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海の挽歌  作者: 門戸
空虚六年目 装飾写本の謎
153/256

153 空虚六年目6:調査は続く

「百八十年前の話にしちゃ、やたら読みやすいよな!」


「……現代語訳して書いたの、わたしですからね」



 翌朝、丘の上のメイン仮宅を訪れたエリンとパスクアである。


 ゆうべも“熱を吸われて”よく眠れなかった、というメインは相変わらずの憔悴ぶりだった。


 けれど、書面を追う目は意欲的だ。すぐ隣でパスクアが覗き込んでいる。



「一応、ガーティンローへ行って見て来た収穫があったのはいいけど。結局解決策までは、わかんないんだねえ」



 パスクアは深読みできない人である。



「……うーん……。エリン、これしばらく貸してもらってもいい?」



 天幕の中心、けものの毛皮敷きを重ねた上に座って、毛布ぐるぐる巻きのメインはエリンを見る。



「ええ、もちろん。そのつもりで持ってきたのだもの、ゆっくり読んでみて」



 外で沸かしてきた鍋を持ち込んで、白湯を椀に注ぎつつエリンは答えた。書き出した話はひとつでしかないが、たぶん読む人の数だけ読み方は異なる。メインなりに新しく読み出す部分があるかもしれない。



「……ところで。こうやって今、俺らが話してることって、あいつ聞いてんの? 赤なめくじ」


「いや、聞こえてないよ。特に今は、深く寝てる時間帯だし。俺の声も他の人間の声も、届いてないみたい」


「へえ、そうなのか。じゃあ別にこうやって対抗策だの話し合っても、奴にはばれないんだな」



 エリンはあの日を思い返す。あんまり強大な姿を前にして、自分は巨人に呼びかけることもしなかった。さっさと帰って寝なさいよ、あんちくしょう、くらい言えば伝わったのだろうか? 黒羽の王統、正統な継承者の自分が言うことなら、案外きいたりして……。



