165 空虚七年目4:ランダルの親書看破
たっ、たたた。
ぱりっと晴れて空気の冷たい冬の朝、陽の光を受けて融けかける枯草上の霜がちらちら輝く庭を抜け、マグ・イーレ城の離れにやって来る者がある。
「お早うございます、陛下。今朝もご機嫌うるわしゅう」
「お早う、リンゴウ君。君も元気かい」
小さな屋敷の上階書斎、どしんと大きな構えの机に座って、隠居中のマグ・イーレ王ランダルは、正妃ニアヴの秘書リンゴウ・ナ・ポーム若侯を迎える。
「こちらが昨日の軍会議の議事録と、テルポシエから届いた親書です。お目通しの後、議事録だけ裏にご署名をお願いします」
「はいはい、了解です。私の方からも、こちら昨日の分ね」
いつも通りの書類のやり取りである。
「今朝は、何だか静かですね……?」
「ああ、ほら今日はゲーツ君が公休日でしょう? 双子を連れて個人的野いばら摘みに行ってるんですよ。ミーガンは久し振りに、城下の髪結いさんへ行きました」
「そうでしたか。そう言えば、ディンジーさんの天幕もお留守でした。娘さんからの転送お便りがいっぱいあるんですけど」
「私が預かりましょう。ディンジーさんは、東のムーメラ村へ出張です。村の野菜室になめくじが大量発生して、塩撒きどころじゃ話にならないから助けてくれって、お便りが来たんです」
「“声音の魔術師”は大活躍ですね! 僕も父も、殺虫毒を使っての駆除には大反対ですから、ディンジーさんの副業を応援しているんです」
一応ディンジー・ダフィルの本業は害虫・害獣駆除であり、“赤い巨人”対策の特別顧問こそが副業と本人は考えているのだが、周囲の人間は異なる見解である。
「殺虫毒……。あれは効き目強いけど、めぐりめぐって畑の作物じたいにもついてしまうからねえ、危ないですよ。子ども達には、安全な野菜や果物を食べさせたいものです」
ディンジー宛ての便りを預かり、昨日の書類を若侯に渡して、ランダルは手にした新しい書類二種に目を落とした。
「それではまた、午後伺います」
「……リンゴウ君、ちょっと」
テルポシエ親書から目を上げず、ランダルが問うた。
「はい?」
「君と御方たち、今朝は忙しい?」
「いいえ、特には」
「……そう。すまないんだけども、書簡庫を開けてもらえるかな?」
・ ・ ・ ・ ・
「陛下?」
本城の執務室にいきなりやって来たランダルを見て、ニアヴとグラーニャは面食らった。珍しい!
隠居中の王は二人の妻にさらっと挨拶をして、書簡庫の鍵を所望する。
グラーニャがそっとのぞくと、今朝は使っていないがらんどうの会議室卓上に、書簡箱をいくつか持ってきて置いている、ポーム若侯がそれを手伝っている。
「何か、歴史の調べものですか」
第二妃は屈託なく、ひょいと出て行って聞いてみた。
「そう。と言っても、ごく最近のことなのだけど」
「自分も手伝いますよ!」
「あっ、いいの? 実は……陥落以降にきた、テルポシエからの親書を比較したいのですよ」
“夫”は控えめに言った。滅すべき故郷のことだ、第二妃はどう反応するか……。
ふむっ、と鼻を大きく広げて、グラーニャはにっと笑った。
「わかりました。抜き出すのですね」
長い卓子の上に、羊皮紙が並べられてゆく。
「大抵ひと月に一枚かそこいら来ているが、約十年分だからけっこうな枚数になるのだな! キルス」
「さいですね。ニアヴ様、何か押さえるものありませんでしょうか?」
「リンゴウ君、予備のぶんちん持ってきて。……内容は、ほとんど季節の挨拶ばかり。まあ、正イリー語でやり取りすること自体に意味があるのだから、それでいいんでしょうけど」
いつの間にか、ニアヴも執務室から出て来た。親書が月順に並んでいるかどうか確認している。
「おや、でも奇襲作戦の後はさすがに、文句いっぱいです」
ぐ――っっと伸ばした先の両手に持った羊皮紙を眺めて、キルス老侯が言った。本日ゲーツの代役で、グラーニャの護衛をしているのだ。
ランダルは卓上の羊皮紙に顔を近付けて、書面を素早く眺めている……読んでもいる。
目が忙しく上下左右する、時々手に持った黒い布陣石を羊皮紙の上にのせてゆく。
やがて、すっと背を伸ばした。
