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海の挽歌  作者: 門戸
空虚六年目 装飾写本の謎
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155 空虚六年目8:水晶達の話

「本当に、悪かったね。丁寧に扱って、用が済みしだい返すから」


「別に構わないのよ、わたしは使わないものだから」



 メインに、ふるい石や貴石、王室の誰かが使っていた装身具などはないかと聞かれて、あの細いかんざしのことを思い出したエリンである。


 石と話してみようと思う、と言われた時には驚いた。



「前に言っていたものね。岩や石にも心があるって」


「うん。ずうっと昔のことを憶えている石が、いるかもしれないから……、」



 精霊たちを通して、あるいはメイン自身が、石に巨人の話を聞くのだとエリンは思った。



「でもこれ、そんなに古くはないのよ。せいぜい百年くらい、母が祖母からもらったものだとかって」



 麻衣の内側にさげた貝細工の小さなお守り入れ以外、エリン自身は装身具を持たない。


 興味を持たず、ほとんど身に着けなかったせいもあるが、式典など公の場で使ったものは王室財産として“どこかに保管されていた”。


 そのありかと鍵とをエリンは知らない。老いた一級騎士達が、その魂と一緒に丘の向こうに持っていったと思うことにしている、……実際はエノ軍の誰かが見つけ出して、闇の中に売りさばいてしまったのだろうけど。



「お母さんは、よく使っていたのかな」


「さあ……記憶にない」



 ある日ある朝、パスクアが気持ちよく指で歯を磨いていたところ、いきなり壁の鏡ががたんと外れた。洗面台ともくっついていたそれをパスクアが持ち上げると、後ろからこの細工物が出て来たのである。


 自室の先住者を知る彼は、それをすぐさまエリンに渡した。お前の母ちゃんが使っていたようじでないのかい?


 不幸な最期を迎えた女王の形見分けは行われず、あったとしても母を嫌うエリンは拒んでいたと思う。このかんざしも何かの折、お金に困ったときに売っちゃえばいいわ、と深く考えずにとっておいただけなのだが……。



――うわあ、すごく役に立ってるわ。ゲールさんも、返してくれてありがとう……。



「それじゃあ、またねメイン。お大事に」


「王様、また明日」



 驢馬ろばを連れたエリンとケリーの後ろ姿が小さくなり、霧の包囲の向こうへ消えたのを確かめてから、メインは倒れた巨石の上に座り直した。もう半刻もすれば正午、……まだ気力はある。


 樫の樹の母が風を遮り、石の表面にためられた陽光の微熱が、メインを励ます。膝の上に乗ったプーカの翼が、さらっと橙色に燃え立つ。すぐ脇に、いも虫流星号とパグシーも座っていた。



「……やってみよう」



 初めて会う精霊に話しかけるのと同じ口調で、メインはかんざしの端を彩る貴石たちに呼びかけてみた。



――福ある日を。……



 彼らは黙っていた。警戒している。そこでプーカも呼びかけた。続いてパグシーが。……



『精霊たちとともに在る、あなたはどなた?』



 慎重な話し方で、海水晶がこたえた。黒水晶、白水晶は黙っている。



「ヴァンカの子、メイン。ひとの男」


『人と話すのは、初めて。何かご用?』


「古い話を聞きたいんだ。あなた達が知っていることを、話して欲しい」


『……』


「あなた達を髪に挿していたのは、誰?」


『なぜ、知りたい? 知ってどうする、人の子メイン』



 重々しく、黒水晶が言った。



「……過去を知って、未来をよみたい。俺は若いけれど、今死につつある。それでも生きたい、できるだけの未来へ手を伸ばしたい。だから今の元を作った、昔の話を知りたい」



 水晶たちは押し黙った。



『あなたの今と、わたし達の過去はつながっているの?』


 白水晶が問う。


「わからない。つながっていたらいいと、俺は思う」


『我々は今、人の女エリンのものだ。ディアドレイの娘、エリン』 


 黒水晶が言う。


『その前は、エリンの母ディアドレイのものだった。我々はティユールの手から、その娘ディアドレイへと受け渡された。我々がその髪をいろどったのは、ディアドレイとティユール、そしてティユールの身体をいっとき支配した、ひとりの女のみ』


