147 空虚五年目3:“第十三”の全員! お城出張
「あ、旦那さまー」
東部方面に行くついでにメインの所寄ってくかー、軽く考えつつ城門の方へ足を向けていたパスクアに、呼びかける声があった。
――おや、乾物屋の“そっくり嬢ちゃん”っぽいな。
笑顔でくるっと振り向けた、その顔が固まる。
「お早う、ございまーす!」
重唱にのせつつ、総勢五名が自分に向けてお辞儀をしていた。
「お、おはよう……。今日はまた大勢で??」
右から順に、金髪おさげの“そっくり嬢ちゃん”と“そっくり父ちゃん”、香ばしい焼きたて笑顔の手代さん、……あとの二人は知らない。全員箱包みやら何やらを携えている、大荷物だ。さすがに不審である!
「それがですねぇ、旦那様ッッ」
そっくり父ちゃんがでかいぎょろ目を全開にして、すすすっとパスクアに近寄った。
「せんに、かなり強い嵐がありましたでしょう? あの後に明り取りの窓が、がたぴし立付け悪くなって、とお嬢さまにご相談いただいてたんですよ。今日配達に参りますのに、たまたま近所の大工さんがお手すきでしたんで、一緒にお連れしました!」
――大工ッ!!
パスクアは目を見張った。自分よりずうっと背の高い年かさの男に、ちと目つきの暗い長髪の兄ちゃん。なるほど大工職人そのものだ。ああ、でっかい荷物は仕事道具に違いない。
――窓の立付けのことも、そういや言ってた気が……。
「そこまで気を使ってもらって、本当にありがとう」
警戒心を解くどころじゃない、パスクアは本気で恐縮した。
「費用がかさむようなら、後でまとめて請求して下さい。城の出納係の方へ」
「ああ、ご心配要りません。当店“紅てがら”で一度お立替しましてから、お嬢さまを通してお便りいたしますので!」
そっくり父ちゃんはどこまでもそつなく、そして丁寧であった。
旧北棟へ向かって、ずんずん行進してゆく一団を遠くに見送りながら、パスクアは激しく内省していた。
――毎日会って話してるだけで安心してた、俺が馬鹿だった。エリンが困っているのに、くみ取ってやれなかったなんて! イリーのまち育ちの人間は、なんて心づかいが細やかなんだろう。エリンもきっと、そういうのが必要なんだ。あのそっくり父ちゃんが家庭もちで本当に良かった、独身だったら間違いなく、エリンはあの優しそうな人に惹かれて、俺なんぞ放っぽって城を出ちまうぞ? にしても俺よか若いくらいの人なのに、何て落ち着きぶりだ。かわいい娘も真面目そうだし、よっぽど堅実な家で生きて来たのだろうなあ……。
「はぁ……」
溜息が出てしまった。それに比べて自分はどうだ、鉄火場や色宿に通いまくった黒い過去が、とぐろを巻いて離れない気がする。
ずーっと若い頃のあほな所業とは言え、もしかしたらエリンもその辺を感じとっていて、……ああー、だからすんなり嫁さんになってくれないのかもしれない。
乾物屋一団の姿を、もう一度思い返した。
――皆、こざっぱりした格好してたよなあ。
そっくり父子はいつものことだが、若い手代も大工の二人も、床屋に行ったばかりのようなきれいな頭とつるつるの顔をしていた。まじめに生きてるテルポシエ人って、たぶん皆そうなのだろう。
――あー、俺も堅くなりたい……。
また一年分、後退した生え際に触れながら、パスクアは城門をくぐった。
・ ・ ・ ・ ・
「絶対に動くんじゃないぞ。ビセンテ」
「……っす」
咀嚼の合間に、ビセンテはダンの命令に返事をした。
地下室天井の明り取り窓をどうこうするためには、長身のダンであっても卓子と椅子とを積み重ねて、そこへのぼる必要があった。
しかしエリンの卓子と椅子、……これらの見るからにかよわき年代ものの家具で、果たして全身筋肉隙間なしの隊長を支えることが可能なのか? 一同不安をおぼえたのである。
卓子はまあ、何とかもつとして……。ダンは椅子とビセンテとを見比べ、圧倒的に頑強そうな後者を踏み台に選択した。卓子の上に握ったこぶしと両膝をついて、咀嚼以外に微動だにしないビセンテ、その背にダンはのっかって、とんかん修繕を開始したのである。
「心配すんなよ、よくあることだ。俺たちの日常と言うやつだから」
部屋の隅、古びた鏡台の前に並べた腰掛に座って、ナイアルはエリンに言う。
「ほいでこっちが、穀倉地帯方面からの連絡だ。しんどい親書はねぇか? 書いてやるぞ」
「……」
相変わらず冷静沈着そのもののナイアル君であるが、姫は隣で内心かなり動揺している。
「リリエルちゃん! これをビセンテさんに!」
アンリはまたしても、湯沸かし場占領中だ。
