202 空虚九年目8:囲まれた第十三遊撃隊
一番初めに感づいたのはダンだった。さすがこの道うん十年の職業軍人(と言っても副業)、方向感覚は皆無に等しいが殺気感知はお手のものである。
ふいっとアンリを押しのけて前に出る、ぐるるるるうん! 彼の左手の長槍が大きく回転し始めた、そこにきんききん、矢羽根が三本はじかれて両脇の林の木に当たる。
「むッ、前方より敵襲ッッ! 三人以上いますッ」
すすっとアンリは後退し、そのままさっと林の中へ紛れ込んだ。
すたッ、ビセンテは左手に山刀を抜く、右手でぐるんと短槍を一回転させた。
「前進」
回転長槍の盾の後ろ、ダンとビセンテとは早足で荒い道を進んでゆく。
彼らのすぐ脇をぱすうッ! と矢が一本飛んで行った、割と近くの茂みの中で「うぎょえッ」声があがる。
じゃっ!
左脇の灌木の裏から、ばかでかい山刀を振りかざした男が飛び出して来た。
「うおらぁあああ」
「んじゃ、こらぁあああ」
雄同士の野太い咆哮がぶつかり合う! ダンの背後を狙った男の山刀はしかし、その後ろに控えていた稀代の獣人の山刀に弾かれた、秒間おかずに、ずどん! 鳩尾への短槍石突き、男はぷしゅっとげろを吹いて後ろに倒れる、その辺じつに華麗にかわしながらビセンテはダンの後に続く、汚れるのはきらいである!
じゃじゃっ! 今度は右手、大木の裏から別の大男が躍り出る! 左手に戦斧、右手に山刀、両手にぶんぶんと振るいながらさっと腰を落とし、何と奇をてらってダンの足をすくうつもりだ!
ぱすッ。だがしかし男の首筋に行儀よくアンリの矢羽根が刺さった、男はずざっと地に突っ伏す、ダンは横を通る。邪魔だったらしい、ビセンテがそいつの頭を右足でどかんと蹴っ飛ばしながら歩いてゆく。これでもう三人つぶした!
しかし、きんきんとダンの長槍にはじかれる矢は続いている。
――やたら多いな……。
隊長は顔をしかめた。彼はやがて前方に、道をふさぐべく七・八人の男どもが構えかけているのを見た。隊長ちょっと笑う、接近戦の方が好きなのだ、方向がわかりやすいから。
「うしろ、六人と犬」
ダンの背後で、ビセンテが低く言った。ちろッと肩越しに見ると、なるほどそちらにも男が六人。
「おおっ! 囲まれました、ふだん囲んでる第十三遊撃隊としては、かなり珍しい状況ッ」
ダンとビセンテのすぐ脇の茂みの中、アンリは熱っぽく実況した。
前方にいるやつらが、何かがなり立てている。ダンはすぱっと長槍の回転を止めた、八相に構え持つ。
「……白昼堂々しま荒らしたぁ、何様だ! てめえらッ」
うおおおおお! 前後から圧巻の雄叫びに挟まれる!
「ぎゃぎゃぎゃんッ」
「ぶぅおおおッ」
そこにかぶせて、後方から獰猛なけもの達の咆哮が攻め立てる!
「何とぉお! むこうは猟犬まで連れています、こーれーはーきついッッ。第十三遊撃隊、狩るつもりが狩られる側へ、しかも敵は圧倒的多数と来たァッ」
話しているうちに熱してきた料理人は、中弓を背にかけると、入れ替わりに平鍋をつかんだ。さっと茂みから出て、ダンとビセンテの間に入る!
「そろいやがったなッ。三人全員焼きを入れた後に、刻んで犬に喰わして、残りの骨はエンヴァル流しじゃあッ」
図太い声が吠える!
「岬のおばあちゃんの名にかけて! お前らにこそ、両面焼き目を入れてやるぞううッッ」
どーん! 料理人の気合だって、負けてはいない!
「燃えよ、平鍋!」
その声を背に受けつつ内心で突っ込む、お前なに言ってるかわかってる? 隊長ダンは今日もけっこう冷静である。
「ビセンテ。犬、まかすぞ」
「うす」
答えながらビセンテは、後ろ方向にいる六頭の大型猟犬をぎーんと見た。その時。
『しゅくしょう! ごうふうけ――――ん!』
謎のきんきん声が、ビセンテのほぼ真上に響いた。次の瞬間――
ずぞおおおおおおおおおッッ!!
周囲の樹々がぎしぎし軋る!
ものすごい勢いの突風が三人の周りを取り巻いたかと思うと、ぐるっとめぐって行って……どかん!
