194 第三妃ミーガンのふたご育児日記
冬至すぎにしては暖かい、晴れた午後である。
すぐに翳ってしまうのだろうけど、それでもかすかに微笑みかける陽光をめいっぱい浴びるために、マグ・イーレ王の第三妃ミーガンは、居間の小卓をぐいーと窓際に寄せた。
「ロイちゃん、ゾイくーん。そろそろ、お仕度始めなさいなー」
ミーガンは廊下の方に向かって、軽やかに声を投げる。
お昼をたべて、じきに午後ふたつめの鐘が鳴る。市内の計算教室でお稽古がある日だから、近衛騎士が双子を迎えに来る時刻だ。
何を隠そう、ミーガンは資格取得の鬼であった。
幼少時からとにかくお勉強が大好き、広く浅く様々を吸収するのが得意なのである!
マグ・イーレの騎士修練校で、準騎士として学んでいた時も武道鍛錬こそしなかったが、学科では年少生徒の補助役をしていた。
その流れで教師と保育士の資格があるし、なんと二頭立て馬車の運転免許も持っている。
ランダルと同居を始めてからは、とにかく書道の腕がめきめき上達(当たり前だ、しょっちゅう夫作品の清書をしている)、五段のランダルに及ばないものの、イリーお習字初段まで取ってしまっていた!
そこに加えて、貴族女子がたしなむ家政一般まで網羅しているのだから鬼に棍棒、いぼいぼ戦棍だ。こんな人と暮らしていれば、子どもは毎時毎秒が学びである。
しかしミーガンとランダルは、双子に“外で学ぶ”機会を持たせたかった。
正妃ニアヴに、フィーランとオーレイが通っていた市内の計算教室をすすめてもらい、いま週に二回通わせている。徐々に他の習い事も試させたい、と思っている。
貴族と平民と、皆の中に入っていって、自分で自分の友達を選ぶ……マグ・イーレ王室はそういうものと、考えているのだ。
ひょいと居間に入ってくるものがいる、……ゾイ王子である。
「ゾイ君、ちゃんと歯をみがきましたか!」
こがらな細身の男の子はうなづいて、歯をむいた。きらーん!
「ぜんぶ用意しちゃった。お迎え来るまで、ここで本読みます」
両手に手提げ袋と外套、……ほんとだ、準備万端できている。くるくる濃いめの褐色巻き毛にも、ばっちりくっきり櫛目が通っていた。
「そうね、明るいところがいいわね!」
小卓脇の椅子に座って、王子は手提げから巻き布本を取り出す。彼より、ずうっと上の年齢向けの空想冒険小説である。
ミーガンはその隣、裁縫箱をあけた。自分のとランダルのと、麻衣のほつれをかがろうと思う。しかし糸がちらついて、微妙ーにいらつく。
――針穴って、小さすぎるわよね!? さすがわたしも、五十代終盤!
小さな手が視界に入ってきて、ミーガンの手の中の糸と針にほそい指が添えられる。
その瞬間、糸が針穴を通っていた。……王子が身をのり出して、手伝ったのだ。
「ありがとう、ゾイ君」
少年はうなづいただけで、またすぐ本に目を戻した。
襟のふちをかがりながら、ミーガンはゾイをちらちらっとぬすみ見る。
ほんとの本当に、不思議な子である。ランダルの血が入っていないのに、どうしてここまで似ちゃってるのだろう、と頭をひねりたくなる。ランダル実子のフィーランやオーレイよりも、むしろ似ている気がするのだ。
――まあ、大きくなったらゲーツさんみたいになるのかもしれないけれど……。一緒に暮らしていると、こうして似通ってくるものなのかしら? それにしては、ロイちゃんはわたしに全然似ないわー……。
マグ・イーレ王の頭髪は、だいぶ白くなったが元々はきれいな栗色である。ゲーツの方は、常に短く刈っているからわかりにくいが、実は濃い褐色のまきまき巻き毛なのだった。
≪……こぶしが、効いた感じなんです……≫
双子の実父、ゲーツ本人がいつだったか言った時、ミーガンにはその意味がさっぱりわからなかった。こぶしの効いた巻き毛って……何? どんなの? こぶし……ぱんち??
