162 空虚七年目1:医者さがし
イリー暦197年。七年目の空虚の話である。
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『♪ らんらんらららぁぁぁん たまごのこぉオオオ……』
人間の声では再現不可能なほどに外しまくりのおんちを発揮しつつ、プーカは東の丘の中腹にあるはりえにしだの茂みの上を、もよもよと飛び回っていた。
『ごらんよ、流星号や! こんなにつぼみが膨らんで……、もうすぐ黄色いお花が咲くのだわあ』
ぶらぶら並走しているいも虫流星号に、やんわりと声をかける。
『すこし摘んで、天幕のなかに飾ろうかね……。すてきよ、きっと』
ぶんぶんぶぶん、流星号ははげしく頭を振った。
『えー、何よ、だめなん? ……あ、そうか。はりえにしだを家の中に入れるのは良くないんやったね、ふきつなのよね。ふきつとふけつは、どっちも嫌よね』
ぶるぶるぶる、流星号の背中の毛が震える。
『……うん? それにここは、介護妖精ジェラ婆ちゃんが、メインのおしもを捨ててきた場所……? はっ、そうか! だから土が肥えてお花がゆたかに……。思いっきし忘れてたわ、あんたはお利口やね。流星号』
炎の妖精はなま温かい表情で、いも虫の頭を両手でなでてやる。
『ここの丘の上にも、もう七年かー。そら土も肥えるわなー』
プーカと流星号は、丘の頂上を見上げた。緑の草の上、しなびかかったような天幕が樫の樹の大木にようやく支えられるようにして、薄青い朝の空を背に佇んでいる。
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「おや……。今日はパスクアが来たようだよ。ケリーとろばを連れている」
おもむろに顔を上げて、倒れた巨石の上に座っていたメインは言った。足元のジェブが、にゅうと背を伸ばす。
「うおーい、メイーン。いるかあー」
「いないわけ、ないよー」
いつものやり取りである。メインは力なく、パスクアの声に応えた。
『なーんだ。あいつ、おやつくれないんだもん。ジェブ、つまんないの……。エリンのにおいがするから、ガブリしないでやるけどさ』
「俺の友達なんだから、意地悪しちゃだめだよ」
低くたしなめていると、ひょいひょいパスクアが近づいてくる。
「おいこら、ワン公。エリンから預かってきたのが、あるぞー」
『キュッピー!』
ジェブはくるっと跳ねとんで、パスクアと驢馬の近くに着地する。変わり身早やっ、とメインは思った。
「さざえの、殻だとよー。ほれ」
『にゃーん!』
けもの犬ジェブの一言は聞き流して、パスクアは巨石に座るメインの前に立った。
「よう、元気かよ」
「うん、息も絶えだえだよ。エリンはどうかしたの?」
「え?」
「さざえ殻を用意してたってことは、いつも通り来るつもりだったんだろ」
「姫様ね。ゆうべから頭とお腹が痛くって、朝も起きられなかったんだ」
驢馬の背から荷物を下ろしつつ、ケリーが言う。
「いつものだから気にしないで、って言うんだけどね」
「何か年々、悪くなってる気がするんだよなあ。年のせいなんかな」
口をひん曲げながらパスクアは言った。
「年とか言ったら、パスクアさんの方がぶっちぎりでおじさんじゃん」
「うっ……。ケリー、俺は一応お前の上司なのだぞ?」
「エリンは、産後の肥立ちが良くなかったからね。……ケリーや、天幕の中から筆記具と布、持ってきておくれ」
「はーい」
数秒前にパスクアに突っ込んだのと、同一人物なのが信じられないような滑らかな素直さで、娘は返事をすると天幕に入って行った。
「何書くの?」
「爽寿と月見草……をこれくらい。濃いめに煎じて、エリンに飲ませてあげて。とりあえず七日間」
「わかった。クレアのお店で頼めるかな」
「月見草は、“みつ蜂”には置いてないと思うよ。薬種商で見繕ってもらって」
「はい」
今でも一応治療師であるメインの処方を丁寧にかくしにしまってから、ケリーはてきぱき働き始める。パスクアはメインの右隣、巨石の上に座った。
「……こないだの話に続くんだがな。薬翁も年だし、一番弟子だったお前が王になっちまって、しかもこうして抜けたもんだから、本当に治療者が足らんのよ」
軍内の医療班の話である。幸いテルポシエ市内には民間の治療者たちがいるから、傭兵たちも平時の健康問題はそこへ持っていって何とかしてもらっていた。けれどエノ軍内部には現在、専属の治療者が不足している。
「近郊から薬師を募ってはいるんだよね?」