『ジェブはぜんぶ、きいているぞ』



 ごろん、とエリンに横腹をなすりつけながら、けもの犬の精霊が天幕に入ってきた。



「何だよ。お前は、ほたてのかりかり食ってろよ」


「あら? わたし、それ持ってきたはずなのに、ない……。いやだ、ろばちゃんに乗せたまんまだわ」


「俺が取ってこよ」


『ジェブのかりかりはどこだ』



 エリンとパスクアが天幕を出る、それに続くけもの犬の巨大な尻尾がふわんとメインの眼前の空気をかき混ぜて、メインの手元の筆記布が最後のところまでめくれた。



「……」



――きカレイル。黒きつばさに守られた、カレイル……。



 だいぶん伸びたメインの髪、それらを押しのけながら、にゅっとプーカが現れた。



『さすがにさぁー、そろそろ頭洗った方がよくなーい? メイン。ほれ、そこに丁度お湯あるしぃ』


「……プーカ。フィンバールのこと、憶えてるかい」


『? あったり前よ。出来の悪い子だったけど、今頃どっかで生まれ変わって幸せだといいわあ』


『なして、あの子のごとさ聞ぐ?』



 天幕の隅っこから、パグシーも現れた。いも虫流星号がもにもにっ、とメインのあぐらにのぼる。



「……イニシュアの娘が彼の本当の娘でないと、見抜いて言い出したのはあの子だった。人間の血筋を見分けることができたんだ」



 かわいそうな“霊の妹”との思い出は、苦々しい味でしかないけれど、メインは目を閉じて記憶をたぐる。


 イオナがまだ彼を知らなかった頃の夏だ。初めて感じた嫉妬にメインは焦げついていた、その心を見透かしたように、死に装束をまとった娘はふわふわ浮いて彼に囁いた。



≪あのちいさな娘の父親は、いまの父親に殺された≫


≪……どうして、わかった?≫



 彼女を半ば睨むようにして、メインは問うた。



≪いまの父親が片耳の孔に入れている、濃い赤い石が話した≫



 傷口のようにも見えた、あの血の色の耳飾り。



≪石が、見た事を全部話してくれた≫


≪……本当なのかな?≫


≪妖精相手に嘘をつけば、舌が腐る。石の舌も腐ってしまう。妖精も、誰かに嘘はつけない≫


≪そうだったね。……≫



「フィンバールがそういう能力を持っていたわけじゃない。でもあの子は、それを探し出す方法を見つけたんだ」


『そっか、たまに居るね、ようけしゃべくる石とか岩。人間やうちら精霊より、ずーっとたくさんのことを憶えとんのよね、あたま固いだけに』


『表に転がってる割れ立石は、割と無口だげんちも』


「……」


『メイン。何が、思いついだんがい?』


「うん。でも疲れたから、今日は寝る」


『ちょっとぉ、あたまー! 洗ってってばぁ』



・ ・ ・ ・ ・



「東部まで行ったついでに、テログとウメスの湖を見て来たぞ。ぬふふ」


「しかし完全に空振りだ。今回も、水棲馬のおそろしい怪談しか聞けんかったぞ、ぐふふ」



 でこぼこおじさんは、本当にまめにエリンの調査に付き合ってくれていた。テルポシエ領内にある大小さまざま三十あまりの湖沼をめぐり、近隣住民に話を聞いてくれたのである。



「後は、北部へ向かう街道脇の沼が残ってるだけだ。そのうち行くがな」


「あそこは狭いぞ。城どころか、陣営便所を投げ入れたらいっぱいになるぞ」


「ウレフさんノワさん、本当にありがとう。痕跡や伝承がなかったらないで、それも大切な判断材料になるのよ。あの話がずっと遠い所の物語だって言う、証拠になるんだわ」



 季節はもう秋、晩は冷えるようになってきた。それでも日中の日差しは暖かい、エリンとおじさん達はよく展望露台で話をした。



「お前らの方はどうなのだ。墓所で何かめっけたか」


「こっちも、本当に全然だめ。やっぱり二百年前あたりまでしか墓碑が読めないし、あとはお墓自体がぼろぼろで、石くれ状態なのよ」



 王家の墓だけは少し違っていて、こんもり丸く積まれた五つの石室の中にたくさんの棺が納まっているが、こちらもイリー暦が導入されたあたりに建造されたものでしかない。



「できる限り、貴族宗家のお墓も見て回ったけど、引っかかってくる名前はなかったわ」



 唯一新しい情報を得られたのは、『テアルの巻』の作者ユングードと話者テアルについてである。


 テルポシエ市内の民間史書家で詳しい人がいて、偽名でのエリンの問い合わせに答えてくれた。


 両者ともに暦20-30年頃に活動していて、特にユングードは他にもいくつか装飾写本を遺している。貴族出身で聡明だったため理術を学びにティルムンへ渡ったが、挫折して画師となり帰郷した。


 テアルと言うのは当時の宮廷における文官頭のような立場であったが、ふるい伝説を口承で受け継いできた家柄だった。祖先が代々伝え守って来た話をテアルが語り、ユングードが形に残した、ということになる。


 ちなみに彼ら二人の墓石はちゃんと残っていて碑銘も読めたが、両者の家系は絶えて久しかった。



 自分たちの調べたことが全て、キノピーノ書店手代てだい・ゲールの言葉を裏付けている、とエリンは感じる。



「やっぱり、あの話はここテルポシエで過去に起きたことではなくて、沙漠の向こうからずうっと昔に伝わって来た、持ち込まれた話だったみたいね」



 けれど、“赤い巨人”はなぜだか東の丘に眠っていて、エリンの血により目を覚ました。



――なぜ、巨人はここに“来た”のだろう……?




