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海の挽歌  作者: 門戸
空虚九年目 黒羽の女神と第十三遊撃隊
205/256

205 空虚九年目11:すてきなぼたん鍋

 アンリの指示通りに巨大な鍋を卓上へ運びつつ、ビセンテは本当にふしぎに思っていた。


 騎士の左右後ろ前で、落ち着きなく漂っているこの変な女に、どうして誰も何も言わないのだろう? アンリのめしを前にしてもまだふよふよしているようなら、いよいよ自分が一発、やきを入れてやらなければいけない、とも思っていた。



「はいどうぞッ、熱いですよ!」



 しかし、アンリが差し出した木椀を騎士が両手に受け取ると、女は『きゃっ! すてき!』と言って、その隣に行儀よく座った。


 騎士は慣れた手つきで、どこからか取り出した取っ手付きの携帯椀に、煮込みの半分ほどを取り分けている。



「おやミルドレさん。それは??」


「あっ、私、すごいねこ舌なんです。なのでこうやって分けて、冷ますんです」


「へえー」



 そこでビセンテは、お前さっきから何浮いてんだよと言うのをやめて、全身全霊を自分の椀、芳しきぼたん鍋に集中させる事にした。彼の好物の一つでもある。



『何と言ううまみ、こく。それでいて慈雨の如きまろやかなあまみ……たまらぬ。ちーん』



 顔を真っ赤にして、手巾で鼻をかみながら女神はたべた。鼻水もそうだが、涙が出る程に超絶うまい!



『ぽわろう……!』


「ほんとに本当に、おいっしいですねぇ。塩はもしかしてマグ・イーレのですか? ああやっぱり。相変わらず玉ねぎの扱いが実にお上手だ……ねぎの魔術師って呼びましょう、ちーん」



 騎士も玉ねぎなみにとろけそうな顔で鼻をかむ。さっき猫舌などと言ったのはどうでもいいらしい、はふはふ熱いところを口にした。



「お口に合いましたかぁー、嬉しいですぅ」



 こちらも、喜んで食べてくれるのなら、他のことはどうでも良い料理人である。だから木椀と携帯椀と、矢継ぎ早におかわりを頼まれれば、何も考えずに山盛りにして返した。


 料理人と騎士と女神が華やかに喜び食べるかたわら、ダンとビセンテは静かである。どちらもいつも通り、アンリのめしを満喫している。


 いのししの毛を全部剃ったら豚に見えるだろうか、もしそうなら食べるまで違いがわからないな……ダンは真剣に考えながらねぎを噛んでいた。


 肉の方がこんだけうまいなら、残るあっちも絶対うまい、ビセンテも真剣に予想しつつ汁をすすっていた。



「いやー、ごちそうさまでした。こんなにおいしいもの、久し振りにたべたなあー」


『あなた達があれ程強いの、よくわかったわ。ごはんが毎回これじゃ、どうしたって元気がでるわね!』


「はっはっは、良かったです。お腹のすきまをあけて、こちらをどうぞ」


『ぎゃんッ』



 鉢にもりもりの桜桃! さっきビセンテがとってきたやつだ!


 軟弱なフカフカお菓子は作らない主義のアンリだが、食後の水菓子は大いに推奨している。特に季節の果物のある時は、積極的に食べさせた。


 大きな声では決して言わないが、彼は“第十三”を便秘から守らねばならぬ、という使命感をも燃やしている。特にナイアルだ、時々手洗いに長くこもりっきりになる副長を、アンリはひそかに憐れんでいる。


 回されてきた小皿に、ビセンテはひとつかみ桜桃を取り分ける。でも自分の前からすいっと横、女神の前に押した。


 かの女ははっとする、ミルドレはアンリに水差しをもらっている所、気付いていない。



『……? あなた、ひょっとして見えるの?』



 女神はそうっと聞いてみた。しかしビセンテは答えなかった、平生から人間相手にもほとんど人語を話さない彼である。かわりにじろりとかの女の顔を、ふと視線を落として、卓の上に置かれた小さな両手を見る。


 ひびもささくれもあかぎれもない、さくら色の爪がころんときれいだった。


 ビセンテは、女が騎士に大事にされて、幸せであると解釈した。


 ふんッ。満足気に、鼻息をひとつつく。



「ほね、あるか」



 アンリに向かってきいた。



「あー、あります、あります。お鍋の底に」



 牙を……ちがった、犬歯をむいてビセンテはいのしし骨を受け取ると、それを噛み始めた。乾燥していない果実のように、噛み応えのないものを彼は好まない。そういうものを好むのは、母および女たちだと思っている。



「ところで皆さんは、どこへ行かれるつもりだったんです?」



 だいぶ打ち解けたかな、と踏んでミルドレは聞いてみた。


 アンリがきゅっと唇をすぼめ、ダンの方を見る。



「あの、先ほども申しましたけど。私は追放されてそのまま、のんきに野外生活しているだけの者ですので……。どこぞのお上に言い付ける、なんてことはありません。よろしかったら、聞かせていただけませんか?」



 あくまで穏やかに、ミルドレは問いかけた。



「……我々は旧テルポシエ軍二級騎士、第十三遊撃隊です」



 ダンが低く言う。



「独自に活動しております」


『そうね、実に独自な感じするわね』



 女神はうなづいた。



「申し訳ないんですが、現在副長が出張中なもので、あまり詳しいことは言えないのです。ただこちらへは、邪悪な仲介業者をつぶしに来ました」



 アンリの言葉に、ミルドレは首をかしげた。



「ここの、邪悪な密猟業者ではなくて?」


「いえ。きゃつらに当たったのは、ぶっちぎりの偶然です。今回我々が狙っているのは、山あいの道を通って、“イリーの未来”を横流ししているという、おぞましい一味です」


「イリーの未来……? まさか、それって」


「人身売買です。ごく小さい子どもばかりを、フィングラス方面から穀倉地帯へ供給している賊がいると言う」



 平らかに言うダンの声、内容は残酷である。


 しん、とその場が静まり返った……。がしがしがし、ビセンテの咀嚼音以外。



「……確かなのですか」


「ええ。数は多くありませんが、確実に運ばれている」



 ぎゅう!


 卓上に置かれたミルドレの右手が、握りしめられてこぶしになる。


 その上に小さな手がかぶさって、さらに握られた。ぎゅう!



「引き続き、助太刀いたしますよ。ここで悪者退治に参加しないなんて言うなら、一級騎士じゃないですから」



 ん?


 ダンとアンリはふと考えどまった。一級・・騎士?ミルドレさん、陥落時は見習だったんじゃ……。



「出張中の副長さんとやらの役回りを、ちょっと教えて下さい。穴埋めできるよう、頑張ってみましょう」



 隊長とめし係は顔を見合わせた。



――まぁ……別にいっか、それで!


――この人、相当できますからね! 腕っぷしだけ見ればナイアルさんより強そうだし、いいんじゃないでしょうかあ!



「それにどっちみち、悪者退治の後に、皆さんをイリー街道まで送る必要がありますでしょ?」



――そうだったぁーッッ!



 この人なしでは恐らく、自分達は永久にイスタに合流できない。岬のおばあちゃんちへの帰還なんて、夢のまた夢である!



「よろしく、お願いします」



 二人は声を揃えて頭を下げた。つられてビセンテも、骨をカミカミしつつ頭を下げた。

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