「皆さん、どうもありがとう」
ニアヴ、グラーニャ、ポーム、キルスの四人はずいっとランダルを見た。
「何か、わかりまして? 陛下」
さばさばっとニアヴが問う。
「ええ。重要かどうかはまだわかりませんが、エリン姫の身辺について、ちょっと知れたことがあります」
「……」
威張る風でも何でもなく、ランダルはすらすらっと話し始めた。まず、グラーニャの方を向く。
「御方グラーニャによれば、これらのテルポシエ親書は、エリン姫の手によって書かれているのでしたね」
「はい。テルポシエ王室で使っていた、黒羽硬筆の特徴が、よくわかりますから」
「その通りです。すべて同じ硬筆で書かれていますね。署名の部分はエノ首領メインであったり、その他の幹部らしいのが入れていますが、文章部分はエリン姫の筆致です」
ランダルは、黒石をのせた羊皮紙一枚を指で示した。
「ですがこちら、陥落後六年目あたりから、誰か別の人物が時々代筆しているんですね。エリン姫の黒羽硬筆を借りて、書いています」
「……」
言われて四人は、卓上の羊皮紙に目を落とす。
「黒い布陣石をのせたのは、その人物による代筆親書です」
全部で五通あった。年に一・二通ほど来ている。
「……陛下、全然違いがわかりません。僕の目にはどれも、同じ人物が書いたものとしか見えないのですが……?」
ややためらいがちに、ポーム若侯が言った。
「わたしもです」
小首を傾げつつ、ニアヴも言う。
「ですよね、すごく似ています。というか、エリン姫になりきって書いてます。こういう、似せて書く代筆作業にかなり慣れている男の子なんでしょう」
「男の子??」
グラーニャとキルスの声が重なった。
「いや、若い男性かな。ニアヴさん、エリン姫というのはうちの息子たちと同じくらいの年でしたっけ?」
「ええ。確か、オーレイと同い年でしたよ」
「うん、じゃ“彼”もそのくらいのもんでしょう」
「……どうして、わかるんです?」
眉をひそめて、ますます不可解と言う顔でニアヴは聞いた。
「圧が強いんですよ」
ランダルは羊皮紙を目の高さに持ち上げた。
「こうしてみると、うっすらへこみが見えるでしょう?」
そこに顔を近付けてから、グラーニャは陥落後間もない頃の書を選んで、同様に持ち上げてみる。
「本当だ。エリン姫のものは、全然凹凸がない」
「こんな風に、ずうっと強い筆圧で書いているのは、だいたいが若い男性です。筆記布と違って、羊皮紙にはこういった痕跡が残りやすい。わずかなことですけど、だいたいの人物像は読み取れます。……御方、テルポシエ城へ潜入してエリン姫を保護しようとした時、彼女を護っていたのはどんな人達でしたっけ?」
「ええと……女性の一級騎士がひとり、短槍使いの少女と、そして下働きの町娘がいました」
「……エリン姫の周辺にはもう、男性の騎士はいないということですね?」
「そうです。それにその女性騎士は、ゲーツが倒しましたから」
生き残った貴族は、全員テルポシエから追放されている。
「じゃあやっぱり、“彼”は諜報員で間違いないでしょうね。エリン姫と同じくらいの年頃で平民階級の出身、まじめな性格で情にもろい、彼女とはかなり親しい間柄と思われます」
「そこまでわかってしまうんですか?」
ポーム若侯が、目を丸くした。こうすると、童顔がさらに若返る。
「ええ。まず若くて同年代と言うのは、“似せ方”がかなり自然だからです。例えば、私みたいなおじさんがエリン姫の筆致を真似ようとすれば、どうしたって初めはぶれちゃうんですよ。でも“彼”は初めっから全然迷っていない。同年代でないと、ここまで自然にはできません」
「平民階級の出身、というのは?」
面白くなってきたらしい、合いの手のような頃合で、グラーニャが問う。
「圧のかけ方が、出だしだけ特に強い。平生あまり羊皮紙に書いてこなかった人がたまに書くと、その書き心地の良さにちょっと浸っちゃうところなんです。だから普段は筆記布中心に書いてきた、テルポシエ市民のひとだと思うんです。あと、代書業者だと羊皮紙にも慣れているから、ここまでの凸凹はありえません」
「うちは、貴族でも筆記布ですけどね……。まあそれは置いておいて、性格などは?」
