206 空虚九年目12:山道の待ち伏せ
夏の陽がまだ少し残っているうちに、ミルドレとダン、ビセンテはくだんのブロール街道を見に行ってみた。
予想に反してずいぶんと幅があり、良い道である。
――徒歩でしか通れない山道、ってわけではないのか……。
長槍をぶん回しても何も問題ないとこだ、とダンは思う。
からからから、音が響くので樹々の合間に隠れてみていると、空の荷馬車を大きな農耕馬に引かせたじいさんが、そそくさと通って行った。それを見送って、ミルドレが言う。
「子どもを運ぶのなら、馬よりも荷馬車かもしれませんね」
ダンは頭をひねる。
「……一度に連れ去るのは、一人や二人程度ということです。大人の背に括り付ければ、一緒に馬に乗せられるのかもしれませんが」
果たしてそんなことってできるんかい、とダンは内心で訝しむ。
子どもの生態なんててんで知らないお直し職人、子連れ旅の煩雑事情を知る由もない。ま、いっか! いつも通りの見切り判断でビセンテを見た。
「前哨、頼んだぞ」
「……うす」
ビセンテは外套頭巾をかぶると、その辺に座り込んだ。
ミルドレが行きかけて、ほんのちょっと離れた所から振り返ると、彼の姿はもう周りの茂みに溶け込んでいて、全く見分けがつかなくなっていた。
――すごい、しみしみ柄の効果なんだなあ。
「あの、暗くなってからビセンテさん、業者ねぐらの方向大丈夫でしょうか?」
ふと気付いて、ダンに問うた。
「このくらいの距離であれば、大丈夫です。鼻と毛先の感覚で、帰ってこれます」
「ほうー」
全員が全員方向おんちではないらしい、ミルドレは安堵した。隣で女神が、もよもよ浮きつつ突っ込んでいる。
『いや、違うでしょ! 鼻はともかく、毛先って何なの!?』
・ ・ ・ ・ ・
密猟業者の小屋に戻ると、台所の炉の前に、白っぽい毛むくじゃらが転がっていた。倉庫で見つけたうに角獣の毛皮を引っかぶって、めし係が寝ているのである。寝られる時に寝ておくのは、“第十三”暗黙のきまりであった。
「自分も、今のうちに仮眠します」
アンリがちゃんと人数分出しておいてくれた毛皮を手に、隊長が言った。
「私は……」
『ミルドレ寝てて。わたし、少し先の方まで見回って来るから』
騎士は横目で、ちろッと女神を見やる。
『女神は、ねむらないのです』
「では。私も長椅子お借りします」
たまーに。たま――に……なのだが、体内時計が実年齢でうごく時がある。敵前で居眠りするのを避けるため、女神の言葉に甘えてミルドレは寝ておくことにする。
夏の星々が輝き始めた夜空、女神はぐうんと高めに飛翔してみた。
この辺りは嵐が行ってすぐ後に、フィングラスから乾いた空気が通っているから、雲もほとんどなくて見通しがかなり良い。黒ぐろとした山の中をうねうね走るブロール街道にそって、飛んでいく。
時々、ぽつぽつと集落の灯りが温かくきらめくのが目に入った。
小屋に入った家畜達が眠りかける音、夜なべ本番で何かの作業を張り切り出す音、赤ん坊のかんしゃく。
昼頃、ミルドレと遊んだ湖を通り過ぎた後、かの女の耳は山の田舎に不釣り合いな音を拾った。
――ん、あれね。
すうい、とそちらへ飛んでゆく。
引き返す途中で、ビセンテの見張り位置に寄ったらもういなかった。森の中を、密猟業者のねぐらに向かって走っている。暗い中足音もほとんど立てない、猫みたいなしなやかさだった。
『やるじゃないの!』
少し上を飛び越しながら、女神は感心して言った。
敵はまだ五愛里半はかなたにいる。それなのに聞き取ったということは、ずいぶん良い耳をしているらしい。
小屋に飛び込むと、長椅子に座ったミルドレが黒麻衣の上、革鎧の脇紐をきっちり締めている所だった。さすが年配者、ねむりが浅い!
