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海の挽歌  作者: 門戸
空虚九年目 黒羽の女神と第十三遊撃隊
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197 空虚九年目3:ナイアル危機一髪


「ぐうっ。……岬のお婆ちゃん、本当に世話になりました……。五人まとめて養子にしたげるなんて太っ腹なことを言ってくれて、嬉しかったぜ……どうかイスタは、そうしてやって下さい……元気で長生きしてね。


 ううう……キヴァン婆ちゃん、タエ輸入がこれからだっつう時に、ほんと済まん。他の変なイリー業者に、引っかからないでおくれよ……。


 むうう……マリエル姉ちゃん、義兄にいちゃん、“べにてがら”をよろしく頼んだぜ。母ちゃん、父ちゃん、先立つ不肖の息子を許してくれ……。


 リリエル……ううう、リリエル! ああ、最後にもう一回抱っこしたかったなあ、ううっ! ってどだい無理だよ、もう十六かー! 生まれた時ぁ、塩袋くらいにちっちゃかったのによー!」



 ぽっぽー……。


 低くうめくナイアルの苦悩をがん無視するように、上の方の梢で山鳩がのんきにさえずった。


 さらさらさら……。


 少し下の方を流れてゆくせせらぎの音も、癒し効果抜群の清涼さである。しかし旧テルポシエ軍二級騎士・第十三遊撃隊副長の疲弊しきった心身には、もはや何の慰めももたらさなかった。



「えーと……大将。大将は一見怖い人で、実際にも怖い人だが、同時に良い人でもある。そういう大将だからこそ、俺は副長やってこれたのです。いつも服と武器直してくれて、ありがとうございました……。できればこれからは、道に迷わんで下さい……。


 うぐっ……アンリ……お前はこのまま伏兵で終わるなよ? 南区に素敵な店を構えて、全人類のために鍋をふるえ……! 採算にだけは、気をつけるんだぞ!


 ……ぐはっ。ビ……ビセンテ! 同期入営して以来、お前には何度も殺されかけた……いや、いいんだ。とどのつまり、お前は獣人だが母ちゃん思いのいいやつなのだ、俺は知っている……。アンリについてきゃ食いっぱぐれることは、多分ないぞ……。


 イスタ、お前は拾ったなりゆきで“第十三”にしちまったが。お前が自分の人生決めて行くのに、誰も今さら文句なんか言やしねえ……ちゃんと幸せになるんだぞ。


 うう、ぐうっ……しまった。今年の終わりにまた、行方不明者届の更新があるんだった……! 実にやばいぞ、姉ちゃんは気付いてくれないかもしれん。ああ、二十年分くらい更新届の書きだめしときゃ良かった! あんちくしょう……大将とアンリとビセンテの……うううっ、将来の年金が……危機にさらされっちまう!」



 うっかり、である。


 テルポシエから、慣れたアルティオの里への往復なのに、道を間違えた。山中で慌てるとろくなことがない、事もあろうにナイアルは谷間の崖から転落してしまったのだった。


 途中のとっかかり部分、はみ出した草ぼうぼうの岩場に着地したのは良いが、左腕と左脚を傷めてしまった。おそらく骨折している、どうにも動けない!


 人里離れたフィングラスとキヴァンの国境付近である。助けを呼ぶこともできず、耐えがたい痛みに責められて、とうとうナイアルの頭に過去の懐かしい記憶が浮かび始めた。走馬灯というやつである。そこでナイアルは潔く、丘の向こうへ旅立つ準備を始めた……。今まで出会ってきた人々に、お礼とさよならを言い始めたのだ。


 しかし本人の諦めとは正反対に、次々と思い起こされる現実問題がナイアルの意識を繋ぎ止め、むしろ丘の向こうから遠ざけ続けているのだった。



「うーむ、ファダンの仮住所宛てで、お(ひい)のやつに遺書を書くか。三人の行方不明者届の代書たのむってな……。そうだな、誰か見つけてくれた人が送ってくれるだろう。


 いやしかし、アルティオのぼんはどうなるんだ、俺の他にはっきり在所知る奴おらんのだぞ? はっ、いや、イスタがいるか。だ、だが……念のため、これはレイさんに遺書を書こう。


 うう……お姫、お前は今よれよれのくたくただが、立派なテルポシエの女王様だ。必ず願いをかなえろ、俺っちはウラとシャノンに合流して、お前のことをずうっと見守っているぞ……。


 げえ、ってことは俺、丘の向こうであの二人にしばかれんのかよ? たまんねえな、どら声と怪力で、むちゃくちゃ怒られそうだ。ぐぐ……ほんじゃあ、見守るのはアルティオにいるリフィの方にしとくか……」



――誰が、いるって?



 ふ、と開けた目の中に青い色彩が入る。力なく見上げると、目の前に女性がいる!



「ああ、黒羽の女神さま。お迎えに来ていただけるとは、恐縮でございます」



 絶望という名の毒に侵されても、たな言葉は忘れないナイアルである。



「お兄ちゃん、テルポシエから来たのね。誰に会いに、アルティオまで行くの?」


「……」



 ナイアルは目を瞬いた。いや女神様ではない、青い外套頭巾をかぶったとしまの女だ。



「そうねえ、ちょっと出血多いからね、ぼんやりしてんだわ。でもさっきはっきり、アルティオつったわよ?」



 女は上を向いて、早口の潮野方言で喋り立てる。誰か、崖の上にいる人と話しているのだろうか?


 それでもナイアルには、横倒れの姿勢を変えてみる気力もなかった。


 とん、足元の方の地面がわずかに揺れる。



「ちょっとがたい良すぎじゃない? 助ける価値、ほんとにあるかしらね? ほら、もし悪いやつだったら困るじゃないのよ。……あ、そうか! そうねえ、本人主張を聞いてみよう。イオナちゃんだって、よくたずねてたじゃないの」



――いま、イオナっつった? 気のせいか?



 本格的にぼうっとしてきたナイアルに、女はぐぐっと顔を近付けた。青い頭巾をぱっと取る、金髪でなし赫毛あかげでなし、不思議な色の髪が陽光につやつや輝いている。



「お兄ちゃん。あなた悪人? それとも自称善人? どっち」



 としま女は狡猾な笑顔を向けている。何となくナイアルは、しゃくに触った。テルポシエ北区男児がしゃくに触れば、それすなわち啖呵で返せということになる。



「悪いも善いも、俺ぁ乾物屋だぁあッ」



 いきなりぎょろ眼をむいて弱々しく吼えた怪我人に、女はきょとんとする。次いで、今度はほんとの笑顔になった。その横、もっさり毛だらけの男がひょいと顔を並べる。



「気に入った。ようしヴィー、起こしてやってッ」



 男はうなづいて、ナイアルの背に腕を入れ、優しく抱き起す。ごつい手が、ナイアルの首に巻かれた覆面布を押し下げたらしい。



「……??」


「はい、ちょっと、ごめんねぇー」



 ぷすッ。


 何かが首筋に刺さったようだ、ごくごく小さくて細いもの……。ナイアルは、ふんわりと意識を失った。



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