ニアヴがうなづきながら、先を促した。
「句読点の打ち方が、姫以上に均等でしょ。まめな性格ですよ、それにだいたい半年に一回くらいの間隔で書いてるのも、定期連絡に来るついでにやってあげている気がします。
そして何度も書いているのに、どれも同じような圧のかかり具合で全然改善していないのは、やや心の余裕がないから。たぶんエリン姫がすぐそばにいるので、一丁いいとこ見せてやろうと言う気負いがあるんでしょう。ちょっと微笑ましいね」
ニアヴはかなり感心していた、……本心から。
「すごいですね! 声や音から色々知ることのできる、ディンジーさんも相当ですけど。陛下がここまで書き物から背景を読み取られる力をお持ちとは、全く存じませんでした」
「ほんとに」
グラーニャも同感である。
「いえいえ。私だって今日までは、“彼”にだまされていたんです」
ランダルは苦笑しながら、卓の端に置かれた一通を取り上げた。
「今朝、リンゴウ君が届けてくれた最新の親書です。ここ、日付のところを見て下さい」
皆はそれをのぞき込む。
――おや?
言われてみればグラーニャの目にさえ、そこの箇所は異なって映った。
「……ね? 他の部分は、エリン姫を真似た筆致でここまできれいにできているのに、日付だけが乱れちゃって、……乱れてと言うか、思わず自分が出ちゃってる。これが“彼”自身の、本来の筆致なんでしょう。これを見て、私もあれっと思い、調べてみる気になったんですよ」
「本当に……。上手ですけど、男性らしい筆致ですね!」
キルスが、後ろから山羊ひげをしごきつつ言った。ポーム若侯も首をひねる。
「でも、一体どうしたのでしょう? 書いてる途中で何かに驚いたり、急に気がかりができたとか?」
「うーん、そこは私にもわかりません。でもこの辺から、情にもろい性格かと思えるんですよね」
「まあ指摘されてよくよく見なければ、普通は見過ごしそうな差異ですわね。我々イリー人でさえこうなのだから、エノ軍の奴らには到底わからないのじゃないかしら」
「今までの代筆だって、エノの奴ら絶対わかっていないぞ」
「……どころか、エリン姫が親書を書いてるのを我々が知らないと思ってるのでは……」
「その意味を知らんのだから、きゃつらにはどうでもいいことなのだろう」
グラーニャとニアヴ、キルスは顔を見合わせて、それぞれ大小の肩をすくめた。
エリン、すなわちイリー王族の手による親書交換がなされているうちは、その国家間では表向き交戦ができない。
共通イリー政法にのっとって静かにテルポシエを防御しているエリンに、長年歯噛みをさせられているニアヴとグラーニャであった。
ランダルも皆にうなづきつつ、苦笑する。
「この、署名だけしてる幹部の人達の字を見ても、ああ本当その辺どうでもいいんだろうなあ~、っていう感じしますね。メインだけは何と言うかこう、ちょっと裏の読めない陰気な繊細さがありますけど。こっちの“パスクア”とかはね……」
「妙な名前ね。東部……いえ、穀倉地帯の方の出身かしら?」
「肩書は、経理関連責任者などと重々しいが……」
ランダルに直してもらう前の、ゲーツのまるまるして読みにくかった字に似てるな、とグラーニャは密かに思った。
「その肩書を書いただけでもう絶対絶命、へとへと感があふれています。何とか読み書きはこなせるけれど、本は読んでない人ですね。教養まるでなし」
「典型的なエノ傭兵、むさ苦しい蛮人の姿が、頭に思い浮かびますね」
キルスが眉根を寄せて言った。
「あぶくまちゃんのような、むくつけきもじゃもじゃ大男に違いない」
厳粛に言いつつ、まあそれはそれでかわいいかもしれない、と内心思ってるグラーニャだった。ちなみに彼女の分類では、ゲーツもそっちの毛深い部類に入っている。
「少々字がまずくても、文章書くのがうまいっていう人はいますけどね。私がむかし接触したエノ幹部の一人も、ちょうどこの人そっくりな感じの字でしたっけ……って、おっと」
「あの……陛下。昨日の親書に戻るのですけど」
問題の親書を眺め続けていたポーム若侯が、控えめに申し出た。
「はい?」
