149 空虚六年目2:赤い巨人の秘密を探して
「書庫?」
「ええ。ほら、わたし達の隠れ場所に通じてた部屋よ。壁の棚にいっぱい、書物があったでしょう」
「ああ、あそこか」
丘の上のメインに食べ物を届けた帰り、パスクアが城にいれば、一緒に昼食を取るのがお決まりになっているエリンである。
たくさん歩くからお腹がすく、何だっておいしい。美味しいものを食べながら話をするのは気持ちが良いという訳で、エリンにとっては一番彼と話しやすい時であった。
「鍵を預からせて欲しいの」
「何すんだい?」
ちょっとむっとする。元々自分のうちの書庫なのだから、エリンが勝手に入っていいはずだ。けれど、こういう所で喧嘩になってしまってはつまらない。
「調べ物しようと思ってね、……赤い巨人のこと」
少し前にふと、思いついたのである。シーロウの丘、赤い妖精のことは母ディアドレイから伝え聞いた話ではあるが、もしやどこかに記述されて残ってはいやしないか、と。
「そのものずばり巨人の話でなくっても、昔の王族が残した手がかりがあるんじゃないか、と考えたのよ」
パスクアは空椀を手に、うなづいた。
「なるほど。うん、そいじゃ一緒にこの後、鍵を取りに行こう。 ……あ、でもエリン」
「?」
「……あそこの書物だの写本だのって、売っ払っちまったんじゃなかったっけ。何か残ってたっけかな」
「とりあえず、見るだけ見てみる」
そうなのだ。エノ軍による陥落直後、宝物級の写本の類は近隣国の古書商に売却してしまっていた。貴族の身代金を得るため、エリン自身がそう差し向けたのである。
「巨人を倒すとか、もう一度封じるとかでなくても、少なくともメインをあそこから解放させる方法はないのかしら」
パスクアにだけ聞こえるような低い囁き声で、エリンは言った。
昼の終わりの廻廊わき花壇、周囲にあんまり傭兵達もいないけれど、メインが巨人に囚われていることは、一部の幹部連しか知らない。
唇をひん曲げて、パスクアも思案顔になる。
「俺も知りたい」
前を向いたまま、彼はぽつりと言った。
話すようになって数年、付き合いの浅いエリンの目にだって、メインの憔悴は悲しく映る。小さい頃からの友達だったパスクアにとっては、ずうっと辛いことなのだろう。
「何かわかったら、俺にも教えてな」
エリンを見る瞳、エリンの左手を握るその手は誠実であった。
「ええ」
・ ・ ・ ・ ・
そうしてもう数か月の間、エリンは書庫に通っている。
パスクアが言った通り、目ぼしい写本類はごっそり失せていたものの、埃まみれの汚い書簡箱の中に旧い記録がかなり残されていた。骨董としての価値はまるでなさそうだから、古書商たちも取りこぼしたのだろう。
それらをエリンは、ひとつひとつ丹念に調べていった。近衛騎士達が残した雑多な連絡日誌のようなもの、何代も前の騎士名士目録……。
――百年前の情報が、せいぜいね……。
赤い巨人、シーロウの丘についての記述はどこにも見つからなかった。ほとんどは税収に関する記録(大事なのはわかっているけどつまらない)、貴族宗家の誰それの出生、婚姻、逝去といった事柄ばかりである。
それでも、予期しない発見はあった。五十年ほど前の、とある貴族宗家の家系図を見つけたのである。
「あら? これって、パスクアの……」
生前シャノンが調べたところ、彼の母親というのはマトロナ家のフォドラ嬢でほぼ間違いないらしい、ということだった。
公には三十年以上前、旅行中賊に襲われて死亡したことになっているのだが、実際には失踪しただけ、生きて子どもを産んでいた。
――お父さんという人と、何があったのかしらね。
パスクア曰く、小さい頃に病気で死んでしまったと言う。はっきり憶えているのは、彼そっくりの大容量もこもこ巻き毛だけなんだそうだ。ぶふっ、思い出してエリンは吹き出した。
手巾で涙を拭いてから、そのマトロナ家系図を改めて見る。作成日付はイリー暦145年、フォドラちゃんがまだ小さな女の子だった頃に作られたものだ。
「へえ……、パスクアのひいおばあ様が、王姉だったのね!」
エリンの高祖父である第九代テルポシエ王にはひとり姉がいて、マトロナ侯、パスクアの曽祖父に降嫁していた。テルポシエ王室の人間は他のイリー都市国家の王族と婚姻することが多かったから、ちょっと珍しい。
