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海の挽歌  作者: 門戸
空虚四年目 ランダル王と傭兵ゲーツの珍道中
133/256

133 空虚四年目10:アメナの宿でお習字稽古

 アメナの町には、割と早い時刻に到着した。


 村と言った方が近いような小さな町だったが、頑強なつくりの街壁門のところには結構な数の傭兵がいて、二人は珍しく持ち物検査を受ける。やはり国境間近なだけあって、警備はきちんと厳重だ。



「町の厩舎はないんだ。でも宿屋にあるから、そこへ直接預けられるよ」



 しかし衛兵らは親切である。教えてもらった通りに行くと、壮大な構えのふるい屋敷があって、そこがアメナ唯一の宿という。



「ゴーツ君、これはッ……!」


「……部屋を、間違えたんでしょうか」



 小宴会でも出来そうな広い部屋に、男二人は驚愕していた。


 古いことは古い、しかし深みのある栗色の床板は艶を帯び、黒い柱が走る白い漆喰の天井には炉の煤あともない。歴史を感じさせる家具調度品には美しい彫刻が刻まれて、極めつけに窓からは雄大な眺望が見渡せる。町外れの湖と、その後ろにそびえるキヴァン領の山脈が青いのであった。


 その湖でとれたという影武者魚いわうおを柔らかく煮たのに、つぶし豆を添えたのが夕食である。簡素だが、とんでもなく美味であった。



「二食付きでこの値段って、何なの? リアーの宿より安いよ、どうなってるの」



 小さな食器棚に気付いたゲーツが、ランダルを呼ぶ。



「……先生、これを」


「何っ?」


「……陶器椀と、香湯こうゆの壺が数種類入っています」


「ぬあっっ!? なに、自分でれて飲み放題ってこと!? どういう宿なの、採算とれてるのッ? もう、ここはじゃんじゃん飲みましょう、ゴーツ君!」


「……厨房で、お湯をもらってきます」



 滅多にできない贅沢に、これでも少々はしゃぎ気味の二人である。



「さて……、私はこの素敵に広い卓子を有効利用しまして、ちょっと書き物しますからね。君に今日教えてもらった、“時神さま”の色々を記しておきましょう。君はもう、どうぞ休んで」


「……はあ」



 言いつつ、ゲーツは何となしに香湯を飲み続ける。


 蜜蝋みつろうの明かりの中、ランダルがすごい速さで布表面を字で埋めていく。


 時神さまと言うのはこの一帯、フィングラス地方で信仰されている地元の神様だ。イリーとキヴァンの交差点であるこの地では、黒羽の女神は人気がない。フィングラスの市ができた当時は違ったのだろうが、イリー貴族の王政が絶えてしまった今は、女神像も置かれていなかった。


 代わりに皆の生活を見守っているのが、毎日変わらず日にちを進めてくれる男性の神様である。ひょっとしたら、黒羽の女神がイリー人とともにやってくる前からそこにいたのかもしれないが、詳しい話は誰も知らない。人々は空を駆ける太陽や星々の動き、季節の移ろいにかれの所作を感じて、日々ゆるく感謝をしているのである。


 フィングラスで働いていた頃に知った話を、ランダルにうまく誘導されて口にしたら、面白がって聞く王であった。



「どうかしたの?」



 ふっと硬筆を止め、顔を上げて、ランダルがゲーツを見た。



「……きれいな字を、書かれると思いまして」


「君は?」


「……読めますが、書くのは苦手です」



 王は、手にした硬筆をすっとゲーツに差し出した。



「書いてごらん?」


「……」


「名前と、住所」



 ついっと新しい布まで出されて、ゲーツは少々ひるむ。けど書いてみた。


 ランダルは静かに見ていた。そのまま布面から目を離さずに、言う。



「ティルムン語の表記だとはね・・がないから、どうしてもぎこちなくなってしまうよね」



 再び自分で筆を握ると、ゲーツが書いたその下に、同じことを書く。



「少しだけ意識して、はねをつけてみようか。御方グラーニャの名前は綴りが難しいし長いから大変だけど、なるべく一挙に流してしまうときれいだよ」



 また、硬筆を差し伸べられる。ランダルは予備の筆を取り出すと、さっさと自分の書き物を再開した。


 そこで、二人は黙々書き続ける。



「背筋は伸ばした方が楽だよ。君は大きいけど、ちぢこまって書く必要はない」


「もう少し硬筆は立てて。私の手の上から握ってみる」



 こんな所誰かに、グラーニャに見られたらとんでもない事になると思いはする。けれどランダルのさくさくした指導に従うと、本当に自分の字が変わって来たのが驚きだった。



「じゃ、この新しいのに最後の一回。……うん! なかなか男前の住所になったよ」



 その下、ランダルはさらさらっと何かを書きつけた。



「フィングラス領アメナの町にてキヴァンの青い山脈を眺め、いわうおを堪能いたしました……と。これでよし」



 少し乾かしてから、丁寧にたたむ。


 ゲーツ・ルボ、 マグ・イーレ城内 御方グラーニャ・エル・シエ室内、納戸在。


 さっき書いた所が表に出る。



「明日の朝、宿の人に頼んで送り出してもらいましょう。御方も旅の無事を知って、喜んでくれるでしょうよ」 



 にこりとする王。


 そこで初めて、自分はグラーニャに便たよりを書いたのだ、と知った。どっきりである。

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