とにかく、ランダルとゲーツの地の髪は、たまたま似た系統だった。ゲーツ側の髪質を受け継いだ王子の見た目がランダルに似通うのは、それが大きいのかもしれない。
ゾイは年明け、じきに七つになるところである。
もうちょっと経ったら、自分に淡紫のりらの花を差し出してきた、あのぴっかぴかの少年そっくりになるのかも、思い出して第三妃はにやついた。ふふふ……。
「大母さまあぁぁぁぁぁ、おてがら結んでえぇぇぇ」
どだだだだ!
居間に娘が駆け込んでくる。振り返ってミーガンは、ほがっと驚いた。
さっきまで着ていた、普通のきなり色毛織長衣は脱いでしまって、ばら色上衣にそろいの股引、全身びっかびかである! まぶしいくらいだ、うう目が痛いッ!
それもそのはず、ロイが着ているのは、子ども用に夕方でも目立ちやすい安全第一の乗馬服なのだ! (ちなみにゾイ君のは蛍光黄色である。)
「ろ、ロイちゃん……。乗馬でなくって、計算のおけいこの日ですよー??」
「わかってるけど、これ着ていきたいの! はやくはやく、おてがら蝶々にして!」
手渡された幅広てがらを、白金髪のおかっぱ頭に巻いて、てっぺんに巨大なむすび目をこしらえてやる。
これだって強烈にあかるい、もも色である……。
――ううむ……。じきに七歳……。さすがに、ちょっと……。
金髪のイリー女子は、明るい暖色の衣類・装身具を避け始める年頃だ。
「あのね、ロイちゃん。あなたもお姉さんなのだし、もも色ばら色は、そろそろ卒業を……」
「大母さまぁああ、これはあけぼの色ですぅううううっっ」
ロイに、きぃーんとした声で大反発されてしまった!
「ロイはこの色が、いちばんいいのーッッ」
見ているこっちがびっくりするくらい、顔をまっかっかにして、娘は言った。
「ロイちゃん、外は寒いよ。外套もっておいでよ。手提げはどうしたの?」
「ああーん!!」
ゾイの平らかな言葉に、小さな両手こぶしをぶんぶん振って、もどかしげに娘はたたんと足ぶみをする。だだーっ、と居間を出て行った……。
ミーガンは、ぽかーんとした。
ロイちゃんは良い子である。元気で優しくってあたたかくて、ランダルやミーガンのことを気づかってくれる、小さなすてきなお姫さまだ。……しかし時々、今日みたいに妙ちくりんになる。
「大母さま、しょうがないよ。ほら、今日お迎えに来るの、ロイちゃんおきにの準騎士兄さんじゃない」
「ふあぁっ、そうか! そうだったわねぇ!」
全身もも色、……じゃなかった、あけぼの色に染まってしまうのは、仕方のないことなのだ。
そう言えばあのてがらだって、以前そのおきにさんにもらったおみやげで、ずうっと大事にしてるのである。
……なまあたたかく顔をほころばせて、ミーガンはゾイの隣、やさしい陽光の降りる卓子につき、再び麻衣を取り上げた。
あんまり幼すぎる、まだまだ恋の意味なんてわかっちゃいないのだから、……世間さまでは、ふふふと笑ってすますだけのことかもしれない。
けれども。
それがどんな緑に育って咲くのかは、誰にも、……本人にもわかりはしないのだ。微笑ましさの内側に芽生えるものを、ロイとゾイには大事にして欲しい、ミーガンはそう願っていた。
ちょうどそういう風に自分を想い続けて、とうとう幸せにしてくれた大切なひとりの少年を、彼女はようく知っているから。




