138 空虚四年目15:昼の襲撃者
翌朝早く、宿を出る。
ディンジーのおかげで夜間の襲撃はなかった。けれどやっぱり気持ちの良いところでもない、そそくさと馬を引き出し新たに駅馬を借り受けて、三人はセギュイを出立した。
「まあ……。敵が人間でないだけ、良かったのかな。今度の旅は天気に恵まれて、大きな危険もなかったし。このまま無事に帰りたいものです」
「うちの玄関くぐるまでが旅だよ、油断はだめだよパンダルさん」
見かけ油断しまくり隙だらけのディンジーが、のんきに言った。
昼頃、フィングラスに着く。
「ジアンマさんに挨拶して行きましょう。地図を返して、今度は私がお昼に誘いましょうかね」
「だーれ、それ?」
「あなたを知っている人です。さ、行きましょう」
こんな不思議な格好の男なのだから、相当数の人がディンジーを“見て知って”いるんじゃないか、とゲーツは思った。
じきにジアンマの店……という所で、ゲーツはすいっとランダルに顔を寄せる。
「……すみません、先生。ちょっとゼンドーです、公共手洗いに行ってきます」
「あ、そう? じゃあ後から、ジアンマさんちに来てね」
「……はい」
そのまま一人歩いてゆく、……“気配”は変わらぬ間合いでついてきた。
――やっぱり、俺狙いだ。先生じゃない。
日中だと言うのに人通りのない寂れた倉庫街、この前とった宿の近くで、ゲーツは曲がった。袋小路で壁を背にする。左右の壁幅は広くない、二人で並べばかなりきつい。
一人でかかってくるのが精一杯の狭さである、これなら楽だ。
ず、ずっ。
――あー、しまった。上からじゃん。
即座に抜いた長剣に、重い蹴撃が一発入った。
ほぼ同時にうなじへの手刀の余風、横にかわすと足払いが迫る、思いっきり跳躍して片側の壁を背にする。
「ゲーツ・ルボ」
「ゲーツ・ルボ」
大小のおじさん二人が、両手をだらりと下げて自分を睨んでいた。
――誰だろう?
男たちは二人とも、黒い覆面布を目元まで上げている。その下はいたって普通の平民のてい、傭兵でも賊でもない、見るからにその辺のおじさんである。他に武器を持っているでもない。
「見つけたぞ。ここで会ったが百年目、うひひ」
「すんげえたまたまだけどな? ほんと俺らって幸運、ぐひひ」
「……人違いじゃないですか」
――いちおう言ってみよう。実際、俺はあんたらを知りません。
「んなわけねえだろうがよ。お前ぇ、十三年前とおんなし恰好、憶えてんぞ俺らは」
「そうだそうだ。エノの親父とコシュクアの親分と、面接してた時もそれ着てたろ」
――げえ。エノ関連?
何ということだろう。墨染傭兵上衣を見て因縁を確信されるとは、物持ちの良さがあだになってしまったらしい。そう言えば、近年はマグ・イーレ領を出ることもあまりなかったし、出る時は紋章付外套を着ているのだった。
「お前ぇが俺らを憶えてなくても、そもそも知らなくても、どうでも良い。とにかくお前ぇは俺らの仇なんだからな、うひひ」
「そうそう。お前ぇがマグ・イーレに寝返ったせいで、俺らの親分がクロンキュレンで死んじまったんだからな、ぐひひ」
「……」
――もう本当誰それ、俺知らないし?
「あんな良い親分はいなかったぞ。本来ならガーティンローで待機してるだけだったが」
「坊主が遅刻しやがった。だから親父の親分が、代役でエノについてくことになった」
「てめえと王を追いかけて、マグ・イーレ直前まで詰めた所で」
「白き牝獅子の追撃にはまりドキュン、喉元に毒矢ズブリで即死」
「何でか父ちゃん、いつもの首環を坊主に譲っちまっていた」
「後から俺らと現場に侵入して、死体の前で坊主は爆泣」
「それから時間厳守、まじめな性格になりやがった」
おじさん二人の周囲に、つかの間しんみりとした空気が漂った。
「自分のせいだと今でも言いやがるよ、坊主のやつ……ぐひひ」
「違ぇよ。俺らの坊主のせいじゃねえ。エノからマグ・イーレに寝返った、ゲーツ・ルボのせいなのさ、うひひ」
「そういうわけで殺すよ、ゲーツ・ルボ」
「殺すよ、ゲーツ・ルボ」
――いや、やっぱりわかんないんだけど……。
ふうっと大小の身体が迫って、ものすごい速さで左右から打撃が来た。
ざっと薙ぎ上げる長剣を、でかい方が恐るべきやわらかさで白刃取る、勢いを削ぐ、その合間にずんぐり小男が左右の掌底で攻めて来る!
ぐんと後ろにした後頭部、ゲーツの短い髪先が壁に触れた。
小男がぎょろりと白く眼をむいて、――笑ったのだ! 第三の掌底は避けられない!!
妙な音が、光って通過していった。
男のそのぎょろ眼がさらにくるくるっと裏返って、真っ白になった。ゲーツのすぐ側に迫った大小おじさんは一瞬静止すると、するするするとくずおれる。しなやかな革鎧を着た体が、とふとふっと地に横たわった。
「危なかったね! 何なのそいつら?」
袋小路の出口に、ディンジー・ダフィルが立っていた。
「……それが、全然知らない人達なんです」
「エノがどうの、とか聞こえたけど?」
「……」
――そうだった、この人には聞こえちゃうんだよね……。
けれどどこまで言ったらいいのか、ゲーツにはわからない。自分がもと間諜だった所まで、言うことになるのだろうか?
「……あの」
「ま、別にいいよ。はっきり説明なんてしなくって。でも、どうする?」
長剣を鞘に収めて、ゲーツはしゃがんだ。大小おじさんは昏倒しているだけのようだ。
「鳥の時みたいに、耳の奥をぐるぐるしてやっただけなんだけど、数刻はこのままかな。目覚めた直後も記憶ごちゃごちゃで、しばらくはげろが止まんないと思うよ」
ものすごく戦いにくい、嫌な敵だった。そうっと覆面布を下ろしてみても、やはり記憶にない顔である。消しといた方が良いのだろうか?
「……女の子を、守っているね」
「……はい?」
「この首巻にね……、何か、そういうのを感じるんだな。精霊にしょっちゅう触れている女の子を、この二人は守っているみたいだ。音じゃないから、はっきりわからないけど」
ゲーツはおじさん二人の首元を見た。そしてディンジー・ダフィルを見た。
「……ほっときます」
二人でジアンマ宅に向かう。
もりもり大男と機嫌よく店先に座っていたランダルが、笑顔を向けた。
「二人とも、ゼンドー完了?」




