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海の挽歌  作者: 門戸
空虚七年目 大鷹王の話
165/256

165 空虚七年目4:ランダルの親書看破

 たっ、たたた。


 ぱりっと晴れて空気の冷たい冬の朝、陽の光を受けて融けかける枯草上の霜がちらちら輝く庭を抜け、マグ・イーレ城の離れにやって来る者がある。



「お早うございます、陛下。今朝もご機嫌うるわしゅう」


「お早う、リンゴウ君。君も元気かい」



 小さな屋敷の上階書斎、どしんと大きな構えの机に座って、隠居中のマグ・イーレ王ランダルは、正妃ニアヴの秘書リンゴウ・ナ・ポーム若侯を迎える。



「こちらが昨日の軍会議の議事録と、テルポシエから届いた親書です。お目通しの後、議事録だけ裏にご署名をお願いします」


「はいはい、了解です。私の方からも、こちら昨日の分ね」



 いつも通りの書類のやり取りである。



「今朝は、何だか静かですね……?」


「ああ、ほら今日はゲーツ君が公休日でしょう? 双子を連れて個人的野いばら摘みに行ってるんですよ。ミーガンは久し振りに、城下の髪結いさんへ行きました」


「そうでしたか。そう言えば、ディンジーさんの天幕もお留守でした。娘さんからの転送お便たよりがいっぱいあるんですけど」


「私が預かりましょう。ディンジーさんは、東のムーメラ村へ出張です。村の野菜むろになめくじが大量発生して、塩きどころじゃ話にならないから助けてくれって、お便たよりが来たんです」


「“声音こわねの魔術師”は大活躍ですね! 僕も父も、殺虫毒を使っての駆除には大反対ですから、ディンジーさんの副業を応援しているんです」



 一応ディンジー・ダフィルの本業は害虫・害獣駆除であり、“赤い巨人”対策の特別顧問こそが副業と本人は考えているのだが、周囲の人間は異なる見解である。



「殺虫毒……。あれは効き目強いけど、めぐりめぐって畑の作物じたいにもついてしまうからねえ、危ないですよ。子ども達には、安全な野菜や果物を食べさせたいものです」



 ディンジー宛ての便りを預かり、昨日の書類を若侯に渡して、ランダルは手にした新しい書類二種に目を落とした。



「それではまた、午後伺います」


「……リンゴウ君、ちょっと」



 テルポシエ親書から目を上げず、ランダルが問うた。



「はい?」


「君と御方たち、今朝は忙しい?」


「いいえ、特には」


「……そう。すまないんだけども、書簡庫を開けてもらえるかな?」



・ ・ ・ ・ ・



「陛下?」



 本城の執務室にいきなりやって来たランダルを見て、ニアヴとグラーニャは面食らった。珍しい!


 隠居中の王は二人の妻にさらっと挨拶をして、書簡庫の鍵を所望する。


 グラーニャがそっとのぞくと、今朝は使っていないがらんどうの会議室卓上に、書簡箱をいくつか持ってきて置いている、ポーム若侯がそれを手伝っている。



「何か、歴史の調べものですか」



 第二妃は屈託なく、ひょいと出て行って聞いてみた。



「そう。と言っても、ごく最近のことなのだけど」


「自分も手伝いますよ!」


「あっ、いいの? 実は……陥落以降にきた、テルポシエからの親書を比較したいのですよ」



 “夫”は控えめに言った。滅すべき故郷のことだ、第二妃はどう反応するか……。


 ふむっ、と鼻を大きく広げて、グラーニャはにっと笑った。



「わかりました。抜き出すのですね」



 長い卓子の上に、羊皮紙が並べられてゆく。



「大抵ひと月に一枚かそこいら来ているが、約十年分だからけっこうな枚数になるのだな! キルス」


「さいですね。ニアヴ様、何か押さえるものありませんでしょうか?」


「リンゴウ君、予備のぶんちん持ってきて。……内容は、ほとんど季節の挨拶ばかり。まあ、正イリー語でやり取りすること自体に意味があるのだから、それでいいんでしょうけど」



