163 空虚七年目2:大鷹王の話
むかし昔、大むかしの話、あるいはずうっと先の未来の話をしましょう。
どちらにせよ、わたし達とははるかに離れた、遠い時代の話です。
このアイレーの南の海には、たくさんの小さな島々が浮いています。
名のある島と、名もない島とが、つめたい風の吹きすさぶ冷えひえの海に、かたまっています。
その中のちょっと大きめな島のひとつは、“蛇の島”と呼ばれていました。
というのも、そこにはたくさんの蛇たちが住んでいたからです。
島にはさまざまな蛇がいました。
ふつうの、小さいの、でっかいの。
ほそいのが中心でしたが、みじかく太って、ぼん・びよよん、と跳びはねる実にけったいなやつもいました。
色もいろいろです、金ぴか銀ぴかなのはいつも偉そうにとぐろを巻いてすましていましたし、白や黒のなめらか皮をしたのは、俺たちゃ安かねえぜといばり散らしていました。
もも色やすみれ色のかわいらしいのもいるにはいましたが、とにかく皆のっぴきならない、いじわるばかりでした。
彼らは、他のもののあらを見つけてはそこばかりはやし立てるし、隙あらば自分の欲しいものをしゃしゃっとうばって食べてしまおうという、そういうたくらみばかり考えていました。
けれど蛇の島ではそれがふつうでしたし、そういうものだと皆が思っていたので、蛇たちは自分たちのことをいけずだとは全然思っていなかったのです。
と言っても、蛇たちは自分たちどうしで食べあっていたわけではありません。
蛇たちは毎晩、何十匹かでしめし合わせて出かけます。
海面すれすれをくねくね、うねうね泳いでは、他の島々へ渡っていきました。
そこでうさぎや、鳥や、けもの達を襲って食べました。
何十匹もの大小蛇たちで一気に囲み、襲うのですから、大きなけものでも殺されて、またたく間に食べられてしまいました。
細いやつらで脚をからめとり、太いやつが何匹かで組んで首をしめれば、あの毛長牛だってひとたまりもありません。
まわりの島のけもの達は、海を越えてやってくる蛇の群れをおそれました。
え? 寒い南の海に、どうして蛇が住めるのかって? いいとこついてきますね。
そう、たしかに蛇の島は、ずいぶんつめたい海の中にありました。
だから寒いのが大きらいな蛇たちは、夏の三月だけしか起きていないのです。
他の月はぜんぶ、地面に掘った穴の中で、ふうすか眠っていました。
まわりの島々のけもの達は、その辺も知っていましたから、夏の夜の間だけ気をつければいいんじゃないかと考えたり、うちの島はこないだ襲われたから当分順番は回ってこないだろう、と気休めを言ってみたりしました。
もっとまじめなけもの達は、夏の間だけ遠くはなれたアイレーですごしたり、あるいはひっこしてしまいたい、と切に願っていました。
鳥たちはそうすることができましたが、飛べもせず、長く泳ぐこともできないけもの達は、他にどうしようもなかったのです。
ある日、いつも通りにごちゃごちゃと寄りあつまって、今夜はどこへ行こうかと話し合っていた蛇たちの頭上が、ふうっと暗くなりました。
おどろいてかま首を持ち上げると、ばかでっかい巨大な鳥が、上空ひくい所をぐるぐる飛び回っているではありませんか!
「敵襲だ!」
「迎撃だ!」
その大きな一羽の鷹は、島の中心にある小高い丘にふわっと舞いおりました。
この丘は、いちばん強くて大きな蛇、蛇王のすまいでしたから、王は怒ってしゃーっっ! といかくの声を上げました。
「やっちまえ、お前たち!」
蛇王の命令に、近衛つちのこ隊が即座に反応しました。
ぼん・びよよん!
おそろしく弾力性のある、ふとくて短いからだをしゃくとり虫のようにまげて、一斉にじまんの体当たりでおそいかかったのです。
ぶあっっしーん!
しかし、大鷹は左右のつばさを華麗にひらめかして、つちのこ体当たりを全部びんたではね返してしまいました。
「毒射撃ー!」
蛇王はとっておきの精鋭をまわします。黄色と黒のがらがらまだらもようの毒蛇たちが、鷹に向かって一斉に、毒のつばを吐きかけました。
ぎゅうーん!
