196 空虚九年目2:ふしぎの白鳥ヌアラ
ヌアラ、という名のその白鳥は、その後ずっと天幕の中で眠り続けた。
夕方水を飲み、香湯用の乾燥いらくさをもしゃもしゃ食べて、だいぶ元気になったと見える。介護妖精ジェラ婆ちゃんに体をふいてもらって、ほんとの意味の白鳥にもどった。プーカが灯り代わりにあかるい天幕の中、メインと精霊たちに囲まれて話している。
『そいでねえ、あたし三つ子の弟がいるの。皆で湖で団らんしてたらさ、おっかない声でウモー! って、いきなり投げ網かけられて、あっちゅう間に赫毛の女にとらわれたんよ!』
何ということだ、イオナはぶっちぎり元気らしい! メインは嬉しさ半分はらはら半分で、ヌアラの話に聞き入る。
「……やわらかふとんが欲しかっただけなんだ……、ごめんよ、許してやっておくれ」
『なんであんたが謝るの? でも、すぐにフィオナがあたしら人間だってわかってくれて』
『人間? お前ぇ精霊でねえが』
パグシーが不思議そうに首をかしげた。
『いやー、人間なんだわ。うちらきょうだいね、魔女の継母のおしおきで呪われて、こんな格好になっちゃっただけだから。うっかり矢でも射られたら、まじで一巻の終わりよ』
メインはパグシーと顔を見合わせた。そんなの聞いたことがない。
「おしおきって……?」
『九百年、白鳥の姿で荒野をうろつけって罰』
『「きゅう、ひゃく、ねーん!!」』
メイン以下、彼の精霊たちは、そろって口を四角く開けた!
『いったい、どんなすさまじいおいたをしたのよ!? あんたら!』
すごごごご! 小さな炎の翼を燃え立たせながら、プーカが聞いた。
『いやそれが、全然わっかんないんだわ』
ヌアラの返答に、メインは顔をしかめた。
「最悪じゃないか、それ。どうして叱られるのか、理由のわからない子に罰を続けさせるなんて」
『まあね。けど今はちょっとだけ、継母の気持ちもわからないではないよ? せっかく後妻に来たのに、老けた王様は前のお妃の子ども達にかまけてばっかし。自分のことはほったらかしってなればさ、継子を呪いたくもなるんでないの』
「思ってても、実行しちゃだめだよ……人としてさ」
『……待で、ヌアラ。お父ちゃんが王様づう事は、はぁ、お前ぇもお姫さまだったっで事がい?』
『っぽいね。もう二百年以上も前の話だし、その辺は忘れたようん』
やたらさばけた白鳥姫である。
『そいでね、フィオナがあたしの話を聞いてくれて、弟たちもよくなついたもんだからさ、今あの子んちに一緒に住んでんの。イオナお母ちゃんも優しくしてくれて、もうウモーって言わないよ』
メインは色々な意味でほっとした。
『あと、フィオナは“女王様”にも話をしてくれたよ。残り七百年を全ちゃらにはできないけど、フィオナの役に立つことでちょっとずつ、呪いを減らすご褒美をくれるって。だからあたし、頑張って飛んだんだ』
「ほんとにありがとう、ヌアラ。微力だけど、俺からも解呪の術をかけてみようか? 一年二年くらいは、残り期間を縮められるかもしれない」
『あ、いいよ、いいの』
白鳥はぱさぱさ、手のひらのように翼を振った。
『あたしだけ早めてもらっても意味ないから。呪いが解けるときは、三つ子の弟たちも一緒でなくっちゃ』
「あ、そうか……」
『弟たちもね、今ずっとフィオナを守っているよ。女王様のご褒美のためっていうのもあるけど、うちらみんな、フィオナが大好きなんだよね』
「どんな子に育っているんだろう」
『いい奴よ! ほねほねに突っ張っててさあ、しょっちゅうお母ちゃんと大げんかよ』
『何じゃああああ、そりゃあああ』
『あの、フィーたんがああああ』
『お母ちゃんに似てるけど、違うところもいっぱいあって、見ててすっごい不思議だったんだけど……。ここ来て納得』
「?」
『そっくしよ、メインに』
「……」
『すごい息まいてるよ。巨人から助けに来るんだって、メインのこと。そう遠くないうちに』
「あの子が……?」
メインは首を捻った。嬉しいんだけど……でも、相当遠くにいるらしいフィオナとイオナは、どうして自分が巨人に囚われていることを知っているのだろう?
『でも、イオナお母ちゃんは助け方が全然わからないうちはどうにも、って言うの。そこでフィオナは行けば何とかなるって強気でくる、はぁいつも通りにぎゃんぎゃん戦争開始だわ。リフィがとめ、ローナンがとめ、あたしらもとめるし、ナイアルやスカディがいれば引っ張り込んでとめさす……。でもすぐ、繰り返すのよ』
「ローナン?」
知ってるようなのと全然わからないのと、名前が入り乱れた中で、その男性名がメインをどきっとさせた。
『うん、フィオナの弟のローナン』
白鳥は何でもないように言った。
『うへぇ――ッッッ! 嫁っこ、家出しだ時に妊娠しどっだんがーい!』
『知らんかったわッッ、メインは知ってたの?』
ふるふるふるっとメインは首を横に振る。それでパグシーとプーカ、精霊ふたりはびしびしっと固まった。
――べ、べ、べつのお父ちゃんとの子かしらん!?
「ローナンって言うからには、俺とイオナの子だと思うんだけど。……なにか、事情あるんだろうね」
内心がたがた震えそうなパグシーとプーカをよそに、メインはさらっと、けれど嬉しそうに言う。
「フィオナと一緒に、いつか会えるかな」
にゅっ、と垂れ幕をくぐって、巨大なけもの犬ジェブが天幕に入ってきた。
『日が沈んだぞ。ことりちゃんは、どこでねるんだ』
『あー、あたし、水のうえ中心。でもここでも平気だよ』
「んー……ヌアラや。俺、夜はちょっとうるさいからね。そうだ、この丘の隣の墓所に、小さな水場があるから。そこどうだい」
『そうする!』
『ジェブが連れてってやる。背中にのっかれ、ことりちゃん』
一匹と一羽は、ゆうゆうと出て行った。
『次に来るとき通してもらえるよう、霧女どんさちゃんと紹介すんだぞい、ジェブよう』
最後に出入り口をくぐるけもの犬の巨大なしっぽに、パグシーが呼びかけた。
「はあ、今日も嫌な時間が来る」
メインはその辺をもそもそ探して、毛皮を敷いた寝床の上に、長細い毛糸編みのふくろを置いた。腹巻の延長でエリンが編んでくれた、超大作の寝袋である。天幕の中をあかく温かく照らしながら、プーカはメインをあわれんだ。
『でっかい、なまこのようだわ……』
こんな格好をしても、やはりメインは寒いのである。
闇とともに地下深いところにいる赤い巨人、赤い女神がメインの“熱”を吸い取り始めるのだ。
悲愴なうめき声がヌアラに聞かれなければいい、と皆思っている。
白鳥が伝えれば、フィオナは驚いて悲しむだろうから。
「今夜は大丈夫さ。フィオナに力をもらったから、耐えられそうだよ」
もこもこ寝袋から頭だけ出して、メインは笑った。
――じきに、もうすぐ。会えそうな気も、してきたし……。