 いつの間にか、ニアヴも執務室から出て来た。親書が月順に並んでいるかどうか確認している。



「おや、でも奇襲作戦の後はさすがに、文句いっぱいです」



 ぐ――っっと伸ばした先の両手に持った羊皮紙を眺めて、キルス老侯が言った。本日ゲーツの代役で、グラーニャの護衛をしているのだ。


 ランダルは卓上の羊皮紙に顔を近付けて、書面を素早く眺めている……読んでもいる。


 目が忙しく上下左右する、時々手に持った黒い布陣石を羊皮紙の上にのせてゆく。


 やがて、すっと背を伸ばした。



「皆さん、どうもありがとう」



 ニアヴ、グラーニャ、ポーム、キルスの四人はずいっとランダルを見た。



「何か、わかりまして? 陛下」



 さばさばっとニアヴが問う。



「ええ。重要かどうかはまだわかりませんが、エリン姫の身辺について、ちょっと知れたことがあります」


「……」



 威張る風でも何でもなく、ランダルはすらすらっと話し始めた。まず、グラーニャの方を向く。



「御方グラーニャによれば、これらのテルポシエ親書は、エリン姫の手によって書かれているのでしたね」


「はい。テルポシエ王室で使っていた、黒羽硬筆の特徴が、よくわかりますから」


「その通りです。すべて同じ硬筆で書かれていますね。署名の部分はエノ首領メインであったり、その他の幹部らしいのが入れていますが、文章部分はエリン姫の筆致です」



 ランダルは、黒石をのせた羊皮紙一枚を指で示した。



「ですがこちら、陥落後六年目あたりから、誰か別の人物が時々代筆しているんですね。エリン姫の黒羽硬筆を借りて、書いています」


「……」



 言われて四人は、卓上の羊皮紙に目を落とす。



「黒い布陣石をのせたのは、その人物による代筆親書です」



 全部で五通あった。年に一・二通ほど来ている。



「……陛下、全然違いがわかりません。僕の目にはどれも、同じ人物が書いたものとしか見えないのですが……?」



 ややためらいがちに、ポーム若侯が言った。



「わたしもです」



 小首を傾げつつ、ニアヴも言う。



「ですよね、すごく似ています。というか、エリン姫になりきって書いてます。こういう、似せて書く代筆作業にかなり慣れている男の子なんでしょう」


「男の子??」



 グラーニャとキルスの声が重なった。



「いや、若い男性かな。ニアヴさん、エリン姫というのはうちの息子たちと同じくらいの年でしたっけ?」


「ええ。確か、オーレイと同い年でしたよ」


「うん、じゃ“彼”もそのくらいのもんでしょう」


「……どうして、わかるんです?」



 眉をひそめて、ますます不可解と言う顔でニアヴは聞いた。



「圧が強いんですよ」



 ランダルは羊皮紙を目の高さに持ち上げた。



「こうしてみると、うっすらへこみが見えるでしょう?」



 そこに顔を近付けてから、グラーニャは陥落後間もない頃の書を選んで、同様に持ち上げてみる。



「本当だ。エリン姫のものは、全然凹凸がない」


「こんな風に、ずうっと強い筆圧で書いているのは、だいたいが若い男性です。筆記布と違って、羊皮紙にはこういった痕跡が残りやすい。わずかなことですけど、だいたいの人物像は読み取れます。……御方、テルポシエ城へ潜入してエリン姫を保護しようとした時、彼女を護っていたのはどんな人達でしたっけ?」


「ええと……女性の一級騎士がひとり、短槍使いの少女と、そして下働きの町娘がいました」


「……エリン姫の周辺にはもう、男性の騎士はいないということですね?」


「そうです。それにその女性騎士は、ゲーツが倒しましたから」



 生き残った貴族は、全員テルポシエから追放されている。



「じゃあやっぱり、“彼”は諜報員で間違いないでしょうね。エリン姫と同じくらいの年頃で平民階級の出身、まじめな性格で情にもろい、彼女とはかなり親しい間柄と思われます」


「そこまでわかってしまうんですか?」



 ポーム若侯が、目を丸くした。こうすると、童顔がさらに若返る。



「ええ。まず若くて同年代と言うのは、“似せ方”がかなり自然だからです。例えば、私みたいなおじさんがエリン姫の筆致を真似ようとすれば、どうしたって初めはぶれちゃうんですよ。でも“彼”は初めっから全然迷っていない。同年代でないと、ここまで自然にはできません」


