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海の挽歌  作者: 門戸
空虚六年目 装飾写本の謎
160/256

160 空虚六年目13:かの女の浮彫、ナイアルの既視

 数日後。


 無事にマグ・イーレへと帰還したランダルは、ロランの持ってきたティルムン説話集と『テアルの巻』複写を机上に広げ、椅子の中で腕組みをしている。



――エリン姫はやはり、“黒きつばさに守られた”正統の王位継承者ではない。彼女自身は、それに気付いているのだろうか?



 以前、うしぐらき情報網を通して得たあの醜聞は、本物だったのだ。つまり我らがマグ・イーレ第二妃グラーニャこそが、真のテルポシエ王位継承者となる……。


 重すぎる頭を振って、ランダルは右の引き出しを開けた。その片隅から小さな布片を取り出す。



::ファダン領ムーナ村ロイテ道 ティミエル・ニ・メキュジリ



「……」



 キノピーノ書店の手代てだいがそうっと手渡してきたこの宛先に、ランダルはいまだ便たよりを書けずにいる。作品中では老若男女容赦なしに破滅させているゲールだが、読書好きの姫の破滅を、彼は望まないらしかった。



――私だったら彼女を救う手だてがあると、これをくれたのかもしれないけれど……。わからないんですよ、ゲール君。むしろ彼女を破滅させる材料ばっかり、私は知ってしまっているんです……。




 こんこんこん、


 扉が叩かれ、ランダルは静かに引き出しを閉めた。



「はい、どうぞ」


「お早うございます、陛下」



 するっと顔を出したのはグラーニャである。



「おや、御方。ごきげんよう、どうかなすったの?」


「ゲーツが」



 薄開きの扉、グラーニャの半身の上に、にゅうっと護衛の顔が出る。



「……陛下、見つけました」



・ ・ ・



「……」


 二人についてこっそりやって来たのは、本城の裏側だった。


 ばらの植え込みが幾つもあって、すぐ上がグラーニャの居室というところ、石壁にかなりつたがはびこっている。



「……そこの装飾、ご覧ください」


「どこ……?」



 確かに石壁にはでこぼこ突起があるが、つたの葉まみれでわからない。ゲーツは手を伸ばして、ひょいと太い蔦の枝を掴むと、そのまますいすい登って露台出っ張りと同じくらいの高さに到達した。



――慣れてるね、さすが……。



 右手で蔦の葉をかき分け、持ち上げる。



「……これ。“かの女”じゃないですか」



 ランダルは目をすぼめた。ゲーツの掌の下、その手と同じくらいの大きさの意匠が、石に刻まれている。……。



「――ッッッ」



 ランダルは口を開けた。


『テアルの巻』の挿絵と比べたらだいぶ丸っこく、かわいらしいような形になってはいるが、そこでもこもこした体を小さくまとめ、すましていたのはまさに――



――黒い巨人ッッ!!! ……の、浮彫ッッ!?



「……石壁の蔦を全部取ったら、もっと出てくるかもしれません」



――なんでッ? なんでここ、マグ・イーレ城に!?



 口を開けたまま驚愕に飲み込まれている王の脇では、グラーニャが目を細めている。



「……あれー??」



 やがて第二妃は首をかしげた。



「黒羽ちゃんではないか、それ」


「ふあぁっっ!? お、御方、いま何とッ!?」


「ああ、テルポシエの城にも、よく似た浮彫があったのです。……どこだったかな、西か東の塔……。たくさんあって、時々姿勢が違うのです」



 グラーニャは、ゲーツの示す浮彫のように、胸を抱くような恰好をしてみせた。



「ここのように、羽を組んでいるかと思えば……」



 ぱっと両腕を脇に上げる。



「こうして、翼を広げてのびのびしてるのもありまして、なかなかにかわいらしいのです」



 王は絶句したまま、グラーニャを見つめた。



「なので子どもの頃、これは黒羽の女神をあらわしたものと、自分は勝手に思っていたのです。……違ったのかな?」


「……だから、“黒羽ちゃん”??」



 ランダルは、両脇に冷たいものを感じる。何も知らないグラーニャは、屈託なく涼やかに微笑してみせた。



「ええ。もふもふ、ふわふわの全身羽毛まみれ。黒羽の女神ちゃんです」




・ ・ ・ ・ ・




「いやもう、本当にお手数をおかけしまして……」


「いいんですよ、たくさんの人に読んでいただいた方が、本も嬉しいと思いますし」



――と言うか、気に入ってる本が人目に触れて、喜んでいるのは僕だがな。



 にこやかに案内しつつも、キノピーノ書店手代てだいゲールはけっこう緊張している。



――この人も、お姫様から何か特殊な指令を受けているんだろうなあ。しっかりばっちり読んで欲しいものだな、あの方も報われるといいんだけど。



 通された商談室の椅子に座って、男は礼儀正しく背筋を伸ばしている。



「いつもご利用いただいてる、得意先のお嬢さんなんですが。昔の筆遣いが本当にきれいな本だったとお話を聞きましたら、商売柄もう居ても立ってもいられませんで」


「そうですよね。乾物屋さんなら、お習字にご興味を持たれるのは当然です」



――すごいなあ、間諜って演技うまいんだなあ。ほんものの乾物屋さんのように、すらすらしゃべっているよ。この人もテルポシエの人かな? すごい過去を持ってるのだろうか。うーん……破滅的な過去とか。いいね……。



「では、拝見します」



 旧テルポシエ軍二級騎士、第十三遊撃隊副長だが一応ほんものの乾物屋でもあるナイアルは、ゲールに借りた綿手袋をはめて、ゆっくり頁を繰ってゆく。



「ふごっっ」



 そのごくごく小さな詰まり声を聞いて、手元の普及版『百数十年ちょっとの孤独』から、ゲールは顔を上げた。



「あ、すみません。なんでもないんです」


「……?」



 笑顔で取り繕いつつも、卓子の下でナイアルは、手袋をはめた両手を握りしめていた。


 巨人の謎の解明は、エリンの担当である。


 自分は本当に興味本位、話のねたに見ておこうくらいの軽ーい気持ちで、アルティオへの定期連絡ついでに寄っただけなのである。


 それなのに。


 ……黒い巨人の挿絵を前に、彼の本能、第六感がぞわぞわぞわりと反応した。



――知ってるぅ! 知ってるもふもふ・ふわふわだッッ! この黒いふわもこ感を……なぜだか、俺は知っているぅぅぅぅ!!



 庶民なのに、乾物屋なのに、真実に一番近いところにいるナイアルであった。


 ときはイリー暦196年。空虚の六年目が、暮れかけている。



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