「……? では、ディアドレイとティユール、もう一人の人、三人の女性の髪を飾ったんだね」


『違う』


 海水晶が言う。


『ディアドレイとティユールは人の子、人の女。しかし名乗らなかったもうひとりの女は、人間ではなかった。だからティユールの身体を支配した』


「…その時のこと、話してくれるかい?ティユールに、何があったのだろう」



 黒水晶が、むっつりした調子で話し始めた。



『我々はその父母から、婚約祝にティユールへと贈られた。ながく恋を知らなかったティユールは、王たる夫を心から想った。初夜の時からずっと、夫を迎える前には髪をきれいにいて、我々を箱に収めていた』



――本当だ、ちょっと危ないもんね……。



 かんざしのとがった部分を見て、メインは頷く。


 海水晶が、話を引き継いだ。



『ある夜、王が出かけていて来ない夜、ティユールは部屋でひとり読み物をしていた。高く結い上げられたティユールの髪に、蜜蝋みつろうあかりがあたっていた。白金の髪の中で、わたし達はティユールの幸せを願っていた』


『……低く扉が叩かれて、ティユールはそれを開けた。我々の知るある男が、そこに居た』


『ティユールは、その男の腕の中へ入った』


『そして我々は、白金髪の中にいなかった』


『いつの間にか、闇夜のような黒い黒い髪の中にいた』


『わたし達を挿したまま、ティユールの身体はその男を抱き、その男に抱かれた。声もティユールの声ではなかった、ティユールの身体はその男を慈しんだ』


「……」



 こんな話は聞いたことがない、とメインは思う。実体を持たない精霊、あるいは彷徨さまよう魂が人の体を乗っ取るなんて。そして精霊が人と交合するなんて。


 例外として、旧い種族のあざらし女だけは、人間の男と子どもをつくるけれど……。



『わたし達は怯えた。やがて男が部屋を出てゆき、ティユールは……ティユールの身体はぐったりとした。そして、ティユールの身体を支配していた女は、わたし達の前に浮いた』


「浮いたんだね」


『そして我々を含むすべての物ものに、ぎろりと眼光を放った。自分と、自分の大切な男の名を明かす時、それはお前たちのいのちが終わる時だと呪いをかけてから、いなくなった』


『怖かったよう……。今も、怖いの』



 白水晶が、かすれる声で言った。



『そうして、その後ずっとティユールは、いつものティユールだった。朝起きて、びっくりしたようにわたし達を手に取り、どうしてそのまま寝てしまったのかと訝しんでいた』


『けれど、我々にはわかっていた。その夜、ティユールの中の卵に芽が出た』


『ティユールは王の子としか思わなかった。別の女に支配されたことなど、知るよしもなかった』


『だから、そうしてこの世にやって来たディアドレイは、王の子ではない』


「……その女が、再び来ることはあったのかい?」


『なかった。だから、グラーニャ姫は王との子』


「……ディアドレイ女王の子、エリン姫とウルリヒ王は、つまり王の血をひいていないんだね」


『人の子、メイン』



 海水晶が、思い切ったように告げる。



『女が何だったのか、わたし達にはわからない。けれど最後に見たその姿は、今でもよく憶えている。ティユールの元にやってきた男の名も、知っている』


「……」


『あなたは、わたし達の過去とあなたの今がつながっているかもしれない、と言った。ならばわたし達の親しんだティユールの魂の潔白を得るために、それらのことをあなたに託してもよいと思う』


「……」



 黒水晶がうめいた、憤っている。


 白水晶もうめいた、怯えている。


 海水晶だけは悲しげに、落ち着いていた。



『呪いを受けて粉々になるのは、わたしだけでいい。かんざしとしては残るから、エリンはいつか使ってくれると思う。……メインよ、お聞き。男の名は』


「だめだよ、言わないで」



 メインは親指の腹で海水晶に触れた。



「あなた方のこと、丁寧に扱って必ず返すって、エリンに約束したんだ。死んじゃいけない、海水晶」


『……』


「ティユール妃は王だけを想って、ディアドレイを王の娘として育てたんだ。彼女にとっての真実はそうでしかない。ティユールの身体は人ではない女に利用されたが、ティユールの魂はいつまでも正しく、尊い。それでいい。あなた方が悲しむことはない」


