201 空虚九年目7:さまよえる第十三遊撃隊
「ナイアルさぁぁーん! 岬のおばあちゃーん! ぬおおおお、道がわからな――いッッッ」
どんどん森の奥方向に踏み入りながら、アンリは咆哮していた!
「……」
「……」
それぞれの右手に山刀をさげたまま、ダンとビセンテは無言でその後ろを歩いている。
「何と言うことでしょう! 道に迷う方が難しいと言われたところで、ぶっちぎり迷ってしまいました! 第十三遊撃隊、痛恨の失態です!」
いいや、お前の大失態だアンリ。心でそう思うも、めんど臭いので口に出さない隊長である。
「ナイアルさんのアルティオ出張中、イスタぬきでしまの外に出てしまったのが、失敗でした……」
少し前、間諜レイより報告を受けた旧テルポシエ二級騎士・第十三遊撃隊は、ガーティンローおよびファダン領にまたがる山道に出没するという、不穏な集団をつぶしに来た。ところが現地近くにたどり着いたところで、嵐に見舞われる。彼らにとってはどうって事ない級の天候であるが、一同は避難した山中の廃屋にて、強い不安にかられた!
「……」
「これはやばい、ここでこうならシエ半島は……?」
「……岬のばばあ」
「こんな時に限って、おばあちゃん一人にしちゃったよ! 大丈夫かなあ」
「イスタ! 雨が弱まったらひとっ走り、ガーティンローから駅馬のって見ておいでッ」
と言うわけで、ナイアル副長不在時に水先案内人を務めるはずのイスタは、ひとりシエ半島の隠れ家の主、“岬のおばあちゃん”の安否確認に向かったのである。
こうして敵地に、地図の読めない料理人・奇跡的方向音痴のお直し職人・ほぼ人語を話さない獣人の三人のみが残された。実に危険である。
「ただ油を売ってるのも、時間がもったいない! イスタを待ちつつ、敵地視察をしとこうではありませんかッ」
よせばいいのに、アンリは張り切ってしまった。否、この男はだいたいいつも張り切って生きている。
「我々三人も、馬に乗れれば一緒に往復できるのですが! まあ、人間できることとできないことがありますからね。できる範囲で最善を尽くしましょうッ」
旧テルポシエ軍中、捕獲もされずに唯一無傷で生き残った二級騎士の第十三遊撃隊。向かうところ敵なしの彼らには、実は大きな声では言えない深刻な弱点があった。
副長ナイアルとイスタ以外、誰も馬に乗れないのである! ちなみに以前試した時は、こんな感じで散々だった!
「お前は、馬じゃああああ」
「いや、誰が見てもそうなんだから、喧嘩を売るなって」
ビセンテは論外である。イリー世界における自然生態系の頂点に立つこの獣人にとって、自分以外のけものは喰うか排除かの選択肢二つしかないのだ。なかよく共存してのりもの利用するという、概念そのものが彼の中にはない。
「ああん、もう! 何で言うこと聞かないかなー? やっぱり君は食用決定だね、鍋鍋焼き肉、鍋焼き肉、さいごは塩漬け保存食ぅぅ!」
「週間献立で脅すな、怯えてるだろうがッ」
馬のうま味を知る若き料理人アンリもまた、馬にとっては忌むべき存在である。彼の周辺空気を通して伝わる“食い気”をおそれて恐慌状態に陥るため、馬たちは使いものにならなくなってしまうのだ。
「大将、一体どこまで行っちまったのだろう……」
「今日でもう四日ですよ? やっぱり探しに行ってあげた方が、いいんじゃないですか?」
極めつけは隊長ダンだった。一応御すことはできるのだが、この人はそもそもが極度の方向おんちなのである。馬自身が道先を知らない限り、目的地に行って帰ってくるというのは不可能なのであった。
そんなとんでもない三人が、敵の状況を知って有利に持ち込むつもりで、敵地で迷ってしまったのである。
「ティー・ハル占いも、全然だめっぽい!」
右か左か、分かれ道で判断しかねたアンリは、背にくくった平鍋を地に立てて、柄の倒れた方へ進んだのである。その後ろでビセンテは、鍋に道がわかるのだろうか、としごく真っ当にして常識的な問いを胸に抱いた。しかし口には出さなかった、残念である。
『わしに聞くのが間違っとるわ、ばかたれ』
