表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海の挽歌  作者: 門戸
空虚六年目 装飾写本の謎
152/256

152 空虚六年目5:手代ゲールの指摘

「一体どうしちまったのだ、おひいのやつは?」


「あいつ、昼めしも食っとらんぞ」


「うん。でも今は、絶対に邪魔しない方がいいよ」



 一刻以上も別の商談室にこもっていたエリンは、三人の元に戻るなりおじさん二人に宿の手配を頼み、自分はキノピーノ書店で筆記布の束を買って、ひたすらじっと考え続けていた。


 宿に飛び込んだ後は、持参の携帯硬筆一式を取り出して、“かりかり”を開始したのである。



――今は意味を深く考えない、とにかく読んだ話を詳しく、そのまま書き出して! 幸い長い話じゃないし、内容が合っていれば表現はどうでもいいから、……そうすればわたし以外の人にも、読んで一緒に考えてもらえる。メインや、ナイアル君にも!


 ウレフとノワ、ケリーの三人は宿屋地上階の空っぽ食堂にて、ぼんやりするしかない。



「でもあれは、何かめっけた感じよな。ぐふふ」


「来たかいがあったぞよ、ぬふふ」



 夕刻、ようやくエリンが現れた時には、急な雨に叩かれた人々で受付が賑わっていた。



「本当にお待たせしました、ごめんなさいね」



 近年のエリンは太く編んだ白金髪を、ぐるりと後ろにまとめていた。今はそこからほつれ毛がびんびん飛び出している。熱中のあまり、書いてる途中でかきむしっていたらしい。



「よれよれだぞ、うひひ」


「しかし晴れやかだ、ぶひひ」


「ここは、ちょっと賑やかだし。お部屋で話しましょうか」



 おじさん二人は卓の上に置かれた六枚の筆記布を手にすることなく、ずいずいーっとものすごい速さで目だけ走らせて読んだ。



「おひい、こういう素気そっけねえ字も書けんのな」


「記憶が新しいうちに、できるだけ情報として残したかったのよ」


「やっぱり、皆で読んだご本だったんだ?」


「ええ。ケリーが憶えていてくれて、本当に良かったわ。わたしは薄ぼんやりとしか、記憶になかったもの」


「ちゅうか、これ巨人の話そのものでねえか。やっぱし過去にも出たんかい、あいつ?」


「……そこよ、ノワさん」



 エリンは隣にいるノワの肘を、ぐりっと掴んだ。



「聞かせて楽しむために作られたにしては、話が合い過ぎていると思うの。実際に起きたことを下敷きにしているのかどうか、確かめたい」


「話に出てくる王とか女王は、実在したのか?」



 ウレフの問いに、エリンは首を横に振る。



「全然知らない名前なのよ。テルポシエ王室直系の家系図なら、わたしもかなり憶えているんだけど、二百年前から先は本当に知られていないし」



 初代王の名も、伝わっていないのである。イリー植民の到達と建国以降、はじめの百年間は暗黒だった。各国共通のイリー暦が作られ用いられるようになったのが、ようやく二百年前。