後ろの六人および六頭、前の八人、賊どもにぶち当たった。
大の男たちが両手を顔の前にかざし、よろよろっと後ずさりしている、前を向いていられないらしい!
珍妙な気象現象に、ダン・アンリ・ビセンテの三人は一瞬ぽかんとした。
その頃合で、三人が背合わせに立つところのアンリの裏側、常ならナイアルの定位置から声がした。
「助太刀いたしますよ!」
へッッ??
三人が肩越しに見ると……さっきの道案内の男がいるではないか!
彼は左手でするっと何かの紐を解いた。
しゅるんッ、さげていた短槍を構えたのである!
「悪者退治です。行っきましょう」
何という、気の抜けるのほほん声!
男を無視して、ビセンテはざっと飛び出した。
「ごるぁああああああ」
駆けながらビセンテは吼えた! ひんむいた双眸からは、ど迫力の眼光が発される! 本当の空のもとを闊歩する“阿武熊”だって目を逸らしたくなるビセンテの眼力なのだ、並の猟犬に耐えられるわけがない!
実際犬達はきゃうん、とびびった。そして冗談のような速さでぐんぐん迫ってくるビセンテのちょっと上、見たこともないおっそろしい黒い“何か”が、やはり自分達に向かってがんを飛ばしながら向かってくるのを視界にとらえた。
――何あれ!
――ありえないし!
――むりっぽ!
――割に合わんくね?
――いち、ぬーけた!
――俺もー、帰って寝るわー!
犬たちは、ささっと左右の林へ逃げ込んだ。さすが頭の良い猟犬、むさ苦しい主人たちのために、体を張る必要はないと即断したのであった。
それを見て、ビセンテはへっと鼻を鳴らす。目指すは人間、六頭! (えっ?)
強風をまともに喰らった男達は、よろめきかけてようやく顔を上げたところだった、どすっ!
泣きっ面にすずめ蜂! 強風で目にほこりが入って激いたいところにビセンテ!
顔面に足裏をめり込ませて一人目が没、そいつの顔を踏み台にして斜め上空から二人目脳天に山刀の一撃、吹き出す脳漿を浴びないようにしゅたッと低く着地して、やわらかーく立ち上がりざま後ろに迫った奴の膝を短槍で薙ぎ上げる!
ぱたッ! からんッ。
乾いた音にふっと目を向けると、自分の右横にいた男の手から、長剣が落ちたのだった。変だ、と獣人はかすめ思う。
「……!」
その大男は、自分の胸をぐうっと掴むようにして苦しい顔をしたまま、ビセンテの前にどすんと倒れた。
すぐ後ろで、さっきの道案内男がするりするりと短槍を扱っている、ビセンテの目には実にやさし気な動作に見えた、ふわりと回った短槍の石突が相手の眉間をついて、そしてその男はやはりばたんと地に突っ伏した。道案内男はビセンテを見る。笑って言う。
「うしろ」
そこでビセンテは振り向きざま、戦斧を振りかぶってきた男の首筋動脈上に、後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
ぐん! ぶん! どん!
自作長槍の石突部分には、長刀用の刃を装着してある。そんな危険極まりない武器をどでかい男がぶんぶん振るう、見るからに強敵そうなダンを前にして、男達は少々ひるんだ。そこへ……ひょい、ぱすッ!
「うごぉえッ」
ひょいひょい、ぱすッッ。
「ぶぁああッ」
ダンの背後から小りすのようにすばしっこく半身を出しては、中弓でじゃんじゃん射つアンリである! ちなみに、りすってあれで案外つらの皮が厚いから、油断しちゃならない!
でかい男二人が、ダンの左右から切り込んできた!
ず、すすッ。
振り上げたはずの長剣が、いやどころか自分の右腕がすかっとなくなっていて、左の男はへッ!? と目をむいた。次の瞬間彼は宙を飛んでいる、びっくりだ! なんでっ?
体から離れた男の首は、すーいと自由になったのである、紅い血の軌跡がそれに続く。
左の男の首をはねたその勢いで、ダンは右の男の方へ長槍を繰り出す。
どっ!
しかし、その胸の中心への鋭い一打撃は、手にした短剣を放して両手で穂先すぐ下を掴んだ男に阻まれた。
褐色の髪とひげに埋もれたかのような顔のそいつは、にやりと笑ってダンを見る。捕まえた! 腕力勝負に絶対の自信を持つ男は、骨ばってはいるが細いダンの首をがしりと掴むつもりで、ぐうっと槍を引き寄せた! へし折ってやるぜ!