アイレー世界の常として、長年使われてきた古参の平鍋ティー・ハルにも、実は魂が宿っている。親しんで尊敬した先々々代の生まれ変わりかと思えるようなアンリに、彼は並々ならぬ親しみを持っているのだけれども、調理と戦闘以外のところではどうにもならない男であることも理解していた。
道が道でなくなりつつある。樹々の重なり合いが密になり、時間の感覚がおかしくなるような薄暗さが、視界を支配する。
「我らが黒羽の女神さまー! どうか正しい方向へ、お導きくださーい」
とうとう出た、困ったときの神頼みである。にしても何故来た道を戻らないのだ、前向きであれというのは姿勢の話であって、引き返すのがいけないとは誰も言っていない。
「おやっっ!」
「……」
ビセンテは無言で山刀を左手に持ち替え、右手を背に回す。そこに括り付けた短槍を、音もなく外した。
彼らの進むぼんやりとした白い道の向こうに、もやりと現れた人影がある。
「……」
ダンも、背にした長槍のことを考えた。しかし樹々の枝が迫ってくるこの森中の狭い道では、山刀の方が有利だろうなと判断した。アンリも同意見らしい、矢筒ではなく平鍋の柄の方に手を伸ばしかけている。
「福ある日を!」
三人のみなぎらせた緊張感をぶち壊す明るさで、道の先に立つ人物はひらひら手を振りながら叫んだ。
「もしや、道に迷っておいでですかー?」
男はのほほんとした笑顔全開で、ずんずん三人に迫ってくる。アンリとティー・ハルの間合いに入る手前で、彼はぴたりと立ち止まった。三人も同様に足をとめる。
「……福ある日を。実は、そうなのです」
先頭に立つアンリが答えた。自称恥ずかしがり屋で人見知りなアンリとしては、精いっぱいのさりげなさを装っている!
「あらららら、ですか、やっぱり。この先はたいへん危険ですから、よろしかったら正しい道までお送りしますよ」
「危険……?」
アンリは首をかしげた。賊が出て危険というのだろうか? なーんだ、それなら目指す道だ。合ってたんじゃないか、さすがティー・ハル!
ぼさぼさ頭にくたびれた黒地の外套、そのむさ苦しい長身の男はうなづいて、やたらきれいな正イリー語で続けた。
「ええ、このあたりからイリョス山犬の縄張りが始まるんです。今はお昼過ぎなので、ずっと奥の森にこもっていますけど、じきに出てきますからね。先に進むのは、おすすめしません」
「いりょす山犬……」 三人の声が重なる。
アンリは蒼ざめた。ビセンテはちょっと血が騒いだ。ダンは、……何それと思ったが口にしなかった。
「あそこの樫の木の幹、ご覧ください。爪のひっかき傷が、見えますでしょう?」
男は、近くの木を手で示す。
「……本当だ、ところどころにいっぱいある」
「ねっ。さあ、明るいうちにもう少し拓けた道の方へ戻りましょう。やつらの斥候役に嗅ぎつけられたら、厄介なことになっちゃいますから」
笑顔に促され、アンリとダン、ビセンテはついに回れ右をする。
「こちらです。どうぞ、ついてらして下さい」
「ありがとうございます……」
少し上ずった声で、アンリは言った。彼には珍しいことであるが、動揺が隠せなかった。イリョス山犬のことはもちろん知っている。怖い目に遭って、フォレン村の蜜煮おじさんにすんでの所で助けられた子どもの頃の記憶がよみがえる。
死神級に腕の立つダンは、山犬なんて全然わからない、その点ではテルポシエの外を知らないもやしっ子である。けれど森の奥にそんなにやばいけものがいると言うなら、そこから出てきた男は一体何なのだろうと疑問を感じた。だがそれ以上に、確信を持ってぐんぐん先の道を歩いてくれる存在のあるのが嬉しくて、やはり口に出さずにいた。ついていく専門の遊撃隊長である。
ビセンテは、アンリの四歩くらい前をすたすた歩く男の後ろ姿を、うさん臭そうに見る。その傍らに、ぎーんとがんを飛ばしつつ、一番しんがりを歩いて行った。
・ ・ ・ ・ ・
『……ミルドレ。見かけものすごくむさ苦しいけど、なかみは悪いやつらじゃないわ。やっぱり、純然たるおばかちゃん達といったところよ』