「わたし達って、親戚だったんだわ」
言ってみてから嘘だろう、と内心で突っ込む。ひいひいおじいさんとひいおばあさん、はるか遠い時代の話だ。そこからして、むしろ限りなく他人である。
まあとりあえず、とその家系図の記された羊皮紙は自室に持って帰ろうと思う。何かの折に、パスクアに見せて話すことがあるかもしれないし。
「……興味もたなさそうだけどね……」
やれやれ、今日も巨人の情報については収穫なしである。
肩掛けや袋股引についた埃を払って廊下に出る、書庫の錠をかけると外は既に薄暗くなり始めていた。
・ ・ ・ ・ ・
「姫様、お白湯できたよ」
「ありがとう」
少し前にダンが取り付けてくれた吊り下げ式燭台の下、エリンは持ってきた騎士名士目録を閉じて、卓子のはじに置いた。
「“紅てがら”で、黒苺の蜜煮買って来た。目に良いって女将さん言ってたよ」
近年は市内北区にある槍道場に通うケリーである。帰りによくおやつを買ってくる、不思議にどれも美味しいものばかりだった。その辺目利きなのが、エリンには楽しい。
その素敵な壺の中身をふたりで食べながら、エリンは弱音を吐いてみる。
「小さな字ばっかり追ってるから、目がかすんじゃうわ。……ああ、おいしい」
「手伝えなくってごめんね。あたしは絵入りのご本じゃないと、たくさんは読めない」
もうケリーも十七である。エリンはとっくに背を追い越されて、時々見上げる角度にシャノンを思い出す。髪の色も目の色も違うけれど、ほっそり引き締まった身体に、似せたような後ろ髪の結び方をしているから、まさに騎士の面影があった。たぶん彼女の中にも、シャノンが生きているのだ。
「ふふふ。わたしも好きだったわ、絵入りのお話の本」
「まだ、あの隠し部屋にこもり始めだった頃はさ。姫様とリフィ姉ねがこっそり書庫に出て行って、いくつか面白いのを持ってきて読んでくれたね」
エリンは目をまるくする。そうだったっけ……?
「セクアナのお家でも、姉ねがああいうのをいっぱい読んでくれた。ほんと、楽しかったなあ……」
ケリーの涼やかな瞳が、宙をさまよう。
「色んな動物ののってる本が、一番好きだったっけ」
ふっ、と思い出した表情をする。
「そう言えば……。あの本の中で見た、お獅子にそっくりな男の人を、いつかお城の中で見かけたんだけど。一体誰だったんだろう、あれ? エノ軍の誰かなのかな」
「お獅子?」
怪人獅子男? 何だか怖そうである、エリンは幸いにしてお目にかかったことはない。
「ま、いいか。あとはねえ、昔むかしのお話。毒蛇に囲まれた鷹の王様の話に、王様お姫様が妖精に助けられるお話もいっぱいあった」
うんうん、とうなづきながらエリンは聞いている。
「まちがった王様を、良い巨人がこらしめて、本当の王様を助ける話とか……」
黒苺を口に含んだまま、エリンはどきりとしてケリーを見つめた。ごくり。
「……どんなお話だったかしらね……それ?」
言いつつ自分でも思い出そうとする。
「えーとね。新しく王様になったお兄さんがいたんだけど、町の人や女の人をいじめる嫌な奴だったの。そいで優しい弟の王子様が巨人をよんで相談したら、ようしって一緒に来てくれて、お城ごと王様を湖に沈めちゃった。それで優しい王子様がその国の王様になった、……そんな感じだったかなあ」
「……巨人、いい人ね?」
「うん。でもおっかないんだよね、お城をぶん投げる所で、姉ねがフンヌ―ッ!! って本当に気合入れて読んだのが、忘れられないよ。姫様はおっかしいって、横で笑い転げてたっけねえ」
「……」
「どうかした?」
「……一緒に読んだのよね? あの部屋で?」
「うん、そうだよ。色がたくさんついたとってもきれいなご本で、表紙にきらきらした石がくっついてたの」
「でも、ちょっと読みにくい字だった……」
「すんごい古い本だったから、綴りが今と違うーって、リフィ姉ね苦戦してた気がする。あれは勢いで読んでたのかな」
「うううっ」
がばっ、とケリーが身を乗り出した。
「どうしたのッ」
急に何かの発作みたいなものを起こしたらしい! 両手で胸の中心を掴んだエリンを見て、ケリーは慌てた。
「姫様ッ!?」
ケリーは回り込んでエリンの背をさすった、くわっと見開かれた大きな瞳がぎらぎらと輝いている、……でも頬ぺたが赤い!!