「日付のところで心が乱れた……と言うのは、ひょっとしたらその日が“彼”にとって、何か大切な意味のある日だったのではないでしょうか? 書きかけて思い出し、どきっと気持ちを震わせてしまうような……」
「あっ、なるほどね。正確には、いつの日付?」
「ええと……闇月の八日です。今日から五日前ですね」
「何だろう? 誰かの誕生日?」
「お祭りごと関連では、何もありませんが……」
「……あっ」
グラーニャが大きく声をあげた、皆が彼女を見下ろした。
「テルポシエがエノ軍に落とされたのが、九年前の闇月八日だ!」
「!!!」
全員が息を呑んだ。
「そうか……、ああ、そりゃ心も乱れる、字も狂うよね。自国が陥落された日付なんて見たら」
「自分の家族や友達や、親しい人を戦いの中で亡くしたのかもしれません」
冬の陽の差し込むあかるい室内、……しかしそこに沈黙がたちこめた。
ふっ、と顔を上げたのはニアヴである。
「……陛下、ちょっとその親書を」
日付のところをじいいっと見て、ニアヴはぶつりぶつりと独りごちる。
「うちの子たちと同じくらいの若い男の子。……王女とは親しい仲。あら……」
「どうかしたのか、ニアヴ?」
「ええ、……ちょっとリンゴウ君。もう一度書簡庫へ行って、181年度分の箱を持ってきてください」
「はい!」
「ニアヴ様、何か思い出されたのですか?」
キルスがそうっと聞く。
「ええ……。何かすっごく変な気がするんだけど……、いえ、思い違いかも」
「持ってきました、181年度分です」
「ありがとう。眠月の頃だったわね、フィーランとオーレイがティルムンへ行ったのは?」
木箱を開けながら、ニアヴはグラーニャに問いかけた。
「そうだ。皆がマグ・イーレを発った後、町の子ども達と野いばらを採った記憶があるからな」
「“クロンキュレンの追撃”が、眠月の末ですしね」
キルスが付け加える。
「じゃあ、そのすぐ後だわ」
ニアヴは中の書類をかき分け始めた。古びた羊皮紙を抜き出しては入れ戻し、を何度か繰り返す。
「あ、あった」
その一枚を手に、ニアヴはくわっと目を開けた。
「陛下、これッッ」
「何です? これもテルポシエからの親書? ……ああ、息子たちを送って行って、帰って来た後の訪問お礼のそのまた返し……」
「下を見てくださいッ」
「えー、“クロンキュレンの追撃”のお見舞いがあって。ってこれ、ウルリヒ王の署名、ん? あ、あ――っっ」
正妃と王が口を四角く開けて注視するその羊皮紙を、グラーニャも覗き込んだ。やはり達筆な文官によってしたためられたらしいその親書の中、右下部分の大きな余白に日付と署名がぽつんと浮いている。ここだけ少年王本人が書いたらしいのは、誰の目にも明らかだった。
::闇月ついたち ウルリヒ・エル・シエ
皆がその、“闇月”を見つめた。昨日やって来た親書の中の“闇月”と、まったく同じ筆致で書かれていた。
「似てますよ……」
ポーム若侯が囁いた。
「どころじゃないですよ、綴りの膨らまし方が同じですよ」
キルスの声も、わなわな震え気味である。
「まさかって思ったのだけど……冗談みたいに一致するわ? どうなんです、陛下ッ」
「ええ……本当ですね、こりゃすごい……。もっと明るい所で、よく見比べてみましょうっ」
王は二枚の羊皮紙を両手に、ささっと窓際へ行く。
「……どういうことなのだろう、キルス! 甥は実は生きていて、姪と一緒にいるというのか?」
「いえ、そんなことはありえませんよ。ウルリヒ王は陥落時に戦死して、たくさんの人が亡骸を確認したのですから」
「じゃあ、何か怖い存在になって、彷徨っているとでもいうのかぁぁ」
ひ――、全身にとり肌の立ったグラーニャは、思わず老騎士の長ひょろい腕にしがみついた。戦争指揮には血が騒ぐが、お化けは怖いのである。
「年代差は、ありますねッ」
窓の近くからランダルが叫ぶ。
「181年の方は、やはりウルリヒ君十五歳。少年ならではの雑っぽいくせが、少々あります。で、彼がそのまま大きくなって、大人になって書いたのがきのう届いた方、という感じです」
「ど、同一人物ってことなのでしょうかぁ」
ポーム若侯の声は、とうとうかすれ出した。童顔が蒼ざめている!
