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海の挽歌  作者: 門戸
冷えひえカヘル若侯の怜悧な推理
187/256

187 冷々10.ルリエフ・ナ・タームの泣き落とし

 カヘルは目を細めた。


 側近が恐れる青い眼光が、ずきゅんと卓の向こうの男を射抜く。


 タームは全く動じなかった。変わらず平静に、こちらを見ている。その後ろにいるカヘルの直属部下二人は、視線をゆっくり周辺にまわしている……。


 やがて、タームが口をひらいた。



「……私は、追放以前から旧体制のあり方に疑問を持っていました。無能だったテルポシエ執政官らの愚策により、蛮族に国をのっとられたのも自然な流れだったと思うのです。


 ……もし、もしですよ? 包囲のさなかに、他のイリー諸国の支持があったら。すぐれた外部指導者が介入していたなら、あんなまずい敗戦はなかったでしょう。エノ軍をこれ以上拡張させないためにも、私はあなたが考えるところの“理想”の実現に、賭けてみたいのです」



 炉の炎のかもし出す光が、タームの白い目じりをきらつかせていた。男はその顔を少し伏せる。



「私の母は、追放直後に死んでしまいました。陥落の際に行方不明になった父のことを悲しみすぎて、生きていられなかったのです。オーラン国境付近の森に埋めて、墓標をつくることもできませんでした」



 聞き取るのに少々労を要する調子で、タームは続けた。しかしふたたび、顔をあげる。



「これは、全て私が一人で推測したことです。もし、見当違いを言っているのでしたら、お恥ずかしい限りなのですが……。あなたの、デリアドの……イリーの理想のために役立ちたいと、思うのです。そうでもしないと、哀しみの中に消えて行った両親の無念から、私は一生逃げられないでしょう」



「……ご意向は、うけたまわりました」



 タームとは正反対に、全く感情をまじえない声でカヘルは言った。



「毎回名前は変えて、……筆致も変えて下さい。代書業者さんなら、簡単でしょう」



 タームはうなづく。



「わかっておいでとは思いますが、情報を得るためであっても、あなたの側で私や私につながる者の名を使う事は、極力お控えください。あなたは私というものを知らず、私もルリエフ・ナ・タームという人物を知らない。それで納得いただけないようであれば、私は知らない・・・・方からの便たよりは、読まずに破棄します」


「それでけっこうです」



 微笑して、タームはうなづいた。



「……耳を傾けていただいて、ありがとうございました。ときにカヘル侯、お子さまは?」



 ぐさッッッ。


 どういう頃合でこの質問なのだッ。カヘルは渋面をつくらず済ませるのに、相当の精神力を要した。


 お子さまどころか奥様があぶない、ばつ二・・・になる寸前である。


 その瞬時の沈黙に、タームはかまわなかった。さばさばとした調子で続ける。



「いらっしゃるのでしたら、近年お誕生のマグ・イーレの双子の王子様お姫様に、ぜひお近付けになさるのがよいでしょう。マグ・イーレ親派のデリアド副騎士団長がそうしても、誰も不自然とは思わない」


「は……?」


「あるいはあなたご自身が、お姫様に近付いてもいいんだ。お若いのだから」



 にこっっ!!


 やたら人懐っこいまどかな笑顔で、タームはさらりと言うと立ち上がった。


 カヘルも次いで立つ。視線が交差した、……この男こそ、ずいぶん若いじゃないか?



「本当にありがとう、カヘル侯。会えて良かった、私はあなたがいいと思っていますよ。さようなら」



 ふっと礼をして、タームは足を引きずりながら歩いてゆく。


 いつのまにかずいぶん混んできていた店の中、泡酒の杯を片手に談笑しあう客たちにまぎれて、その後ろ姿はすぐに視界から消えてしまった。

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