「絵をかいた奴の時代も、わかんねえのかな?」


「その辺りは、史書家の力を借りないとだめだわ」


「うーむ。民間の学者連に依頼するっきゃねえな」


「そうね。でもわたしは同時に、別の二か所を調べてみたいと思うの。付き合ってくださる?」



 ぎょろっとおじさん達はエリンを見る。二人同時ににやりと不気味な笑いを浮かべた。



「何だ」


「どこだ」


「まずは、テルポシエ北門の外にある墓所。王室と貴族宗家などの墓碑を見て行けば、関連する名前があるかもしれない」


「地味だが、やる価値はありそうだ。もう一つは?」


「“湖”を確定したい。この悪しき王が三年も潜んでいたって言うからには、何か痕跡がありそうじゃない?」



 水中で生きていたと言うわけではもちろんなくて、その付近を拠点にしていたのではないか、とエリンは思うのだ。



「湖なぁ……いっぱいあるぞ? まあとにかく、明日いっぺんテルポシエに帰還だな。領内なら馬も使えるし、俺らが任務中、片手間にみていってもよいぞ」


「お姫とケリーは墓所を調べろ。あと、この書き付けをメインにも見してやれ」


「いろいろ、やることが出て来たね!」


「ええ、そうね。……では」



 エリンは笑顔を浮かべた。謎は依然として謎であるが、今日得たものは大きい。充足感が空腹感になる。



「ごはん食べに、行きましょうッッ」



・ ・ ・ ・ ・



 翌朝。じめついているけど雨は止んでいて、四人はもやのけぶる中、駅馬を引いてガーティンロー市門を出るところだった。



「おーい、ちょっとー」



 呼ばれた気がして振り返ると、驢馬ろばを連れた人がこちらに来る。



「こりゃ、昨日の手代てだいさん」


「どうもお早うございます」



 たちどころに口調を変える、素晴らしきおじさん二人である。



「ああ良かった、間に合って! ……お嬢様、こちらを」



 きれいな手巾に包まれた何かを、手代ゲールはエリンに差し出す。触れてみてすぐわかる、あのかんざしだ。



「……」


「昨日は、ぼうっとして受け取ってしまったのですけど。これはやはり、あなたが持ってらっしゃるべきだと思いまして」



 はにかんだように笑う。エリンも笑い返した。



「ありがとう」


「手代さん、配達にいらっしゃるんですかい?」


「ええ。この先のコユエ村に、お届けものがあるんです」


「じゃあ、そこまでご一緒に」



 今日の手代氏は少し元気そうである。


 常足なみあしで少し緩めに歩きながら、エリンはゲールに聞いてみた。



「あの。昨日のご本なんですけど、わたしとっても印象に残りました。ゲールさんものめり込んでお読みになったそうですけど、どの辺が面白かったのですか?」


「ああ、まず写本そのものですよ。状態が良いんですよね、百八十年も前の作品なのに」



 びくっとした。



「作られた年代がわかるんですか!?」


「ええ、本屋なので。筆体筆致から、ある程度は知れるんです。それと……」



 次いでゲールは、使われていた顔料と装丁材料の事も述べたが、さすがにこれはエリンには謎の領域である。



「しかし、一番迫って来たのは、話の筋です」


「……結構、えぐい所がありましたよね」


「それもそうなんですけど、あれ、亜流なんですよ。ティルムン発祥の伝承を、イリー世界版に直したものなんです」


「えええっ!?」



 思わず声が大きくなった。側を進む他の三人も、聞き耳を立てている。


 ゲール氏の顔が輝き出した。



「若い頃に、ティルムンへ文学留学していたんです。片っ端から向こうの物語を読んだ中に、あの話の原型と思われる物語が確かにありました。『テアルの巻』では登場人物や土地の名前はイリー風に変えられていますけど、筋はだいたい同じです。恐らく植民してきた当初の人達が、“物語”を一緒に連れて来たんでしょうね」


「……」


「あっ、でも向こうの話だと、終わりだけちょっと異なる版もありましたね。『テアルの巻』みたいに丸く収まって幸せに終わり……ではなくて、国が滅びてしまう場合もありました」


「……巨人に、国が滅ぼされてしまうのですか?」


「ええ。巨人を呼んだ悪者ごと、きれいさっぱり国がなくなって滅亡するんです……、衝撃的に美しい“破滅”ですね。その後、新しく別の国がおこって現在に至る、という結末でした」



 “破滅”のところをゲールはゆっくり発音した。眼差しが遠い、夢見るような表情である。



「……それらの話も、読んでみたいわ」


「ああ、綴り変換された正イリー語版のティルムン物語集などにも、たまに収録されていますよ。もしお近くで見つからなかったら、うちにご連絡ください。お送りします」



 驢馬ろばの背の上で、手代は屈託なく笑った。ほんとに本が好きらしい。



・ ・ ・ ・ ・



 約十日後、ゲールから送ってもらった簡易複写版のティルムン説話集抜粋を読み終えたエリンは、再びほつれ毛満載になっていた。


 卓子いっぱいに広げた布の上から、ぼんやりと目を上げて宙を見つめる。



「……」



 久し振りにテルポシエの外に出た旅の余韻そっちのけに、エリンは読み取った『テアルの巻』書き付けを、改めて何度か書き直した。明日の朝、メインの所へ複写を一部届けようと思う。



――にしても一体、何なの? この話……。



 ティルムン説話の方は、ゲールが語ったように名前などの固有名詞が違っていた。話の舞台も異なる、善い弟王子は“砂の地下牢”に埋められたし、悪しき王が巨人にぶん投げられたのは≪白き沙漠≫のど真ん中である。


 けれど、巨人の登場については同じだった。弟に呼ばれた時は“黒い巨人”として現れ、兄王に呼ばれて国の兵士達を殺すのは“赤い巨人”である。最後は悪しき王の死とともに赤い巨人は黒くなって、山の中丘の中で、再び深い眠りにつくのだ。


 ゲールは“ご参考までに”と、自分の蔵書の複写らしいのも添えてくれていて、そちらは国が滅亡してしまう別版の抜粋だった。


 善い弟王子がそもそも出てこない流れの話で、悪い王がさらに権力を得ようと“赤い巨人”を呼び出すが、操ることができずに人々は全て殺されてしまう。一番最後に残った悪い王も赤い巨人に握りつぶされ食べられて、その国は砂にまみれて滅びてしまったのだった。じつに破滅的である。



 今、エリンはじっくりと考え始めていた。遠いあの日、兄と一緒に母に花を贈った朝、自分は妖精が善いものなのか、怖いものなのかを知りたいと思った。


 母と話したように、巨人は善くも悪くもなるらしい。呼び方次第、あるいは誰が呼び出すかによって、それは異なって来るということを、『テアルの巻』及びティルムン説話は暗に伝えている。



――間違った呼び方だと赤く、怖いものになる。正しく呼べば、黒くて善いものに……。



 だとすると、自分たちの呼び方は間違っていたのだろうか。


 『テアルの巻』で見れば、正統な女王の婿として“迎えられた王”、つまり王の血統をひかないデアルムイード王が呼んだ時は赤く凶暴になった。


 テルポシエ王室の正統後継者であるエリン自身が血を流して呼んだのに、現実の巨人は赤く凶暴だった……。


 メインなのだろうか、と思う。


 確かに丘にたらしたのはエリンの血だったが、テルポシエ王としてのメインが支配下に置こうとしたから、……“間違った悪い王”のメインがいたから、巨人は赤くなった……。



「……」



 再び、『テアルの巻』複写の終わりの部分を見る。


 この話に沿うなら、巨人を黒く善い存在に戻して丘の中に再封印するためには、悪しき王が全ての血を流して死ななければならない。


 実際にメインは少しずつ、巨人に熱を、生気を吸われて死につつある。


 エリンは唇を噛んだ。



――メインが死ぬしか、方法はないと言うの?



 蜜蝋みつろうのぼんやりしたあかりに目を向けた。


 雨の夜である。続きになった寝間の奥で、ケリーは静かに眠っている。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