・ ・ ・ ・ ・



「つうか、どうしようもねえ奴だな? この、デアルムイードってのは」


「本当に許せない悪漢ですよ。第十三遊撃隊・総しばきの刑、最後はティー・ハルで焼き目入れてやる級ですね!」


「まあ、その辺の悪行はたぶん、誇張と思うわよ」




 エリンの“べにてがら”への連絡を受けて、足取り軽くやってきたナイアルだった。書き付けを読み通し、容赦なしに感想をぶちまける。


 今日はアンリとリリエルを連れてきていた。料理人の作ってくれたいわうおのあっさり煮はやっぱり美味しくて、皆で食後のタエを満喫中である。


 “第十三”の皆が来ると、地下室からいつもの暗さが消える。ぱあっとすてきな場所になる、とエリンは思った。



「まあ、確かにこっちのティルムン版の方は、ずいぶん表現少ないしな。豪華な写本にするってんで、悪者の罪状もだいぶん盛ったのかもしれん」


「豪華な写本かー。俺は本と言うと、料理本しか読んだことないんですよー。お(ひい)さま、ガーティンローで実際に見た『テアルの巻』と言うのは、どんな風だったんです? 食欲そそりました?」


「うーん。表紙も挿絵も装飾できらきらしていたけど、内容は食欲失せる感じだったわよ」


「なんか、ちっと実物見てみたくなってきたな」


「ナイアル君なら、何とでも言って頼めるんじゃないかしら。わたしの紹介状持って、あの手代さんに興味があるって言えば、きっと見せてくれるわよ」


「うむ。ほいじゃ、次のアルティオ連絡行くときに、寄ってみっかな」


「紹介状、今書きましょうか?」


「……お前の筆致で、自分で書けるっつうの」



 ふふふ、そうだったわね! と和やかに笑うエリンを見て、リリエルは叔父のために嬉しい。にこにこして皆にタエのお代わりを注ぐ、気遣いの“紅てがら”新世代である。



「問題の巨人の絵も、ついているんでしょうか? 俺たちはあの時北東の森にいましたから、実物を見てないんですよね!」


「あっ、それがちょっと違っていたの。本の中の絵では黒くって、ふわふわ、もふもふしていたのよ」


「ほー……?」


「実際の巨人は、赤くって鍋もってるんですよね!!」


「えっ! 小脇に抱えていたの、あれお鍋だったの!?」



 実際に目撃はしたものの、そこまでは見分けられなかったエリンである。


 アンリは神妙な顔でうなづいた。



「我々が独自に入手したエノ軍側からの目撃談によりますと、取っ手付きの両手鍋で、蓋なしだそうです」


「……全部、レイさんから聞いた話だろうがよ」


「巨人はマグ・イーレ騎士やエノ傭兵を、ふん捕まえてはその鍋に叩き入れて―― おっと失礼、リリエルちゃん! うら若き、やわらかお耳に入れる話じゃないねッ」



 巻き毛の料理人は、横に座っていたリリエルの両耳をぱっと手でふさいだ。



「……叩き入れては殺し、殺しては捕まえたという。何という非道でしょう!」



 血色のよい焼きたてぱんのような顔が、義憤にもえている!



「本当に、ひどい怪物だ」


「ええ! 食材として人間捕まえたんなら、きちんと料理して食えってんですよ!!」


「どこに怒ってんだよ、お前は!!」



 ぐぐぐぐぐ!!


 すさまじい怒気を発しつつ、アンリはナイアルを、エリンを見る!



「お姫さまを通したメインの話によれば、赤い巨人はその後、丘の中でただ眠ってるだけなんですよね!? 鍋を煮もせず、食べもせず! 食うために殺してお腹いっぱい、というなら人間も動物もそうですからわかりますよ!? けど奴は殺すだけで食べていないッッ。自然の摂理への反逆罪です、何様のつもりなんでしょうね!!」


「いや、神様かもしれんと言うことだぞ」



 どうにか落ち着いて突っ込み続けるナイアルのかたわら、エリンはアンリの焼きたて義憤顔を見ながらぽかーんと口を開けた。



「許せません! 料理人として絶対に許すまじき行為! 俺は一個人としても赤い巨人に抵抗しますッ。神だろうが精霊だろうが、食材廃棄と食べ残しは一切許しません! 神の鍋対俺の鍋、次にのこのこ出現したら、俺が一発ティー・ハルで焼き目を入れてやりますッ」



 いつの間にか彼の手には、聖なる正義の平鍋が握られている。



「……お前なら、それができるかもと俺は思うぞ」



 引き気味にナイアルが言った。







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