



『うん、二人とも寝ちゃった』


「はい、止めますね」



 からからから、がたん。やっぱり誰もいない山間の街道、その真ん中で荷馬車は止まる。ミルドレも荷台に移って、少年たちを毛布でしっかりくるんだ。



「それじゃ、よろしくお願いします。迷子札の住所、確認したんですよね」


『ええ、ばっちり。それじゃあ、ミルドレはここをゆっくり進んでてね』


「いってらっしゃーい」



 ぶわっ、力強く羽ばたいて、子どもを一人ずつ両腕に抱いた女神は飛び立った。


 ぎゅーん! あっという間に、黒っぽい姿は小さな点になり、灰青色の空に消える。


 それを見送ってから、ミルドレはずんぐりとした馬の頭を撫でた。



「ちょっとちょっと。君まで眠くなっちゃあ、だめですよ」



 馬はとろーんとした眼をむけて、だるそうに頭を振り立てた。


 ほんのちょっとずつ、こういう芸当ができるようになっているミルドレである。


 自分の声が変なのか、歌と言うものにそもそも何かの力があるのか、あるいは単に黒羽ちゃんと一緒にいるからなのか、理由はわからない。



「じゃあ次はひとつ、元気が出るのを歌いましょうかねー……」



 御者台に座りかけて、ミルドレはふと気づいた。自分の草色外套の頭巾部分も、なんとなく感触が異なるではないか。



「何で、襟ぐりが膨らんで……? あららららッ」



 見慣れないぼたんを外してみると、何と! 内側の折り込みかくしから、うに角獣こうんの毛皮が出し入れできるようになっている!



「本当に、いつのまに!?」




・ ・ ・ ・ ・



 てくてくてく、小馬をひきひき迷わないイスタの足取りの後ろ、ダンとアンリ、ビセンテが続く。



「いいですねぇ、あったかいですねぇ。陽気のよい時には内側にしまっておける、という……。今回も実に機能的、お見事です。さすが隊長ッ」



 今日も焼きたて絶好調、芳ばしいぱんのようなアンリの顔が、うに角獣こうんの白い毛皮でぐるりと囲まれて、いつも以上にぴかぴかしている!


「ダン、俺とナイアルの外套にも、後でつけてくれるんだよね?」


「ビセンテさんまで、嬉しそうな顔しちゃってますよ」



 はたから見れば通常通りにぶすっと顔の獣人であるが、“うちのもの”には機嫌がよろしい、と知れるのである。ただ、どうして機嫌がよいのか、その理由について料理人の見当は外れていたけれども。もう、短槍を杖にしていない。


 ダンも両方の口角をちょっと上げている。賊どもの死体の始末の後、思いついちゃったものだから止まらなかった。どす黒いくまに縁どられた、充血みなぎるあかい眼……まさに死神!



「でもさあ、うに角獣こうんの毛皮って超高級なんでしょ? そんないいもの、俺らみたいなのがつけていたら、怪しまれないかな」


「うーん……。じゃあ人目につく場所では、内側にしまっとこうか。ま、イスタとナイアルさん以外は俺たち森や山にこもってばっかりだからね、気にすることないんじゃない!」



 ふ、ふふ……ダンは満足の含み笑いである。こわい。


 やり切った充足感があまりに心地よく、全身を支配している。



――完徹して、ほんと良かった!



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