その脇から出て来た娘は、踏み台役続行中のビセンテの口先に、何かを寄せた。
「かみかみ黒梅です」
リリエルがまじめくさって言う。
「うめ」
ぐわっと開けた口中に乾燥果実を吸い込んで、ビセンテは咀嚼を始めた。エリンは思わず、胸中で突っ込む。
――どういう日常なのよッッ。
ようやくダンが降りてくる。
専用の開閉棒を動かしてみて、……窓はするする開くようになっていた。
「やっぱ、砂づまりっすか?」
ナイアルの問いに無言でうなづいてから、ダンはエリンを見た。
ものすごい大男である。見下ろされて、エリンはじっとり恐怖をおぼえる、子どもに戻った気分だ。
「……右利きですか」
低い声がぼそりと降りて来た。
「え? ……あ、はい」
第十三遊撃隊長は、またうなづいて卓子を振り返る。
「ビセンテ、もういい」
長髪男はするりと卓を降りた。
「あー、ビセンテさん空きました? じゃこっち、お願いしまーす」
湯沸かし場から、朗らかにアンリが呼んだ。
「アンリさん、ほたて貝ならあたしも開けられるよ?」
「いいんだリリエルちゃん、君のやわらかお手々を傷つけることはないのさ。ビセンテさん上手いんだ」
「?」
アンリが大鍋いっぱいに持ち込んだ、大量のほたて貝。一つをつまみ上げると、ビセンテはぱきん、と両手の中で何かを鳴らす。
「……」
リリエルは口を四角く開けた。
「おい。なかみ」
「はいはい、こっちのお皿です。殻は……えーと、お姫さま、桶ありますかぁー?」
ぱきん、ずりっ。ぱきん、ずりっ。
規則正しい調子にて、素手でほたてをこじ開けてゆくビセンテを、リリエルは信じられない思いで見つめている。やがて空になった大鍋に、すかさずアンリが脂を入れて、香味野菜を炒め始めた。
「あの……」
控えめにエリンが言った。
「ほたて殻は、あげる所があるので……。そのまま置いておいて下さい、夕方に洗いますから」
「あ、はーい」
鍋から一瞬だけ視線を外して、アンリが答える。
代わってじいいいっとビセンテがエリンを見つめた。大男も怖ろしいが、こっちの長髪男も得体の知れない何かがある。というかほたてを手で、って。
「あの?」
困惑したエリンが言うと、ビセンテは彼女の片手を取った。ものすごい速さである!
「……!」
ほたて殻同様に砕かれるのかと、一瞬ひるんだ。しかしその手を一瞥しただけで放すと、彼は人語を発した。
「どこで洗ってんだ」
「は、あの……裏の井戸ですけど」
「つれてけ」
林檎の樹の見える裏庭の先、飲料にはならないが洗いもの専用にしている古井戸がある。
そこへ桶をずしんと置き、釣瓶の水をざぶざぶぶっかけると、ビセンテはほたて殻を洗い始めた。もちろん指で。これもものすごい速さである。
「あのー……」
大丈夫なのかしら、ナイアル君呼んできた方がいいのかしら……、
おろつくエリンをしゃがんだままじろっと見上げると、ビセンテは上衣の首元をちょっと緩めた。
「あ、使ってくださってるの!」
以前ナイアルが持っていった、金ぴかうこん色の覆面布である。
――なあんだ、いい方なんじゃないの。
「とってもお似合いだわ。わたしも嬉しいわ」
三白眼にぎろりとした眼つきのまま、獣人ビセンテはうなづいた。
「てめえは中に入ってろ」
はだ寒い日である。
・ ・ ・
ダンは天井に鉤と鎖とを取り付けて、吊り下げ式の燭台をこしらえていた。
「すごい……」
そしてエリンがよくよく見れば、燭台は既製品ではない。鎖はところどころ輪がちがってでこぼこ、受け皿を支えるつっかいも全部色が異なる。
「受け皿が、ほたてだわ……」
つまり寄せ集めでできている。なのにどうしてなのか、とてもかわいらしい燭台だった。
「邪魔になる時は」
ダンはエリンの手が届くあたりの鎖の輪を示す。
「ここで取り外して、片付けることができます」
卓子に座った時、硬筆を持つ右手元が明るくなるよう、明り取り窓の左脇にさがっていた。
「ありがとうございます、雨の日も書くのが楽になるわ」
――こんなにぐうんとしたいかつい人なのに、なんて繊細な仕事をするんだろう?
隊長ダンは、満足そうにうなづいた。
・ ・ ・
「アンリー、俺っち最後のがあとひと息だぜー」
「こっちも、ほぼ仕上がりですよー!」
終わったぁ! 狭苦しい鏡台の上でつんつん毛先の端まで集中をみなぎらせ、親書代筆さいごの一枚をやっつけたナイアルは、伸び上がる達成感とともにびびびと背中をのばし、振り向いた。
そしてぐはっと口を開けた。
卓子の脇、腰掛に座ったエリンとビセンテが向かい合ってくっついている、あろうことかエリンの手を、獣人が両手で握っているではないか!!