「平民階級の出身、というのは?」



 面白くなってきたらしい、合いの手のような頃合で、グラーニャが問う。



「圧のかけ方が、出だしだけ特に強い。平生あまり羊皮紙に書いてこなかった人がたまに書くと、その書き心地の良さにちょっと浸っちゃうところなんです。だから普段は筆記布中心に書いてきた、テルポシエ市民のひとだと思うんです。あと、代書業者だと羊皮紙にも慣れているから、ここまでの凸凹はありえません」


「うちは、貴族でも筆記布ですけどね……。まあそれは置いておいて、性格などは?」



 ニアヴがうなづきながら、先を促した。



「句読点の打ち方が、姫以上に均等でしょ。まめな性格ですよ、それにだいたい半年に一回くらいの間隔で書いてるのも、定期連絡に来るついでにやってあげている気がします。


 そして何度も書いているのに、どれも同じような圧のかかり具合で全然改善していないのは、やや心の余裕がないから。たぶんエリン姫がすぐそばにいるので、一丁いいとこ見せてやろうと言う気負いがあるんでしょう。ちょっと微笑ましいね」



 ニアヴはかなり感心していた、……本心から。



「すごいですね! 声や音から色々知ることのできる、ディンジーさんも相当ですけど。陛下がここまで書き物から背景を読み取られる力をお持ちとは、全く存じませんでした」


「ほんとに」



 グラーニャも同感である。



「いえいえ。私だって今日までは、“彼”にだまされていたんです」



 ランダルは苦笑しながら、卓の端に置かれた一通を取り上げた。



「今朝、リンゴウ君が届けてくれた最新の親書です。ここ、日付のところを見て下さい」



 皆はそれをのぞき込む。



――おや?



 言われてみればグラーニャの目にさえ、そこの箇所は異なって映った。



「……ね? 他の部分は、エリン姫を真似た筆致でここまできれいにできているのに、日付だけが乱れちゃって、……乱れてと言うか、思わず自分が出ちゃってる。これが“彼”自身の、本来の筆致なんでしょう。これを見て、私もあれっと思い、調べてみる気になったんですよ」


「本当に……。上手ですけど、男性らしい筆致ですね!」



 キルスが、後ろから山羊ひげをしごきつつ言った。ポーム若侯も首をひねる。



「でも、一体どうしたのでしょう? 書いてる途中で何かに驚いたり、急に気がかりができたとか?」


「うーん、そこは私にもわかりません。でもこの辺から、情にもろい性格かと思えるんですよね」


「まあ指摘されてよくよく見なければ、普通は見過ごしそうな差異ですわね。我々イリー人でさえこうなのだから、エノ軍の奴らには到底わからないのじゃないかしら」


「今までの代筆だって、エノの奴ら絶対わかっていないぞ」


「……どころか、エリン姫が親書を書いてるのを我々が知らないと思ってるのでは……」


「その意味を知らんのだから、きゃつらにはどうでもいいことなのだろう」



 グラーニャとニアヴ、キルスは顔を見合わせて、それぞれ大小の肩をすくめた。


 エリン、すなわちイリー王族の手による親書交換がなされているうちは、その国家間では表向き交戦ができない。


 共通イリー政法にのっとって静かにテルポシエを防御しているエリンに、長年歯噛みをさせられているニアヴとグラーニャであった。


 ランダルも皆にうなづきつつ、苦笑する。



「この、署名だけしてる幹部の人達の字を見ても、ああ本当その辺どうでもいいんだろうなあ~、っていう感じしますね。メインだけは何と言うかこう、ちょっと裏の読めない陰気な繊細さがありますけど。こっちの“パスクア”とかはね……」