その目がケリーを見上げた。
「……糸口を、見つけたかもしれないわ!」
・ ・ ・ ・ ・
「ええと、じゃあ売っちまった本の中に、手掛かりがあったかもしれないってことなのか」
「そう。だから今度は、その本の行方を追うの」
翌朝の財産管理庫。出納係エルリングも、机に頬杖をついてエリンとパスクアの話を聞いている。
「エルリングさん、あなた古書商の競りに同席したのよね? どこに買い取られたか、憶えてなくて?」
「ごめんよ、全ッ然記憶にない。けど、古書商呼んだのはお姫だろ? そいつらのうち、どこかってのは確実なんだろうがな」
「ええ……、」
「あっ、でもそん時たしかウーディクが一緒に居た気がするよ。あいつなら、憶えてるだろ」
・・・
「ガーティンローの、キノピーノ書店ってとこすよ。ファダンとオーランの古書商とは段違いの値段つけて、全部まとめて持って帰りましたね。ちゃんと店の驢馬八頭も連れてきてて、落とす気満々だったし」
相変わらず面白い顔をしたウーディクは、呼び出されて事も無げに言った。
「……そんな細かいこと、よく憶えてんのな? お前……」
「え、だってあんなの見るの初めてだったし、面白かったから。ウーアも後ろから見てて、キャッキャ言ってたな」
「は? ウーア叔父さん、居てたのかい?」
エルリングが意外そうな顔で言った。
「居ましたよ。あの人、ああ見えてきれいなもの好きだから。写本の表紙見て、喜んでたんすよ」
「……」
エリンはふと、その場を離れた。半開きの扉から顔を出す。
「……ウーアさん。お入りになったらいいのに」
「あ、…いや、ここの扉ほそいからね。俺、通れないのよ」
美声で言いつつもじもじっと苦笑する、巨漢の大盾隊長である。
・ ・ ・ ・ ・
「じゃあ、ガーティンローまで行くんだ?」
「ええ。まずは書店に問い合わせの便りを書いて、ファダンあたりの近郊の町から出す。色よい返事が来たら、すぐに行ってみるわ」
「……だね。テルポシエからエリン姫名義で出したら、即怪しまれちゃうだろうから」
霧女の隠れみのではなくて、ほんとにもやついた朝である。湿っぽい空気を避けて、今日は天幕の中で話す、丘の上のメインとエリンであった。
「もう、別のところへ売られちゃったって可能性もあるよね」
げっそり落ち窪んだ眼窩の中で、弱く光るメインの眼。真っ黒いひげを厚く伸ばしているせいもあって、メインは一見老人のようだった。低く流れでる声だけが若く、優しい。
「それならそれで、探しに行くまでよ。第一、わたしは買い直そうとか、取り返すつもりはないの。ちょっと見せて下さいって頼みに行くだけだし、そんなに大層なことではないと思うのだけど」
「でもガーティンローだよ、敵側だよ。パスクアがよく許したね? ケリーもついていくの?」
「あったり前だよ」
天幕内側をさささと拭きながら、ケリーが答える。
「ほんとはパスクアさん、自分でついて行きたいって言うんだけど」
「それこそ目立ちまくりだわ。却下よ」
「……だよねえ。昔はもっと、イリー人な見かけだったけど……」
三人は押し黙った。著しい後退を悲観し、近年パスクアは頬に切れ込むような形のひげをたくわえているのだが、体毛がおしなべて濃色になりつつあるので、見るからに“山賊おじさん”一直線の風貌である。
「いっそのこと全部、剃っちゃえばいいんだ」
「……いや、ケリーちゃん……それはさすがにちょっと、ね……?」
寒がりメインはぶるっと身震いしてから、言った。
「でもね、大丈夫なのよ、メイン。別の助っ人さんに、護衛してもらうから」




