173 空虚八年目8:はな
「いやー、やっぱり俺の目に狂いはなかったっすね! フィン先生もティーラ先生も、ぶっちぎりの名医っしょ」
「俺も試してみたいんだけどー、どっこも悪くないから機会ないの!」
軽量型の甥ウーディクと巨大な叔父ウーアは、なははと笑った。
テルポシエ城廻廊における、エノ軍幹部会議である。
先日着任した医師たちの評判は悪くなかった。一応どことも休戦状態であるからして、怪我人はほとんどいない。
そこで二人の医師らは、予備役の兵士たちの間を診て回っていた。戦役で負傷し、長年後遺症に悩まされている者たちに向かっていく。
今さら何を、と胡散臭い目で彼らを見た古株兵士たちであるが、次第に意見が変わる。
「膝痛が軽くなった」
「肩が上がるようになった」
「古傷が疼かなくなった」
ちょっとした軽快をうったえる者が続出したのである。
「薬翁じいさんも、安堵してたな」
「良かったよね。あ、でもまだ戦本番で役に立つかどうかは分からんけど」
ギルダフがからっと言った。
「実技試験してみようか! どこかで小競り合いを起こして、怪我人を出してさ」
「……おい、ギルダフ」
頬ひげをひくつかせて、パスクアは言った。
「冗談やめてくれよ。この近くでちょっとでも戦えば、あいつが起きちまうんだからな」
「もう八年もおとなしくしてるじゃないか。大丈夫じゃない?」
「……だめだって」
ギルダフは苦笑顔で溜息をつく。
そうなのだ。赤い巨人のせい……おかげで、マグ・イーレの奇襲以降、どこのイリー国家もテルポシエに手を出してはこない。
しかし巨人の脅威下にあるのは、エノ軍も同じだった。
テルポシエ近辺で流血があれば、その匂いを嗅ぎつけて再び巨人が目を覚まし、容赦ない殺戮を繰り返すだろう事を、幹部達はメインから伝え聞いている。だからオーランが奪回された後、イリー勢とエノ軍の戦線は全く動いていないのだった。
「北上する街道方面やら、東部の方では、そこそこのどんぱちやっても我関せず、なのになあ。本当に変な女だよ」
「……あんだけでかくても、女呼ばわりするんかね。お前さん」
乾いた声で、タリエクが隣のギルダフに聞いた。
「そりゃあするさ、女は女だ。俺らとは相いれない、別の生きものだよ」
左目元をひろく覆う痣の上に笑いじわをこしらえながら、ギルダフは爽やかに言い放った。
・ ・ ・ ・ ・
この日のいちばん厄介な議題、穀倉地帯各市との関税もめごとについて、皆で頭を痛くした後に、ようやく解散となる。
「これは後で、お姫ちゃんに返書頼む親書っすね。で、こっちがー」
相変わらず有能なウーディクである。最後の最後まで残って、きっちり書類を整理してゆく。
中広間の卓子の上で羊皮紙を揃えるパスクアと甥の後ろ、付き合ってそこにいるだけで何もしてない叔父ウーアが、ぽつりと聞いてきた。
「そう言えばパスクア君、お姫様とお付の女の子も、先生に診てもらったんでないの。効果あった?」
「どうなんだかなあ。女の事情は、俺もわかんないよ」
ぞろぞろ石階段をくだって、地上階へ食事に行く。
廻廊を出かけたところで、前をすうっとエリンが通った。
「あら、ごきげんよーう。お先にいただいちゃったわよ」
「ごきげんよう、お姫様」
ウーアの美声挨拶に、エリンの顔がぱかっと笑った。
「それ、親書でしょう? もらっていくわ」
ウーディクに向かって、手を差し伸べる。
「あ……ああ、そうなんだ。急ぎじゃないんだけど、返書よろしくね」
「ええ、まかせて」
羊皮紙のがさつく布包みを手に、姫はひょいひょい歩いて行ってしまった。
「えらい機嫌良いじゃないっすか。やっぱ効果あったんと違います? パスクアさん」
「……」
言われて見れば、本当だ。診てもらって良かったのかな、とパスクアは思った。
「ほぁッッ」
ウーディクの小さな叫びにぎくりとする、「パスクアさんッッ、あれはぁッッ」
ぺかーっと見開かれたおもしろ眼、その視線の先をパスクアとウーアは追った。
昼食配布でにぎわう中庭、幾つもある鍋とそれにわらわらたかる男どもの群れからちょっと離れた花壇の一画に、青い筒っぽ服の二人と年かさ護衛、加えてどこぞの若い娘が並んで座っている。
「ケリーちゃんでねえのかぁぁぁッッッ」
「本当だ、顔に布してないよ。珍しい!」
パスクアも無言で口を四角く開けた、何か飲食する時、その瞬間しか下ろさなかった覆面布を下ろしたまんまで、あの子が! ケリーが医師どもとくっちゃべっているッッ! しかも何やら楽しそうに笑ってるではないか!
「あんのちっちゃかった子がッ! 何つう秀麗なあご骨に育ったんだッ、しかも背骨ときたらなつかしの騎士姉さんにおもかげ栗ふたつだぁぁぁッッ」
「ひとん家の子は育つの早いって言うよねえ。自分ちの甥はあんまし育たないけど」
ウーアがしみじみ言う。むだに美しい低い声が、パスクアのすきっ腹にちくちくした。
「あれ、パスクアさーん。どこ行くんすか、鍋はむこう……」
早足でパスクアはその場から逃げた。あの医師たちを招聘して本当に良かったと思った。
良いことなのに、……でもどうしてここまで嬉しいのかわからない。
――胸が詰まるくらいに嬉しいって、何だ? 俺は、ケリーのお父ちゃんじゃねえっつうの。