「妙な名前ね。東部……いえ、穀倉地帯の方の出身かしら?」


「肩書は、経理関連責任者などと重々しいが……」



 ランダルに直してもらう前の、ゲーツのまるまるして読みにくかった字に似てるな、とグラーニャは密かに思った。



「その肩書を書いただけでもう絶対絶命、へとへと感があふれています。何とか読み書きはこなせるけれど、本は読んでない人ですね。教養まるでなし」


「典型的なエノ傭兵、むさ苦しい蛮人の姿が、頭に思い浮かびますね」



 キルスが眉根を寄せて言った。



「あぶくまちゃんのような、むくつけきもじゃもじゃ大男に違いない」



 厳粛に言いつつ、まあそれはそれでかわいいかもしれない、と内心思ってるグラーニャだった。ちなみに彼女の分類では、ゲーツもそっちの毛深い部類に入っている。



「少々字がまずくても、文章書くのがうまいっていう人はいますけどね。私がむかし接触したエノ幹部の一人も、ちょうどこの人そっくりな感じの字でしたっけ……って、おっと」


「あの……陛下。昨日の親書に戻るのですけど」



 問題の親書を眺め続けていたポーム若侯が、控えめに申し出た。



「はい?」


「日付のところで心が乱れた……と言うのは、ひょっとしたらその日が“彼”にとって、何か大切な意味のある日だったのではないでしょうか? 書きかけて思い出し、どきっと気持ちを震わせてしまうような……」


「あっ、なるほどね。正確には、いつの日付?」


「ええと……闇月の八日です。今日から五日前ですね」


「何だろう? 誰かの誕生日?」


「お祭りごと関連では、何もありませんが……」


「……あっ」



 グラーニャが大きく声をあげた、皆が彼女を見下ろした。



「テルポシエがエノ軍に落とされたのが、九年前の闇月八日だ!」


「!!!」



 全員が息を呑んだ。



「そうか……、ああ、そりゃ心も乱れる、字も狂うよね。自国が陥落された日付なんて見たら」


「自分の家族や友達や、親しい人を戦いの中で亡くしたのかもしれません」



 冬の陽の差し込むあかるい室内、……しかしそこに沈黙がたちこめた。


 ふっ、と顔を上げたのはニアヴである。



「……陛下、ちょっとその親書を」



 日付のところをじいいっと見て、ニアヴはぶつりぶつりと独りごちる。



「うちの子たちと同じくらいの若い男の子。……王女とは親しい仲。あら……」


「どうかしたのか、ニアヴ?」


「ええ、……ちょっとリンゴウ君。もう一度書簡庫へ行って、181年度分の箱を持ってきてください」


「はい!」


「ニアヴ様、何か思い出されたのですか?」



 キルスがそうっと聞く。



「ええ……。何かすっごく変な気がするんだけど……、いえ、思い違いかも」


「持ってきました、181年度分です」


「ありがとう。眠月の頃だったわね、フィーランとオーレイがティルムンへ行ったのは?」



 木箱を開けながら、ニアヴはグラーニャに問いかけた。



「そうだ。皆がマグ・イーレを発った後、町の子ども達と野いばらを採った記憶があるからな」


「“クロンキュレンの追撃”が、眠月の末ですしね」



 キルスが付け加える。



「じゃあ、そのすぐ後だわ」



 ニアヴは中の書類をかき分け始めた。古びた羊皮紙を抜き出しては入れ戻し、を何度か繰り返す。



「あ、あった」



 その一枚を手に、ニアヴはくわっと目を開けた。



「陛下、これッッ」


「何です? これもテルポシエからの親書? ……ああ、息子たちを送って行って、帰って来た後の訪問お礼のそのまた返し……」


「下を見てくださいッ」


「えー、“クロンキュレンの追撃”のお見舞いがあって。ってこれ、ウルリヒ王の署名、ん? あ、あ――っっ」



 正妃と王が口を四角く開けて注視するその羊皮紙を、グラーニャも覗き込んだ。やはり達筆な文官によってしたためられたらしいその親書の中、右下部分の大きな余白に日付と署名がぽつんと浮いている。ここだけ少年王本人が書いたらしいのは、誰の目にも明らかだった。