こちら向きに座るビセンテが、顔を上げて牙を……犬歯をむいた。
「ごるぁ、ナイアルぅう!」
「あんじゃぁこらぁ、ビセンテぇ」
ついこっちも、ぎょろ眼全開で歯をむいた。
「あぶらぁぁぁぁ!」
「あっ、前にナイアル君にいただいたのが、そこに」
こちらに背を向けていたエリンが振り返る。
扁桃油の瓶から垂らした滴をつけて、ビセンテはエリンの手を揉み始めたのであった。
「ナイアルぅ、こいつの手なぁ!」
手のひら中心をぐいぐい押されて、エリンはものすごく気持ちいいー、と感心した。やっぱりいい方!!
「岬のばばあより、がっしがっしのごわっごわじゃあ!!」
・ ・ ・
四人がけがせいぜいの卓子に、六人もひしめき合って昼食を囲む。
うち四人は実にいかつい野郎どもなのだから、ぎゅうぎゅう詰めでまさに肘すり合わせ、である。
「今日のお鍋も、本当においしい!」
頬っぺたを真っ赤にして、リリエルが言う。
「かぶが、とろとろしてる!」
「恐れ入ります、それ黒かぶなんですよ。リリエルちゃん」
エリンも、じーんと噛みしめた。本当だ! 夢のようにとろける根菜と、柔らかいほたての身……。
「こういうのって、一日半日煮込むものだと思っていたのに。どうやって、短い時間でこんなに深い味に仕上げられるの?」
「あはは、その辺は段取り次第で何とでもなるんですよー。あと、岬のお婆ちゃんに魚醤をちょっともらって、隠し味にしました!」
本人料理はてんで出来ないが、味覚の鋭いエリンを相手に、アンリも饒舌だ。
「料理人が、自分で秘密公開しちゃってどうすんだよ」
静かに手巾で鼻をかんで、ナイアルも笑う。小さな弊害はあっても、やはり熱いものはうまい。
絶好調の焼きたてぱん顔をぴかぴか光らして、アンリはエリンに話しかけた。
「ねっ、お姫さま。ビセンテさん、どう思います?」
「どうって?」
「割と美形でしょう? こういう頭と、恰好していると」
ぷふっ、リリエルとナイアルが小さく吹く。
「思いますよ? 普段は違うの?」
今朝早く“紅てがら”に到着した際、第十三遊撃隊の四人は、実はぼさぼさのむさむさであった。
季節がら防寒対策というのもあるが、文明の外側で生きていると俄然大小の体毛にむしばまれ、お肌の露出面積はどんどん小さくなるのだ。
「こいつの父ちゃんが、もと床屋だから」
ナイアルがリリエルに向かって顎をしゃくる。姉の婿、つまり義兄が床屋の三男坊なのでお手のもの、ナイアルは帰るたんびにすっきりつるつるにしてもらっている。
四人いっぺんなんて、俺ぁ乾物屋になったはずなんだがー! 今回悲鳴を上げつつも、何とかしてくれた。ありがたや。
「もうちっと短くすりゃ、貴公子然になるぜと皆で言い聞かせたんだがなー」
しかしビセンテは、どうしても顎を越して切らせない。
「……それ以上を過ぎると、」
ぼそもそっと、低くダンが言った。
食事中の会話にこの人が入ってくるのは珍しい、皆しんとなった。
ほたてを噛むビセンテの咀嚼音のみが、一定で続く。
「平衡感覚が、狂うから……」
――あー、そうか、そういうことなんですかー。さっすが隊長、深いなあー。
――何でわかるんだよ大将? しかしそうだったのか! こいつの冗談平衡感覚の秘密は、毛先にあったんだなッ!
沈黙の中で暫時注目を集めるビセンテ、ごくりと咀嚼音が止まる。彼は空の椀を持った!
「つぎッッ」
「あ、わたしが」
アンリが差し伸べかけた手の先でそれを受け取り、エリンは卓子脇の大鍋の前に立つ。
「猫ちゃんの、おひげみたいなのね」
もりもりにした椀を、両手で差し出した。
「かっこ良いと思うけど?」
牙、……違った、長めの犬歯を、ビセンテは左右ぐわっと見せつけた。
彼としては、最大級の笑顔のつもりである。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
明日からサイドストーリー「ナイアルとウラ」の更新に入るため、海の挽歌本編の更新は休止いたします。
次回更新は1月21日12時(日本時間)です。巨人の謎解きに迫る新章展開を、どうぞお楽しみに。また、「ナイアルとウラ」の方もぜひご一読いただければ、幸いです。
https://ncode.syosetu.com/n3309il/
(門戸)




