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海の挽歌  作者: 門戸
冷えひえカヘル若侯の怜悧な推理
192/256

192 冷々15.“西還海流”

 騎士団本部の置かれたデリアド城から、市庁舎まではほんのひと足である。


 城塞的なカヘルの職場と違って、開放的に扉の多くあかるい市庁舎、なかみとして働いている人たちもほとんどが文官だから、雰囲気も大きく異なった。


 側近連れでいきなりあらわれた副騎士団長に、地勢課長の年輩文官騎士はかなり狼狽している。



「は、あの、この調査報告書は部下が作成いたしまして……」



 たしかに重要度の高さについて、そして背景にある首なし漂着死体事件については、言及せずに依頼した。しかし文官騎士の後ろには、板じきりのついた机が二台あるっきりなのである。彼が言う部下の姿はない。



「詳細を確かめたい部分があるのです。できれば水流を示す図と一緒に」


うけたまわりました」



 開けっ放しの扉の方から声がして、化粧っ気まるでなしの、こわもて・・・・風としま女があらわれた。


 そいつが、じゃきっと騎士体・・・の挨拶礼をするのである。



「わたしが調書を作成しました。準文官、ザイーヴ・ニ・ファイーです」


「副騎士団長、キリアン・ナ・カヘルです。調書のさいごに提案されていた、海流・・についての説明を、できれば図解でお願いできますか」


「はい、こちらへ」



 話しているうちにも、ファイーはずいずいへやの奥へ入って、棚から大判巻物を取り出していく。


 顔にはもちろん出さなかったが、こういう女性の市職員がいるとは全く予想していなかったから、カヘルは内心で少し驚いていた。


 黄土色の毛織作業衣に革長靴、山狩りの時に自分たちがしていたのと同じかっこう、あごの辺りで切りそろえた髪が揺れている。


 ばらっと広げた巨大な地図布を、ファイーは手際よく壁の平板にびょうで留めていく。



「……これは、イリー世界の総地図ですが……?」



 側近が戸惑った声をあげた。



「いいえ、アイレー大陸東側・・の、海流つき全図です。これを使わないと、説明できません」



 ファイーはぴしりと言った。


 側近は小首をかしげる。カヘルが調査を依頼したのは、デリアド領を流れる河川だったのに……。


 目の前に広がったのは、“白き沙漠”以東の壮大なアイレー世界。山岳地キヴァン領と穀倉地帯、極東部分の大半島と言う大物の他地域に押しまくられて、いま自国デリアドは、地図の左隅っこに小さくなってしまっている。



「デリアドの領海南部には、“西還海流”が通っています」



 ファイーは細長い木棒を使って、地図のだいぶ下方をさした。太い矢印が、くろぐろと海中部分に描かれている。


 カヘルと側近には、はじめて聞く名称であった。



「……イリー海をひろく西向きに流れている、偏西流とは別のものなのですか?」


「その通りです。と言うより、イリー偏西流がそもそもこの西還海流の副流なのです。本流の方はずっと幅広く流れていて、……そのはじがこちら、デリアド岬にわずかにぶつかることから、“銀の浜”に流入している、とも言えるのです」


「……知りませんでした」



 カヘルに向き合い、ファイーはうなづいた。



「一般的には、ほとんど知られていないのです。イリー世界の漁撈ぎょろうは偏西流域内で行われていますし、ティルムン交易船団もここまで南下する労を取りたくないから、やはりイリー偏西流にしか頼りません。注目しているのは、ごく少数の地理学者と動植物学者くらいでしょう」



 側近の脇に控えていた、地勢課長がもじもじっとしたらしい。


 カヘルは一歩二歩、進み出て地図のすぐ前に立った。


 南海部分の太い黒矢印を指し、逆向き東方向にたどってゆく。



「……それは、イリー世界をはるかに越えて、東部大半島から来ている……」



 カヘルの右手人差し指はテルポシエを過ぎ、地図の半分を占める東部世界、……東部ブリージ系の民の領域だった大半島の沿岸をたどる。その南東先端で、とまった。



「そこを、下へ」



 ファイーの声に、カヘルは顔を上げる。



「ずっと南下した所にある島嶼とうしょ部が、我々が現在知りうる西還海流の最遠部です。その先については、全く知られておりません」



 カヘルは布地図の隅を見た。ぶつぶつと浮かぶ島々の図が、そこで切れている。


 イリー人の地理知識の限界であった。



「ファイー侯。この海流に、のってくるもの……運ばれてくるものは、あるのでしょうか?」


「あります」



 女性文官は即答した。



「わたしの父は、動物学に通じておりました。二十年以上前、あの“銀の浜”に奇妙なあざらしの死体が漂着した時に調査をして、西還海流によってもたらされたのでは、と推測したのです」


「我々の知らないあざらしだったのですか?」



 あざらしほどではないにせよ、自身もひげの長い側近が興味深く問うた。


 灰色のあざらしは、テルポシエからデリアドまでひろく分布していて、漁獲対象になっている。



「はい。灰色あざらしよりずっと大きくて、いかつい顔つきにひげのたくさん生えた、黒いあざらしです。東部民が話に伝え語るところの、“ひげあざらし”に特徴が一致しました。ずっと寒冷な、南の海に棲息すると推測される種です。父は、その島嶼部以南に棲むものが、海流に運ばれてきたと考えました」


「しかし、そんなに遠くから……! いったい、何愛里あるのでしょう?」



 半信半疑で、側近がたずねる。



「五百四十愛里、といったところですね。……あざらしの身体は、ほとんど傷んでいませんでした。冷たい海流にのって、かなりの速度で運ばれてきたことを意味しています」



 ここまで言って、ファイーはじっとカヘルを見据えた。すさまじい叡智・・圧のある眼力である。


 カヘルもまた、彼女を見返した。



――つまり貴侯あなたは確信している、と?



 にぎっと口角が上がった、ファイーは笑ったようである。……知っているのだ、漂着死体の事件詳細を。市庁舎勤務の準文官、それも調べ物の得意な人なら、簡単に知れることであろう。



「ひげあざらしはその後も、七・八年おきに漂着しています。……人間の身体に同じ事が起こっても、全く不思議ではありません」



――我々の地にたどり着いたあの首のない男は、アイレー最果さいはての島々からやってきたと言うのか。



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