205 空虚九年目11:すてきなぼたん鍋
アンリの指示通りに巨大な鍋を卓上へ運びつつ、ビセンテは本当にふしぎに思っていた。
騎士の左右後ろ前で、落ち着きなく漂っているこの変な女に、どうして誰も何も言わないのだろう? アンリのめしを前にしてもまだふよふよしているようなら、いよいよ自分が一発、やきを入れてやらなければいけない、とも思っていた。
「はいどうぞッ、熱いですよ!」
しかし、アンリが差し出した木椀を騎士が両手に受け取ると、女は『きゃっ! すてき!』と言って、その隣に行儀よく座った。
騎士は慣れた手つきで、どこからか取り出した取っ手付きの携帯椀に、煮込みの半分ほどを取り分けている。
「おやミルドレさん。それは??」
「あっ、私、すごいねこ舌なんです。なのでこうやって分けて、冷ますんです」
「へえー」
そこでビセンテは、お前さっきから何浮いてんだよと言うのをやめて、全身全霊を自分の椀、芳しきぼたん鍋に集中させる事にした。彼の好物の一つでもある。
『何と言ううまみ、こく。それでいて慈雨の如きまろやかなあまみ……たまらぬ。ちーん』
顔を真っ赤にして、手巾で鼻をかみながら女神はたべた。鼻水もそうだが、涙が出る程に超絶うまい!
『ぽわろう……!』
「ほんとに本当に、おいっしいですねぇ。塩はもしかしてマグ・イーレのですか? ああやっぱり。相変わらず玉ねぎの扱いが実にお上手だ……ねぎの魔術師って呼びましょう、ちーん」
騎士も玉ねぎなみにとろけそうな顔で鼻をかむ。さっき猫舌などと言ったのはどうでもいいらしい、はふはふ熱いところを口にした。
「お口に合いましたかぁー、嬉しいですぅ」
こちらも、喜んで食べてくれるのなら、他のことはどうでも良い料理人である。だから木椀と携帯椀と、矢継ぎ早におかわりを頼まれれば、何も考えずに山盛りにして返した。
料理人と騎士と女神が華やかに喜び食べるかたわら、ダンとビセンテは静かである。どちらもいつも通り、アンリのめしを満喫している。
いのししの毛を全部剃ったら豚に見えるだろうか、もしそうなら食べるまで違いがわからないな……ダンは真剣に考えながらねぎを噛んでいた。
肉の方がこんだけうまいなら、残るあっちも絶対うまい、ビセンテも真剣に予想しつつ汁をすすっていた。
「いやー、ごちそうさまでした。こんなにおいしいもの、久し振りにたべたなあー」
『あなた達があれ程強いの、よくわかったわ。ごはんが毎回これじゃ、どうしたって元気がでるわね!』
「はっはっは、良かったです。お腹のすきまをあけて、こちらをどうぞ」
『ぎゃんッ』
鉢にもりもりの桜桃! さっきビセンテがとってきたやつだ!
軟弱なフカフカお菓子は作らない主義のアンリだが、食後の水菓子は大いに推奨している。特に季節の果物のある時は、積極的に食べさせた。
大きな声では決して言わないが、彼は“第十三”を便秘から守らねばならぬ、という使命感をも燃やしている。特にナイアルだ、時々手洗いに長くこもりっきりになる副長を、アンリはひそかに憐れんでいる。
回されてきた小皿に、ビセンテはひとつかみ桜桃を取り分ける。でも自分の前からすいっと横、女神の前に押した。
かの女ははっとする、ミルドレはアンリに水差しをもらっている所、気付いていない。
『……? あなた、ひょっとして見えるの?』
女神はそうっと聞いてみた。しかしビセンテは答えなかった、平生から人間相手にもほとんど人語を話さない彼である。かわりにじろりとかの女の顔を、ふと視線を落として、卓の上に置かれた小さな両手を見る。
ひびもささくれもあかぎれもない、さくら色の爪がころんときれいだった。
ビセンテは、女が騎士に大事にされて、幸せであると解釈した。
ふんッ。満足気に、鼻息をひとつつく。
「ほね、あるか」
アンリに向かってきいた。
「あー、あります、あります。お鍋の底に」
牙を……ちがった、犬歯をむいてビセンテはいのしし骨を受け取ると、それを噛み始めた。乾燥していない果実のように、噛み応えのないものを彼は好まない。そういうものを好むのは、母および女たちだと思っている。
「ところで皆さんは、どこへ行かれるつもりだったんです?」
だいぶ打ち解けたかな、と踏んでミルドレは聞いてみた。
アンリがきゅっと唇をすぼめ、ダンの方を見る。
「あの、先ほども申しましたけど。私は追放されてそのまま、のんきに野外生活しているだけの者ですので……。どこぞのお上に言い付ける、なんてことはありません。よろしかったら、聞かせていただけませんか?」
あくまで穏やかに、ミルドレは問いかけた。
「……我々は旧テルポシエ軍二級騎士、第十三遊撃隊です」
ダンが低く言う。
「独自に活動しております」
『そうね、実に独自な感じするわね』
女神はうなづいた。
「申し訳ないんですが、現在副長が出張中なもので、あまり詳しいことは言えないのです。ただこちらへは、邪悪な仲介業者をつぶしに来ました」
アンリの言葉に、ミルドレは首をかしげた。
「ここの、邪悪な密猟業者ではなくて?」
「いえ。きゃつらに当たったのは、ぶっちぎりの偶然です。今回我々が狙っているのは、山あいの道を通って、“イリーの未来”を横流ししているという、おぞましい一味です」
「イリーの未来……? まさか、それって」
「人身売買です。ごく小さい子どもばかりを、フィングラス方面から穀倉地帯へ供給している賊がいると言う」
平らかに言うダンの声、内容は残酷である。
しん、とその場が静まり返った……。がしがしがし、ビセンテの咀嚼音以外。
「……確かなのですか」
「ええ。数は多くありませんが、確実に運ばれている」
ぎゅう!
卓上に置かれたミルドレの右手が、握りしめられてこぶしになる。
その上に小さな手がかぶさって、さらに握られた。ぎゅう!
「引き続き、助太刀いたしますよ。ここで悪者退治に参加しないなんて言うなら、一級騎士じゃないですから」
ん?
ダンとアンリはふと考えどまった。一級騎士?ミルドレさん、陥落時は見習だったんじゃ……。
「出張中の副長さんとやらの役回りを、ちょっと教えて下さい。穴埋めできるよう、頑張ってみましょう」
隊長とめし係は顔を見合わせた。
――まぁ……別にいっか、それで!
――この人、相当できますからね! 腕っぷしだけ見ればナイアルさんより強そうだし、いいんじゃないでしょうかあ!
「それにどっちみち、悪者退治の後に、皆さんをイリー街道まで送る必要がありますでしょ?」
――そうだったぁーッッ!
この人なしでは恐らく、自分達は永久にイスタに合流できない。岬のおばあちゃんちへの帰還なんて、夢のまた夢である!
「よろしく、お願いします」
二人は声を揃えて頭を下げた。つられてビセンテも、骨をカミカミしつつ頭を下げた。




