191 冷々14.カヘル若侯、仕事に逃避する
登城する頃には、一応通常仕様のカヘルになっていた。
長い前髪はきれいに後ろ向き撫でつけてあるし、朝食後にじゃこう草湯の淹れがら布袋をしぼってあてたから、まぶたのむくみもすっきり取れている。
しかし、長年の付き合いがある側近騎士は、きちんとその辺を見抜いていた。
目を合わせないよう、すうーと横から署名分の書類を出し入れしつつ、おだやかな声でもちかける。
「……例の傭兵の死体について、侯のいない間に、ひとつ思い当たったふしがあります」
「何ですか」
ほとんどしゃがれるような、地ひびき低音でカヘルも答えた。
「首を切ったのは、そもそも何のためだったのか? と」
「……。遺体の身元を、他者に知らせないためでしょう」
音声こそすりきれているが、平坦な調子でカヘルは言った。
「はい。しかしそれなら、どうしてすぐに傭兵のものと判別できる衣類のまま、身体を流したのでしょう? 本当に身元を隠したままにしたいなら、裸にして森や山中に埋めてしまった方が確実だと、私は思ったのですが」
「……それも、そうですね」
――では殺害者たちは、そういった“確実な方法”をとれない状況にあった……?
死体の謎に全神経が集中する、カヘルが不機嫌を忘れたのを感じ取った側近は、すかさず副団長の視線にきっちり自分の目線をあわせて、はっきりと言った。
「これも、工作なのではないでしょうかー!」
「工作?」
「本当は、エノとも傭兵ともまるきり関係のない人物が、殺されたのかもしれません。それをけむに巻くために、いかにもエノ傭兵のようなお仕着せ衣装を着せて、流したのではないでしょうか」
手は込んでいるが、……なるほど自分の殺した者の身元を隠すには、ありえるかもしれない。
しかしそうすると、事件は全くの振り出しに戻ってしまったことになる。……手掛かりがここまで、皆無とは!
目を落として考え込んだカヘルの視界、ふと机上の隅に置かれた、太い布巻が見えた。
「おや、見落としていた。これは?」
「あっ。それは市庁舎から、昨晩届いた調査報告です」
かねてから地勢課に頼んでおいた、“銀の浜”に注ぎ込む水流の詳細である。
事務的にくるっと開封して、カヘルは何気なく読んだ。そして、眉根を寄せる。立ち上がった。
「市庁舎へ行きます。確認したいことがある」




