195 空虚九年目1:想いをのせて飛ぶ白鳥
※新章に突入いたします。「黒羽ちゃんと不滅のお供え騎士」を読まれる場合は、こちらの前でのタイミングをおすすめします。
(※業務連絡 デリアドのカヘル副騎士団長、おつかれさまでした)
イリー暦199年。九年目の空虚の話である。
・ ・ ・ ・ ・
今日も丘の上の巨石に座して、メインはどうにか呼吸している。
ここのところ、彼は弱ってきていた。あまりに辛い。もしかしたら、もうだめなのかもしれない……という思いがつきまとうようになった。
だからエリンやケリー、パスクアの言葉が時々遠くなる。皆心配そうな顔で、自分の目の前で話してくれているというのに。
夜は長く、少しずつ生命を吸われるその苦しみが、日に日に粘っこい痛みを増してきた。巨石の上で仮眠をとれるその時だけが、ごくわずかな休息という気がする。
このまま目が覚めなければどんなに楽か、……いやだめだ、だめだ。起きなくちゃ。
「……」
毛布にくるまり、巨石の上に敷いた毛皮に横になっていた彼の目、漠然と灰がかった白い空を映していただけのその瞳が、小さな影をとらえた。
「……パグシー、いるかい」
『おうよ?』
「あれ、見えるかい。さっきからずっと、上をうろうろしてる子」
巨石の上に現れた藪にらみの妖精騎手は、じーっと上空を見つめた。
『鳥に見えっけど、同族だぞい』
「やっぱりそうだね。悪意は全然感じない」
『迷子だなす。おんなし所さ、ぐるぐる飛んで』
「うん、間抜けちゃんだ。でもひょっとしたら、パグシーの結界のせいで迷ってるのかもしれないし……。ちょっと行って、道案内しておいでよ」
『んだな。したら、流星号ー』
いも虫にひらりと乗って、パグシーはすういと昇っていった。その姿が点になって、上空をいまだ旋回している影に近付く。二つの影は、しばらく一緒にぐるぐるしていたが、やがてゆっくりと大きくなって、メインの横たわる巨石に向かって来た。
かなり苦労して、メインは起き上がる。
そのすぐ脇に、すういと妖精騎手がやってくる、くるみ色の顔がかたく強張っていた。
べしゃん!
巨石のすぐ手前に、白いかたまりが墜落した。
『ぎゃひっ』
しかし、すぐにむくりと起き上がったもの……。それは小さめの白鳥だった。
『どうも、こんちは!』
……白鳥のかたちをとった、精霊である。
「福ある日を」
メインも静かにこたえる。一応白鳥と記してみたが、白い部分は黒っぽく汚れて埃まみれ、脚も泥まみれ、ちょっとかわいそうなくらいによれよれだった。
「……遠くから来たの? きみ」
『そうー! あのね、エノ軍の頭やってるメインって人、探してんですけど!』
メインは、眼をぱちくりさせた。パグシーと顔を見合わせる、彼の顔が強張っていたのはこのせいか。
「メインは、俺だけど」
途端に、白鳥がきっっっとメインを見た。
『うそッッ』
「精霊相手に嘘ついたら、舌が腐っちゃうよ」
メインはべー、と舌を出してみせる。
『む……本当だ。思ってたのとちょっと、全然、すんごい違う。でも一応証拠みせて! みどり色なはずよ、メインなら』
「緑色……このこと?」
手袋を外して、文様をちょっとだけ浮き出させてみせた。
『あ、ほんと。頬っぺたもだわ。ほんじゃ間違いないのね、あんたメインね』
「そうだよ」
『一回こっきりしかできないからさ、しっかり聞いてよ』
「?」
白鳥は、きりっとした態度で居住まいを直すと、翼を大きく広げた。
小さなその翼がぐぐっと大きく、大きくひろがって、巨石に座るメインの全身を包み込む。ふわふわと優しい感触に次いで、声がした。
――メイン。
彼は息を止めて、瞳を見開く。
――おとうさん。
卵の時から知る声。ころころ笑っていた赤ん坊の声。真っ白い声。フィオナの声。
白い羽毛に埋め尽くされた視界の中、真っ白い光が熱を帯びてはじけた。
ざあっ、と羽の洪水が消え失せて、メインは元通りの丘の上の風景を見る。
目の前の白鳥はふらっとよろけ、ぱたりと地に倒れた。
思わず、メインはよろよろと這いずって近寄る。膝の上に抱き起してみると、白鳥はぐったりして、しかし嬉しそうだった。
『たったふた言だけで、ごめんね。初めてやったからさ、これでもうあたし精一杯』
「……十分だよ。ありがとう」
『まさが……まさがフィーちゃんが? 今の声??』
『……フィーたんだわ!』
もわっと現れた炎の妖精プーカ、翼がもも色に燃え盛っている!
『ごろり』
のっそり現れたけもの犬ジェブが、喉を鳴らした。
さわさわさわ、皆の頭上で梢が騒いだ。樫の樹の枝にぶわっと白い花が咲き躍った、緑樹の女ヴァンカの人間部分がにゅうと地面から出てきて、メインの背中に手を添えた。
つ、とメインの頬を涙がつたう。
「想いをのせてとべる精霊が、いたんだね」
『体力には、自信あったんだけどなあ……。やっぱ遠かった……』
ふふ、と久し振りにメインは笑った。
体が少し軽くなっていた。ちょっとだけ、力が湧いてきた。
小さな白鳥を抱いて、また巨石に腰かける。
「何か好きなもの、あるかい」
『いらくさ!』
「乾いたのがあるから、あげるよ。あの子のところへ帰る前に、ゆっくり休んでおいで」




