159 空虚六年目12:声音の継承者
「どう、ゲーツ君? 寝て何か思い出さなかった?」
「……まだです、先生」
翌朝、宿地上階の食堂にて、もそもそ粥をすする男三人である。ニアヴの言いつけ通りにちゃんと格の高い宿を選んだから、朝食だって結構こじゃれている。穀物粥の中に干し杏や黒梅が浮かんでいて蜂蜜かけ放題だなんて、ゲーツはグラーニャと一緒じゃないのが無念で無念で無念で(中略)恨めしい。
――にしても先生、俺の偽名とか、もうどうでもいいの?
「私は全然ちがうことに思い当たったんですけど……。ディンジーさん、あなた後継者ってどうなさるんです」
「? 家なら、全部モティちゃんにあげる気だけど?」
「いえ、“声”の方ですよ。お嬢さんはそういう修行したように見えなかったけど」
「ああ、もちろん。俺たちの声音はねー、やっぱ血が繋がってないと継げないんだな。それに一族の中であっても、個々人で向いてる向いてないってあったから。血が繋がっていて、かつ本人にそこそこ素質がある場合だけ、修行をさせんのよ」
「かなり条件があるんですね」
「そうだね。それに修行したからって、全員の声と耳が変になるわけじゃないの。だいたいは男の子も女の子も、“語り部”どまりだね。それでも東の世界じゃ祭祀を司る重要職だから、色んな集落へ引っ張りだこで出て行ったよ」
「なるほど、専門職として各地に派遣されるんですか!」
「そう。どの集落にも必ず“語り部”のうちがあるから、そこへ婿か嫁として入ってくんだ。行く先に適当な婚姻相手がいなければ、単に養子として入ることもあるよ」
「へええ……。そうやって、お話を継承していくんですね。で、本当に聞きにくいんですけど。ディンジーさんの一族は……」
「なくなっちゃったんだよねえ。そもそもが衰退ぎみで、じじばばばっかりになってた所だったから、本当にそれらしいのは俺っきりだったんだよね」
「それじゃ……ディンジーさんが、最後の“声音の魔術師”なんですか?」
白湯をごくりと吞んで、ディンジーはうなづく。
「そう。ずーっと逃げてた問題なんだけど、ほんとにそう。子どもは血の繋がっていないモティちゃん一人っきり。これでも若い頃は、けっこうもてたんだけど……」
――ほんとかよッ。
――ほんとですかねッ。
傭兵とマグ・イーレ王は、ほぼ同時に内心で突っ込んだ。
「でも続かないんだなあ。女性を歌で引き寄せても、少し一緒にいると、何でか皆いなくなる」
虚ろな表情で宙に視線を彷徨わせる、森の賢者である。
その隙に、お習字師弟は顔を見合わせた。
――歌ってやつは、まあ夢だからね!
――夢から覚めるんですね!
何と言うことだろう、この二人の間にも、視線の会話が成立しかけている!
「あ……あれ、何言ってんだ、俺。あの子がいたじゃん」
しかしディンジーは、ふうっといつものひょうきん顔に戻る、笑っている。
「お、落としだねのお子さまでも!?」
「違うよ。一人だけ、略奪を生き残った一族の子が、会いに来たことがあるんだ。その子が元気で子どもを作ってるなら、まだまだ俺で最後じゃない」
「ほー!」
ランダルの目がきらっと輝いた。つまり、赤い巨人対策に温存できるブリージ系の特殊能力者が他にもいる、ということだ!
「遠い親戚なんだよね。俺の従姉の旦那の弟が、婿入り先でつくった娘だから……」
「それ、血が繋がってないですが?」
「あれ? そう? じゃあどっかで間違えたかなあ。でも大丈夫だよ、俺にそっくりだったから」
――どんな娘さんなんだあッッ。
王と傭兵は、同時に震撼する!
「ちょっと、何ふたりとも心拍音みだしまくってんの。顔なわけないでしょうが、髪だよ」
「髪……?」
しかしディンジーは、自分の頭髪をほぼ剃ってしまっている。色なんてよくわからない、日焼けした肌にくっついたもみあげの部分には、ちらちら金色っぽく輝くところもあるけれど……?
「向こうの言葉では虹髪って言うんだけどね。金髪でもない赫毛でもない、その中間が段々になってる変な色なの。まっすぐなのもちりちりなのも両方いたんだけど、この頭してるとまず“声”と“耳”の素質は間違いないわけね。彼女はまっすぐで、俺とおんなしだった。
素質の方もすさまじかったよ、親がもうだいぶ修行させてたように思えたけど……、自分の集落を壊された後に、一挙に開花したんだね。俺のところを探し当てて来た時、おじさん修行つけてくれって言ったんだけど、あんまり教えることなんてなかったな」
「その後、連絡は取ってないんですか?」
「うん、俺の所にずっと居ていいんだよって言ったんだけど。おじさんモティちゃんだけでいっぱいいっぱいでしょう知ってるよ、つって……ふいっといなくなっちゃったんだ。一人ではなくってね、同じ集落出身で一緒に生き残った年下の男の子と女の子のきょうだいを連れていた。今どうしてんのかなあ」
「……ぜひ、お知り合いになりたいものですね! 何て仰るんです、そのお嬢さんは?」
ぷっ、と思い出し笑いのようにディンジーは吹き出した。
「あれだけ名前と本人が一致してる子も珍しいと思うよ。“にぎやかしく語る女”、呼び名がアラン。口から先に生まれてきたってやつ、本当によく喋る子だったよ」
ディンジーにじいっと見られて、ランダルは白湯の椀を飲みかけて止めた。
「……パンダルさんとなら、髪商に行っても違和感ないかな」
「はあ?」
「アランはね、その当時自分の髪を売って、三人で食ってたんだ。珍しい分、高値で買い取ってもらえるからね。今も続けているとすれば、どこかの髪商で彼女の髪を見つけられるかも」
「……手掛かりになりますね。その町の近郊に、住んでいるかもしれない」
ぼそりと言ってきたゲーツに、ディンジーは真面目な顔でうなづき返した。
「そう。だから今日も帰る前に、ガーティンローの髪商をのぞいて行こう。パンダルさん用のを、探すふりをして……」
「べつに私、かつら要りませんけどッッ」
ちょっとだけ憤慨する王であった。ミーガンが言ってくれるように、後退が激しくても、今の自分が一番気に入っているのである。