『さすがミルドレ、ぱっちりお目覚めねッ』
なにごとも思ったまんまに言わないのが、永年なかよしの秘訣である!
「ふッ。引き返してくる黒羽ちゃんの羽音が、五愛里さきから聞こえましたからね……」
ビセンテが駆け込んでくる音がして、それで部屋の反対側にあった長椅子の上、ダンがむくりと起き上がる。
「きた」
「……よし。アンリー」
隊長は、緩めた革鎧を締め上げながら台所に向かって声をかける。
女神が行ってみると、炉の前のもこもこのかたまりは安らかに転がったまんまである!
『ああッ、さすが若い子、ねむりが深いッ』
女神は、料理人を起こそうと試みる。声が届かなくても、揺さぶるくらいはできるのだ。
『アンリくーん! 悪者がやってくるわよ! 起きてッ』
ふふふ……白い毛皮からはみ出た巻き毛の中の顔は、何やら幸せそうだ!
「そう……今回は、つぼ焼なんですよ。おひいさま……」
彼はもがもがと寝言を呟いた。
「さざえで、ございまーす」
『ちょっとー! 夢の中でまでお料理してるの? 過労死しちゃうわよー、起きて!』
別の意味で心配になりつつ、女神は翼の先っちょでアンリの頬っぺたを押さえた。
「きしょうッッ」
ダンとビセンテの二重唱が台所に響く、アンリは瞬時がばりと起き上がり、その勢いに驚いて女神はうしろにひっくり返った。
「ういぃぃぃぃっっ」
何と言う変わり身の早さ! 革鎧装着! しゅぱっと外套を引っかける! じゃきっと矢筒、平鍋を装備!!
「ぷれ――ッッッ」
毛筆で描いたような漢の顔で、料理人は吼えた!
よろよろ起き上がりながら、この子は時々全然知らない言語でしゃべる、と女神は思った。正イリー語でも潮野方言でも、ティルムン語でもない。料理人だけに通じる業界専門用語なのかしら、と考えて首をひねった。
街道へと続く細い道を進みながら、ダンとアンリはビセンテに喋らせる。
「規模は? 五騎か、六騎か」
「ななか、はち」
「左方向、フィングラス方面から迫ってるんですよね?」
地図の読めない男アンリとしては、東西南北を使わない! 上下左右で話を済ますのだ!
「ひだり」
「荷馬車は聞こえたか」
「ひとつ」
黒羽の女神も、ミルドレに耳うちする。
『その荷馬車の中に、六歳くらいの男の子が二人。たぶん薬で、眠らされてる』
「……じゃあ、例の作戦は使えませんね」
ミルドレは眉をひそめて、囁き返す。
もし囚われているのが少女だったなら、女神がのりうつり隙を見て脱出、後は皆で容赦なしに総しばき……という風にできたのだ。残念ながら、女神は男性にのりうつることができない。
『いいえ、それがね! 別の切り口で使えるわよ』
さらに耳うちされて、ミルドレははっとする。
「……では皆さん。先ほどの打ち合わせどおりに、私は出ますけれども」
街道を目の前にして、薄闇の中でミルドレは三人に向かって言った。
「加えてもう一つ、手品をしようと思います」
「???」
ビセンテ、アンリ、ダン、でこぼこに並んだ三人は、同時・同方向・同角度に小首を傾げた。本当にどうでも良いところだけ、冗談のように波長が揃う。
「あとから、長い黒髪の超絶美人があらわれます。こちらは助っ人なので、絶対に傷つけないで下さいね」
――やだー!!
頬っぺたをあかくした女神が、ミルドレの腕に小さく翼びんたを入れた。
ダンとアンリは目を見開いて、困惑の渦に飲まれかけていた!
――美人って!?
――ほええ、そんなぶっちぎり主観的な特徴、どうやって判別したらいいんですッ!?
ビセンテも困惑する。この浮いてるのに加えて、また別のが出てくんのか、と訝しんでいた。




