167 空虚八年目2:塩の町ザイレーン
マグ・イーレ市からほんの数愛里のところに、塩田が白く広がっている。
奥まった静かな湾。夏の陽にさらされてゆっくりと結晶化してゆく天然塩を、ふたまた棒で丁寧に寄せてはかき、かいて寄せる塩師たちの姿が、網目のようにめぐらされた畔の上にぽつんぽつんとかいま見える。
そんな風景を見てから、第二王妃グラーニャと護衛のゲーツ、ポーム若侯とメノー侯、ユス侯、ネテル侯の一行は、マグ・イーレ塩業の基地であるザイレーンの町の壁門をくぐる。
小さな町だが、産出された塩は全てこのザイレーンに蓄えられる。専属の傭兵達もちゃんといて、警護に抜かりはない。
町の中心にある塩業本部にて、組合長らから今年の出来の見込みを聞く。
長い報告の後は、露台で“塩湯”を振る舞われる。
「今年はいいあんばいだそうで、安心しましたよ」
「乳蘇製作専用の塩が、ずいぶん人気なようで」
「デリアドからいらしている、技術習得生の皆さんなんですが……」
この十年あまりで、マグ・イーレの海塩業は大躍進した。
イリー諸国においては、穀倉地帯からもたらされていた岩塩を使っているところなど、もうほとんどない。
他の地域でも局所的に海塩をとっているところはあるが、マグ・イーレ塩は特有の“あまみ”が利いている。
「失礼、ちょっとお手洗いを拝借」
和やかな雑談の席をするっとグラーニャは立ってゆく、ゲーツが音もなくそれに続いた。
建物裏の手洗を出てから、グラーニャはゲーツにもちゃんと聞く。
「お前の番だぞ」
目立たないようにして、グラーニャはそこに佇んでいた。ここは狭い路地に面している、いくつか商家が並んでいるが、昼前の時間帯で人通りはほとんどない―― ……おや?
グラーニャは、ばちばちっと両眼を瞬いた。
二十歩ほど先の角を曲がった男性に、妙な見憶えのある気がした。後ろにゲーツの気配がある、彼女は振り向きもせず低く言った。
「行くぞ」
その男にはすぐに追いつけた。後ろ姿が迫るたび、グラーニャは自分の動悸が速くなってゆくのを感じる。
――まさかまさか、な?
「ごめんください」
グラーニャは声をかけた。……失礼、人違いでした、後ろ姿が知人に似ていたもので! そう言うことになると願いつつ。
――大丈夫、自分は相当眼が悪いのだ、人違いに決まっているぞ。
「はい?」
ふわりと振り返ったその人は、急に声をかけられてびっくりしたように見えた。けれど彼を見上げて、グラーニャは絶句する程の衝撃にとらわれた。
「……何かご用でしょうか、奥様?」
不思議そうに言われても、しばらく体が言うことをきかない。
「……アリエ侯……?」
ようやくかすれ声が出る。
グラーニャの目の前に、“ミルドレ”が立っていた。