『……』



 海水晶は溜息をついた。安堵したらしい。


 優しい間があいた後、メインは再び水晶達に呼びかけた。



「巨人の話を聞いたことはある?」


『巨人……大きな人の話?』


『ディアドレイが父王から聞き、ウルリヒとエリンに語った時のことは、憶えている』



 黒水晶が淡々と語った内容は、エリンに聞いたものと同じだった。目新しい所はない。



『我々は、それ以上のことは知らぬ。ティユールもディアドレイも、我々を挿すのは部屋でくつろぐ時だったから、公の場で語られたことは分からない』


『ごめんね』 



 水晶達は、だいぶメインに打ち解けて来た様子だった。



「いいんだ。たくさん話してくれて、本当にどうもありがとう」



 これ以上は何もないかな、とメインが思いかけた所で、白水晶が逆にメインに問うた。



『人の子、メイン。ディアドレイは死んでしまったの? 毒を飲んだの?』


「えっ」



 エリンから、まだ彼女が少女だった頃、ほぼ同時期に両親が死んだとしか聞いていない。



『じゃあやっぱり、蘭の毒を飲んだんだ。かわいそうな、ディアドレイ』


『哀しみと、嘆きの、ディアドレイ』


『夫のオーリフが、ディアドレイに絶望を押し付けた』


『オーリフは、不安と恐怖を一人で背負えなかった。あんなに若く強く輝かしい、かたわらの騎士だったのに』


『王の栄誉に逃げ、ディアドレイに逃げようとしたが、恐怖はどこまでもついてきた。酒に逃げようとしても、結局忘れられなかった』


「エリンの父王は、いったい何を恐れていたの?」


『人の子、メイン。あなたはティユールを尊んでくれた、だからあなたには話そうと思う』


『オーリフは何年も苦しみ抜いて、やがて身も心も病んでしまった。とうとうある日、ディアドレイの部屋に来て、その苦しみの正体を打ち明けた』


『彼には、ティユールの身体をつかった女の声が聞こえた』


『……呂律が回らなくてわかりにくかったけれど……、わたし達は気付いたの。他の人には聞こえもしないその女の声を、オーリフは聞くことが出来た』


『女はかつて語ったと言う。オーリフの母の身体を支配して、ある男を慈しんだことを。オーリフは同じことが他の女にも、ティユールにも起こったのだと理解した』


『だからオーリフとディアドレイとは、同じ父の元に生まれたきょうだいだった』


「……」



 メインは息を止めた。胸がつかえる。



『それを告げて、オーリフは晴れやかな笑顔になった。立ち上がってディアドレイの部屋の窓をいっぱいに開けた。そこから海に向かって、跳んだ』


『ディアドレイはしばらく立ち尽くしていた。窓からさあっと風が入って来て、それで自分の一番いとおしい存在が、永遠にいなくなってしまったことに気付いた。ディアドレイはうろうろと歩き回りながら、わたし達を手に取り、反対側の――そう、そのとがった部分を、自分の喉にあてた』


『けれど、ためらった。彼女は刃物を恐れていたから、部屋には小刀も裁ちばさみも置いていなかった。わたし達を手に握ったまま、色々な引き出しを開け閉めして、とうとう小さな瓶を見つけ出した』


『ディアドレイはそれを見つめて、蘭毒、と呟いた。瓶を枕の内側に隠した。そうして続きの洗面の間に行き、鏡の裏に我々を置いた』


『それっきり。わたし達は、長く闇の中で眠るしかなかった』


『エリンを深くいとおしんでいる、あの変なひげの男に見出されるまで』


「……」



 メインはずうっと、唇を噛みしめていた。


 彼の膝の上で、プーカがぷるぷるっと震える。



『……姫っこには、絶対ゆったらあかん話だわ』


『どころか、他の誰にも、言っではなんね!』



 パグシーがきつい調子で囁いた。いも虫流星号は、メインのぐるぐる毛布の端っこに顔を埋めて、苦しそうにしている。


 正午を過ぎ、陽がほんの少しかげり出していた。

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