何てことでしょう、大鷹はものすごい速さで羽ばたいて強い風をつくり、吹きかけられた毒ごと、精鋭部隊を海までふっ飛ばしてしまいました!
悔しがる蛇王にむかい、大鷹は言いました。
「私と戦え。勝ちのこったものが、この島の王になるのだ」
そこで、丘の上で大鷹と蛇王とは死闘をくり広げました。
他の蛇たちは、丘をぐるりと取り囲んで、その戦いの行き先をみています。
悪がしこく、蛇王の援護に入りかけたものもいましたが、失敗しました。
ふたりの戦いがあまりに激しく、はじきとばされてしまったのです。
戦いは長くつづき、蛇王も大鷹も全身傷だらけです。
つかれた大鷹の隙をついて、蛇王はとうとうその首ったまにはりつきました。
逃れられないからまりで強くしめ上げられ、息のつまりかけた大鷹は、いちかばちかの勝負に出ます。
ぐうーん!
大鷹は高く高く、とび上がりました。
金色の太陽めざして、全力で羽ばたきました。
ちぎれ雲よりもずうっと高く飛んだところで、首をしめ上げる蛇王がうめきました。
「さ、さ、さむい!!」
天上の寒さに思わずふるえ上がった蛇王は、うっかりしめ上げをゆるめてしまったのです。
ぐるっ!
大鷹は宙で、すかさず身をよじりました。
「ぎゃあー!!」
ふりほどかれた蛇王は、落ちていきました。
高い高い空の上から、すさまじい勢いでずどーんと丘のてっぺんに突きささって、蛇王のからだはばらばらにくだけ散ってしまったのです。
それを見ていた蛇たちは、丘のまわりでがたがたふるえ出しました。
ふわりと舞いもどってきた大鷹にむかい、地面にひれふして服従の礼をとったのです。
こうして、大鷹は蛇の島の王になりました。
いじわるでむこうみずな蛇たちの中には、それをみとめず、大鷹に立ち向かっていったのもありました。
けれど、蛇王が勝てなかった相手に、かなうわけがありません。
こういった蛇たちは、あっという間に大鷹にひしゃげられ、食べられてしまいました。
今まで他のものをおそれさせ、食べていた蛇たちは、いまや恐怖にとらわれ、食べられる側になってしまったのです。
大鷹王は、蛇たちが以前のように、群れをなして狩りをするのをきびしく禁じました。
「狩りにゆくなら、ひとりでゆけ。そうして自力で得たものを食べるのだ」
これはこたえました。悪党の蛇たちは、たくさんより集まらなければ、何もできないのです。
仕方なく、彼らは虫を食べて過ごすようになりました。
空腹に耐えかねたものは、ひっそり夜の海を泳ぎ越えて、べつの島をめざしました。
たったひとり、見つけた新天地で、まじめに自分の身のたけに合ったえものをとり、静かに静かに暮らすようになっていったのです。
大鷹王は、丘のてっぺんに大きな巣をつくりました。
やがてそこに、きれいなめすの鷹が舞いおりてきて、まっしろいたまごを抱きました。
ひながかえり、どんどん大きくなって、やがて飛び立っていきました。
何度も何度も冬と夏がめぐり、大鷹王と鷹妃はその巨大なつばさの下で、たくさんの子どもたちを育みました。
けれど巣立った若鷹たちは、誰ひとり帰ってきませんでした。
ある春、大鷹王は鷹妃も帰ってこないことに気づきました。
それでも大鷹王はあわてて探しに行こうとせず、どっしり丘の上の巣にかまえていました。
その頃、島の蛇たちはだいぶ弱気に、数すくなになっていました。
大鷹王に食べられてしまうのがこわくて、誰も丘には近よりません。
遠まきにみどりの丘を見上げては、
「ああ、今日も大鷹王は、おそろしげに鎮座している……」
そう言って、こそこそ這いまわっていたのです。
どれほど、月日がたったでしょうか。
老いた王、飛べなくなっていた独りぼっちの大鷹王が、いつ死んでしまったのかは誰にもわかりません。
蛇たちはひたすら丘をおそれていましたから、そのなきがらと巣……いまや大きな大きな、苔むした塚になった大鷹王のむくろが、ずうっと生きていて自分たちをにらんでいると、思い込んでいたのです。
実際いまでも、その島の真ん中にある丘には、巣に入った大きな鷹のかたちの塚がみえるといいます。
この塚はまわりの島々からも見えますから、そちらへ渡っていった蛇たちも、大鷹王をおそれてよりつきません。
大鷹王ののこしたすがたは、今でも島々ににらみをきかせ、蛇の群れの再来を封じているのです。