ダンも、くすりと笑い返した。槍は彼の手の中をすーっとすり抜ける、ぽち・すぽっ、と長刀の刃だけが彼の手元に残った。
ふいっ!
剛腕男は、自分の豊かなあごひげが風に吹き揺られるのを感じた。次の瞬間、彼は喉および下腹から派手に血を噴き出して、引き寄せたダンの長槍もろとも、後ろにぶっ倒れる。
ばたっ!
地面にくっつくと同時に、ダンの厚ーい長靴の底がぐしゃぐしゃっと彼の手を踏み砕いて、そうして長槍は持ち主の元に戻った。
「あーッ、親分!」
「ちっくしょうぅ!」
残った者たちは恐慌におちいる! そこに、ふわっとひらめいて迫るもの――
ばこぉおおおん!
「ああああんっっっ」
ぶぁっこ――ん!
「どぅうううううっっっ」
二人ぶち抜き、側頭への鉄鍋制裁!アンリの手の中、“正義の焼き目”ティー・ハルがうなっているッ!
料理人は右手から左手へ、すぱっと平鍋をもちかえた。そのまま振り向きもせず、
どこ――ん!!
「とろゎぁああっっっ」
背後の奴に、裏平鍋の一撃がきまった!
「ういっ。 ……むッ、一人逃げるもよう!?」
たたたたた、全力で道の奥へ、そして林の中へ逃げ込もうとする奴を視界の端にとらえ、アンリは素早く中弓を外して背の矢筒に右手をのばした。――その時。
ぶ――――ん!!!
何か重いものがアンリとダンの上を飛んでゆき、……ぶさり!
茂みに入りかけた男に命中した。
背の真ん中にびいんと刺さり立った短槍、その端に取り付けられた紐がゆらりっと大きく揺らぐ、男はぱたりと倒れ込む。
「終わりですかねー」
たたた、道案内の男がそっち方面に駆けていく。短槍を回収するつもりなんだろうと三人は思い、そしてダンとアンリはあれっと目を見開いた。
明るい陽光の下できらきら輝くのは、金髪でも赫毛でもない、不思議な色だ。
白金髪でないその人は、いま草色外套を着ているではないか? 生地を見るにかなり年季が入ってはいるが、テルポシエ一級騎士の装いだ。引っこ抜いた短槍を手に、やはり笑顔でこちらに戻ってくる。
「……さっき案内してくれた時は、黒い外套でしたよね?」
ダンの横で、アンリは囁いた。
「裏地だったんだな」
お直し職人(こちらが本業)の隊長は即答する。
「なにものなのでしょう……。まさか彼も、堕落貴族?」
「何なんだ、お前ッ」
アンリのすぐ後ろまで来ていたビセンテが、ぐわーと吼えた!
「ああん、もう、ビセンテさん! 直球すぎでしょッ」
「あー、私、ミルドレ・ナ・アリエと申しまーす」
手前にやってきた男は、のほほんと答える。
「その短槍に草色外套……。あなたはテルポシエ騎士、貴族ですか」
ダンが低く、平らかに問う。
「はい、いかにも。陥落の時に身代で脱出しまして。以来、イリー各地を放浪しております」
「……」
アンリはミルドレをじっと見つめた。……アリエ、だって?
ダンも、ミルドレをじーと見つめた。自分よりも、ビセンテよりもずっと若い。アンリと同じくらい、あるいはちょっと下なのかもしれない。それなら陥落時は成人前だ。騎士というか騎士見習だったのだろう、外套は家族のお下がりか。
「皆さんは、市民兵だった方々でしょうか」
やわらかい問い方で、騎士は続けた。
「エノ軍は、元市民兵の帰還を禁じてはいません。追放された私と違い、皆さんは市内へ戻っても何の咎めもないのですよ。お帰りになられてはいかがでしょうか」
ずる……。鼻をすする音??
ダンはアンリを見下ろした、そして隊長ちょっとびっくりした。
焼きたてぱんのような血色のよい顔が、通常より五倍増しくらいで真っ赤になっている!
「ご家族が、どれだけ喜ばれるでしょう……って、あらららら?」
ミルドレもびっくりした。隣に浮いてる女神もはらはらした。
「隊長ぉおお」
なみだ目はな声で、アンリは脇のダンを見上げた。
「すみません。俺はこの方に、どうーしても一食、感謝のお鍋を差し上げたいのですが……。良いでしょうかぁッ?? お願いしますぅ」
ダンもビセンテも驚いたが、ミルドレはもっとおどろいて、蒼い目を丸くしていた。




