144 空虚四年目21:アンリの出張!お城ごはん
「また、すごい嵐だったよね!」
「……だね」
嬉しそうに言うなあと思いつつ、パスクアはすぐ隣を歩くギルダフの笑顔に目を走らせる。
ここのところ頻繁に、大隊長は北の街道とテルポシエ城とを往復していた。
この人は以前から、雨でも嵐でも全く気にしない。むしろ降っている方が好ましいらしい。全身びしょ濡れでも、笑顔で戦闘棒を背負い、馬を走らせる。副長は若い奴がつくが、あまり続かないようだ。しょっちゅう顔ぶれが変わっている。
雨中で平気と言えば、亡き前王エノもやはりそういう所があったっけ、と久し振りに思い出す。
今日のパスクアはギルダフについて、街道脇にこしらえた小陣営まで行くつもりである。穀倉地帯からの通商は、相変わらずエノ軍の主要財源だ。がっちりばっちり、ぴんはね関税で絞るのである。
「おや」
城門の近く、知った姿を目に留めた。
「さき行っててくれ、すぐ追いつくから」
「いいよ」
ギルダフは上衣の黒いももんが袖をひらりと翻し、副長と行ってしまった。
パスクアは後戻りして、旧北棟へ向かうらしい二人連れの背中に、声をかける。
「お嬢ちゃん、また配達に来たのかい」
「あっ、お早うございます。旦那さま」
きりっと太い眉毛に、ぐぐっと迫力のある大きな瞳、そこに誠実な表情をのせて少女はお辞儀をした。エリンがよく注文している、乾物屋の少女である。
「いつもご苦労さん。今日は、お父ちゃんは?」
「はい、外しておりまして。手代さんと参りました」
少女の後ろ、若い男が箱包みを手にお辞儀している。
上げた笑顔は焼きたてぱんのよう、香ばしさが漂ってきそうなくらい血色が良い。
「……あんた、どうして平鍋しょってるんだい?」
後ろから追いついたので、見えたのだ。
「このお兄さん、料理がとっても上手なんです。おいしいはしばみをその場で炒って、お嬢さまに熱々のを召し上がっていただこうと思って!」
にこにこするだけの若者にかわり、リリエルは淀みなく答えてみせる。
「ああ、なるほどね、いいねえ」
全く疑いもせず、パスクアはひらひらと手を振って行ってしまった。
確かになかなか良い男だ、後退は激しいが渋みが利いてる。うちのナイアルでは逆立ちしたって敵やしない、とリリエルは胸中ひそかに思う。
――しかしだな、ああいうのが店に立ってても客は寄らないよ。あたしゃもうちっとあいその良い、まろやかな奴の方が好いや! やっぱ男は三枚目、だってぇの。
・ ・ ・ ・ ・
「いやー、やっぱり俺には諜報活動は無理ですね! とてもとても、ナイアルさんみたいにはできません。リリエルちゃん様々ですよ」
「はあ、あの……」
挨拶もそこそこに、室に入るなりいきなり湯沸かし場で調理を始めた初対面の男に、エリンは面食らった。
リリエルから通信布をいくつも渡される。
いまキヴァンの地にいると言うその叔父ちゃんがらみの近況を聞くうちに、すさまじく素敵な匂いがしてきた。そう言えばおひる時だ。
「さ、できましたー」
湯気の立つ平鍋を片手に、アンリというその第十三遊撃隊の一員は微笑する。
別の箱包みから木椀と匙とぱんを取り出して、リリエルが素早く三人分のお膳を整えた。
――何で? この人、ごはんをこしらえに来たの?