・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・
「……はい。今日は、これでおしまい。おやすみなさーい」
火の消えた炉の前。
いまだ温もりが残るそこに敷かれた山羊毛皮の上、外套にくるまって横たわる三人の子らがいる。
あかるく穏やかな声が、物語を締めくくった。
「……鷹、かわいそう」
暗闇の中、ぼそりと呟き声がもれた。
「……イオナちゃんは、いつもそう言うね。このお話が大好きなくせに、聞けば必ず哀しくなっちゃってさ?」
「だって……」
「うん、確かに大鷹王の最期は寂しいし、哀しくなるのはもちろんわかる。でもさ、誰だって最後は丘の向こうへ行くんだし、どんな物語にも終わりは来るんだよ。
まあ、鷹は大暴れして王様になったし、ひなもたくさんかえしたんだから、けっこういい人生……鳥生か、送ったとあたしは思うけどなあ?」
「飛べるうちに、どこか他のところへ行けば良かったのに……」
アランは手を伸ばして、イオナの頭をわしゃわしゃっと撫でた。
「イオナちゃんは、イオナちゃんなりの大鷹の話を思っていいんだよ。あなたがいちばん良いと思う物語の結末を、考えてみたら?」
「……鷹を、助けたいな」
「ふふ。じっくり考えて、いつかあたしに話してごらんよ」
「うん。ありがとう、アラン」
「おやすみ……」
≪ぐう≫
「……相変わらず、ヴィー寝つき早ッッ」
・ ・ ・
――うまいもんだな。
同じ家の別室で、遠縁の姪の語りをこっそり聞いていた声音の魔術師は、規則正しく上下する小さな娘のお腹をじーっと“聞いて見つめつつ”、感心した。
――東部の皆どころか、イリー人だって知ってるようなおなじみの話なのに。俺まで聞き入っちゃったよ、おもしろーいよ。アラン。悪役側の蛇たちを、やたら活き活きさせたのは、お前のてごころか……。残念、モティちゃんに聞かしたかった……って、ちっと早いか。
やっぱり、この姪には自分が教えられることなんてほとんどない、と思う。いや……。邪道の部分は教えとくか、と思い直す。
幼児に添い寝していた小さな寝台から、ゆっくり立ち上がる。もう、どこもかしこも真っ暗だ。
ふあ……。
あくびが出る。自分も寝に行くつもりで、ディンジーは頭に手をやった。
かんざしにしている小枝を引き抜くと、そこにまとまっていた長くなめらかな虹髪が、ぱらぱらぱらとこぼれ落ちた。
・ ・ ・ ・ ・
この記憶だって、それこそむかし昔、大むかしの話だとディンジーは今思う。
・ ・ ・ ・ ・
「どうですか、旦那さん。この春に入ったんですが、なかなかよろしいと思いますよ!」
「そうねー」
フィングラス南部にあるリアーの町、とある店の中で、ディンジーはあるじと話していた。
「金髪と赫毛の中間が段々まじりになったお髪なんて、あたしも久し振りに見ましたね。最近はどんどん珍しくなっておりますよ。この先は、別べつのおぐしを混ぜるしかなくなるかもしれません。さいごの天然もの、お値打ちですよ」
「……」
ここは髪商である。つややかな栗材の卓子の上、白い角皿にのせられた虹色の髪が、にぶく輝きを含んでいた。
ランダル、ゲーツと共にガーティンローを訪れて以来、ディンジーは各地の髪商に寄るようにしている。よく考えたら自分だってしっかり後退しているのだ、別に言い訳なんて要らなかった。
運良くアランの髪にめぐり会わないかと思ってのことだが、どこでも空振りだった。
あんまし意味ねぇかなあと思いつつ、マグ・イーレとフィングラスの街道間にある主要な宿場町の店はだいたい見て回って、いつか入荷したら取り置きするよう頼んである。
今でも姪が髪を売っているかは知れないし、ひょっとしたらイリー世界に住んでいないかもしれないのに。
それでもディンジーは、気長に探索を続けていた。ついでに、本業の害虫駆除もばりばり片付けていた。
そして、本日である。
期待せずに寄ったら、前回話しておいた七三分けのぎとぎと脂髪あるじがきらっと顔を輝かした、お待ちしてましたと言う。
見せられた髪は、たしかに虹髪である。金髪でなし、赫毛でなし、何とも言えない色合いの、……ちりちり髪である。
――直毛だったのが、こんだけまがることって……あるのん??
