176 空虚八年目11:第十三遊撃隊、ねんきん問題を考える
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「ただいまー。隊長ー、ビセンテさーん、お婆ちゃーん、アンリが帰りましたよー」
テルポシエ市内へいつもの往復をしてきた旧軍二級騎士、第十三遊撃隊めし係は、シエ半島にある小さな集落はずれの一軒家へと帰還した。
単独で対エノ戦線を張る彼らの、極秘のねぐらにして心地よすぎる理想のマヨヒガ、“岬のおばあちゃん宅”である。
「隊長、戻りました。帰り道でまた、長靴のひもがぶっちぎれてしまったので、修繕をねがいます」
居間の卓上に大きな漁網を広げていたダンは、無言でうなづくとアンリの手から迷彩しみしみ柄の外套を受け取り、破損がないか調べ始める。
「ナイアルさんとイスタは、予定通りにファダンへ向かいました。オーランから駅馬を使うので、嵐でも来ない限りは五日以内に帰還できるはずです。お婆ちゃん、次の朝市には俺が行くから、イスタがいなくても心配しないでね」
安楽椅子の中で編み物をする老婆に微笑んでから、アンリは卓子にのせた麻袋の中身を出してゆく。“紅てがら”で補充した、マグ・イーレあら塩や乾物の類である。
「ビセンテさん、リリエルちゃんおすすめの“かみかみ黒梅”がありますよ」
火の気のない炉端で、杏の種を指に挟んでばきばき割っていたビセンテが、すうっと迫ってきてその黒い乾燥果実を受け取る。噛む。うなづきながらひたすら噛む、人語は発さない。
その規則正しい咀嚼を厳粛な面持ちで見つめてから、アンリはダンの方を向いた。
「実は隊長。マリエルさんに帰りがけ、ちょっとまじめな相談をされてしまったのです」
「まりえる……」
半開きの口から、ビセンテがくぐもった思案声を出した。ごくり。
「ああん、もう、ビセンテさんてば忘れちゃったんですか? ナイアルさんのお姉さんですよ、おんなし顔した! お姫さまと皆でほたて食べた日に、会ったでしょ? ビセンテさん、干し魚の徳用袋もらったじゃないですか」
「にぼし姉!」
ビセンテは両眼をぐわっと広げた!
「そうです、にぼしのお姉さんです、思い出しましたね! それでお姉さんが言うには、お婿入りの適齢期っていうのがあって、ナイアルさん今限界ぎりぎりなんですって。俺、そういうの全然知りませんでした。お婆ちゃん知ってた? 知らない? じゃあやっぱり、テルポシエ下町だけの習慣なのかなあ」
「……で?」
ダンが外套をたたみながら、促した。
「はい、それでその辺隊長や俺たちなんかはどう思うか、って聞かれちゃって。俺は一番下っ端の後輩だから、何とも言えませんって話を濁して来たんですけど。お姉さんやお母さんは、やはりお婿にやりたいようなんですよね。これは一大危機ですよ、隊長!」
「??」
ダンとビセンテは、卓子の周りで同時・同方向・同角度に小首を傾げた。
「ふがーっっ」
アンリは両こぶしを握り締め、歯を食いしばったらしい。
「わからないかなあ~! ナイアルさんが市内にお婿に行っちゃったら、我々第十三遊撃隊は一体どうやって、対エノ戦線を維持するんです? 俺はナイアルさんと違って恥ずかしがり屋の人見知りですから、話してなんぼの諜報活動なんて絶対できません! キヴァンの地へ往復できる代役もいませんよ!」
「レイさんがいる」
隊長はごく冷静に、間諜氏の名をあげた。
「くそがきもいる」
獣人もごく平坦に、イスタのことを口にした。去年と今年、ナイアルは二度にわたってイスタをアルティオ出張に伴っている。
「ぎーっ、それだけじゃありません。俺たちの老後の未来は、あの人にかかっているんですッ」
「……??」
再び、ダンとビセンテは同時に首を傾げた。
アンリは紅潮した焼きたてぱん顔のまま、唇を噛みしめて二人をじっと見る。
「いいですか。我々第十三遊撃隊の四名は、公式には包囲戦以来、生死不明で行方不明、ということになっています。そしてナイアルさん以外、みんな実家がありません」
「……」
「俺の実家、“麗しの黒百合亭”はガーティンローへ移転しましたし、ビセンテさんのお母さんは家賃を踏み倒しておばさんちに行ったまんまですから、大家さんが業を煮やして、他の店子を入れてしまいました。隊長は従軍中にお直し職人のお父様が逝去されてご実家がなくなったから、そのまま職業軍人になられたのですよね」
ダンはうなづいた、その通りである。
「と言うように、我々三人には現在、テルポシエに実家も身寄りもないんです。そういう我々をまとめて“紅てがら”で引き受けてくれているんですよ、ナイアルさんは! 二年ごとに、自分の分も含めて四人分の“不明者届”をずらーっと書いて、身元引受住所は“紅てがら”です。それをマリエルお姉さんが、市民会館に提出して下さってるのです! だから俺たち四人はずうっと市民籍を維持できてるし、不明者だから年金料の支払いも免除なんです」
「ねんきん……」
ビセンテには理解不可能な言葉である!
