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海の挽歌  作者: 門戸
空虚九年目 黒羽の女神と第十三遊撃隊
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204 空虚九年目10:おそなえ桜桃

 そうっと連れ帰すつもりだったが、くらい森の奥深くに群れうごめく山犬達は、女神の存在をちゃんとみとめていた。


 弱り切った母子を迎えると、低い威嚇のうなりをとめ、彼らなりの感謝を示したのである。



『あなた達、暗いところで動くのが得意ということは、こうもりちゃんのように音の波を出しているのかしらね??』



 何となしに女神は思う。


 再び、ぶーんと飛んで密猟業者どものねぐらに帰ってくる。ミルドレの姿はおもてになくて、大っきいのと怖いのが、二人で道具類を離れ小屋の中にしまっているところだった。



「……それ者、いなかったな」


「……うす」



 ダンとビセンテは、先ほど片付けた“ひみつのみつりょう”一味の体を検分した後、森に埋めてきたのである。



「……狙ってるのでも、なかった」


「……うす」



――えっ? 誰か別の人を狙ってるの??



「……後で短槍、見せろ」


「……うす」



 ダンは掘立小屋の中へ入ってしまった。ビセンテは小屋の先にある井戸を見、ふたを取って釣瓶つるべに水を汲み、ざぶんと手を洗った。



――どこで、見たんだっけかなあ……。この、怖い子は??



 そうっと横顔を盗み見ながら、女神は思い出そうとする。


 ビセンテはむくりと背をのばした。井戸の後ろ、桜の木に実があるのに気付いたらしい。歩いて行って、一つつまんで口に入れる。ぺ、即座に種を吹き出した。


 ものすごい勢いで、ばばばっと何枝かをすかすかにし、採った実を外套の袖たもとに器用に入れていった。くるっと回って、掘立小屋の方へ行ってしまう。


 取り残され、自分も戻りかけて、女神はふと気が付いた。


 桜桃が三つ、井戸のふちに置かれている。



――あれ、忘れてるよ? 変ね、まずかったの?



 何の気なしに、かの女はそれに手を伸ばす。つまめた。



――えっ? お供えしてくれたの?



 食べたらおいしい甘酸っぱさである。



――ああ、ちょっとだけ感じられる人かもしれない。見かけによらず、おばあちゃんに言われた慣習を守っているとかかな……。なーんだ、いいやつ!



 桜桃をかみながら、女神は感心していた。なつかしいあの少年以来、ミルドレ以外の人にお供えをもらったのは、久し振りだ。



・ ・ ・ ・ ・



 こわい男の後に続いてりっぱな掘立小屋の中に入ると、すてきな香りが漂っていた。


 うちの中には木箱や空の檻のようなものが、どでかい机の上には書類布束や帳面のたぐいがほこりっぽく積まれている。その辺に長椅子や腰掛がばらばら散らばって、実にむさ苦しいところだ。


 台所の方はだいぶんましだった、大きな炉に火が入ってむっと暖かい。もう日が暮れる、じきにひんやりと涼しくなる所だから、きちんとした熱源があるのはミルドレのために嬉しい女神である。


 かの女を見て、ミルドレはさっと笑顔になった。卓子の上に彼の外套が広げられて、それを大っきい男がじっくり見調べているらしい。えっ?



「憶えてます。自分が直したものです」



 ミルドレの隣、腰掛に座ったかの女は、大っきい男――ダンと言うのだっけ――の言葉に驚いた。



「ええ、この外套は祖父から譲り受けたものでして。丈夫で使い勝手がいいから、ずっと着ているんです」


「……」



 麻袋の中から小さな革の道具入れを出すと、ダンはすさまじい指さばきで何かをして……針に糸を通したのである、頭巾襟ぐりのほつれを、どどどどど! つくろい始めた。



――こんな大っきな手なのに、こんな細かい縫い目を、こんなに速くッ!!



 ふよんと浮いて、かの女はダンのそばにゆく。彼の目線は鋭くって、でも穏やかだ。少しはにかんだような、同時にかすかに誇らしげな表情に思い当たる。



『あの時の、大将のところの息子さん……!』



 思い出して、嬉しくなって、そして女神の頬っぺたは喜びで真っ赤になった。



『ありがとう。あなたのおかげで、ミルドレはその外套……わたしの大好きなその外套、ずうっと着てくれているの。“緑の騎士”でいられるの』



 言いつつ、不思議な生きもののように自在に、変則的に動くダンの手元をじいっと見つめていた。


 ミルドレも、ダンの横顔を見ていた。若い彼の外見のうち、その双眸だけが本当の年齢をあらわして、老いて濃く蒼かった。




「隊長ッ、あとひと煮込みで準備ととのいますので!」



 ふきんで手を拭いつつ、まきまき巻き毛の男が卓子に近寄ってきた。こうして笑うと、ぱやぱや髭の生えたおしりあごまで、ますます血色が良くみえる。



――焼きたてぱんみたいな頬っぺね! この子は、えーと……?



「良い匂いですね、何のお鍋なんでしょう?」



 ミルドレが彼を見上げて、朗らかに聞く。



「ぼたんです。地下の貯蔵庫に、いい感じにねかされた猪肉がありましたので、赤玉ねぎと韮葱、ういきょう少々で煮ました!」


「へえー、本格的だなあ。お料理得意なのですか?」



 巻き毛の男は照れ笑いのような表情を浮かべた。



「改めまして、アンリと申します。テルポシエ南区にあった、“麗しの黒百合亭”次男です」



 がくっ! ミルドレと女神は、同時に口を四角くあけた!



「……あなたのおじい様に、子どもの頃、お世話になりました」



 すっ、とミルドレの脇の腰掛に座る。



「俺は根っから、料理が好きなんですけれども……。父や兄とは傾向が合わず、厳しく仕込まれていた時に、家出しちゃったんです。


 いなかで蜜煮みつに屋をやっているおじの所に行こうとして、通門で巡回騎士につかまりました。けれどその時、通りかかったあなたのおじい様が口をきいて下さったおかげで、おとがめなしで済みました。それにおじい様は、俺の作ったごはんを食べて、励まして下すったんです……。曽祖父にまつわる話も、してくれて」



 どこからか、すいと取り出した平鍋を握って言う。



「ずっと後になってから、その方がミルドレ・ナ・アリエ老侯、元“傍らの騎士”だったすごい人と知りました。……お住まいは、古い大きなりんごの樹のあるお屋敷、でしたよね」



 ミルドレは内心どきりとしつつ、うなづいた。



「ええ……、同名の祖父です。私自身は事情がありまして、ほとんど会ったことがないのですが」


「……そうですか。一度お会いしただけですが、俺にとっては大恩人なのです。あの時、さとされて家に戻っていなければ、今頃は蜜煮屋やっていたかもしれません。その……、」


「にたったッ」



 アンリがやや口ごもりながら言いかけた言葉は、炉の前で仁王立ちのまま、鍋にがんを飛ばし続ける獣人の一声によってかき消される。さっ、と料理人は笑顔で腰を上げた。



「では、おぜん整えますね! 隊長、そこ片付けて下さーい!」

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