姪の髪はかつての自分と同じく、まっすぐだった。色味は同じでも形状が別人である、……いやいや、加齢ってやつは色々超常現象を引き起こすからな。
「……若いひとの、髪なんかな」
ディンジーは聞いてみた。
「売りに来た女の人には会ったの? あなたが切ったのかい」
小太りのあるじは、目を瞬いてきょとんとした。
「え、ええ。あたしと小僧とで切りましたけど……。あの、若い殿方でございましたよ」
ディンジーが目を見開いて、ぽかんとする番である。
「男だったの?」
「はい。たいへん感じのいい、しゅっとした方でしたよ」
「へえー……」
「旅の途中で立ち寄ったと仰っていたので、この辺の方じゃないですね。話し方もこう……あかぬけた感じでした。こんな珍しいおぐしですし、騎士さまに髪を売ってもらうなんてさらに珍しいことでしたから、よく憶えてますなぁ」
「騎士だったのかい!」
「ええ、剣さげてましたもの」
「おやっさん、ありゃ短槍ですよう」
お盆に湯のみを持ってきた、ばかでかい小僧が口を出した。
「そうだっけか?」
ディンジーの前に白湯の椀を置きつつ、にきび面の若者は言う。
「そうですよ。それに……」
言いたいようなやめたいような、あるじと客の前であんまり色々もの言っちゃいかんかなとためらっている様子である。ディンジーはつついてみる。
「なに何?」
あるじは言ってみ、と言うふうに小僧に頷いた。
「……確かに喋り方とかものごしとか、りっぱな人だったんですけど。革鎧やお召し物だとか、ものすごく年季が入った感じだったんですよ。……何て言うか、若いのにおじいさんぽい趣味って言うか。あの年で騎士って言うなら、それこそ所属騎士団の外套着てて当然じゃないですか? 騎士だったかどうかは、はっきり言えないと思います」
「あ~、それもそうだね!」
あるじは素直に納得した。
「ここは一応宿場町ですから、騎士の人も時々通るんです。フィングラスのいわうお騎士団はもちろん、黄色いデリアド騎士とか濃灰マグ・イーレ騎士とか。でもあの方の黒い外套は、見たことない古い感じだったな……。ひょっとして、くびになった追放騎士だったのかも」
「これこれ、知らない人でしょうが。めったなこと言うもんでないよ」
「あっ……すみません。ごめんなさい」
あるじのたしなめに、でかい小僧は素直に謝った。見かけに反して、やたらさらさら素直な男の揃った店であるらしい。
その時裏口から配達の呼びかけが聞こえて、若者は一礼してから出て行った。
ごくッと白湯を飲み干して、ディンジーはまっすぐ店主を見た。
「ご面倒かけて、本当申し訳ないんだけど……。俺が探してんのは、直毛なのよね」
残念そうに苦笑しかけたあるじに向け、ディンジーはささっと硬貨数枚を差しのべて置いた。
「お手間賃に、お納めくださーい」
「えっ、旦那さん。こりゃちょっと頂き過ぎですが!?」
「うん、いいの。でも引き続きこういう色合いの髪が入ったら、ぜひとっといて下さいね?」




