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海の挽歌  作者: 門戸
空虚九年目 黒羽の女神と第十三遊撃隊
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198 空虚九年目4:声音の魔女アラン


「……」


 はじめ、目に入っているものが何なのか、よく分からなかった。


 重いまぶたをばちばちさせて、それがようやく藁ぶき屋根の天井裏側、とわかる。


 頭が重い。頭だけじゃない、体全体が重い、特にこの腹の上にかかる重圧は何だ!? 俺は生きているのか、それとも、……



「おにいちゃん」



 ふっと声が聞こえて、ナイアルは――自分は仰向けに寝ているらしい――腹の方面に目を向ける。ちいさな子どもが、きゃはっと笑いかけてきた。



「ねえ、起きたよ! このひと」


「ちょっ……、降りて! だめだよッ」


「お母ちゃんに、叱られるよッ」



 別の子ども達が視界に入ってきて、総勢三人になった。


 どれもおんなじ顔と髪、声である。いかん、精霊だッ!


 ナイアルは、再びがくりと意識を失った。



・ ・ ・ ・ ・



 次にゆっくり目覚めた時、体は軽ーくなっていた。頭もやたらすっきりしている。



「あれっ……」



 ナイアルは慎重に身を起こしてみた。朝らしい、戸口から光の差し込む狭い小屋の中に置かれた、粗末な寝台の上にいた。


 自分のでない麻の筒っぽ寝巻、左脚にはさらしが巻かれている。落ちた時に裂いた左腕にも。



「おおっ、もしや助かったのかッ」



 戸口から、ひょいと入ってきた者がいる。八歳くらいの男の子、それを拡大したような男が近寄ってきた。



「お早うお兄ちゃん、気が付いたね!」



 利発そうな少年は、微笑んで言った。



「……お早うございます。お世話になりまして」



 父親らしいのが、にこりと笑った。眉間に白く、傷の一本線が目立つ。質素な麻衣に生成色の前掛け、痩せ型だけれどがっしりしている。職人さんだろうな、とナイアルは見当をつけた。



「お腹空いたんじゃない? お粥があるんだよ」



 男が差し出す杖をつき、木靴を拝借してひょこひょこ外に出る。どこもそんなに痛まない。


 父子と一緒に来たのは石造り藁ぶき屋根の母屋である、炉の前に座らされて、少年からぬくい手触りの木椀を受け取った。


「いただきます」 とにかく空腹だった。



――うまッッ。何これ? いやお粥は普通、だがしかし! かかってる蜜煮みつにが尋常ではないぞッ? なんつう果実の存在感、口中で巻き起こる芳香! アンリのといい勝負だッ!



「お代わりいただいて、いいでしょうかッッ」



 父親と同じ、もしゃっとした暗色の髪をひっつめて束ねている少年は、すぐに次の椀を持ってきてくれた。



「おいしいでしょ? お父ちゃんが作ったの、苺の蜜煮」


「えっ、そうなんかい」



 ゆらり、音もなく父親が寄ってきて、手にした壺からどばり、蜜煮を匙ですくってナイアルの椀にかけてくれた。今度は黒すぐりらしい。



「めっちゃくちゃうまいっすよ」



 声をたてずに、父親は照れ笑いをしたらしい。長いもしゃもしゃ暗色髪をやはりひっつめてまとめている、黒ぐろしたひげが激しくもじゃついてはいるが、近くで見ると同年代のようだった。誰かに似てる。


 どばり……もうひと匙、入れてくれた。



「お父ちゃん、蜜煮屋さんなんだ」


「うおう、本職さんかあ! どうりでー」



・ ・ ・ ・ ・



 たらふく食べた後に、母屋裏の手洗いを借りる。ずいぶんひげが伸びていた。



「うち、川も泉も近いから。水たくさん使っちゃっていいよ! ナイアルの服は洗って、そこにたたんどいたよ」



 案内についてきた少年は、てきぱきと言った。



「ありがとう、ヴィヒル」



 それが少年の名である。父親とおんなじらしい。



「……あのさ、俺って何日寝込んでたの?」


「二日」



 はて、とナイアルは首を傾げた。さっきさらしを取ってみたところ、左腕の裂傷はずいぶんと厚いかさぶたになっていて、折ったと思った左脚も治る手前の違和感くらいしか感じない。



――実は、軽い傷だったんかなあ? ……まさか。丘の向こうに行きかけたんだぞ?



