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海の挽歌  作者: 門戸
空虚八年目 不死の男の怪談
168/256

168 空虚八年目3:ディンジーの言祝歌

「はい。いかにもわたくし、ミルドレ・ナ・アリエです」


「……」


「申し訳ございません。わたくしはあなたを存じ上げないのですが……、同名の祖父か父を、ご存じなのでしょうか?」



 ふうっ、とグラーニャの全身から力がぬけた。



「え……ええ。恐らく、あなたのお祖父じいさまを」


「ああ」



 男はにっこりした。グラーニャよりずうっと若い、三十を出たとこくらいである。



「生き写しだとよく言われます。わたくし事情がありまして、長く里子に出されていたもので。父にも祖父にも、ほとんど会ったことがないのです」


「ああ……そうなのですか。自分は若い頃、お祖父さまにお世話になりました。あまりに似てらしたもので、つい声をかけてしまったのです」



 衝撃はようやく遠ざかって、グラーニャは少し安堵し始める。ずっと幼い頃の記憶にある姿と重ねて驚いてしまったが、よく考えれば最後に会った時、父の“傍らの騎士”はもう中年だったのだ。



「さようですか。祖父の方こそ、憶えておいていただいて、丘の向こうにて喜んでいるでしょうね。……すみません、奥様。実は私の母が病んでおりまして、急いで帰るところなのです。これでおいとまするぶしつけを、どうぞお許しくださいまし」


「いえ、こちらこそお引止めしてすみません。どうぞお大事に」



 にこやかに一礼すると、男はすたこら行ってしまった。



「びっくりしたなあ……」



 グラーニャは、斜め後ろのゲーツを見上げた。



「やり取り聞いてて、わかったか?」



 ふるふるっ、とゲーツは頭を横方向に振る。



「俺の父の、“かたわらの騎士”をやっていた人の、お孫さんだ。いや……里子に出されていたということは、息子かもしれんな」



 貴族の庶子にはありがちな話である。



「あんまり似ていたから、つい声をかけてしまったが。恐らく血が繋がっているだけで、色々な事情を何も知らんのだろうな。テルポシエ陥落の時に追放されて、こちらまで逃げのびて来たのかもしれん。お母さま連れとな、気の毒に」



 ふー、と息をついてグラーニャは歩き出す。


 その後ろを歩きつつ、ゲーツも考え始めた。



――なーんだ、若くて良い男に目うつりしたのかと思った。まさか俺のグランがそんなわけないよな。俺ってば本当に、心配性が治らないよ。



 そっち方面かよと突っ込む者がいなくて残念である、どうか許してやって欲しい。



――うーん? でも……あれ、ミルドレってあのミルドレだよな? 先生が話してくれた疑惑のミルドレがいて、その息子は陥落の時に死んだんだから……今の若僧はそのまた息子か。皆ミルドレって、どんだけ名前気に入ってんだよ。グランが言う通り、たぶん何の関係もないんだろうね。この辺にお母さんと住んでるのかな? 若いのにずいぶん年季の入った服着てたな、うん俺と同類かも。先生に次会ったら話しておこう、そうしよう。面白いちりちり髪だったな、金髪でも赫毛あかげでもない変な感じ……中間色が段々になってたよ、ああいうの何て言うの? 俺知らない。それと後ろの方に何か、もこついた妙な感じの気配があったな。見えはしなかったけど。まあまあの優男やさおとこだからね、女の子の精霊にでもりつかれているのかもね。俺はいっくら美人の精霊でもごめんこうむるな、グランにだったらなんぼでも憑りつかれたいし、むしろ憑りついてって感じだけど(以下略)



「あれっ? あそこにいるのは、ディンジーさんではないか。どうしてザイレーンに?」



 言われて、グラーニャの指差す方向にゲーツが目をやると、本当に森の賢者がいる。


 向こうもぐるっとこっちを見て、大股で近づいてきた。



「おっはよーう。逢引あいびきしてんの~?」



 ぶはっ、小さく噴いてから、グラーニャは目の前にそそり立つ声音の魔術師に笑いかけた。



「お早う、ディンジーさん。塩業組合と話があったのです。あなたもお仕事ですか?」


「ん、違う。ちょっとな音きいたもんでね……。ね、ここの辺で一番高い建物ってどこだろう?」


「高い建物? ……塩業本部の屋上かな」



 三人一緒に本部にもどった。夏に向かう透きぬけるような晴天、石敷の路地には鉢や箱からあふれ出るように咲き誇る真っ赤な天竺葵が匂う。その花鉢にうっかりつまづきそうになったほど、声音こわねの魔術師は気がいているらしい。


 ディンジーは階段をひょいひょい上って、あっと言う間に屋上へと出た。すぐ下に露台が見える、ポーム若侯たちが面食らっていた。



「ディンジーさん? どうしたんですかぁー、グラーニャ様?」


「……俺にも、よくわからーん」



 グラーニャは肩をすくめて、下に声をかけた。


 森の賢者は、四方をぐるりっと見渡した。そして西方へぴたっと顔を向ける。


 次の瞬間たからかに、ディンジーは歌い出した。



「……!」



 グラーニャは息を飲む。


 少し暑いくらいの日、山羊毛皮の上っぱりなしに鼠色の麻衣上下姿ですくっと立つ賢者の背が、いつもよりずっと大きくなっているように見える。


 高く低く、広すぎる音程のあいだを自在に駆けるディンジーの声、それは本当にうつくしい歌だった。


 けれどもグラーニャの全く知らない言葉、ちょっぴりたりとも意味が分からない。



――これが東のことば、ブリージの言語なのだろうか?



 何を歌っているのかわからないのに、なぜだか泣きたくなるような気がする。


 思わず一歩半後じさりした、とん、肩が柔らかくゲーツにあたる。



 伸びやかな一声でディンジーの歌が終わっても、グラーニャはそこを動けなかった。


 しばらく経ってから、ゆっくり賢者が振り返る。いつものディンジーである。



「……ちょっとね。“巨人”に似た感じの音を聞いたんだよ」


「!!」


「この辺にいたはずなんだ。届けばなあ、って思って俺らの神さま用の言祝歌ことほぎうたを歌ったんだけど……無視された。どっか行っちゃった」


「ことほぎうた?」


「うん、神様におくる挨拶みたいなもの。やっぱりブリージとは別系統の神様なんかな……。俺の声が届かないと言うよりは、意味が届かないっつうか……。うーん」


「ディンジーさん」



 低く言って、グラーニャはついとディンジーに近寄った。



「……巨人に、仲間がいるということですか?」


「うーん、にしちゃ小っさかったな。あなたぐらいのもんよ」


「こつぶな仲間なのかもしれない。これは直ちに帰城して、皆に報告せねば……。マグ・イーレに危険が迫っている!」


「あ、いやいや」



 ぎんっと顔色を変えたグラーニャに、ディンジーは頭を振ってみせた。



「もう、俺の耳でも拾えないくらい、遠くへ飛んでっちゃったよ」


「飛べるやつなのですか!」


「うん。聞いたのも、羽音なの。すんげえ速さでぶっ飛んでったけど……何かばたばた、慌ててた感じだったねえ。雑っぽい神様なのかな」



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