「う~~ん! あるいは、間諜くんがウルリヒ王の真似をした……もしくはその逆か。仲良しどうしがそのくらい努力して似せなければ、ここまでぴったり一致するのってありえないですよ」
「では181年の時点で、ウルリヒ王と間諜はすでに近しい存在だった……と言うことになりますかねえ……?」
右腕にグラーニャをくっつけたまま、キルスが言った。
「貴族の子ならお友達かとも思えますが、平民では……難しいんじゃないでしょうか?」
「その通りだぞ、キルス」
当時のテルポシエ王族が、地元社会から隔離された状態だったことはグラーニャだってよく知っている。マグ・イーレとは大違いだ。
「洗い出す手は、一応ありますよ」
皆の耳に、ランダルの声がやたらきりっと響いた。
「ウルリヒ王と同年代の男性で、平民出身。その中でイリーお習字の有段者を調べれば、ある程度は絞られるでしょう。たぶん、その年代なら包囲戦時は従軍していたはずですから、今の生存者をあたればいいんです」
「お習字有段者ッッ!」
「イリー習字協会の本部は、ファダンにあります。そこに問い合わせれば、名簿くらいは簡単に閲覧できるでしょう。これほど他人と筆致を似せられる真面目な子が、段を取っていないというのも考えにくいですから」
「なるほど……」
彷徨えるお化けでなければ何でもいいな、と思うグラーニャである。
「ただ。今私たちでここまで大騒ぎしたけれど、ふたを開けたらそこまで重要人物ではない、という可能性もあります。純粋に、エリン姫と親しいだけの連絡係かもしれないし……」
「けれど陛下。陛下はディンジーさんをお連れした時に、テルポシエの残存勢力に襲われたではありませんか。マグ・イーレとしては旧体制もエノも、皆含めてテルポシエを敵とみなしているわけですから、間諜情報についてもより多くのことを引き出しておいた方が、のちのちの戦局で有利になります」
ニアヴが、ぐうっと事務的現実的な調子に戻って言った。
「あっ、そうか……。それは、ニアヴさんの言う通りですね。それじゃ私は早速、お習字協会に問い合わせをしてみましょう」
「そうして下さい!」
ちなみに陛下は何段であらせられるのだろう、グラーニャはふと疑問に思った。
「では、今後の行動のめどもついた所で……。書簡を片付けましょうか。一応、くだんの代書には付箋を目印につけておいて」
皆でがさがさと羊皮紙をまとめた。
木箱を抱えて廊下を歩く、グラーニャは傍らの老騎士の顔を見上げる。
「書からこれだけのことがわかるとは。何だか面白いような経験だったな、キルス」
「さいですね! ゲーツさんにも、後で教えてあげた方がいいですよ」
「ああ、ウセルにもだ……。だけどな、キルス。俺は何となく……」
「はい?」
「死んだ甥はその間諜とぐるになって、妹姫を護っているような気がしないでもない」
「ふふ、グラーニャ様ったら。敵ごとなのにじんわりしちゃって、どうなすったんです」
「丸くなってしまったのだろうか。いかんな、俺はマグ・イーレの“白き牝獅子”なのに」