::闇月ついたち ウルリヒ・エル・シエ



 皆がその、“闇月”を見つめた。昨日やって来た親書の中の“闇月”と、まったく同じ筆致で書かれていた。



「似てますよ……」



 ポーム若侯が囁いた。



「どころじゃないですよ、綴りの膨らまし方が同じですよ」



 キルスの声も、わなわな震え気味である。



「まさかって思ったのだけど……冗談みたいに一致するわ? どうなんです、陛下ッ」


「ええ……本当ですね、こりゃすごい……。もっと明るい所で、よく見比べてみましょうっ」



 王は二枚の羊皮紙を両手に、ささっと窓際へ行く。



「……どういうことなのだろう、キルス! 甥は実は生きていて、姪と一緒にいるというのか?」


「いえ、そんなことはありえませんよ。ウルリヒ王は陥落時に戦死して、たくさんの人が亡骸なきがらを確認したのですから」


「じゃあ、何か怖い存在になって、彷徨さまよっているとでもいうのかぁぁ」



 ひ――、全身にとり肌の立ったグラーニャは、思わず老騎士の長ひょろい腕にしがみついた。戦争指揮には血が騒ぐが、お化けは怖いのである。



「年代差は、ありますねッ」



 窓の近くからランダルが叫ぶ。



「181年の方は、やはりウルリヒ君十五歳。少年ならではの雑っぽいくせが、少々あります。で、彼がそのまま大きくなって、大人になって書いたのがきのう届いた方、という感じです」


「ど、同一人物ってことなのでしょうかぁ」



 ポーム若侯の声は、とうとうかすれ出した。童顔が蒼ざめている!



「う~~ん! あるいは、間諜くんがウルリヒ王の真似をした……もしくはその逆か。仲良しどうしがそのくらい努力して似せなければ、ここまでぴったり一致するのってありえないですよ」


「では181年の時点で、ウルリヒ王と間諜はすでに近しい存在だった……と言うことになりますかねえ……?」



 右腕にグラーニャをくっつけたまま、キルスが言った。



「貴族の子ならお友達かとも思えますが、平民では……難しいんじゃないでしょうか?」


「その通りだぞ、キルス」



 当時のテルポシエ王族が、地元社会から隔離された状態だったことはグラーニャだってよく知っている。マグ・イーレとは大違いだ。



「洗い出す手は、一応ありますよ」



 皆の耳に、ランダルの声がやたらきりっと響いた。



「ウルリヒ王と同年代の男性で、平民出身。その中でイリーお習字の有段者を調べれば、ある程度は絞られるでしょう。たぶん、その年代なら包囲戦時は従軍していたはずですから、今の生存者をあたればいいんです」


「お習字有段者ッッ!」


「イリー習字協会の本部は、ファダンにあります。そこに問い合わせれば、名簿くらいは簡単に閲覧できるでしょう。これほど他人と筆致を似せられる真面目な子が、段を取っていないというのも考えにくいですから」


「なるほど……」



 彷徨さまよえるお化けでなければ何でもいいな、と思うグラーニャである。



「ただ。今私たちでここまで大騒ぎしたけれど、ふたを開けたらそこまで重要人物ではない、という可能性もあります。純粋に、エリン姫と親しいだけの連絡係かもしれないし……」


「けれど陛下。陛下はディンジーさんをお連れした時に、テルポシエの残存勢力に襲われたではありませんか。マグ・イーレとしては旧体制もエノも、皆含めてテルポシエを敵とみなしているわけですから、間諜情報についてもより多くのことを引き出しておいた方が、のちのちの戦局で有利になります」



 ニアヴが、ぐうっと事務的現実的な調子に戻って言った。



「あっ、そうか……。それは、ニアヴさんの言う通りですね。それじゃ私は早速、お習字協会に問い合わせをしてみましょう」


「そうして下さい!」



 ちなみに陛下は何段であらせられるのだろう、グラーニャはふと疑問に思った。



「では、今後の行動のめどもついた所で……。書簡を片付けましょうか。一応、くだんの代書には付箋を目印につけておいて」



 皆でがさがさと羊皮紙をまとめた。


 木箱を抱えて廊下を歩く、グラーニャは傍らの老騎士の顔を見上げる。



「書からこれだけのことがわかるとは。何だか面白いような経験だったな、キルス」


「さいですね! ゲーツさんにも、後で教えてあげた方がいいですよ」


「ああ、ウセルにもだ……。だけどな、キルス。俺は何となく……」


「はい?」


「死んだ甥はその間諜とぐる・・になって、妹姫を護っているような気がしないでもない」


「ふふ、グラーニャ様ったら。敵ごとなのにじんわりしちゃって、どうなすったんです」


「丸くなってしまったのだろうか。いかんな、俺はマグ・イーレの“白き牝獅子”なのに」

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