「うん。応じて来てくれたのが二人。どっちも若くて経験不足、ひとたび戦争になったらさばき切れるか自信ありませんと正直に言っている」
『ある意味信頼できる奴らでねえがな、それ』
メインの左横っちょに座っていたパグシーが、蓬髪をふりふり呟いた。
「……これを機会に、専属の医師が欲しいね」
「そう、エリンも同じこと言ってな。……もう直接、ティルムンまで行って出来そうな奴を引っこ抜いて来い、とか言うんだよ」
「ああ、そういう手があるね! さすがエリン、観点ちがう」
「うん。案としてはいいんだが。……しかしティルムンのお偉いお医者様が、こんな辺境くんだりの傭兵団のお抱えになってくれるかぁ?」
「いや、そこはもう、報酬しだいで何とでもなるでしょ!」
「……」
「やだねえ、パスクア。今まで貯めてきてる分、こういう時に使わなくっていつ使うのさ?」
「……」
「パスクアさん、びんぼう症」
ケリーの声がふっと聞こえる、本人どこにいるのか巨石席からは見えない。
「うるさいよッ」
「俺らの部屋の調度だとか、もう一切合切処分しちゃっていいし、エリンに頼んで昔の骨董系の槍だの何だの売り払ってさ、費用作ろうよ」
「またしても、出納係を悩ますことになりそうだ……。エルリングの奴かわいそうに、あいつも最近すっかり禿げてしまって」
「パスクアさんもいい勝負じゃん」
「ケリーっっ! お前ね! 遅咲き反抗期で他に適役おらんのわかるけどなッ、挑発する相手を間違えてんぞ! 俺はお前の父ちゃんじゃないのッ」
毛皮敷きを両手いっぱいに抱えて娘が天幕から出てくる。さすがに怒ったパスクアの強い目線を、へっと肩を軽くすくめるだけで受け流し、ケリーは樫の樹の向こう側へ、敷物を干しに行った。
「全く……」
ほぼ誰が見ても山賊おじさんの外見になってきた、もと若きエノ幹部は、げっそり溜息をついた。
「いいじゃない。安心して突っかかれるんだよ、パスクアなら。……腕は上がって来てるんだろう?」
「も~、冗談きっつい級に強くなってる。北区の道場じゃ師範代で、身長があれだろ? シャノンの長槍だって自在に使ってるんだ」
「鼻は、どうなったのかな……」
「変わんないよ」
メインは十分ひくく言ったつもりだったのだけど、ケリーはちゃんと聞いていて返事をよこした。
パスクアが振り向くと、樫の樹と天幕脇の柱につないだ綱に揺れる、敷物の間に娘が立っている。
「何かもう、別にこれでいいじゃんって気もするし」
わざと強がって悪ぶって、投げやりに言ってるような感じがしないでもない。
じゃあ何で覆面布を外さないのか、……そう聞き返す度胸は男二人になかった。
「前はさ。鏡を見るたんびに、シャノンさんの仇を討つんだって、ぐらぐら怒って泣いてたけど。姫様がそうしなくて良い、って言う」
娘はメインも、パスクアも見ていなかった。
「あの大男だって、シャノンさんを殺さなきゃ自分が殺されてたから、どっちかが死ななきゃ終わらない戦いだったから、結果ああなったんだ、って……。だからね、……あたしはとりあえず、姫様を守る仕事に専念する。鼻の仇はまあ、そのうち後で考える」
「そうかい」
父ちゃんじゃねえと言ってる割には、受け止める声が深くて優しいパスクアであった。
「……ただ、もし次に会えたら。あんのおっさん、ぎったぎったにしてやるんだ」
言いながらケリーは、ひょいと覆面布を下げた。久し振りにみた彼女の顔が、ゆるやかに曲がった鼻に彩られおそろしく精悍になっているのを見て、二人は内心ちょっと怯んだほどである。
かわいいんじゃない、きれいなのじゃない。この年頃の娘にあるまじき別の美しさ、そう、それは“かっこいい”としか言えないうつくしさだった。
しゅっと覆面布を持ち上げて、何事もなかったかのように、ケリーは敷物表面をぼんぼん叩き始める。
「えーと……。じゃあねパスクア、医者のことだけどね」
「おう、どうする」
メインとパスクアは無理やり会話を戻した。
「次のティルムン通商船に、口の立つ誰かをのせて派遣しよう。テルポシエにて軍医絶賛募集中、ってふれこみで医者を探して、こっちに連れ帰るんだ」
「文明発祥地で医者募集なあ……。そんな器用な芸当のできる奴、いるのかよ?」
「ウーディクがいるじゃないか」
『たっぷりした叔父ちゃんが、もれなくついてきたりして』
いつのまにかパスクアの膝に乗っかっていたプーカが、なま温かい表情で笑った。
「いや……ウーアはいかんぞ、大盾部隊はいつでも出動できるようにしててもらわないと。つうかウーディク抜きで大丈夫かな、あのおっさん」
『その辺はお前が助けておやりよ、パー』
「略すなッ」