後ろの三人に聞こえるはずはないけれど、騎士の側にそうっと浮き寄って、女神は囁いた。
「ですね。でもこんな所で、一体何をしているのか……」
騎士も、低くささやいた。
『あとね。原型とどめてないけど、おそろいで着ているの二級騎士の枯草外套だわ。全員テルポシエの人よ』
「……。おちぶれて、賊化しちゃった市民兵ですかね?」
そういう例は、ミルドレと女神も山ほど見てきた。状況を知らずに山野で逃げているだけの元市民であれば、言い聞かせて帰郷を促すことも出来る。しかし元貴族で同様におちぶれた者に言いくるめられ、追いはぎ行為に味をしめているような場合は、手の施しようがなかった。テルポシエ陥落からもう十年以上、さすがに少なくなったと思っていたが……。
「目的を知るまで、慎重に接していきましょう」
『そうね。でも三人とも、見覚えある気がするの』
「ほんとですか!」
ちろッ、女神は素早く後ろを見てから言う。
『ええ。こっちも総もじゃもじゃで原型とどめてない感じだから、すぐ思い出せないのだけど……。かなり前に、会ったことがあるのかもしれないわ』
「じゃあやっぱり、悪人じゃないといいですね」
かつて祝福を与えた者が堕ちるのは、女神にとって深い悲しみなのだ。そのことを、騎士は誰よりもよく知っている。
・ ・ ・ ・ ・
「はい、この辺まで来れば山犬も通りません」
だいぶん明るくひらけてきた林道の三叉路にて、先を進んでいた道案内の男は振り返り、朗らかに言った。
「ところで皆さん、どちらへ向かうところだったんです?」
「……あの。山あいの道を進んでいくと、テルポシエ領を通らずに穀倉地帯へ直接出られる、と聞いたのですが」
脳内に浮かぶ、うすぼんやーりとした地図をたどりつつ、アンリは言った。男はぼさぼさ頭を傾げる。
「山あいの道……ブロール街道のことですかね。確かに、こっちの道を行くと、じきにエンヴァルの谷になるので……」
彼はふと手をあげて、ダンの左横にある古杭のようなものを示した。
「そこから、そのブロール街道に通じてはいますが」
がーん! アンリは衝撃を受けた、古杭の上の方にはちゃんと小さな標識がかけられていた! これに気付かず、数刻前にティー・ハル占いをした所である!
『地図だけでなく、標識も読めんのか、お前はッッ』
背中でティー・ハルが突っ込んでいる。
「でも、近年はよく賊が出るそうですよ。急ぐのでなければ、こちらを進んでイリー街道に出た方が……」
「あ、いえ、たいへん急ぐ旅なのです。本当にお世話になりました、ありがとうございましたッ」
三人はぺこーん、と一礼した。そしてくるっと踵を返すと、そそくさとエンヴァル方面への道を行ってしまった。
・ ・ ・ ・ ・
「うーん……」
『妙だわ。“よく賊が出る”ってミルドレが言った瞬間、三人ともときめき顔になったわよ?』
古杭の手前で、一人と一柱は顔を見合わせた。
「……悪い仲間に合流する所だったのかなあ」
『にしては、荷物もっていなかったわ』
山野に潜む賊が里を往来する場合、多少なりとも必要物資をさげているものなのである。
『一番若い子なんて、お鍋しょっていたし……。そもそも、あんなに道に迷うってどうなの』
「それじゃ、新しく賊に加入しに行く所かな」
黒羽の女神は、眉間にぎゅーとしわを寄せた。
「……追っかけて行って、説得するだけしてみましょうかね。思いとどまるかもしれないし」
かの女はぱっと笑顔に戻り、こぶしを握りしめた。
『そうしようッ』
エンヴァル方面への道をしばらく進んだところに、ほそい分かれ道があった。
普通なら、標識がなくても“こりゃ地元民専用の道だ”と思わせ、外れさせない道である。しかしミルドレはそこで、いやーな感じを受ける。
同時にふたりの敏感な聴覚は、剣戟の音を拾った。
「……少なくとも、ここの賊の一味じゃなかったようですね。襲われてるってことは……。加勢に行きますか?」
ミルドレは苦笑しつつ言う。
『飛んじゃった方が、はやいわね!』
女神は騎士の胴に両腕を回す、そして羽ばたいた。