 ここ数年、やたら体の調子が良いのは自覚していた。風邪もひかなければ怪我の治りも早い。アルティオの里とテルポシエ間往復にかかる日数も、繰り返すごとに縮まっていた。ナイアル自身は健脚に拍車がかかった位にしか思っていない、アンリだけが布暦に印をつけて「うそだーでたらめだー」と恐れおののいている。それでも今回の治りの早さは、異常に思えた。


 テルポシエ下町男子の風貌を取り戻して、母屋にゆく。



「おう! 起きたのね、調子どう?」



 居間の炉端近くにいた女が、すっと近づいてきた。


 助けてもらった時のことはぼんやりとしか憶えていない、しかし確かに命の恩人だ。



「おかげさまで良くなりました。本当にありがとうございました」



 ナイアルは誠心込めて、そう言った。……にしても、向かい合って立つとほんとに小さい女である。



「うん、良かったね。歩き方から見て脚はよさそう。腕の方、ちょっと見せて?」



 袖をまくり上げた部分を、女はじっと見た。



「……いいね。もう薬もさらしも、つけない方がいいわ」



 何度もうなづいている。



「えーと、テルポシエの乾物商でナイアルと言います」



 袖を戻しながら自己紹介をした。



「キヴァン領へ買付に行くところでした。ここはまだ、フィングラス領なんですか」


「ええ、そう。ポンカンナ集落の外れよ」



 ナイアルは首を傾げた。また、ずいぶんと東寄りに道を外れてしまったものだ。



「油断しちゃったね。通い慣れてる道を外れるなんて、何か心配ごとでもあったの?」


「……」


「ナイアル君。あなた、しょっちゅうキヴァン領に行って、そこで長いこと滞在してるでしょう」


「どうしてわかるんですか、奥さん」


「敬語使わなくっていいのよ、あなた同様あたし十分若いしさあ? ……あのね、傷の治りがキヴァンの人なみに早いの。あたしの回復毒使っても、普通の平地民なら五日六日は起きらんないのよ」


「どく……」



 ふっとナイアルは思い出した、あの首筋に何かぷすっと刺された感覚!



「あんた、俺の体に何をしたんだああああああ」



 ぞぞぞー!! 全身にとり肌をみなぎらせて、ナイアルは叫んだ。



「お黙り、治してあげたんじゃないのッ。そもそもあたしのしま・・で、ぎゃーぎゃーやかましく死にかけてたのはあなたでしょッ」



 引きかけるナイアルに対し、女はぐうんと態度をでかくした。



「お母ちゃんには、何でも聞こえちゃうんだぞう! 静かなおならも、すぐばれる!」


「ぎょへッ」



 いきなり横から湧いて出た小さな子どもに面食らって、ナイアルは後ずさりした。



「お兄ちゃん、元気じゃんッ。あたしリオナちゃん!」


「俺はナイアル君だッ。お前だな、寝てる時に腹の上のっかってたのはッ」


「えーと! うーんと! ちがうよ、ミオナちゃんだね!」


「ばればれの嘘、言わないの」



 居間と続きになった台所から、年かさの少女が出てきた。姉妹ともにヴィヒル少年にそっくりである。



「これこれ、静かにおし。ミオナちゃん、お湯沸かしてちょうだい。リオナちゃんは、裏ではっかをぶちぶち取っておいで」



 母親の言葉に、姉はうなづいて振り返る。妹はどたばた裏口から出て行った。


 まあ座れ、と目線に促されて、ナイアルは大きな食卓脇の椅子に腰かける。



「あたしも旦那もね、若い頃にキヴァンのところで暮らしたことがあるから知ってんのよ。あそこ山地でしょ? はじめ苦しいけど、いっぺん慣れると体調よくなるの。特に平地に帰って来た時に、いつでもばりばり絶好調になるのよねー。傷も病気も、まー治りが早い早い。だからわかったのよ」


「……」


「あとねえ、毒って言うと皆どん引きするけどね、薬と毒って布一重よ? 使い様しだいで得にも害にもなるんだから。崖で死にかけてたあなたに打ったのは、深く眠らせて体の全機能を治癒に集中させるための毒。正直、出血酷かったからね」


「……俺、死んでたかもしれないってことかい?」


「いやいやいや、あれだけこの世に未練だらだらな人が死ぬのは難しい。色々聞こえたわよ、アルティオの里にテルポシエにシエ半島に……。あなた、ほうぼうに大事な人がいっぱいいるみたいね」


「……」



――俺はそんなにでかい声で、独り言いった憶えはないのだが……??



「ま、良かったじゃん。待ってるみんなを、哀しませないで済んだんだし」



 女は笑った、蒼い目の横に優しい笑いじわが寄る。



「ずいぶん良くなったようだけど、念のためにもう二日くらいはうちでゆっくりしていきなさいよ。荷物はそのまんま、小屋のすみに置いといたし。ごはんの時にでも、テルポシエの話をして。向こうに親戚がいるのよ」


「ありがとう」



 ふわーん、薄荷のよい匂いが台所から漂ってくる。



「お母ちゃーん! 誰か来るみたーい!」



 ちびっ子が、窓から顔をのぞかせて叫んだ。



「知ってるよ、患者さん」



 女は立ち上がった。つられてナイアルも杖を手に立つ。



「あんた、治療師さんなのかい? えーと……」



 呼びかけようとして名前を知らないことに、ナイアルと女とは同時に気付いた。



「やだわ、名乗るのが遅れちゃって」



 女は青い外套の頭巾をかぶる。頭巾のふちに縫い付けられた小さな平たい金属片がさやさやと揺れる、こうして顔を目元まで隠すと、何やら神秘の雰囲気である。



「人呼んで、“声音こわねの美魔女アラン”と言うのは、あたしのことよ。フフフ」



 ぞろりとした青外套をひるがえして、アランは玄関から出て行った。



――うさんくせぇー!