「さ、どうぞ」
アンリはエリンと、リリエルに向かって言った。
わけがわからないまま、エリンは椀の中を見る。大きな貝の身が、濃い何かの汁の中で白くつやつや光っている。とにかく口にしてみた。湯気の中に、視界がぼやける。
「おいしいぃぃぃ」
小さく、素直にリリエルが言う。
「おとついの嵐、すごかったですよねえ。こちらでも、けっこう揺さぶられました?」
自分も椀をすすりながら、アンリが言った。
「でもはまうりって、ああいう嵐のすぐ後に、おいしいのが獲れるじゃないですか。それを思ったら、どうしてもこれをあなたに食べていただきたくなって」
エリンは匙を止められなかった。おいしい。おいしい。おいしい。なつかしい。
そうだ、昔は嵐が来るのも楽しみだった、行ってしまった後にこれが食べられるから。ウルリヒも大好きだった、はまうりの赤宝実煮……。
「赤宝実は、“紅てがら”さんとこの乾燥です。普段は俺、その場にあるもので作る主義なんですけど……」
アンリは首元の赤い覆面布を指差す。
「今回は、これのお礼もしたかったので。久しぶりに、お買い物しちゃいました!」
――まいどー! 心の中で、リリエルは叫ぶ。
「……どうしてご存じなの。わたし、これがとってもいいってこと……」
「あっ、じゃあやっぱり当たってました?」
きらきらっと嬉しそうに歯をのぞかせて、アンリは言った。
「いやー、昔実家の店で、誰かが言ってたんです。王子様お姫様は、はまうりを喜んで食べてるって。噂も役に立つんですねー!」
「昔も良かったけど、あなたのお鍋の方がずっとずっと、おいしいわ」
エリンは笑った、……同時にぽろ、ぽろぽろぽろろ、涙があふれる。
嵐の中で、自分を思い出してくれる人が、エリンにはいるのだ。
「熱くって本当においしい。……お代わりいただける?」
「はいはい」
二杯目をよそいながら、アンリはふきんを下に敷いた卓子上の平鍋に話しかける。
「良かったなあ、ティー・ハル。本来の使いみちで、お姫さまに喜んでいただけたよ」
・ ・ ・ ・ ・
夜、“紅てがら”にて補充した様々な文明的食材、おもにマグ・イーレあら塩の重みに幸せを感じつつ、アンリは第十三遊撃隊の極秘のねぐらに帰還した。
「ただいまー。隊長ー、ビセンテさーん、イスター、お婆ちゃーん、アンリが帰りましたよー」
「よう、一足ちがいだったな」
炉の前で外套を広げて干しているナイアルを見て、アンリはぎょっとした。
「うえええええっっ!? ちょっとナイアルさん、何でここにッ!? 今日ってまだ嵐月の十四日ですよ、どこかで引き返してきたんですか? ああッ、うっかり死んじゃって魂だけ会いに来たのかな、そんなのは嫌だあああ!!」
「いや、ちゃんと生きてるって。よく分かんないんだがよ、やたら調子が良くって旅程がはかどったんだ。腹減ったぞ」
「あ、食べられるんですね? そいじゃ他はどうでも良いです、お帰んなさい」
やがてここでも、良い匂いが漂い始める。
炉にかけた大鍋をかき回すアンリの横、イスタが火に泥炭をくべつつ聞いた。
「お姫さま、アンリの鍋たべたのかい」
「うん、喜んでくれたよ」
「あの突っ張りお姫が、うますぎて泣いたりしてな」
はは、と笑うナイアルを、アンリはすいっと見据えた。
血色の良さはそのままに、毛筆で描いたような漢の顔つきに変化している。炉の火がその陰影を、激しすぎるほどにくっきり浮かせていた!
「ええ、そうなんです。ですから俺は、あの方を主君と認めますよ、ナイアルさん」
ナイアルは口を開けて固まった。
イスタは料理人を見上げたままの目を丸くした。
ダンは穴ぼこ修繕中のナイアルの外套から目を上げた。
ビセンテだけが規則正しい調子で、安楽椅子に座ったお婆ちゃんの肩をモミモミしている。
イリー暦194年、空虚四年目の秋の夜であった。