「考えてもみて下さい! ナイアルさんが抜けちゃったら、一体誰がそういう面倒な手続きをしてくれるって言うんです? 更新を怠れば市民籍は抹消されるし、おじいさんになるまで生き延びられたとしても、年金はもらえません! 面倒見てくれる人なんて、誰もいませんよ!」
自分も丸投げしてる側だが、アンリは熱く訴えた。
「ナイアルさんはお姫さまと王子さまを繋ぐ大切な糸ですが、同時に我々と故郷テルポシエとをつなぐ糸でもあるんです。家も身寄りもなくなって、いわばみなし児同然の我々を支えてくれる、実家のお父さん的存在なんですよー! そんな重要な人を、むざむざ他の家なんかにお婿にやっちゃうんですかぁ!? そーんなのーは、いーやだぁぁ!!」
最後は咆哮となった。ぜえはあ、料理人は瞬時息をつく。
ビセンテにはさっぱりわからなかった。こいつは熱っぽく語るがわかりよく話さない、時々解説を挟むナイアルの方が、よっぽどわかりやすい。
何がどうしてナイアルが実家の父なのだ? もとよりビセンテに父親なんていない。
北方街道沿いの豊かな農家へ嫁したものの、赤子と帰省中に火事がおこり婚家も夫も全てなくしてしまって以来、女手ひとつでビセンテを育てた母がいるっきりだ。
なのにナイアルが父? やつは確か、自分と同期だったはずである。同いどしの父ってあるのだろうか、人間界の煩雑な事情を無視して生きてきた獣人には、不可解な難題でしかなかった。
「全然わかんねえが」
しかし少なくとも話の重要性のみは、毛先の本能を通して伝わったから、ビセンテはまじめに言うことにした。
「ナイアルは、皆のものじゃあああ」
彼なりの真剣さである。
「……便利だしな、あいつ」
事なかれ主義、丸投げ主義に年季の入るダンも呟いた。
「ああっ、わかって下さったんですね! 微妙にかみ合ってない気もするんですけど、たぶん方向性としては合ってます! 方向が合っていれば、目的地にはたどり着けるはずです! ありがとうございます隊長、ビセンテさん!」
「しかし、具体的には何をすれば良い?」
さっきよりもずっと頬を紅潮させて、ますます焼きたてになるアンリに、ダンは問う。早く結論をつけたい、とっとと夕食をたべたい、その前にぶっちぎれてしまったアンリの長靴のひもを交換してしまいたいのである。
「ああ、簡単ですよ」
料理人は不敵に笑った、ここはきらっと歯が輝くところである。
「今後この話題……ナイアルさんのお婿入りだの、お見合いだのの話が出たら! 我々第十三遊撃隊、全力でしらを切るのです! ばっくれるんです、いいですねッ??」
「……」
「……」
簡単も何も、もとよりダンとビセンテの二人は没交渉の人間である。
要するに何もしないでおけばいいのでは、いきり立つ料理人の背後でアミアミを続ける岬のお婆ちゃんが、内心で的確な突込みを入れていた。