 立ち尽くしたナイアルの横に、姉娘がやってくる。



「はっか湯、飲む? 台所の方が、あたたかいよ」


「おっ、いいね」



 石組みかまどが幅を利かせた狭い台所で、娘はばかでかい急須から香湯こうゆを注いでくれた。



「お父ちゃんが蜜煮屋で、お母ちゃんが魔女なのか。テルポシエにも蜜煮屋はたくさんあるからわかるんだが、魔女ってな聞いたことないんだ。何をしてるんだい?」



 十歳くらいだろうか、いかにも長子的な分別くささをまとっている少女に、聞いてみる。



「やってることは、村の治療師さんとあんまり変わらないよ」



 ミオナは卓の上に、小さな盆を置いた。



「でも、薬を使ってもどうしても取り切れない痛みとか、良くなっても治りきらない病気や怪我って、あるじゃない」



 壁際の木棚から、素焼き杯をふたつ出し、盆にのせる。



「あるね」


「そういうのを辛いと思う人たちが、お母ちゃんとこに来るの。わるい部分の音を聞いて、楽になる歌をうたう」



 ナイアルは、目をぱちぱちした。……うた??


 ミオナは立ったまま、ナイアルを真っすぐ見る。



「お母ちゃんとわたし達ね、普通の人よりちょっと、色々きこえるの」


「……耳がいいんだ?」


「耳と声。うまく使えば、みんな喜んでくれる。お天気も早めにわかるし、狐を避けて鶏たちを小屋に入れることもできる。さっきみたいに誰か来るのもすぐわかるから、お湯の準備もできる」



 ミオナは二つの杯に薄荷はっか湯を注ぎ、ナイアルの湯のみにもお代わりをつぐと、「ちょっと行って来る」と出ていった。アランの患者に、持って行くのだろう。



――えーと。何なんだ、それって……?? 魔術なの? だから“魔女”?



 見えやすい男ナイアルは、精霊とそれに関する事柄(主にやり過ごし方)について、普通のテルポシエ市民よりは知っている方である。けれど、これは未知の分野だった。


 空の盆をさげて戻ってきた少女に、聞いてみる。



「俺がいた谷間の崖って、ここから遠いのかい」


「一愛里半くらいかな。二日前の朝に落ちたんでしょ? お母ちゃんすぐに縄梯子と薬箱持って、お父ちゃん連れて出てったの」


「……そんな遠くにいた俺の声、聞こえたんかい。ミオナも聞いた?」



 少女はうなづいた。



「あたしやヴィヒルはまだまだだから、ナイアル君の“苦しさ”しか聞こえなかった」


「……」 



――苦しさ??



「なんでもかんでも、全部聞こえるわけじゃないんだよ。届いてほしいって強く思って出た言葉とか、必死で出してる音とか、そういうのじゃないと、あたしはまだ聞こえない。お母ちゃんはすごい人だから、どこまでどう聞こえてるのかわからないけど」


「難しいんだな。しかし、すごい力だ」



 別の時なら、眉唾である。しかし今、ナイアルは自慢の極太眉毛につばをつける気にならなかった。これが冗談なら、一体どうやってアランは自分を救ってくれたのか。ここに無事で生きている自分が、そのまんまアランの力の証明である。



「ナイアル君、お父ちゃんにもう会った?」


「うん」



 大きな樹々に囲まれて森の中の一軒家にいるようだが、ほんのちょっと行ったところが集落の始まりなんだそうだ。父親の方のヴィヒルは、そこにある蜜煮屋で働いていると、先ほどヴィヒル少年が言っていた。



「言ってること、わからなかったでしょ」


「??」



 静かな人だと思った、優しく笑うばかりで一言も発さない。



「うちのお父ちゃん、生まれた時に妖精に声をあげちゃったの。代わりに妖精に別の声をもらったんだけど、それ普通の人には聞こえない声なのね」


「ほー?」



 妖精のせいで声が出せない、というのはテルポシエでもたまに聞く言い伝えである。



「でもねえ。実際はしゃべりまくっているんだよ。あたし達家族には、しっかり聞こえるからわかるの」



 ミオナはちょっと笑った。



「だからお母ちゃんとお父ちゃんと、そこにリオナが入るともう、本当にやかましくなるの。……でもナイアル君は、静かなお父ちゃんって思うんだよねえ」


「なーんだ、別にはにかみ屋さんとかじゃねえのか。そんなら俺も次は遠慮なく喋ろ。ミオナ、お父ちゃんの言うこと、俺っちに通訳してくんな」


「いいよ!」


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