187 冷々10.ルリエフ・ナ・タームの泣き落とし
カヘルは目を細めた。
側近が恐れる青い眼光が、ずきゅんと卓の向こうの男を射抜く。
タームは全く動じなかった。変わらず平静に、こちらを見ている。その後ろにいるカヘルの直属部下二人は、視線をゆっくり周辺にまわしている……。
やがて、タームが口をひらいた。
「……私は、追放以前から旧体制のあり方に疑問を持っていました。無能だったテルポシエ執政官らの愚策により、蛮族に国をのっとられたのも自然な流れだったと思うのです。
……もし、もしですよ? 包囲のさなかに、他のイリー諸国の支持があったら。すぐれた外部指導者が介入していたなら、あんなまずい敗戦はなかったでしょう。エノ軍をこれ以上拡張させないためにも、私はあなたが考えるところの“理想”の実現に、賭けてみたいのです」
炉の炎のかもし出す光が、タームの白い目じりをきらつかせていた。男はその顔を少し伏せる。
「私の母は、追放直後に死んでしまいました。陥落の際に行方不明になった父のことを悲しみすぎて、生きていられなかったのです。オーラン国境付近の森に埋めて、墓標をつくることもできませんでした」
聞き取るのに少々労を要する調子で、タームは続けた。しかしふたたび、顔をあげる。
「これは、全て私が一人で推測したことです。もし、見当違いを言っているのでしたら、お恥ずかしい限りなのですが……。あなたの、デリアドの……イリーの理想のために役立ちたいと、思うのです。そうでもしないと、哀しみの中に消えて行った両親の無念から、私は一生逃げられないでしょう」
「……ご意向は、承りました」
タームとは正反対に、全く感情をまじえない声でカヘルは言った。
「毎回名前は変えて、……筆致も変えて下さい。代書業者さんなら、簡単でしょう」
タームはうなづく。
「わかっておいでとは思いますが、情報を得るためであっても、あなたの側で私や私につながる者の名を使う事は、極力お控えください。あなたは私というものを知らず、私もルリエフ・ナ・タームという人物を知らない。それで納得いただけないようであれば、私は知らない方からの便りは、読まずに破棄します」
「それでけっこうです」
微笑して、タームはうなづいた。
「……耳を傾けていただいて、ありがとうございました。ときにカヘル侯、お子さまは?」
ぐさッッッ。
どういう頃合でこの質問なのだッ。カヘルは渋面をつくらず済ませるのに、相当の精神力を要した。
お子さまどころか奥様があぶない、ばつ二になる寸前である。
その瞬時の沈黙に、タームはかまわなかった。さばさばとした調子で続ける。
「いらっしゃるのでしたら、近年お誕生のマグ・イーレの双子の王子様お姫様に、ぜひお近付けになさるのがよいでしょう。マグ・イーレ親派のデリアド副騎士団長がそうしても、誰も不自然とは思わない」
「は……?」
「あるいはあなたご自身が、お姫様に近付いてもいいんだ。お若いのだから」
にこっっ!!
やたら人懐っこい円かな笑顔で、タームはさらりと言うと立ち上がった。
カヘルも次いで立つ。視線が交差した、……この男こそ、ずいぶん若いじゃないか?
「本当にありがとう、カヘル侯。会えて良かった、私はあなたがいいと思っていますよ。さようなら」
ふっと礼をして、タームは足を引きずりながら歩いてゆく。
いつのまにかずいぶん混んできていた店の中、泡酒の杯を片手に談笑しあう客たちにまぎれて、その後ろ姿はすぐに視界から消えてしまった。




